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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第一章 クコ皇国の茶葉店 ―
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第6話 出会いは割と間抜けで、でも恋に落ちるには十分?

 

 ふぅと小さく息を吐いて、萌黄もえぎは蒼の後ろにある噴水へと視線を動かした。

 水面には、蓮の花弁をはじめとした色とりどりの花びらたちが浮かべられている。萌黄が花に見とれているのか、はたまた思い出に浸っているのか。どちらかは不明だが。


「わたくしと紅さんは、このような噴水前で会いましたの」


 どうやら、後者だったようだ。声が砂糖菓子のような甘い。

 ついで、萌黄はうっとりとした溜め息を零した。

 声色も相まってほろほろと三色槿ビオラが一緒に落ちてきそうだ、などと蒼は考えてしまった。確か三色槿ビオラには『乙女の恋』なんていう花言葉があったっけと。


「あの時のわたくしは、このような美しい仕様の噴水を見たのは初めてでしたし、何より外を歩くことがあまりなかく少し興奮していましたの」


 萌黄の語り口調のせいもあるのだろうけれど、蒼には物語で語られる男女の出会いのようだと思われた。

 

(でも、あれ? 紅ってば、そんな表情していたっけ?)


 蒼の頭の中で思い出される紅の表情からは、全くと言っていいほど、甘い展開など想像出来なかった。

 いや、ただ場所が叙情的じょじょうてきなだけで、内容はそうではないのかもしれない。蒼は心の中でだけ、頭を振った。


(実は噴水は関係なくって、軟派ナンパされている萌黄さんを助けたとか? いや、ここだと翁達の方が一斉に助けに入りそうだよなぁ)


 蒼があれこれ先の展開を読んでいる間も、萌黄は両手を胸の前で握り話を続けようとしている。

 紺樹こじゅといえば。同じ場所にいるにも関わらず、どこかお互いちぐはぐな世界に行ってしまっている女二人に、冷や汗を流すばかりだ。


「ふちにかけていた手が滑ってしまい。そこに通りがかった紅さんが――」

 

 先に現実に戻ってきたのは、萌黄だった。


「なるほど! 紅が助けてくれて濡れずにすんだんだね」


 萌黄の言葉で、ようやく蒼の意識が戻った。そういう部類の人助けなら納得いくと、掌を打つ。まぁ、理由など無理につけることもないのだが。


「いいえ。腕を掴んでくださったのですが、結局一緒に落ちてしまいました」

「落ちたんだ?! 紅ってば、非力……少なくとも魔道府に勤めていた時は、かなり鍛えていたのに」


 この場にいもしない紅に、思わず裏手で突っ込みをいれてしまうほどの衝撃。

 いくら速度重視型とはいえ、兄妹共に幼い頃から祖父の白に拳法の手習いを受けている身。女性の中でも特に細身の萌黄を支えきれなかったとは。


「最近鍛練を怠っているのでしょうね。師傅しはくにも言っておきましょうか」

 

 蒼と紺樹は鏡合わせの顔を見合わせ、一緒に肩を大げさに落した。

 けれど、萌黄は2人の落胆など気にも留めずに、話を続ける。


「いいえ、いいえ! わたくしが紅さんに魅かれたのはその後ですの。わたくしのせいで二人とも濡れ透ってしまって。わたくし、本当に申し訳なくて、情けなくて。必死で紅さんに謝ったのです。けれど、紅さんは透明感のある牡丹色ぼたんいろの綺麗な瞳でわたくしを見つめられたあと――」


 あぁ、ここはどこか山間の秘密のお花畑だろうか。そうだ、師匠の元で修行した場は、桃源郷とうげんきょうと呼ばれ美しい風景が広がっていた。そこへ立ち返ったような果実の甘い香りが流れている。蒼と紺樹の目が、揃って遥か遠くへ向いた。

 

「そう!」


 萌黄は大袈裟おおげさに両の手を広げる。


「紅さんは極上の微笑をわたくしに向けてくださったんです! 蜂蜜はちみつよりとろけて、砂糖菓子よりも甘く優しくてあたたかい笑顔にわたくし、どれだけ胸を射られたか!」


 萌黄は全身から幸福粒子を飛ばし、いつも伏し目がちな瞳が今だけは天を見上げ星を散らしているのだから、自分たちが正気を手放してしまっても仕方がないのだと、どちらともなく考えていた。


「わたくし――自分の失敗を叱責しっせきされなかったことも、あんなにあたたかく受け入れ許されたこともなくて」


 やっと声の音域を下げ身体を小さくした萌黄に、紺樹は安堵の息を落した。

 いかに彼が場数を踏み様々な人間と論議を交わしたり対峙していたりするとはいえ、夢見る女は未知の世界だったのだろう。

 蒼は、隣で薄い笑顔を浮かべている幼馴染を横目にいれ、肺に溜まった塊を一気に吐き出した。いくら驚いたとはいえ、彼女の言葉は安堵する内容ではないでしょう、と。


「彼らしい、といえば彼らしいですね」


 蒼の言葉なき訴えを悟ったのか、紺樹は咳払いをひとつして背を正した。


「そうだね。そんでもって、出掛けた時と服が変わってたのは、そういう理由だったんだ」

「紅さんは何も?」

「あっ、うん。ほら、たぶん女の子助けたなんて恥ずかしくて言えなかったんじゃないかな?」


 本当のところ。帰ってきた紅の服装があまりにも豪華になっていたことと、彼の表情がげっそりしていたこと。その二点から、さすがの蒼も突っ込むのを気の毒に思ったほどだったとは言えなかった。

 それほど、その時の紅は全身を硬くしていた。今にして思うと、着替えをと、連れて行かれた華憐堂で、熱烈なお持て成しを受けたのだろうと想像がつく。


「基本的に人に優しい紅にしてみたら、きっと、普通の行いだったのでしょうに」

「まさか、ここまで感謝されるというか、好意を抱かれると思わなかっただろうね」


 顔を近づけ、蒼と紺樹は苦虫を噛み潰した様な表情をつくった。勿論、萌黄に届かぬよう、細心の気を配りながら。

 萌黄は美人だ。同性の蒼から見ても、一種憧れを抱きそうな容姿である。いや、外見だけではない、ひとつひとつの所作や話し方、どれをとっても上流階級だとわかる品を持ち合わせているのだ。

 このような女性から好意を受ければ、男なら誰だって少しくらい舞い上がりそうなものの。それを抜きにしても、何があったかくらい話してくれればいいのに。

 口うるさい割に、自分の考えはあまり伝えてこない兄に、蒼から溜息が落ちた。


(それより、萌黄さんの言葉がちょっと気になるなぁ。家族とうまく言ってないのかな)


 紺樹に軽く腰帯の結び目をひかれ、蒼は我に返った。


「蒼? どうかしましたか?」


 蒼の顔を覗き込んでいる紺樹は心配の色を浮かべている。

 さっきの明確な萌黄の言葉を無視スルーしたのに、自分のちょっとした、本当にちょっとした心の陰りには過保護なほど心配をしてくる紺樹。


「なんでもないよ!」


 蒼は頬がわずかに熱を持った気がして、それが居たたまれなくなって紺樹の額に人差し指をピンと当ててしまった。

 今日は何だかよく思考が迷子になる。店があまりに暇で気が緩んでしまっているのだろう。

 蒼はどんと音を立てて自分の胸を叩く。 


「萌黄さん、この街の人たちは親切な人も多いし、大きい街だけど、みんな家族みたいだし! きっと、紅以外にも優しくしてくれる人はいっぱいいるから! 安心ておかしいかもだけど、いろんな人とお話できるようになるといいね」


 頭を上下に大きく振ると、両側の纏めた膝裏までの髪が元気良く動いた。

 取り繕ったような言葉が出たが、実際問題彼女の交友関係が広がれば、紅ひとりに固執することもなくなるかもしれない。


(そっか、なんか恋してるって言うより固執って感じするかもだから、違和感があったのかな)


 蒼自身『恋』という感情がどういうものか、はっきりとわかっているわけでもない。だから断言はできないのだが、萌黄の恋に恋しているのはとはまた違う様子に対する答えが見えた気がした。

 一方、萌黄は足をとめ、数秒考えた後、


「そうですね。でも、紅さんを一番お慕いすることには変わりないと思いますけれど」


と綺麗に笑った。

 恵風けいふうが吹いているはずなのに……。どうしてだろう。蒼の頬に触れたのは、冬の寒い風である『ならい』が吹いているみたいに感じられた。

 

「そっか。いやぁ、兄をここまで思ってくれる人がいるなんて、妹としては嬉しいな!」


 蒼はごくりと詰まった唾も知らぬふりをする。


「浮いた話もあまりないですからね、彼は」

「紺君は、多くて大変そうだね」

「蒼、巷の――翁たちの井戸端会議の噂など信じてはいけませんよ」


 「めっ」と人差し指でおでこをつつかれ、じんと軽い痛みを覚えた蒼。口調の軽さに反して、少々力が篭っていた気がした。嫌な思い出でも蘇ったのだろうか。

 よくわからないまま、蒼は大人しく「ごめんでした」と謝っておくことにした。余計なことを言うと、後が怖い。

 紺樹も大して本気ではなかったのだろう。眉を垂らして困ったように小さく笑っただけですぐに萌黄に向き直った。


「まぁ、そこはともかく。今日知り合ったのも何かの縁です。文化の違いもあったり、人との付き合い方にも違いがあったりと戸惑われることも多いでしょう。困ったことがあればどうぞ頼ってください。先ほどの翁たちも、萌黄さんのような方であれば喜んで手を貸してくれると思いますよ?」

「そうだね! アゥマのことでも、街の歴史についてでも、何でも聞いてね」

「ありがとうございます。紺樹さんも蒼さんも嬉しいですわ。特に蒼さん――」


 萌黄はこれまでにない力強さで、蒼の両の手を掴んできた。

 ぐいと距離が縮まる。あまりの近さに、蒼は色んな意味で固まってしまう。


「もっ萌黄さん?」

「ぜひ、紅さんの妹さんとして、紅さんのこと『じっくり』教えてくださいましね!


 やはり、彼女の思考はそこに戻るのであった。

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