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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第97話 萌黄8―萌黄と山梔子、それと湯庵―

 萌黄は諦めずに山梔子さんししに訴え続ける。胸が裂けそうなのを堪えて、大きく喉を開く。山梔子と現実を共有できたところで、先に待っているのはどちらにしろ、救いのない未来だけなのに。


(それでも構わないのです。今更、わたくしが幸せに包まれて逝けるなどとは考えておりません。けれど――けれど、せめて山梔子様がこれ以上、苦海くかいを広げることは止めたいのです。新しく生まれてくる守霊を自分たちと同じ目にあわせたくないのです)


 本物の萌黄だった頃から、彼女は本当の意味で愛されることはなかった。生まれつき病弱だった萌黄は父からも母からも愛されず、ましてや旅を続ける一族の中でも邪魔者扱いだった。

 そんな彼女を唯一無償の愛で包んでくれたのが、旅の中で出会った山梔子だったのだ。


(本物の萌黄の傍にいた頃のわたくしも覚えています。萌黄が--あの子が、生まれて初めて幸せそうに笑った時を。周りを漂っているだけのわたくしも、よくわからないけれど、ぽっぽとしたのを)


 偽物の萌黄となってからも、湯庵ゆあんの態度に感化を受けた仕える者たちにも軽んじられた。

 たまに好意的に接してくれる者が雇われても、しばらくして姿を消してしまった。言わずもがな、萌黄がおかしな自尊心や独立心を抱かぬように湯庵が消してきたに他ならない。


(わたくしをわたくしとして受け入れて、感情をぶつけてくれた紅さんと蒼さん。そして、()()()()に戻してくれた麒淵きえん様。彼らが生きるこの国を、今までの亡国たちと同じような目にあわせたくないのです。小さな理由(きっかけ)だとしても)


 萌黄は自分の中に生まれた感情に戸惑いながらも、確かな熱が生まれていることに気がついた。その小さな熱が、自分の意志を伝える勇気となるのも感じている。

 だから、夫として父として呼んできた名前を、どんな時よりも必死に何度も呼び続ける。


「山梔子様!」


 幾度目だろうか。

 山梔子は震えという反応で、ようやく外に意識を向け始めた。それは徐々に大きくなっていく。彼は地べたに腰をつけたまま、幼子のようにただ嫌だ嫌だと頭を振り出した。けれど、萌黄はその姿を情けないとは思わない。むしろ、反応を得た喜びが広がっていく。


「この役立たずめがっ!」


 その場の空気を蹴散らしたのは湯庵だった。

 湯庵は掌を竜胆に向けたまま、あからさまに舌打ちを響かせる。そこには仕える主に対する畏敬の念は皆無だ。それどころか、ゴミを見るような蔑みさえ含まれている。

 萌黄は湯庵の視線の意味を感じ取り、ぎりぃっと唇を噛んだ。


***


「山梔子様、お願いです! この国に来てからの『娘』としての萌黄ではなく、偽りの萌黄としてでもなく! 許されるなら――どうか許していただけるならば、貴方の『妻であった者たち』の想いとして、わたくしの声を聞いてくださいませ!」


 蒼と紅は音を立てて萌黄を振り返った。明らかに、これまで彼女が纏っていた空気や言動と異なる色を感じたからに違いない。いつも伏し目がちだった萌黄の目は、真っ直ぐ山梔子を捉えている。

 まるで紅について語り、積極的だった姿を彷彿とさせ……けれど、決定的に異なるのは独りよがりな願いが宿っていないところだ。そして、握りしめた拳が震えている。実に人間・・・らしい、一人の女性がそこにいる。


「お願いです! 山梔子様の願いを否定することになっても、ずっとわたくしたちは魂の片隅で考えておりました!」


 萌黄のありったけの願いを聞いて、蒼はちょっとだけ嬉しくなった。萌黄は萌黄なのだと、無責任にも。大好きな人に向かって、びっくりする位の勢いで突撃していくのがすごいと思った萌黄だ。


「山梔子様!」


 萌黄が大きく地面を踏む。一歩進んだだけなのにひどく辛そうに息を吐く。

 元から精神バランスが崩壊し限界が来ていた心身だ。今の萌黄の意識を保つだけでも相当な負荷だろうと想像に難くない。

 麒淵は萌黄の肌に薄らと乗っている汗を見逃さない。


(本来、守霊にとって溜まりは絶対じゃ。心葉堂級の純粋な溜まりの守霊であるわしならば、敷地内を移動することも可能。しかしながら、いくら華憐堂の溜まりが、封印されていたとはいえ本物でも、封印されていたが故に機能しておらん。そして、反魂の術の加工がされたが故に純粋な偽物よりも弊害が出ておる)


 『華憐堂の溜まり』である場所から、弱り切った萌黄が離れるのはかなりの負担になるのだろう。

 麒淵が身を乗り出したのと同時、蒼が踵を返した。咄嗟に紅の腕が蒼の前に伸びるが、彼も本気で止めようとは思っていなかったのだろう。すぐに手を引いた。


「これ以上、偽物を作り、慰み者にするのはやめましょう!」


 萌黄は冷や汗を流している。今にも膝をつき胃の中の物を全て吐き出してしまいそうな雰囲気だ。

 実際、正気を保ち続けるために可能な限り溜まりや麒淵から離れたくない状況だ。だが、萌黄の体は一歩二歩と体は自然と前に出てしまう。

 萌黄は足を踏み出しては戻すもどかしさに苛立つ。怒りではなく苛立ち。幾久しぶりに感じた感情だろうと、頭の隅で不思議に思った。


「いくら貴方様が愛おしく想う萌黄かたの器を持っていても、ここにあるわたくしは偽物です! ここにある最初のわたくしでさえ偽りなのです!」


 萌黄の叫びが響き渡る。

 喉が裂けるほどの声量が空間にいるもの全員の体を打ち鳴らす。

 蒼の心臓は萌黄の想いを浴びて体中がうずいてしょうが無い。筋肉も内臓も全部、跳ね上がって収まり処がなくて気持ち悪い。一層何かしらの刺激があった方がましだと思うくらい、発散しどころのない力源エネルギーが溜まっていく。


(どうして。どうして、涙がこみあげてくるんだろう。同情なんてしていないのに。それでも、どうしてか、萌黄さんの言葉が悲しいと思ってしまうの)


 蒼は悲しかった。こんなにも山梔子のために必死になっている萌黄が、自分のことを偽物だなんて言うことが堪らなく悲しくて悔しかった。事実なんて、冷静に受け止めることなんてできなかった。彼女の中に、今ある想いは本物なのに。本物以外の何物でもないのに、彼女にそう言わせる背景があることが。


「それに、ここに辿り着いてしまったわたくしは――いいえ、これから萌黄になる子でさえ、きっともう山梔子さんしし様が望まれる萌黄でいることは叶いません!」


 萌黄になった守霊ものたちが山梔子に伝えたくて、伝えられなかったことだ。

 正気を取り戻してしまった中身は、もう萌黄を演じることはできない。感情と理性の両面から。


 それよりなにより、受け入れる側の器が限界を迎えている。どんなに新鮮な魂を宿して古い記憶を継承しようとも、人の器である以上、保っていくのは難しい。


 何より――いや、これを告げるのは最終手段だと萌黄は一度息を飲んだ。自分のずっと奥にある一欠片の煌めきを抱きしめるように、萌黄は腹を押さえる。


(もしかしたら、わたくしの奥底にいる萌黄様も、寄り添い続けてくださった山梔子様も、貴方・・・の存在を感じ続けていたからこそ、この道を降りられなかったのかも知れませんわね)


 萌黄はそっと撫でる。脳でもなく、心臓でもなく、自分以外の命が宿るソコを。すでにいるはずがない存在だ。だが、己が萌黄として体を乗っ取れたのも、存続できたのも、術者の想定外の命が本来の萌黄に宿っていた存在があってこそだ。

 未だに彼女は萌黄の腹にあった命を感じることができるのだ。上書きされ続けてもなお。その子の存在を知ったなら山梔子はどうするだろうかと、萌黄は思う。それを口に出来ないのは、山梔子に責められたくないに他ならない。


(あの時、萌黄の腹にあった命こそが、初めての奇跡を生み出したと知ったら。それを犠牲にしたからこそ、偽物の溜まりの命が本物になったと知ったら。貴方は本当に壊れてしまうのでしょうね)


 萌黄は腰を抜かして動けない山梔子を視て、ふっと目線を細めた。

 ただ愛おしくて悲しかった。だって、萌黄の脳裏には優しくも凜々しく一族を纏め上げていた頃の彼の姿があるから。それをなくしてしまったのは、他ならない自分なのだ。


「麒淵様に始まりのわたくしに戻していただいた今なら、はっきりと言えます。記憶が薄れるたび、狂気に陥る度、人工溜まりによって上書きされればされるほど、錯乱への時間は短くなるのです」


 ずるい、と己を思う。萌黄は山梔子を責めているのに、その自分は肝心な懺悔をできずにいる。ただ彼を追い詰めて、救いを得ようとしている。

 羞恥に染まる頬をよそに、込み上げた涙は滑稽にも蒸発していく。人ならざる魂が強くなった影響だろうか。いずれは人の感情さえも亡くしてしまう。その前に、どうしても萌黄は長きに渡りに続いてきた負の鎖を断ち切りたい。いや、断ち切らねばならないと思う。


「僕はただ君と一緒にいたいのだ。それがなぜ、許されないのだろう。ただ、ずうっと君が笑ったり拗ねたりしているのを傍で見ていたいだけなのに」


 山梔子は己の頭を抱えて震える。大の大人と思えない様子で小さく背を丸めて、しきりに頭を振る。萌黄の声はしかと届いているだろうに、無理に自分の殻に閉じこもろうとしている。蒼たちにはそう見えた。

 紅は思った。彼の姿は先ほどまでの自分の姿だと。彼と自分は似ていた。現実から目をそらしているところが。


「山梔子様……」

「いいんだ。記憶が混乱している君が、夫だった頃の僕の面影を追いかけて、僕じゃない誰かを想っても。君が想うのは僕ってことだから。でも、結構くるんだ。だから儀式を成功させて、またちゃんと僕を見てもらわないといけないんだ」


 あげられた山梔子の顔は狂気に満ちていた。半笑いの笑顔がはりついている。

 紅はなるほどと納得してしまう。


(魔道府の帰りに萌黄さんと会った時に感じた一番の違和感が答えだったんだ。彼との思い出を語った萌黄さんの姿こそが答えだったんだ)


 萌黄が紅に異常なほど執着していたのは、山梔子の面影を感じていたからに他ならない。執着行動も紅を前にして記憶が混乱して支離滅裂な思い出を語ったのも、全部そこが原因なら頷ける。

 だが、ならば店守である湯庵に萌黄が怯える理由は一体――。

 紅と蒼が顔を見合わせた直後、萌黄は震える体をその人物に向き直った。


「湯庵!」


 萌黄が湯庵を指さした直後、湯庵が纏う空気が一変した。竜胆にかけていた術を止め、すくりと立ち上がった。かなり折れた腰はそのままに、眼光だけは刺すように鋭い。

 湯庵の片腕が前に伸びるのと同時、萌黄の体が宙を飛んだ。


「萌黄さん!」


 萌黄の華奢きゃしゃな体が蒼たちの頭上を越え、地面に叩きつけられた。岩肌で弾んだ萌黄の体からは血飛沫が上がった。

 蒼は駆け寄ろうと地面を蹴るが、紅に止められてしまう。


「紅、なんでとめるのさ! 萌黄さんは完全な敵じゃない! っていうか、今の萌黄さんは彼らを止めようとしているんだよ?」

「オレだってわかっている! けれど、心葉堂の者としては待つしか無いんだ」


 紅は唇を噛む。


「そんなっ」


 蒼も紅の言葉は十分すぎるほどに理解できる。


 心葉堂の者として。


 その一言が、この先に起ることこそが今回の証拠となり黒幕を掴むための言質となることを示す。


「うっ、あぁ。さっ山梔子様、お願い、です。もう湯庵の、甘言に、だまされないで」


 萌黄は胸から血しぶきが吹きあげている。あらゆる穴から赤が飛び出し、周囲を染め上げた。

 力を振り絞り上半身を起こそうとする萌黄。湯庵は忌々しそうに思い切り足を振り下ろす。萌黄の頭横が激しく岩肌に打ち付けられた。割れた皮膚からさらに血が溢れ出た。それを湯庵はもったいないと言わんばかりに親指で拭い――舐めた。

 蒼たちからは死角になっており見えていないが、湯庵の腰の折りが伸び、皺だらけだった肌がわずかに艶を取り戻している。


「父に向って無礼であろう! 誰のおかげでここまで生きてこれたのか! 所詮つくりものの存在かっ!!」


 湯庵はぐったりとしている萌黄の髪を乱暴に掴む。そして、そのまま頭皮がはがれそうな勢いで髪を引っ張り上げた。


「ぐっはぁ」

「この父がっ! 何のために、狂うお前と役立たずの娘婿の面倒をみてきたと思うておる! 今度こそ――この強大なアゥマ大国のクコ皇国で、父の念願を果たせ!! それを成す術と材料が目の前に揃っているのだぞ! 今こそ!!」


 湯庵がぎょろりとした目をさらにひんむいて叫ぶ。その様子はさながら妖怪のようだった。口の端には泡がたまり、目は血走るというレベルの話ではない。白目全部が真っ赤な血に染まっている。


「湯庵が萌黄さんの父親⁉」


 そう。店守を装っていた湯庵こそ萌黄の実父であり、父と思われた山梔子こそ夫だったのだ。萌黄の記憶の迷走により、それぞれの立場を装っていただけで。


 仰天して声をあげたのは蒼だった。口を押さえて「えっ、えぇ⁉」と慌てふためく。一方、紅は少々驚きこそしたものの、ある程度予測していた関係性であった。

 そんな紅を、蒼はじとりと見上げた。目には『知ってて秘密にしてたの?』と書いてある。が、任務上黙っていたとも考えているようで、ぐぐっと面白い調子で口を歪めるに止めた。


「オレだって確信があったわけでも、知っていたわけでもないさ。ただ、最後に華憐堂で例の件があった時に違和感を覚えていただけだよ」

「へぇ。さすが紅。アノ状況でよく見てたね」

「うん、まぁな」


 紅はなんとも言えない表情を浮かべ、蒼の頭をくしゃりと撫でた。お団子を撫でるとまた崩れると怒り出しそうだったから、前髪あたりを。

 照れているのではない。心葉堂の風評被害となった事件について、蒼が自分の知らないところで立ち直ったことを少々複雑に感じてしまったのだ。兄心、妹は知らずだ。


「しかし、ようやっと要の人物から言質がとれたというところかのう」

「あぁ、そうだな麒淵。頭上の術の具合も良好そうでなによりだ」

「はーい、それは私も気がついてたよ! 伝達系の魔道だよね? アゥマの感じからいって、繋がっているのは魔道府ちょうかんとおじいかな。じゃなくって、萌黄さんだよ!」


 腕を組んで満足げに頷いていた蒼が、はっとして萌黄たちを振り返った。

 麒淵はやれやれと肩を竦める。緊張感があるのかないのかと、呆れて良いのか感心すべきなのかわからない。


「わっわたくしは、ただ、山梔子様のために、生きられればと」

「黙れっ! おれがうまくやってきたからこそ、山梔子もお前も夫婦であれたのだろう。ではなくとも、狂ったお前を娘として扱うよう指示してきてやったのだろうに! おれが、なんのために、ここまでやってきたと!」


 麒淵は怒り狂う湯庵を前に守護の術を唱える。蒼と紅をおいて誰も気づかない。


「ゆっ湯庵よ」


 尻餅をついた竜胆が弱々しく湯庵に指先を伸ばした。狂乱の様子はなく、この場に現れた頃の彼の様子に戻っている。


「へぇ。失礼しやんした。あっしが竜胆様のために上手くやってきたのにと、頭に血がのぼりやんした」


 不気味な影を纏っていた湯庵だったが、数秒後には打って変わった卑屈な老人に戻っていた。その変わりように、蒼の背に寒気が走る。

 だが、竜胆は喉を詰まらせながらも気づかないように横柄に頷く。


「うっうむ。よい。最終的に上手く事が運べば」

「へぇ。ご安心めされよ。ちゃーんと、うまくいきます」


 蒼たちには、すでに湯庵がいう『ちゃんと』の裏が読めている。逆を言えば、ここまできて湯庵が竜胆皇太子のために動いていないなんて理解していないのは、当の本人だけだろう。

 それでも湯庵は平然と芝居を続ける。


(あまり考えたくはないけれど。偽溜まりがもたらす効果を考えたら……ううん、これまでの萌黄さんや彼らの発言から考え方を変える必要があるのかもしれない)


 蒼は頭に浮かんだひとつの可能性を伝えるため、紅の腕を引っ張り麒淵の元に駆け寄った。


「ねぇ、麒淵に紅。私、これから突拍子もない考えを口にするけど」


 蒼としては至極真剣に、そして伝えるべきことか思案した結果の言葉だったのだけれど。


「なんじゃ、今更了解を得ることではなかろうに」

「そうだよ。もったいぶるな」


 麒淵と紅にむしろ責められて、保護者たちの理不尽さに珍しく頭を抱えたくなった。


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