第105話 検め5―群衆と名誉―
「本当なら萌黄を騒動のネタにはしたくなかったのです。どんなに歪んでいようと、人が人を想う心をつるし上げに利用するなんて、あってはなりませんのですよ」
長官がポツリと呟くと、白龍は彼女の肩を軽く叩いた。
長官は白龍の方を見上げない。彼がどんな表情――瞳をしているかなど予想に容易いからだ。
長官の想像通り、黒龍にじゃれていた姿からは想像できないほど、凛々しく立つ白龍。背筋が凍りそうなほど冷静な瞳には、熱に浮かれる群衆が映っている。
「萌黄――あの子らも、ある意味では被害者じゃからな。とはいえ、わしは有益になり得る情報はすべて利用する。大事に思うモノを守るためには、それらを害する罪びとに容赦はせぬ」
白龍は一度言葉を切り、地面に這いつくばっている湯庵を見下ろした。空気がピリッと張り詰める。
そんな周囲の反応とは正反対の様子で、白龍はにかりと笑った。これはまずいと思ったのは黒龍だ。白龍の肩を掴み、とっさに音声操作魔道を発動する。
「おい、白。お前、また煽るような――」
「そのような実の娘を利用するさもしい化け物に対して一切の情けをかけるほど、国は甘いものではないぞ。あぁ、おぬしも一国の主だったことがあるのじゃから、今更かのう。いやはや、誰も想像がつくまい」
湯庵の顔が音を立ててあげられる。目玉は皺だらけの肌を転げ落ちそうなほど見開いている。
「糞餓鬼めがぁっ! 今度こそ! 今度こそ不老不死と己の国を手に入れる絶好の機会であったのにっ!」
湯庵が体を跳ねさせるが、白龍の一瞥でぴたりと動きが止まってしまう。ついで、翡翠双子に地面に押し付けられ「ぐふっ」と変な声が漏れた。口の中が切れて、ぺっと吐き捨てた血は――確かな色味を認識する前に粒子となって消えていった。それでも、赤色とはかけ離れていたのだけは認識できた。
「はっ! これは興味深い! 摂理から切り離された存在は、血の色まで異なるか。長寿でも不老不死でも、ここまでにはならないぞ!」
長官と白龍の声が重なった。興奮した二人は、はたと動きを止める。そうして、顔を見合わせてお互いが呆れたように空笑いを零した。
もっと呆れた溜息を落としたのは紺樹だった。普段の飄々とした彼からは想像できないほど、眉間の皺が総動員されている。紺樹は、指先で己の腕を叩きながら「いいですか」と低い声を出した。
「お二人とも。黒龍様の術にあわせて映像操作魔道を使役しましたが……人心が揺らぐような異常な好奇心を丸出しにするのは控えてください。少なくとも、ここでは。蒼たちに追い付く時間を無駄にしたくありませんので」
片手を伸ばした紺樹は誰も見たことがない様子――凪のごとく、かつ、すさまじい感情を乗せて目をかっぴらいた。睨まれるより恐ろしい形相だ。
「はっはーい」と左右の指を突っつかせ合う年長組の姿を、白磁は無表情で見守り、その他の人々は身を震わせたり、呆然と眺めたりすることしかできなかった。
******************
「おいっ! 手っ取り早く華憐堂に乗り込もうぜ! 紅暁がとらわれているんだろ? ソレに、蒼月がこの場にいないってなら彼女も巻き込まれている可能性があるぞ!」
血気盛んな青年の一言に、同意の歓声が沸く。
潮時だと各面は顔を見合わせて頷き合った。白龍が長官を肩に乗せ爆発魔道白龍仕様を天に向かって放つ。
空に色鮮やかな花が咲く。星空を背負って八方に飛び散る様は花火さながらだ。
突然の爆音と神秘的な光景に周囲が静まりかえる。白龍は魔道発動の姿勢をたっぷり数十秒は崩さずに、自身に注目を寄せる。
「さて。わしとしたことが、ひとつ失念しておったわい。皆よ、ちと聞いてくれるか?」
長官を支える反対の手で顎髭を撫でる白龍。茶目っ気たっぷりに片目をつぶる演出も忘れない。白龍の思惑通り、大方の人間は白龍のお願いに「しょーがねぇな」とか「白龍様に言われたならいくらでも!」などという声があがり、注目が集まった。
かつ、破天荒な白龍は裏の人間にも気に入られている。そういった人間たちは群衆から離れた場所で、どうでるのかとにやけている。
白龍と目配せをして口を開いたのは長官だ。
「蛍雪堂の真赭に尋ねられた、心葉堂の水が萌黄にやけどを負わせた理由を説明していませんでしたのです」
「皆が知るように心葉堂はクコ皇国弐の溜まりじゃ。源水はそれこそ高位のアゥマ使いでなければ失神してしまうほどの純度。そういうことじゃ」
つまり魔を払う純度が高い弐の溜まりに焼かれたということは、相手が邪である。
白龍は暗黙のうちに群衆の脳をその思考へと導く。
事実としては遠くない。むしろ現実に近い。けれど、厳密に表現するならば萌黄を形作っている守霊たちが本来あるべき姿に戻りたがっているがゆえに、腐り落ちるべき肉体が焼けたのだが、そこまで説明する必要はない。
「やはり華憐堂は邪の塊ということですね!」
その一言をきっかけに弐の溜まりの不名誉な噂は払拭されていく。
「そうよ! あたしだって、白様や藍、それに蒼ちゃんの丹茶に助けられたことか」
丹茶とは薬茶のことだ。薬よりは気軽に飲むことができ、個人の性質にあわせて浄錬を行うため重病にもかなりの薬効が出る。ただ、高度な技術が必要なため、茶師の中でも極限られた者が扱える。
蒼の親友である真赭と浅葱は目配せをして頷き合った後、塀に上り手を挙げた。一人ひとりの挙動に敏感になっている群衆は、すぐに二人の少女に焦点を当てる。
それを阻止するように、反対側にある石階段に立ったのは青年だ。
「流されるな!」
青年はそう放った後、たっぷりの時間をかけて周囲と目を合わせる。
恐らく皇太子である竜胆側の人間だろうと想像に容易い。だれもが真赭と浅葱ではなく、その地味とも華やかとも言えない、いまいち顔を覚えられない青年に注目している。
「華憐堂の後ろ盾にいる尊い方は弐の溜まりの謀反を察しておいでだ!」
「そうだ! 心葉堂は弐の溜まりの地位に甘えている! 他の者を競合だなと思わず、貶めるのみ! 建国以来の老舗などと笑わせるぞ! 現茶師が丹茶を店に出さぬのは、希少価値を高めているだけだ!」
援護射撃のつもりで放った工作員の一言が神経を逆撫でた。
白龍はもちろんのこと、この場に居合わせる人々だけではなく映像が繋がっているクコ皇国にいる全員の。
「いやっ! そのっ! ほっほら、そうやって権力で他者の意見をおさえつけるっ」
青年が一斉の敵を受け、彼は言い訳をともにへたり込む。暗殺部隊が瞬時に毒矢を放つが控えていた魔道府の精鋭が防止する。
白龍はフーシオとして学院や過疎地域どこでも活動している。底辺にある身を売るものにさえ向き合う。同情からではない。這い上がってくる意志があるもの、意図せず陥れられたもの。少しでも諦めていない人には手を差し伸べる。一方で、頑なに恨みばかり綴る者には興味を持たない。再生の意志がある人にのみ機会を与える。
そして、蒼月が個人として、茶師として向き合ってきた人を、紅暁が何を大事にして実際行動してきたのを知る人々全員を敵にまわしたのだ。
真赭は何度か口を小さく開閉した後、意を決して
「希少価値をあげるなんてこと!」
と叫びをあげた。
本人がいないところで心の傷を勝手に暴露するなんて、普段の真赭では考えられないことだ。けれど、クコ皇国のアゥマ使いが亡くなった事件の真相が明かされた今なら共感してくれる人は多くいるはずだと願って。
「それは絶対にありえません! 蒼が丹茶を作れなくなっているのは事実です。両親の死に目に会えず、肉体とお別れも出来なかった! 一番大切な人を守れなかった心の傷からです! 彼女は私が幼い頃からずっと丹茶を浄錬してくれてきました。私が重い病気を患っていたから」
周知の者が多いとはいえ、自身の病気について大衆へ話すのは決して快いものではないはずだ。親友の話だけを暴露するのは平等ではないと考える真赭らしい選択だと、彼女を良く知る者たちは思った。
「蒼が今は丹茶が作れず、私が薬だけ処方いただいているのは主治医の先生もご存じのこと!」
「そっそんな身内が証言したって、裏でこっそり受け取ってるなんてことも――」
工作員の男が凝りもせず声をあげると、周囲から一斉に冷たい目を向けられた。
「真赭の主治医ならあたしも知ってるよ! あんた、クコ皇国の名医にケチつけようってのかい?」
「この街の人間なら。いや、国内外に関わらず先生に助けてもらった患者はたくさんいるんだぞ!」
群衆から男に向かって怒りの声が投げつけられる。
「蒼はクコ皇国――いえ、心葉堂を訪れる人の気持ちに応えたいという意思が強い子です。修行前だって多くの人の願いのために努力してきました! 一人ひとりと向き合って! 今でも、苦しみながら自分と、自分を頼ってくれる人の思いに応えたいと試行錯誤しています!」
「そうだよー! 特にこの街の人や心葉堂を訪れたことがある人、そんな人から話を聞いたことがあるみんな。何らかの形で一回でも触れ合ったみんななら、心葉堂がだれかを貶める商売をするはずないなんて知ってるだろー!」
真赭と浅葱。十六・七歳程の少女二人が必死の思いを込めて訴える。人心掌握の話し方など知らない。ましてや言葉選びなどに計算もない。
ただ、友人を思って、心葉堂を思って叫ぶ。
「心葉堂が――そんな蒼が、人を傷つける可能性がある水を使って、心葉堂を大切に想う人を裏切る形で華憐堂を追い込もうなんて思ったりすると思いますか⁉ だれが後継人とか関係ない! いつだって目の前の人を大事にして、その奥にいる存在を大切に想っていること、|私・ボクは知っているはず!」
工作員に詰め寄っていた人間も含め、周囲がしんと静まり変えった。
ぽつりぽつりと、同意や否定、加えて「そうなのか?」というお互いに確かめ合う言葉が呟かれ始める。
「あぁ、いやだ。十六歳の蒼ちゃんが両親の死に傷ついて丹茶を浄錬できなかったことにだけ、目が向いていたわ」
「これまで何代もクコ皇国の人間を救ってきた、楽しませてくれた心葉堂の水が悪であるなどと一瞬でも考えた自分が恥ずかしい!」
官僚たちはいくらでも揚げ足をとってくるだろうから完全ではないにしろ、少なくとも群衆に事実と認識された。
加えるなら魔道府の一員と物見遊山に訪れている官僚や王族に群衆の心葉堂擁護の熱気は叩きこまれた。
「まったく、紺樹の魔道力には頭が下がるわい」
「白龍師傅の人徳ゆえに、ですよ」
「それにしたって、国中の上空にピンポイントにリアルタイム映像を投影するなどという技、世界広しと雖も数名しかおらんじゃろ」
常識から考えたら能力自体があり得ない。それでも数名は浮かぶ白龍に紺樹は内心で『まっくこの人は』と苦笑するしかない。白龍のことだから見積もりではなく、実体験だとわかるからだ。
白龍の肩から飛び降りた長官が、右手を突き出し「聞いてほしいのです!」と声をあげた。舌ったらずの甘い声なのに、不思議と背筋が伸びる。
「皆の気持ちは確かに魔道府長官であるわたしが受け取ったのです!」
「右に同じ。クコ皇国のフーシオであり、心葉堂の先々代である白龍も、皆の想いをしかと受け取った!」
アゥマ部門の最高峰二人に宣言され、民衆は感動を抱く。再び轟く、歓声。
「だが、ここからは我らが領分!」
二人の声が重なる。音程も音質も全く異なるのに、溶けあって迫力を増す。
身長差の激しい彼らだが、民衆はどうしてか不均等とは思わなかった。鏡合わせの姿勢で足を踏み出し手を前方に伸ばす長官と白龍。
「手出しは無用! 私刑などは以ての外だ! 我らの無念は正当に裁いてこそ、現代と後世に語り継ぐことができる! これはわしがフーシオとして、なにより当事者である心葉堂の人間としても願うことじゃ! 私刑ではなく、公的裁きを下すことこそ真相の解明と彼らが負うべき罰をあたることになる」
「えぇ。そして、魔道府が必ず華憐堂の悪事を暴き真実を白日の下にさらす! だからこそ、みなには境界を越えず、それでいてどうか見守っていて欲しいのですよ!」
陰翡と陽翠は鳥肌が立ったのを感じ、同時に、思わず膝をつき直しそうになった。
実際、魔道府の者も民衆も九割は重圧を受けて、直観的に膝をつき右腕を腹前に寄せている。残りの一割も圧倒されて、のそのそと倣った。