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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第101話 検め1―追う背中と血液―

「店主も番頭も不在にしておりますので……」


 大通りに面した華憐堂の店先。小雨の夜というのに、随分と人だかりが出来ている。

 弱々しい抗議の声を絞り出した男性の肩を押しのけ、年配の女性が地面を鳴らす。


「そうです、お引き取りください! このような大人数で無礼極まりない! この華憐堂がどなたを後見人としていると知っての諸行ですか!」


 大きいのは体つきだけではない。張り上げた声が空気を揺らす。一帯にいる人間の感覚が一様にびりびりと痺れた。


「おいおい、なんだってこんな夜中に怒声が――」


 周囲の店の者たちは迷惑そうに窓を開けるが、軒並みすぐさま身を引っ込めてしまう。中には野次馬精神丸出しで口笛を吹く者もいたが、それ以上絡むことはしない。

 それもそうだろう。

 華憐堂の広い扉、いや店を囲っているのは数十人にもなる魔道府の人間たちなのだ。

 魔道を制御している証である外套は、常に長い裾を浮かせている。夜目でも映える白地はいっそのこと煌めいてさえ見えるのだ。

 宿から覗いていた旅人は、煌めきを押さえ込むような縁取りの青が、闇夜より不気味だなんて肩を竦めた。


「ならば、店主や番頭が赴いている先を答えなさい。後見人が誰であろうと、関係ありません。クコ皇国でアゥマを扱う店ならば、我ら魔道府に対して回答義務があります」


 少し掠れた声が凛と響いた後、滝が割れるように道が開いた。声の主は先ほどの威圧的な態度と反して、礼儀正しく深々と頭を下げた。

 ややあって上がった褐色の顔。場に気圧されている様子はない。翡翠(ひすい)の髪を持つ女性――(よう)(すい)は鋭い眼差しのまま力強く足を踏み出した。


「こらこら、陽翠。脅すような口調はあかんで? にいちゃんも怖がってしもうとるやん」


 陽翠の背後でけらけらと笑っているのは陰翡(いんひ)。陽翠と瓜二つの顔立ちだが、小柄は彼女に反して随分と背丈が高い。

 一見、圧迫感のある陰翡だがとてもにこやかな表情をしている。

 扉の前に複数人いる男女の中、困惑の声をあげていた男性が前に出た。


「えぇ、その通りです。これはどうしたことでしょうか」

「我が主からは、魔道府の方が大勢でいらっしゃるようであれば、とある方に連絡するよう仰せつかっております」


 胸の前で手を組んだ若い女性が、伺うように陰翡を覗き込んだ。頼りない灯の中では、扇動的に影を揺らしている。長い茶色の髪が細い肩を滑る。陰翡の手がゆらりと持ち上がる。

 陽翠が大きな溜息を吐いた。それは決して双子の弟が鼻の下を伸ばしているからではない。陰翡が浮かべた腹黒い笑顔が、上司のそれと似ていたからだ。


「連絡もなにも、一緒におるんやろ?」


 女性の頭上で止まった陰翡の手から、きらきらと光る粉が舞い落ちる。いや。見ようによっては、夜が映える程の闇の粒。雨の匂いが濃くなる。

 細かい粒子が女性たちの髪、額、鎖骨を滑り――。


「えっ、えっぁぁぁ! ぎあぁぁぁ!!」


 粉を浴びた一部の者たちが、おぞましい形相で叫びだしたではないか。途端、伸びた爪が粒を弾く。


「痛いいたい、かゆいがゆいぃぃぃ‼」

「くそぅ、くそうぅ‼ なぜ、これがここに!!」


 飛沫した砂によって、周囲の人間が一斉にもがき苦しみ始めた。髪に、皮膚に染みこむように溶けていくモノを剥ぎ取ろうと必死に暴れる程、姿が朽ちていく。

 その一方で、同胞の変わり果てていく姿を前にして泡をふいて気絶する人間が半分。


「うおっっぷ。この匂い、おえっぇ」


 立ちこめる腐敗臭に耐えられず、目から鼻から、口から、体内のあらゆるモノが逆流する。

 街外の異形のモノと対峙する魔道府の人間でさえ、群の後方の新人達の中には地面に両膝をつく姿も見受けられる。観衆も我先にと守護の華香札を窓や扉に貼り付け、激しく鳴らし閉じてしまう。


「な、ぜ。あそこには、もう常人は立ち入れぬはず! いや! 新参者はともかく、始まりの大地が、始まりの我らを滅するなど!!」

「はーい、そうなのですねぇ。実におっしゃる通りなのですよ」


 場に似つかわしいとは到底言えない、陽気で甘ったるい声。


「けれども。常人は立ち入れぬという理論は、そもそも規格外の人間を前にしたら全く意味をなさないのですよぉ。残念でしたねぇ」


深まる、甘い笑み。


「それに、ともかく傲慢なのです。やだやだなのですぉ」

「魔道府長官……。このガキが――」

「それは『始まり』に対する盲信にではない。おまえたちが()()に裏切りを感じるなど笑止千万。おまえたちのは単なる、利己主義(エゴイズム)だ。『始まり』と『アゥマ』を冒涜する」


 水を打ったかのように静まりかえる空気。音は果実のような響きのままなのに、嘔吐さえ止める冷ややかな怒りが肌を刺す。

 翡翠双子が現れた時よりも大きく道が開き、魔道府の人間が一様に腰を折った。


「わーい、すごいのです! これぞ、滝割り!」

「長官殿、彼らは滝ではなく人です。加えますと、早く前に進んでください。時は一刻を争う事態なのですから」


 はしゃぐ声を諫めたのは、ぼそぼそとした低音だった。声の主は、げっそりとした頬に、灰色の髪を持つ幽霊のような男性――白磁(はくじ)魔道府副長だ。亡霊のようにゆらゆらと長身を揺らす白磁に促され、どう見ても幼女としか認識出来ない魔道府長官が足音を鳴らして「はーい!」と駆ける。

 周囲の魔道府員が目を合わせて、口元を隠すように手を添える。


「あれが噂の白磁副長ですか? 地方巡視ばかりさせられてるっていう」

「噂って――あぁ、あれか。前の副長が免責され、白磁様と紺樹様が副長に就任した。しかも紺樹様がしばらく空席だった次席副長になり、彼が翡翠双子を側近したいがために都を追い出したって」

「そうそう、それです!」

「お前、馬鹿か」


 後輩の考えなしの発言を受け、先輩と思わしき人物が軽く肘を打ち込む。それと同時、肘打ちをした彼女は、さもありなんと心の中で苦笑を浮かべた。

 国の機関としては風通しの良い方である魔道府だが、(あらた)めの際のこんな状況を予測出来るものは多くない。それに、魔道府長官の様子を受け四分の一位は辞職について頭を抱えているかもしれないというのは、たかだか二年目でも容易に想像がつくのだ。


「魔道府長官に白磁副長、遅れて申し訳ございません。ですが、すべては皇帝のご随意のままに進んでおりますので、ご安心を。問題など何もありません」


 魔道府長官と白磁副長のやや後方から姿を現したのは、深い紺桔梗色の瞳を細めた紺樹(こじゅ)だ。まさに、にやり、という様子の笑みに周囲の人間は背筋を凍らせた。

 その言葉が誰に向けられているのを悟れない、そんな鈍い人間はここにはいない。招集されていない。誰しもが、己に向けられた言霊だと身を震わせた。魔道府長官さえ、それを感じ「こわいこわいなのですよー」と首をすっこめた程だ。


「我らが魔道府は、命の源であるアゥマを汚すモノを決して容認しない。それだけは国の中でも共通認識です。特に、白磁副長。この度のご功績、尊敬の念に堪えません。魔道府、長官以下一同に代わり、まずは礼をとらせてください」


 紺樹は他のモノとは異なり外套は腕に抱え、いつもの通り袖を捲っている。が、真剣な眼差しのまま片膝を地面についた。

 ざわめきが広がる。

 にわかに広がり始めた騒ぎを薙ぐよう、立ち上がった紺樹は非常に人好きする笑みを浮かべた。顔だけ見ていると、女性なら色めき立ち、男性でもドキリとするような。


「まぁ、私の部下も優秀に動いてくれましたので、そこは後程じっくりと語り合いましょう」

「……君は本当に」


 苦々しく呟いたのは白磁だ。だが、そこに憎々しさはない。

 紺樹自身も演出しすぎた自覚はあったのだろう。軽く首筋を掻いて、照れくさそうに笑う。


「いえ。遅れてきた自分が空気も読まず失礼致しました。それでも、先ほどの敬意は本物ですよ?」


 白磁は考える。すでに常時の優しさと気遣いの塊であるかのように装い、周囲の人間をねぎらい始めた紺樹。さすがに任務中にも関わらず、女性陣の一部がそわりとした理由が紺樹の意図的な行動であって欲しくないと。

 一方、魔道府の人間は紺樹の行動を受け、随分と高揚が広がっているようだった。


「御三方が揃うなんて珍しいよな。長官と紺樹次席副長はともかく、白磁副長まで」

「えぇ、年数回の国全体の魔道府議や国議くらいだものね。それにしても――」


 入府して三年程の男女は、驚きながらも小声で会話を交わす。顔を見合わせた後、三人の後ろ姿に再度視線を移した。

 そこで、傍にいた先輩に軽く頭を小突かれてしまった。


***************


「静かにしないと駄目だよー。というか、どうせあの三人が並ぶ姿を見て不調和(アンバランス)だと感じたんじゃないのかなぁ」

「へっ!? いや、ええっと、さすが先輩」


 若者二人は小突いてきた人物の外套を見て、先輩と呼んだ。柔和な雰囲気から、つい同僚の扱いをしそうになって。

 判断の理由は明白。外套が随分と年季が入っていたからだ。


(とってつけたような、先輩だなぁ)


 先輩と呼ばれた人物は丸い体を弾ませ、苦笑を浮かべる。最近の若者は色々と正直だと。

 同時に悔しいと思った。主な理由は自分の上司についてだ。地方を巡視している白磁は、中央の新人から軽く見られがちだ。特に年若く華やかな紺樹が、ずっと空席であった次席副長に就任してからは、その傾向が顕著だ。


「なら、いい機会だよ。よーく見ておくんだねぇ。()()()()が魔道府の要であり、(はく)(ろん)師傅(しはく)がフーシオだからこそ、今の魔道府があるんだから」

「伝説的な師傅はともかく、三人が、ですか?」

「あぁ、三人だと思うよ。俺は」


 彼は強く頷く。熱がこもった、けれど気を引き締めた声に自然と他の新人たちも彼に向き直っていた。

 押し付けるのではなく、ただ事実を語る口調。


「特に白磁副長の印象が弱いなら、なおさらだ。これは大事なことだよ。仕事の重要さは華やかなことばかりじゃないからねぇ。誰を目指すかなんて、君たちの自由さ。けどね『理解している』のは大切だよ。自分以外のその人が、その役割を担ってくれていると理解しているのは」


 だから、彼は道の真ん中にいる彼らの背を強い視線で射る。そんな視線が上に立つ者の重圧になると理解した上で。

 追いつきたいと努力するのも、遠くから自分の出来る範囲で力になりたいと思うのも、家計のために働くのも良い。働く理由なんて人それぞれだ。

 けれど、覚えておいて欲しい。魔道府の上にいる者たちが背負っているのは『命』なのだと。


「皇帝勅命で魔道府長官となった最高峰の知識を持つ得体の知れないホーラ様。血筋と才能を併せ持ち破天荒な魔道を駆使する人徳の紺樹様」


 彼――旭宇(ぎょくう)は己の上司の背を見て、誇らしげに笑う。白磁の背を見て、この後輩たちはどう考えるとか思いながら。

 それが様々であって良いと笑う。色んな立場で意見を交わして欲しい。ただ、それが誰かを妬み陥れる方向にならないようにと願う。自分と違う誰かを理解する材料になればいいと。


「そして――努力と国を愛する俺たちの血液あしである白磁様。俺はあって当たり前に思われるような血液のさらに下だけど、俺は嫌なんて腐ったことはない。まぁ、不満はあるけどねぇ」


 白磁様は欲がなさ過ぎて困る。という愚痴を、旭宇は飲み込んでおいた。

 白磁は決して器用ではないし才に溢れた人物ではない。現実主義者ぶっているが、愛国心ではなく国という人の集まりなんて曖昧なものを信じている理想主義者だ。

 それでも、地方行脚を泥仕事などと考えず、酸素を運ぶ血液のように、どんな辺境にも迷わず足を向ける人だ。そこで憎まれるような苦言も、臆さずに呈す不器用な男。それが魔道府の第三位に就く白磁という男だ。


「あって当たり前だけど、見つけてもらえない」


 前線と離れた場所で、誰かがぽそりと呟いた。それでも、気持ちは伝染していく。


「だからこそ、腐っちゃいけない。甘えられる何かに頼っちゃいけない。だって、自分の意志で成し遂げることだから。決めることだから」


 旭宇は嬉しさのあまり、後輩二人の間に滑りこみ思い切り背を叩いた。

 旭宇としても、正直すぐさま飲み込んでもらえると考えてはいなかった。そして、自分もまだまだだと思い知った。諦めて理解がある振りをしていたなんて。目の前の人を見ないで。


「うん。そうだよ。だからこそ『当たり前』って甘えてはいけないんだ。今回の出来事はそういうことだよ。当たり前を過ごすことは罪じゃない。でもね、見過ごして見下すとか、だから自分が優先されて良いって考えてはいけないんだよ」


 旭宇は疑念の芽を抜けたとは、思わない。でも、良いのだとは納得出来る。これが尊敬する上司のやり方でもある。きっかけに慣れたら儲けもの。

 旭宇はへへっと鼻をこすり、踵を返す。


「俺たちは、どうせ中央のことに関われないなんて腐ったら、自分に負けるんだよ。事実を知らされなくても、想いはひとつなんだ。自分が、家族が、大切な、隣人がいるこの日常を守りたいっていうね。地味って言われても、地味じゃないよ。評価じゃなくっても、ちゃんと届くんだ。守るってことは、命に届く、いつかに繋がる」


 それに二言三言付け加え、旭宇は地面を鳴らす。裏方作業に入るため、数人に声をかけて闇へと消えていった。


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