第102.5話閑話 ―魔道府長官、ホーラという人物について①―
閑話なので本編に直接的には関係ないですが、諸々バックグラウンドが出ています。
ここで少し、魔道府長官こと『ホーラ』という人物の話をしよう。
ホーラは特殊な長寿民族の生まれだ。
もちろん、クコ皇国の出身ではない。一族の家系図を辿れば、聖樹を守護する『始まりの一族』に繋がる血筋だと記されている、汚染後の世界でも特に古い民族である。
彼女はその血が濃い影響か、いわゆる神童と呼ばれる存在だった。生まれた瞬間から、大事に大事に育てられた。
あらゆる分野に造詣がある一族。それにも関わらず、誰もが解読できない超古代語を遊び道具にして育ったのがホーラだ。
ホーラは里人には教えて貰えない単語を、アゥマ粒子に分解することによって覚えていった。そうするとアゥマ自身が意味を教えてくれたのだ。再構築という形で。
そんなホーラにとっては、現代語を覚える方が難解だった。まるで旋律がばらばらな音にしか思えなかったのだ。
それでも頭の良い彼女は、ばらばらの音もちゃんと理解した。その結果、「なのです」とか「くださいなのです」と少々おかしな言葉遣いになってしまったのだが。
さて。最初こそ、人々は彼女を神童だと祭り上げた。だが、それはあくまでも自分たちが理解出来る範囲内に、彼女がいた時だけだ。
彼女が通常の領域を越え出すと一人二人と離れていき、最後には誰も傍にいなくなった。両親でさえホーラを嫌悪した。ホーラの質問に答えられない現実が、両親の自尊心を傷つけたからだろう。ホーラにとったら別段馬鹿にしてのではなく、「知らないのかぁ」という程度だった。そのさっぱりとした態度が、良くない方向に働いてしまったのだろう。
ただ、幸いだったのは虐げられることはなかった。いや。むしろ待遇だけで言うなら、まるで神のごとく奉られていた気さえする。
――なぜだろう。わたしは、自分以外の人と話をするのが楽しい。アゥマとだけじゃなくて、みんな、ひとつの命として違うから、話するのが新鮮で安心するのに。みんな、わたしから離れていってしまう。わたしのなにが悪いんだろう――
彼女は成人した十四・五の頃、誰にも告げずに里を出た。十を過ぎた頃にはすでに両親からも離れて森深い所で暮らしていたから、そう難しくはなかった。監視の目があるのは知っていたが、ホーラにとっては彼らを出し抜くことなど朝飯前だった。
古代の遺物が数多あった里。ホーラの知的好奇心を満たすには、まだまだ年月が必要だったにも関わらず逃げるように里を出た理由はひとつ。
ホーラは知ってしまったのだ。
里を出る数ヶ月前……古代の解除術を使用して、立ち入り禁止の蔵を覗いてしまった、あの日。ホーラとしては、ただ覚えたての古代術を試してみたかっただけだった。
超古代文明では『好奇心は猫を殺す』と言う行為なのだと、頭の片隅で冷静に考えた自分が嫌になった。
ホーラは、ある人物の遺伝子を元に生み出された複写人間だったのだ。だから大事に育てられ、脅威の存在になってからも虐げられることなく、好き勝手に出来た。
さらに、その人物は始祖の親友とも呼ばれていたと知って、己の理解力と古代知識への貪欲さの理由を理解した。
――そんな貪欲な存在だから、自身の『脳』で再生していく世界を見たかったのだろう。なら、見てやる。見て、お前をうらやましがらせてやるよ!――
やけくそ気味で飛び出したものの、世には色んな価値観が溢れていて、それでいて古代の遺跡や文献が生きていて、とても新鮮だった。
肌に感じる空気、鼻腔に流れ込む香り、心を揺さぶるもの全てが愛おしくて怖くて貪欲に生を呼んだ。何より、場所によってアゥマの性質が違うのが面白かった。
それと同時、ホーラの愛らしい容姿と知識を利用する人間が群がってきた。
最初の男は歴史学者だった。意気投合して数十年を伴にした。子どもには恵まれなかったが、それでもおしどり夫婦として、また、歴史研究家として名を馳せた。
ホーラが体にわずかな違和感を抱いた頃、夫は忽然と姿を消した。遺書も別れの手紙もなかった。
その後、ホーラは再び度に出て、何十年――いや、百年単位で世界中を飛び回った。古代の禁書を読みあさることに没頭したものだ。
――得た知識は自分を裏切らない。曖昧な感情で繋がる存在と違って。そして、禁術を識っても使役しないことが、人としての理性を保っていると感じられる――
別れと孤独に疲れた頃、腰を据え始めた研究所で出会った男性と再婚した。気弱な所はあるが、信念と夢を抱き突き進む眩しい人だった。
この人と最期を迎えられるならと、思った。諦めにも似た感情であることから、目を逸らして。
****************
あれは夫が六十路に入った時だろうか。徐々に避けられている自覚はあったが、ホーラは夫が研究に没頭しているだけだと思っていた。それがある日、唐突に現実を突きつけられた。
「お前! 気持ち悪いんだよ! なんで、僕だけ歳をとる! 僕の手も肌もしわとしみが増えるのに、なんでお前は若返っていくんだよぉ!! 出会った頃は三十半ばの容姿だったのに! どうして、お前だけが! 僕の方が若くあるのにふさわしいのに!」
半狂乱に鏡を殴った夫。その欠片に映った姿を見て、ホーラは初めて己の容姿が若返っていることを意識した。
女性なら誰しも若くあることを望む。そんな話を聞いたことはあった。耳にした時は微笑ましいなんて思った。
けれど、そんな考えは顔面に走った強烈な熱が払拭した。
「あぁぁ!! はがっ!」
顔面をガラスの鋭先が抉っていく。肌の奥がむき出しになって熱しかない。いたい、いたい。それ以上に、目の奥が熱い。目玉ごと蒸発してしまいそうに、熱い。
涙と呼ばれるモノが視界を遮る。それでも、夫を見たいと思った。死ぬのなら、その前に。
「お前、あほうか」
閉じかけた瞼をあげた先にいたのは、血まみれで横たわる夫だった人。
その物体とホーラの間にいたのは、恐ろしいほど美しいレモンシフォンの髪をもった青年と、真紅の髪を持つ男性と――自分の血に繋がる、桜色の髪をなびかせた美形だった。自分の珊瑚色よりさらに薄い色が『始まりの一族』に近い存在だと伝えてくる。
「おい。天才冷血魔法使い。今しがた殺されかけていた子に、あほうはないだろう」
真紅の髪のちゃらそうな男が、鉄仮面の男性を責めながらホーラを抱き上げた。
ホーラが下ろせと暴れる前に、よりによって顔面の傷に唇を寄せてきたではないか。あっという間にぬぐい去られた痛みに、目を見開いてしまった。
ぽかんとするホーラを、真紅の髪の男性は小気味よく笑った。嫌味のない笑みだった。
「まったく。こんな愛らしい女の子を守らないイコール人類の宝を守らない愚か者だな! って、お前の幼馴染み兼妻の意見に同意するよ」
「僕の可愛い人の意見は、至極全うだろう?」
倒れる己の夫を横に和やかに笑う人達。レモンシフォンの人物は仏頂面だが。
ホーラは震える手で、真紅の髪の男の胸を押した。押すだけに足らず、拳を肩や胸に打ち付けた。
なんだ、よく見ればわかる変化じゃないかと、涙が零れそうになった。握った拳はまるで十代のものだった。
「ふざけるな」
ホーラとて、八つ当たりだと理解していた。けれど、止まらなかった。
「お前らはわたしの夫を瀕死にしている敵だぞ。お前らこそ黙れ。自分が死んだ方がましだった」
つい先ほどまではちょうど良かったはずの上着が、肩を滑り落ちていった。真紅の髪の男が律儀に襟元を直してくるのが、何故か悲しかった。悲しくて、苦しい。
一際、小さくなった体を捻った。だが、真紅の髪の男は微動だにしない。悔しくて――すごく悔しくて唇を噛むことしか出来なかった。
それは何も抵抗が適わないからだけではない。自分を抱く腕が、あまりにも優しくて……何度も与えられているはずなのに、初めての感触であるような気がして動けなかったのだ。
「くそっ。なぜなのです。初対面のわたしのために、なぜ、人を殺められるのです。それはわたしがっ」
ホーラが言葉を切った。
今しがた吐き出そうとした事実は、里を出た自分を否定する現実。
悔しい。悔しくてたまらない。悔しくて仕方がない台詞だ。それでも、口は動いてしまう。
「わたしが、始祖の記憶欠片と呼ばれる存在だからなのですか?」
「約束したから……お前の元となる存在と。魂だけで異次元を渡る業を背負った、あいつと」
レモンシフォンの男が呟いた。長い前髪に隠れて表情は見えない。それでも、音は正直だ。魔法使い(国によっては魔道使いと呼ばれるが)は、感情が音に出やすい。アゥマと自分を繋ぐのは詠唱だから。
(あぁ、やっぱり)
ホーラは俯いた。やはり、己自身が理由ではないのだと。
だが、その額は三本の指に勢いよく弾かれた。星が散った向こう側にあったのは、向けられたことがないような当たり前だった。誰もが特別を纏っていない目で自分を見ていた。
「あなどるな。約束は単なる約束にしかすぎない。オレたちはお前自身を観察して、どうするかを決めた」
「そうそう。それに、誰にどんな理由で助けられたかは重要じゃないさ。ホーラにとっては、これから自分がどうしたいかが大事だろう? 俺はいくらでも冒険に付き合うぞ?」
「歴史オタクな君が世界の謎を解き明かす前に、いやむしろ、魔道と向き合う前に『死にたい』なんていうはずないよね? 僕ら知っているんだよ。君が迷宮で迷って空腹になっても、遺物の香りだけで元気に動き回っていたのをね」
好き勝手言い放つ男達。
大人しくなったホーラを、真紅の男が床に下ろした。反論する気が起きず、床にへたり込む。真紅の髪の男性だろう。思いっきりつむじをいじられたものだから、脛に手刀をかましてやった。
「いでぇ! まじで、こいつホーラだわ。俺にだけ厳しい!」
真紅の髪の男性が転がったところに、少年が駆け寄ってきた。三人と似てはいるがどこか異なった印象を受ける衣装を身につけていた。確か東国の衣装だ。
ホーラは遠い過去を主思い出していた。建国の折たまたま立ち会って、あれよあれよという間に巻き込まれた記憶があった。建国の民が自分と同様に『始まりの一族』に繋がる民族だと聞いて、うっかり深入りしてしまったのだ。その国の衣装に良く似ていると懐かしくなった。そう言えば、あの人間臭い守霊は元気だろうかと眉尻が下がった。
「先生! そのクズ男を抹殺する許可を得てきました! さっさと、やっちゃいましょう!」
十歳程度に見える少年は、やたらと生き生きしていた。年齢相応に顔を輝かせているのに、脇に抱えているのは間違いなく棺桶なのだ。
ここの風習では、死人を肉体ごと棺桶に入れて火葬する習わしがある。それにしても、街長の許しもなく行っていい事ではない。ということは、街長の許可を得たということあろうかと、ホーラは混乱してしまったものだ。
「おい、セン。白龍がお前の悪影響を受けまくってんじゃねぇか」
「えぇ、僕かい? どう考えても君かラスの影響だよね。っていうか、白龍の祖は僕の妹に繋がるのだから、当たり前かな」
「クコ皇国だったっけか。俺、あそこの茶葉が大好物なんだよなぁ。つーか、白龍の実家の心葉堂は、数百年以上前から俺やこいつの贔屓だしな」
さらりと爆弾発言をした桜色の髪をしたセンと呼ばれた男性と、ラスと言うらしい真紅の髪の男性だ。
唯一沈黙を保っているレモンシフォンの人物と目が合った瞬間、冷たく、それでいてからかうような視線が向けられた。ホーラは瞬時に悟った。彼がこの場にいる人間の中で一番、人と遠いと。自分と近いと。
ただ今はそれよりも、懐かしさが勝った。
「クコ皇国。初代皇帝とその姉の手助けを少しだけしたことがある。そうか、あの魅力的な国の」
あの国はとても魅力的な国だった。成り立ち自体が面白かった。そして、建国人物の性格がにじみ出るような興味深さがある国だった。ただ、それ以上に恐ろしい国だった。アゥマに、溜まりに、人の感情が絡み合う恐ろしい土地だった。だから、ホーラはそこから逃げた。深入りしすぎてしまったから。
人の感情は古代術より怖いものだ。
「へぇ。君とはいい友人になれそうだ。時を超えた再会って訳だ。なんせ俺の生家の心葉堂は初代皇帝の姉が初代らしいから」
震えた腕を摩ったところで、白竜と呼ばれた少年が無遠慮に顎に指をかけてきた。
無理やり挙げられた顎。というか、正直ぶっちゃけ、むかついた。ので、ホーラは白龍少年を得意の召喚獣によってぶっ飛ばした。
「馬鹿者っ! それが友人にとる態度か! こわっぱめ! そこに、なおれなのですよ!」
ホーラは、ふんと鼻を鳴らした。
しんと鳴る空間。周囲には呆気にとられる男性陣。掌を向けた先にあるのは、転げて足を開脚している少年の尻。
しまったと冷や汗を流したのは一瞬だった。激しく噴いたのは真紅の髪の男だった。
「ぶはっ! さすがホーラってか、白龍はぶざますぎるぞ! それが、心葉堂の次期店主が見せる姿かよ!」
「むむむっ。心葉堂の次期店主となるつもりはありません! しかしながら、お三方に晒すには悔しすぎる! 俺は白龍の名に誓って、ホーラとやらに一発ぶちこんでやる!」
少年が突っ込んでくる。ホーラは手を翳して、あっけなくかわす。
それでも、羨ましいと思った。己に誓う彼を。
********
その後、色々あってホーラはクコ皇国の魔道府の一員となった。ホーラの血と見識をもってすれば、異国の者という立場はペナルティにはならない。けれど、魔道府長官の道が約束されているとはいえ、彼女は一切手を抜かなかった。
白龍は変わらず自分の歩調でいた。彼は宿命を背負いながらどこまでも自由だった。ホーラはそんな彼を尊敬した。周囲に伝説級の人物たちがいるのに、引け目など微塵もなく、相変わらず自分の知的好奇心に従う白龍がすごいと思った。
そんな彼が恋を知って、店を継ぐと言い出した時は正直絶望した。あんなにも自由だった彼も、凡人になり果てるのかと。あれほど国に、溜まりに、老舗に縛られるのを嫌がって、いつまでも何物にも縛られないと思っていたのにと。
「ホーラ、それは違うよ。白龍は愛する人をもって、守るものを知って強くなったんだ。ソレを凡人とは呼べるはずはないさ」
酔いつぶれて愚痴る自分の頭を撫でたのは、真紅の髪の親友だった。彼は高らかに笑った。同じ長寿であるはずの彼は、誰よりも人を愛している。置いていかれる悲しみを知っているのに、繋がりを育てる。だから、素直にひとつ頷いた。納得なんてしていないのに振りをした自分を、親友は「しょーがねぇ奴」と笑った。
確かに、彼の愛した人は規格外だった。なんせ、『始まりの一族』の当代頭首の愛娘だったのだから。
――もっ桃香と申します! ホーラ様におかれましては、えぇっと、とにかく、破天荒な白龍と親友でいてくれて、ありがとう! ホーラ様がいなかったら、この人どうなっていたかか! ありがとうしかない!――
真っ赤な頬をして、桃香は膝を折った。至極当然に、しゃがんで目を合わせてきた。緊張していたのだろう。頬を強張らせていて、言い切った後、「私ってば、ためぐちかー!」と頭を抱えた。
地面を転げまわる桃香を馬鹿にして笑う白龍を前に、ホーラは微笑むしかなかった。そして、白龍のあんなにも優し気な眼差しを初めて見た。
だからこそ、白龍と桃香の娘が隣国でひどい仕打ちを受けた後、彼の反応が信じられなかった。
「白龍は、愛娘である藍の受けた仕打ちとソノ産物を恨まずにいられるのですか? 隣国の王族とは言えど、わたしと彼らの名を掲げれば復讐は難しくはないのですよ」
「復讐は、望むところだ。けれど。しかしな、ホーラ。藍が望まぬのだよ。藍の奴、あいつさえも愛しいと困ったように笑ったのだ。己に無体を働いた男さえ。ほんに、我が娘ながら規格外過ぎる」
白龍が初めて見せた涙。ホーラは鮮明に覚えている。
酔うて酔うて。どうしようもなくなるまで酔った夜。旧知の水も石も木も、全員が酒に飲まれて潰れていた。
「紅暁も可愛いのだ。可愛い孫なのだ。俺は藍が恨まぬあいつを恨めぬ。人の親としてはあるまじきことなのに。紅暁が可愛くて。ひどいだろう。藍が望まぬ行為によって紅暁を身籠ったにも関わらず、あの子が愛おしてくしょうがないのだ」
ホーラは初めて白龍を愚かだと思った。愚かだと思って、何故そう考えたか理解出来なかった。
その夜、ホーラはクコ皇国を一望できる場所に立っていた。