第104話 検め4―群衆の熱と作戦―
「はい、なのですよ。菖蒲、どうぞですよー」
魔道府長官はいつも通り、小さい両の手を伸ばして促す。平等な意見を促すのと同時、ただの歪んだ私見ならば己に跳ね返ってくる寛容さだ。
それでも、菖蒲はずっと抱いてきた疑念を音にせざるを得なかった。
「私はクコ皇国第肆の溜まりを守る一族です。今の話を聞いて、どうしても確認したいことが出来ました」
「はい、なのです。貴方には――みんなには、その権利がありますです」
その長官の回答は、もはや答えだった。
こみ上げる涙とぐっと堪える菖蒲。周囲からも嗚咽が漏れだす。溜まりを持つ者、関りがある者。恐らく、全員が予想できている音に唇を噛むしかない。
「一年近く前、溜まりの守護者の会合の際の死亡は事故と言われました。事故と言われた……多くのアゥマ使いを失った、あの出来事は――」
菖蒲は両手をきつく握りしめる。国の公表を覆すことになるからだ。魔道府の人間として、そのような誘導をしていいはずがない、と考える体。
もし、菖蒲の問いかけが本当だったとしても肯定される可能性はゼロ。誰もが、そう考えていた。
それでも、菖蒲は長官の言葉を待ってしまうのだ。しっかりと目があっている長官の表情はとても静かだ。
「……この日まで、多くの人の悲しみを欺いた罪は、わたしにあります。魔道府長官である、わたしに責があるのですよ。彼らの尊い――いや、大事な人たちを守りたいという意思を隠蔽し、単なる事故死としたのですから。いつかくる、この日のために」
魔道府長官――ホーラは小さな手を握りしめた。
彼女の背中にのしかかるのは、死んでいった溜まりの関係者と優秀なアゥマ使いたちの笑みだ。クコ皇国の溜まりを守るために集められた彼らは、誰一人として暴言を吐かなければ逃げ出す者はいなかった。
それが逆につらかった。罵ってくれても、恨んでくれても良かったのに。皇族を、宮廷を、魔道府を恨まなかった。
(それでも、わたしは知ってしまっているのです。彼らが、絶対にそうしないのを。だからこそ、理解できない。守るべき一族も、地位もない。けれど、桃源郷だけは不可侵であって欲しいと願う私には)
溜まりを守護する一族の運命を受け入れて、笑って死んでいく人たちを、長官はどうあっても理解できない。もっと言えば、許せなかった。愛する者を、当然と置いていく彼らが。ある種の洗脳だと思える、彼らの血脈を恨まずにはいられなかった。
それであっても、長官はこの地に留まっている。許せないからこそ。
「それならば、どうして、我らが長官を恨みましょうか! なぁ、みんな!」
菖蒲は涙目で同志へ呼びかけた。ソレを合図に、俯いていた魔道府の人々が涙を拭って立ち上がる。
盛り上がる指揮を余所に、長官の悲壮感は増していく。価値観の相違はどうしようもないのだと。長官にもわかっているのだ。これが国という組織なのだと。アゥマに依存している現代の価値観だと。
「あぁ! すべてはこの時、この瞬間のため!! クコ皇国と民を守るための礎となったのだと知れた! 我らが血が身を挺した意味を教えて貰えたのだ!」
「おぉぉ! 無念を晴らす瞬間に立ち会えたことに、喜びを!!」
「ただの事故ではなく、我らが祖国と命の礎となったことを教えてくださり感謝いたします!」
魔道府一同だけではなく、集まった群衆さえも熱に侵され始めた。轟く群衆の叫びに、また人が集まり失った命を称える。
これは計画通りだと長官は手を握る。ただ、どうだろうと考えざるを得ない。紅暁と蒼月の兄妹なら、少しばかり違う反応を見せる気がした。誰よりも弐の溜まりの使命を追って、誰よりも家族を大切にする彼らだから。
「ふっふざけるなっ! だから、報告書の数字について論理的な――」
「数字の裏の意味。守霊たちが壱の溜まりの守霊に状況をあげている現状があるとは、知らなんだか。溜まりの管理者からの報告と守霊の体感。総合的に管理するからこそ、立ち入り調査というものが存在するのだ」
長官は、それでも止めをさす。
正直言って、大勝負もいいところだ。クコ皇国の民なら予想は出来るだろうが、公然と宣言するのは始めてだ。この言い方ならば『明言』は避けられるかもしれないが。
「麒淵とアノ子が証言したのだ。これ以上の証言はない」
「だが、我が溜まりに成りそこないの此処には守霊など存在しない!! いないからこそ、心葉堂の蒼月を代理にと、紅暁を――」
湯庵の叫びに、しんと異常なほどまでに静まりかえる。
注がれた視線に、湯庵の毛穴からぶわっと汗があふれ出す。冷や汗なんてものではない。得体の知れない闇の感情。湯庵が遠い昔、流浪の民だった時に投げつけられた圧倒的な敵意。だから、彼は身動きが取れなくなった。反論が出来なかった。
戦慄く湯庵を余所に、周囲から「どういうことだ?」「華憐堂は心葉堂の被害者では」とざわめきが広がっていく。
「案外あっけない幕引きでしたね」
つまらなそうに呟いたのは紺樹だった。言葉上では物足りないという意味にとれるが、とんでもない。もっと華憐堂を苦しめる罪状を重ねれば良いものを、という意図は皆無だ。個人的には、少しでも早く心葉堂の誤解がとけるにこしたことはないのだ。
彼の言葉の意味を理解している者は、一様に顔を青ざめた。心葉堂の名を出されて、紺樹が『あっけない』という言葉通りの感情を抱いているなどとは思わない。
「語るに落ちる、の手本ですね」
騒ぎの中、常に冷静でいる白磁は小さく溜息を吐いた。
再度ざわつき始めた場に響いたのは、ぱんっ! という乾いた音だった。群衆の注目を一斉に浴びたソノ人は動揺した様子もなく、一直線に長官の元へと歩いてくる。まるで滝割のように、あらゆる人が道を作る。
姿を現したのは、老人……いや、老人とは言えないほど精悍な心葉堂の先々代でありクコ皇国最高位のアゥマ使いであるフーシオの位にある白龍だ。その横には、黒髪の青年が不機嫌そうに並んでいる。桃源郷の次期長にして蒼月たちの叔父でもある黒龍だ。
「自ら罪をはかれては、つまらぬ。我らの苦労が水の泡じゃて」
「馬鹿をいうな。自供ほど決定的なものはないだろうが」
「黒龍よ。言うてもな。フーシオとしても心葉堂の先々代としてもばばーんとな」
「だから、思ってもないことを言うな。面倒くさい」
周囲の反応などお構いなしに歩く二人に、誰しもが目を奪われた。かなりの年齢差があるように見えるのに、まるで相棒のように軽口を叩き合う二人に。
長官の前に来た白龍は傍に浮かぶ魔道球を顎で指す。長官も自身の横にある色の異なる球体を一瞥して、拳を差し出した。かなりの身長差があるため、二人の拳が打ち付けられたのは、ごく一部の人間のみが目の当たりにすることが出来た。
「おっ、おのれぇぇ、心葉堂の先々代ぃ。餓鬼の分際で――!」
陰翡と陽翠に押さえつけられた湯庵が、地に響くほどの憎悪を吐き出した。場に居合わせたほとんどの人間が恐怖で身体が痺れてしまう声だ。
それにも白龍は顎髭を撫で、笑い返す。
「ガキなどと呼ばれるのは、随分と久しぶりじゃのう。ははっ。確かに、わしもまだまだ若輩ものじゃて。どうじゃ、ホーラ。わしもまだまだ若者としてイケるようだぞ」
「冗談はよすのですよ。年齢と性根の悪さは比例しませんですからねぇー」
けらけらと笑い飛ばす長官。そして、紺樹も「最悪の冗談ですね」と爽やかに笑っている。
真面目な陽翠は思った。『貴方が若輩ならここにいる九割五分の人間は赤ん坊か生まれる前の基準です』と。珍しく、隣で空笑いしている双子の陰翡も同じ感想を抱いているだろう。
それだけ、フーシオというのはクコ皇国で絶対的な尊敬を集める地位なのだ。
「白の戯れを別をとして。湯庵とやら。お前は重罪を自ら吐いた」
「なっなにを」
「まずは、心葉堂に対してだ。今、自ら吐いただろうが」
黒龍が怒りの魔道風を吹かせて、吐き捨てた。それは、ここにいる民衆に向けたものでもある。噂に流されて心葉堂を倦厭した者に対する嫌悪だ。
鋭い視線に、心当たりがある人々は固まった。
「心葉堂の水が、華憐堂の萌黄さんにやけどを負わせたと聞きました。そのご説明はいかに。わたしは彼女の友人です。だからこそ、ここでご説明願いたい」
大きな男性の肩に乗せられた少女――真赭が声をあげた。時折、ひゅーなんていう苦しそうな呼吸音が混ざる。隣で浅葱も「ボクも! 知りたいです! 親友として!」と激しく跳ねている。
紺樹は「まったく。体に良くない瘴気が流れる可能性があるから家にいなさいと言っていたのに」とぼやきつつ、蒼月を思う親友たちに嬉しくなる。顔を覆って奥は、ひどく笑っている。
「心葉堂は周知の通りクコ皇国の弐の溜まりである。蒼月の浄錬の腕は皆が知っている通り、クコ皇国随一だ」
口を開いたのは、白磁だ。紺樹ならば、二人の関係を穿ってみた者の反論を受けかねない。だが、しかし。打ち合わせ外にも関わらず、白磁は自ら唇を動かした。
正直、長官と紺樹には予想外だった。そして、いつの間にか白磁の傍らに来ていた旭宇だけが、やはりという調子で腹を抱えている。
「彼女の茶葉に心や身体を救われたものは少なくないだろう。いくら、丹茶が浄錬できなくとも」
同意する者が耳を澄ますと、「確かに」や「いや、それでも」と賛否両論が聞こえてきた。
白が口を開こうとした直後、
「あっあの! ボクは言いたいことがあります!」
という少々気弱な声があがった。
一斉に集まる視線。その先にいたのは小太りの青年だった。傍らにはキリッとした表情の女性が寄り添っている。青年は女性と目を合わせた後、深く頷いた。体を震わせながらも。
「ぼっボクは、ずっと蒼茶師の茶葉が大好きです。だから、天候がおかしくなってみんな出歩かなくなっても、心葉堂に通っていましたっ。あっ、でも、だから自分の正当性を主張したいわけじゃないんです。えっと」
「はい。はい、わかってます。蒼から雄黄さんと彼女さんのこと聞いています」
「そうだよ! だって、いつも聞いてるもん。雄黄さんの彼女好きっぷりを!」
しぼんでいく声に応えたのは、真赭と浅葱だ。大好きな親友を弁護してくれる存在に、涙に濡れた笑顔を向ける。
雄黄はより涙目になって自分の胸元を掴んだ。
「天候悪化して、いや、それは別問題かもなんですが。数日前に、紅暁君が行方不明になってから、蒼茶師は一生懸命、彼を探していました。その際、暴漢に襲われたところを見つけて間に入りました。あれは明確に蒼茶師を傷つけることを目的としていました!」
雄黄の叫びに、周囲はどよめく。
それもそのはずだ。華憐堂でのやけどの一件があったとしても、この首都に住む人間ならば心葉堂に敵意を向けたり、おかしな噂を流したりはしないからだ。それでもみんなが心葉堂と距離をとったのは、自分が変な噂の発信源になったりしないため、というのがほとんどだ。
「この国の人間ならば、店先に張り紙をする嫌がらせが程度でしょう。でも、彼女を傷者にしようなんて所業するはずがない。ということは、つまり、それを指示する人がいたってことです」
「白様への恩義も考えねぇ奴がいると思いたくなねぇよ!」
集まった群衆に怒りが灯る。それはあっという間に伝染していった。冷静なのは一部の者だ。大半が熱気を放ち、大声を上げだしている。
ざわめきは瞬く間に広がり、場は怒りに満ちていく。
「紅暁も数日前から行方不明だって聞いたぞ!」
「まさか、華憐堂の奴らが。そうさね、娘の萌黄は紅に随分と執着していたと聞いたわ!」
「あたしも、紅を一人で一生懸命探している蒼ちゃんを見たわ! 確かに、あの時の蒼ちゃんは様子がおかしかった。あたしたちを巻き込まないようにしてくれていたのかもしれない。なのに、持病の頭痛お大事にって気遣ってくれて。あぁ、もっと踏み込んで気にかけたらよかったわっ」
一人が具体的に話し始めると、火がついたように四方八方から心葉堂を擁護する声があがる。
競うように心葉堂の人間についてあれこれ語り始める群衆。
不愉快そうに「はっ!」と吐き捨てたのは黒龍だ。
「ふんっ。いくら白の影――翁衆の揺動があるとはいえ、人間というのはほんに自分勝手に意見を変える生き物だな。己が起こした醜い行動を棚にあげて」
「まぁ、まぁ」
白龍が苛立っている黒龍の肩に腕を回す。一見、白龍が無邪気にじゃれているように見えるが、黒龍にだけ聞こえるように耳元で囁く。
「だからこそ、このように簡単に操れる時もあって便利だと思うことにしよう。少なくとも、今回は最終的にソレが役立っているのじゃから」
「はぁ。お前という奴は――フーシオの面しか知らぬ者に聞かせてやりたい言葉だ」
「そんなわしのことが好きなくせしてー」
白龍は至極楽しそうに黒龍の頬を突く。しばらくは大人しく震えていた黒龍だが、白龍の
「老人の照れ顔など可愛くないぞ?」
と言うセリフを受けて、勢いよく白龍の手を振り払った。図星だったからか、怒りからかは不明だが、耳を赤らめているので迫力はない。
ただ大声で叫ぶのは場に相応しくないとわきまえているので、白龍を小声で説教するに留まっているが。
「なんか、どこかで聞いた台詞さね。余計なところばかり似るもんだわね」
「水婆様。返すお言葉もありません。それよりも、お疲れさまでした」
紺樹は珍しく反論の余地なしと項垂れつつも、腰を叩きながら寄ってきた水婆を労う。あくまでも群衆に流されてきた体を装っているので、知り合いである紺樹と会話を初めても不自然ではないように装っている。
木爺と石爺はなかなか抜けられないようだ。そんな二人を眺めながら水婆が愉快そうに笑った。