表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
115/149

第102.5話閑話 ―魔道府長官、ホーラという人物について②―

 白龍を見送った後、ホーラは魔道府の屋上で月を見上げていた。涼やかな風が頬を撫でて気持ちが良い夜だった。


「先客は天女か」


 ホーラが一瞥した先にいたのはクコ皇国の皇帝だった。纏っているのは至って簡素なものだが、圧倒的に他の人間とは異なる空気を放っていた。豊かな髭のせいで少々老けて見えるが、肌も瞳も若々しい。

 すぐ傍には、彼よりひとまわり年上の宰相が控えていた。


「……ほざくな、なのですよ」

「私にそのような口をきくのは、今や貴女だけです。それに、私は貴女には偽りを申しません」


 ホーラは彼の言葉を無視して、周囲に控える『陰』の気配を探った。通常よりはかなり少ない数に、ホーラはうんざりと顔を強ばらせた。

 可愛らしい十歳程度の容姿に似つかわしくない様子に、皇帝はわずかに口元を綻ばせた。口元を覆うひげが隠しているが、ホーラにはわかった。


「こんな幼い子どもを天女扱いするなど、皇帝の威厳に関わるのですよ。というか、その敬語やめなさいなのですよ!」

「貴女が私に対して昔の口調であるのは良しとするのにですか?」

「ぐぬぬっなのですよ。希望とあらば、ちゃんとした口調になってやるのですよ!」


 随分と小さくなった体をめいいっぱい動かすが、皇帝と宰相の笑いを誘っただけだった。

 ぷくぅっと頬を膨らませて、ホーラはあぐらを掻いた。こともあろうに、皇帝を宰相も同じように地べたに腰を落としてきた。一瞬、陰の一部が焦ったがすぐに気配が消えた。練者ベテラン勢にとっては、慣れっこの行動だ。


「拗ねないでください。極上の酒を用意してきました」


 強引に掴まされた硝子杯ガラスグラスに薄琥珀の酒が注ぎ込まれた。とぷたぷっと音がたつのにあわせて、溢れたのは果実のごとく甘い香り。ホーラも思わず舌なめずりをしてしまうほどの芳醇さだ。


「ほぅ。第六の溜まりの子の酒なのですね。これには心葉堂の藍が作った煮豆が一番あうのです!」

「それは、私も昔は良く食した味です。宮では毒味で冷めた食事のみしか口にしたことはありません。けれど、皇太子時代や忍びで訪れた心葉堂では、必ず桃香殿や藍のあたたかい料理をいただいたものです」


 皇帝の懐古にホーラは言葉を返さない。ただ黙々と酒を流し込む。

 様々な思考が浮かび、自分も随分と俗世染みた思考回路になったと苦笑するしかなかった。皇帝の誘導などわかりきっているのだ。


(わたしに、お前がさっさと藍を後宮に迎えれば良かったと言って欲しいのですね。ばか言うな、なのですよ。昔から藍の尻に敷かれてばかりだった、親戚の兄的存在風情が)


 ただ、ホーラは慰めの誘いを無様だとは一蹴できなかった。

 先刻の白龍の愚痴と何が違うのだろう。

 ホーラは考えて、すぐに理解した。理解して泣きたくなった。涙が落ちかけたところで杯を煽って喉が締まった。白龍を『愚か』だと思った時との自分の変化に気が付いたからに他ならない。


「ホーラ?」


 どれほど沈黙の中、酒を流し込んでいただろう。

 手を止めたホーラの頭上に、皇帝の低い声が落ちてきた。


「酔っ払い皇帝はうっさいなのですよ、つげつげー!」


 ホーラは露だけが煌めく杯を差し出した。

 朦朧としている宰相が、それでもヒョウタンを傾けてきた。ホーラはもどかしくてヒョウタンごと奪い、喉に熱い水を流し込んだ。


「ぷはっ! ごちそうさまなのです。酒がなくなってしまったので、これにて宴は終了なのです!」


 渋る宰相にヒョウタンを押しつけ返して、ホーラはぐいっと口元を拭った。


「酒に付き合わない代わりに、朗報をあげるのですよ。近々、白龍は兼ねてから国に打診されていたフーシオの位を受けるとのことですよ」

「それは真ですか!? あぁ、あの方なら間違いなく歴代最高のフーシオになられるでしょう!」


 元から酒に強くない宰相は、普段の冷静さをどこに捨ててしまったのやら。両袖を踊らせてくるりくるりと踊り出した。足を滑らせて頭でも打ちそうな足取りだ。

 陰が支えようとするものの、はね除けて舞い続けた。それほどに、白龍のフーシオ就任は喜ばしいことなのだ。


「あの白龍が頷いたのですか?」


 一方、ホーラに詰め寄った皇帝の瞳はひどく冷静だった。

 ホーラと言えば、逆に今日一番の優しい微笑みを浮かべていた。


「えぇ。彼の家族を守るためには必要な力だと、現時点での彼は納得しましたからね。俗世で物を言うのは、俗物の権力なのです」

「貴女は白龍を愚かだとお考えですか?」

「ソレが皇帝の浮かべる色なのですか?」


 ホーラは幼子のように縋る視線を向けてくる皇帝の額を小突いた。

 皇帝の反応を見るより早く、ホーラは真っ白な外套を翻した。


「あぁ、そう。あの白龍がフーシオの道を選んだ事実を問うたなら、間違いなく愚かと応えるしかないのですよ。白龍だけを見るなら」


 ホーラの呟きに皇帝は杯を煽った。苦々しさ全てを飲み込むように。

 このまま立ち去るつもりだったホーラだが、横目に入ってしまった様子に「しょうがない子なのですよ」と珍しく苦笑を浮かべた。


「けれど、わたしはソノ『愚かしさ』は違う言葉に置き換えられると気が付いたのですよ。いかに白龍が超人的と言えども、彼も人の輪にいる存在。いてくれるからこそ、愚かになれるのでしょう」


 天才的で超人。白龍自身も人が己を理解しきれないことも、神格化していることも知っている。であるにも関わらず、白龍はどこまでも人の中にある。人を愛して、弄んで、育てるのだ。


 そして――決して、ホーラ自身が憧れて得られなかった嫉妬から『愚かしい』と思った。


 愛おしさも偽りではないが、本当のほんとのことは、絶対音にしてやらない。自分だけの大切な……愛おしい人臭さの感情だと感じたから。ずっと秘密にしようと誓った。


 ホーラは振り返り、皇帝を見据えた。


「逆に問おう。クコ皇帝の現皇帝よ。あなたは彼の道を愚かだと笑うのか」

「どうでしょうか」


 皇帝が見上げた月はまん丸で、どこまでも青かった。


「現皇帝として答えるなら、間違いなく愚直すぎる判断だと笑うしかありません。心葉堂はそもそも我が国にとって要とも呼べる一族です。壱の溜まりに匹敵する程の。実際、藍の件については外交をもって『解決』した案件です。互いに口外も干渉もしない確約があるにも関わらず、彼が己の自由を捨てる理由も家族さえ責務に巻き込む地位に就く利益もあるのかと、疑問を抱かずにはいられません」


 皇帝の言うとおりだ。

 けれど、とホーラは出かけた言葉を飲み込んだ。

 利用すべき国力という最大権力を得ているにも関わらず、孫を得る程の歳になっても自由を捨てなかった白龍が束縛どころか守りたい家族をも巻き込むような地位に就く。ホーラは逆に彼らしいと思った。


(わたしにはまるで脅しに思えるのですよ。国に与えられる地位として受けるのではなく、白龍の家族を巻き込むような事態を作るなという)


 ホーラは別れ際の白龍の悪戯めいた笑みを思い出し、腸が煮えくりかえる思いだった。本当に性格が悪いと、笑いさえ込み上げてくる。

 屋上で冷静になっている間に、ホーラは気が付いたのだ。あの嘆きようは白龍の演出なのだと。だから、愚かだと吐き捨てたかったのだと。

 全てが嘘ではないだろうが、己の悲劇を見せつけてフーシオとなった理由を周囲の意識に植え付ける。『あの白龍が』という認識を強めさせ、彼が権力のために地位につくのではなく、あくまでも家族を守るための力として受けたと。


「確約なんてものはないのですよ。表だっての干渉がなくとも、裏ではいくらも動きようがあるものです」


 だが、さすがに皇帝に全てをぶちまけることは出来ない。

 ホーラは当たり障りなく釘を刺した。ただ、皇帝は薄々無意識で感づいたのか、少し口の端を落とした。


「私とて、裏のことも考慮の上です。であっても、彼はただの『人』ではない。己の価値を理解していないとは言わせません」


 嘆きながらも、ふいに皇帝の頬が綻んだ。皇帝はホーラが良く知った幼い顔で笑ったのだ。照れくさそうに。

 ホーラの前に膝をついて視線をあわせた皇帝に動揺したのは、ホーラではなかった。陰の長は皇帝を慮って一部の者を下がらせた。宰相と陰の古参だけになったのを確認して、皇帝は口を開いた。


「けれど――けれど、有り得ないことですが、もしオレが個人として生きることが許されたなら……胸を張って愚か者になったでしょう」


 ホーラは真っ直ぐに皇帝を見つめた。いつもは表情豊かな瞳には、一切の感情が見て取れない。皇帝とは正反対の様子だった。

 風が強くなってきたようで、風が月明かりを隠した。湿り気のある風だ。


「オレも家族のために、感情を揺らしたいと思います。ソレを愚かと言うなら、そんな愚かな道を歩んでみたかったです。どんなに愚かだと罵られても、己の全てを覆しても、守りたいと思う人を得られるなら、これ以上の喜びはありません」


 煌めいた顔は、きっと希望を語ったからだ。憧れを語ったからこその光。


「けれど――私は皇帝です」

「皇帝にとっては国と民が家族であり、己の子とは言え特別視することは許されない」

「えぇ。それが皇族に生まれた宿命で有り、故に得ている待遇の対価。そして、何よりも自分で背負うと決めた道です」


 ホーラが言葉を返すより先に、皇帝は衣を翻した。再び現れた月明かりに照らされているのは、皇帝としての彼だった。


「ホーラも白龍も『立場』に縛られる器ではないでしょう。むろん、私もです。ですが、己が信念となれば別です」


 皇帝と衣を着替えた彼が立ち上がる。冷たい夜風の中、彼は言葉通りの表情を浮かべていた。

 皇帝はそのまま闇へと姿を消した。酔いつぶれた宰相の首根っこを引っ張って。

 ホーラは呆然と空を見つめるしかなかった。目の前の光景がどこか抜けていたからでは亡い。白龍万歳などと嬉しそうに両腕を振っている宰相が、間抜けだからではない。決して。


「ははっ。なんだこれ!」


 なのに、腹を抱えて笑ってしまった。


「わたしは、皇帝と同じく白龍の愚かしさがうらやましかったのでしょうね」


 いやと、ホーラは頭を振った。微風が両側で結んだ髪を踊らせる。少し湿った香りを連れているから、一雨きそうだ。雲が月を抱き込もうとしていた。


「あいつらなら、愚かとは言わないでしょうね。きっと、この感情は」


 すぅっと息を吸い込むと、とても冷たかった。肺が凍るかと思った。

 今は紅葉みたいな大きさになった手を胸に添えた。自分のぬくもりしかないのに、己のものだけではないと思えた。とくんとくんと鳴る心臓の奥に、人の声が混じっている気がした。


「その愚かしさを……愛おしさ、と人は呼ぶのでしょうね。愛おしくて、苦しくて。苦しいから、また愛おしさが増す」


 とはいえ、これから起る出来事は幸福感だけでどうにかすることは有り得ない。

 ならば、ソレを守るために己が何を成すべきか。

 きっと、いや、確かにホーラと同じ意思を持つ者は多い。その者、ひとりひとりに信念があるだろう。そこにはホーラや大切な人が拒絶する行動も起こりえる。


「度し難い。いつまで経っても、人は私利私欲で傲慢なのですよ。なのに、その裏にあるのは自分以外の笑顔を願う想いがある。誰もが自分勝手に、自分以外の幸せを思う」


 いっそのこと、皆が皆、自分の幸せだけのために動いていたら良いのに。

 そうではないから、この世の中は理不尽なのだ。人の幸せのためと思って、罪を犯す生き物でもあるから。


「勧善懲悪であったなら、裁きは明確なのになのですね。相手を想うが故に罪を犯し、相手を想うが故に臆病になる」


 ホーラは傍らに置いてあった杯を持ち上げ、手放した。

 ホーラの手から離れた杯は宮廷の屋上から落ちていき、空中で音もなく崩れていった。魔道で作られた、魔道酔いさせる杯。


「証拠にも残らぬよう細工をして、ちょっとはわたしが不信感を抱くと思えなのです」


 ぶくっと頬を膨らませたホーラ。月から目を逸らすと、服の中の小型通信球が震えた。時間も時間なので応答せずに録音に切り替える。数十秒して通信は切れた。

 取り出した球に指を添えると、


――ホーラ様のことだから、まだご自宅には戻られてないですよね。もう少しで転た寝から覚めた父が風呂からあがってくるので、締めの麺か粥はいかがですか? 今日はホーラ様が好きな煮豆もありますし、なんなら飲み直しも許しちゃいます! 泊まりに来て下さい! そして新作の毒味をお願いします!――


 という元気な藍の声が響いた。紅暁の「あぅうー」という声と、あやしている橙の声も混ざっていた。


「天下の魔道府長官を毒味係にするな、なのですよ」


 苦笑を浮かべたホーラは眼下の街を眺め、改めて決意した。

 悪友である白龍がフーシオの任に就くならば、己も魔道府長官としての道を突き進むしかないと。


次回から本編に戻ります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ