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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第96話 蒼と紅―普通の兄妹―

「蒼。お前って本当に、どうしようもない」


 竜胆りんどうが狂気を纏い暴れる中、正気に戻った紅は頭を抱えてしゃがみこんでいる。

 無理矢理に自分たちの関係を暴かれて、紅は実感してしまったのだ。目の前の馬鹿真っ直ぐな妹が大好きだと。大切で大切でしょうがない、大事な妹だと再認識させられた。半分だろうと何だろうと、この世でたった一人の妹。


「紅?」

「だから、オレは蒼が大切で、その反面、どうしようもなく怖いんだ。大事だからこそ」


 紅は自分の肩に置かれた蒼の手を振り払う。

 手を弾いた強さと反する言葉に、蒼はやっぱりべそりとなってしまう。

 蒼は、紅の行動が自分を拒絶するためではないことなんて百も承知だ。だからこそ、余計に悲しかった。だって、紅が拒否しているのは彼自身・・・なのだ。


「オレは、怖いんだ……わかるだろ?」


 紅は感情を絞り出すように呟いた。いつものような、静かな呟きではない。蒼を試している口調。言葉の続きを受け止めて欲しいという願いが込められている。家族だって、全てを受け止められる訳ではない。はっきりとした問いかけもせずに感情を先に出すのは、きっとずるいことだ。

 それでも、蒼は『ずるい』とは思えなかった。むしろ真逆だ。頑なだった兄が『怖い』という闇を音にしてくれたのが、嬉しいとさえ思った。


「私は教えて欲しい。それで、笑ってあげるよ。『お兄ちゃんてば、なに言ってんの』って」


 蒼はいたく不遜ふそんに聞こえる声で笑い、さらに腕を組んだ。ついでに、ふんと仰け反ってもみせる。

 けれど、牡丹色の大きな瞳は真摯しんしに紅と向かい合っている。

 紅は何度か口を開閉した後、やっとの様子で息を吐き出した。


「オレは怖いんだ。恐ろしくて堪らないんだ」

「だから、なにがさ」


 紅が生まれた背景を知っている蒼は、もちろん紅がどんな感情に怯えているのかは重々承知している。

 すぐさま否定したい。蒼の性格上、それが極自然な行動だ。それでもきつく口を結んでいるのは、猪突猛進な蒼だってそうするのが紅にとって一番じゃないのも理解しているから。


「大事な妹を――」


 紅から出たとは思えない音が空間を揺らした。枯れて、枯れて、枯れ果てて。ひび割れきった大地にようやく小指の爪先ほどに落ちた、雫のような叫び。

 それでも、誰も止めない。庇わない。補足しない。

 沈黙が紅を嫌でも進ませる。


「歪んだ目で見る日がくることが、ひどく怖いんだ。実父のように歪んだ方法で、自分が理想に思う家族を手に入れようとしないかって怯えてしまうんだ。いつ、自分が壊れるかって」


 言ってしまったと、紅の視界が歪む。


 紅はずっと怯えていた。いつ、実父みたいに狂気に目覚めてしまうかと、怖くて仕方がなかった。

 蒼を可愛い妹だと思う度、両親を失った十代半ばの妹を守らなきゃと噛み締める度、大好きな幼馴染の態度が変わって戸惑う妹と尊敬する兄分に辛く当たる度。

 どんな態度が正解だったのかと、後々になっていつも寝室で考え込んだ。いつも答えは出ずに繰り返す。


 そんな日々が終わるのだとすっきりとするのと同時、紅は激しい後悔に襲われた。静まったはずの鼓動が、胸を突き破りそうな勢いを戻る。


「くそっ!」


 紅は、蒼から目線を外して岩肌に拳を打ち受けた。痛みがないと、たった数秒前に自分の口から出たおぞましい可能性に耐えられなかったのだ。

 皮膚を裂く痛みが、理性を保ってくれると甘えてしまう。


 大切だから怖くなる。紅は己の手だけを見つめて、血が出るほどに――いや、すでに血が滲んでいる手を握りしめる。


 蒼は胃痛の原因でもあるけれど、可愛くてしょうがない五つ下の妹。その子を歪んだ目で見る日がくるのか……紅はそんな見ぬ日が怖くてしょうが無い。連想させる出来事が起きる度、恐怖に身が凍える。


(だから、オレは加減がわからない)


 横目で捉えた蒼は、紅だけを映していた。

 がむしゃらにぶつかってきたあの時とは違う。大人・・・になった蒼は、じっと我慢している。そして、謝罪を込めて「蒼」と一言呼びかけた。とびっきりの愛情も混ぜ込んで。


「うん、うん。ばか兄」


 途端、蒼はぼろぼろと涙を溢れさせた。ただ紅が名を呼んだだけなのに、気丈な姿が一気に崩壊していく。日常のことなのに。いつもと変わらない音なのに。

 紅は完全に顔をあげて蒼を向き合うと、蒼は余計に顔をぐちゃぐちゃにした。その顔が十七歳も近くなった少女のモノには見えなくて、少し笑ってしまった。ゆっくりと頭に手を伸ばすと、蒼の方から頭を倒してきた。そのまま頭頂部に掌を乗せると、腹に一発弱々しい拳が襲いかかってきた。

 それから、それから――容赦の無い力加減で紅は抱きつかれた。


「誰よりも蒼が知ってるよ。紅は蒼のお兄ちゃんだって」


 蒼は随分と久方ぶりに自分のことを『蒼』と口にした。紅は、そんなどうでもいいことを思った。

 紅は、蒼が生まれる前から妹がひたすらに可愛くてしょうがなかった。母の腹に自分の妹がいると知って、すこぶる嬉しかったのを覚えている。


 蒼が母の腹を蹴った時、当てた自分の掌にまで振動を感じて命ってすごいと思った。

 姿は見えないのに、母の腹の中にある命に世界が煌めいた。

 母の腹に寄り添いながら、色んな絵本を読んだ。すると、母はよく船をこいでは『紅の声は心地良いから、この子がぐっすりになっちゃうのがお母さんにも伝わっちゃうのね』と照れ笑いをしたものだ。

 生まればかりの、真っ赤な猿みたいな存在が放つ大きな泣き声に驚いた。まるで、自分はここにいるんだと言わんばかりに主張する音に驚いて、同時にすごいと思った。叫んで訴える姿が、ここまで人の魂を振るわせるのかと。

 そして、反射と知りながらも絡ませた指を握られるが嬉しかった。ふへっと間抜けに笑う顔が可愛くてしょうがなかった。

 うんちをする時に、真っ赤になった後に満足げに笑うのもおかしくて可愛かった。臭いとはしゃぐ紅を抱きしめた父が『生きている匂いってすごいな!』と笑ったのを思い出す。

 後追いされるようになってからは、少しうっとうしくなった。どこにでも着いてきたがる妹が、可愛さ半分と疎ましさ半分になった。


 今も変わらないが、蒼は集中すると全く人の声が聞こえなくなるたちだ。呆れて遊び場に置いて帰ってきたことも何度かあった。両親にはしこたま叱られたが、当の蒼はその後も飽きずにへらへらと着いてきた。

 好奇心旺盛な妹は、家族で出かけてもあっという間に迷子になっては母親に叱られていた。何が悪いのか理解できない幼い蒼は、決まって白龍おじいの後ろに隠れて頬を膨らませていた。祖父は叱りはしないが、庇うこともしない。『まぁまぁ』と仲裁に入るだけだ。

 だから、納得のいかない蒼は夜になると自分の枕を抱えて紅のところにやってくるのだ。べそを掻きながら。そうして宥めてやると素直に頷いて眠りについた。

 母はよく『蒼ってば、紅の言うことだけは素直にきくのよねぇ』と頬を押さえて溜息をついたものだ。


 そんな好奇心旺盛で自由奔放な蒼だから、拐かしに合いそうになったこともあった。弐の溜まりの心葉堂、しかも幼いながらに有能なアゥマ使い、という点も大きいだろう。

 という訳で、最終的に今の過保護で胃痛持ちの紅ができあがった。


(なんだ。まるで普通の兄妹みたいに過ごしてきたんじゃないか。オレが思うような感情が入り込む隙間もないくらいに)


 紺樹と出会った日、ほんのちょっとだけ蒼は自分から離れた気がして寂しかった。蒼は友人以外で大事な人を見つけ、紺樹も蒼をとても大切に思うようになっていった。その反面、尊敬できる兄貴分ができて嬉しかった。

 そして、蒼と自分が本当の兄妹でないことを知って、全てに絶望した。絶望して、蒼に希望をもらった。それと同時に、紅は確かな恐怖を抱き続けることになった。

 もちろん、蒼にやましい気持ちなど抱いたことはない。それに、蒼を大事に想ってくれる相手なら、そろそろ恋人の一人もできていいとさえ考えている。

 紺樹にきつく当たるのは、彼が頑なに自分の気持ちを誤魔化して胡散臭く対応するようになったからだ。それさえなければ、紺樹はこれ以上ない相手といえる。


(蒼が無茶を言えば胃がすこぶる痛むし、あまりの楽観さに腹が立つこともある。でも、可愛くてしかたがないたった一人の妹だ。妹が悲しんだり苦しんだりするのは嫌だ)


 だからこそ、紅は恐れていたのだ。

 突然開花したアゥマ可視の能力のように、ある日急に自分が変わってしまうのではないかと。昔ちらりとだけ見た実父の絵姿にどんどん似てくると気がつく度、鏡を叩き割りたくなる。自分もいずれはあぁなるのだと。歪んだ想いで、大事な人を手元に納めておくように衝動だけで動くのだと。


「私にとって紅は過保護で口うるさい大好きなお兄ちゃんで、紅にとって私は手のかかる、でも守ってくれる存在なのを知っている。お父さんもお母さんも、おじいも麒淵も。それに、私だって紅も大好きだもの」


 少し体を離した蒼は、紅の顎に拳をぶつけた。


「……オレが、竜胆皇太子が言うようなことになったらどうするんだよ」


 紅に蒼の言葉が届いているはずなのに、紅は冷えた目線を蒼に投げかけてきた。

 紅はただ答えが欲しかった。蒼の声で蒼の言葉で。蒼、全部で。

 一方、蒼はしゃっくりをしつつも面白い顔で仰け反った。


「えぇ⁉ 想像つかないけどさぁ。まぁ、うーん、強いて言うなら私も店中の茶葉の瓶を悪くらいの豹変で対抗するとか、紅の胃痛を悪化させていったん弱らせるような手段をとるかな? っていうか、自分で落ち込んだよ。茶葉の瓶を割るとか」


 せわしなく動き、表情をころころと変える蒼。緊張感の欠片もない。

 追い打ちをかけるように麒淵がぼそりと呟いた。


「……紅の胃痛を悪化させるのはいいんかいな」

「そこは、ほら。後で胃痛を緩和させる茶葉を浄練してあげられるし」


 蒼の誤魔化すようにへらりと浮かべられた笑顔に頭を抱えたのは麒淵だった。

 紅は反射的に腹部を押さえていた。麒淵も紅の仕草を見て、条件反射的にびしりと指を蒼に向けて差し出してしまう。


「だあほ。今の状態レベルで、すでに紅の胃痛を完治できるほど補い切れておらんだろうが!」

「うっうぅ。今はそんなところ問題じゃないと思います!」


 蒼は紅の頭を抱えながらも、舌を出して麒淵に抗議する。


「――いい加減にしてくれよ、もう」

「うぇ? ごっごめんなさい、お兄ちゃん! 胃痛に関しては、ずっとごめんて!」

「ふはっ、ははっ!」


 紅はついには堪えきれなくなり、大きく笑ってしまう。体の奥底にある全部を吐き出すように。岩肌に反響する笑い声に、湯庵がぎょっと片目を開いた。ただ、未だに己の頭を抱え蹲っている竜胆からは離れられないようで、舌打ちだけしてすぐに目を離す。

 萌黄は口元を押さえて、鈴を転がすように笑う。ころころと笑う姿を見て、蒼も紅も不思議と優しい気持ちになった。


「うん。ここに漂うアゥマもちょっと柔らかくなったね」


 蒼は周囲をぐるりと見渡し満足げに頷いた。

 一方、紅は込み上げる笑いを必死に抑えようと咳払いを繰り返す。今までの悩みがなんだったんだとさえ、憎らしい。自分がずっと苦しんで悩んできたこと全部が。


「わかった。もう、いいよ」

「投げやりはよくないと思います!」


 蒼が思いっきり頬を膨らませて抗議の意を示す。

 やっぱり紅は口元を押さえて、はふりと笑ってしまう。


「違うよ。オレも蒼の脳天気さを見習うべきかなって結論に行き着いたんだよ」

「喜ぶべきだろうけど、手放しに良かったって思えないんですけど」

「誉めてはないからな。でも――」


 紅は自分で浮かべた苦笑に、暖かい気持ちになる。間の抜けた言葉さえ、自分のやさぐれた心を撫でるのだと。

 そして、一度肺から全ての息を吐き出す。目を閉じて、場に漂う異質なアゥマに意識を向ける。これ以上、竜胆と華憐堂一派に油断は見せてはいけない。すぐさま魔道を伴って立ち上がる。ただ、今度はもう逃げ道としてではない。


「ありがとな」


 紅の大きな手が蒼の頭をぽんと撫でてきた。数回弾む手は、相変わらず冷たかったけれど、ひどくあたたかく感じられた。

 紅の一言に蒼は感極まってしまう。


「――っ! 夕飯当番半月は代わってもらうからね!」


 そうして飛び出たのは、可愛くない声と言葉。それでも、紅が呆れ気味に笑ってくれるから。蒼はそれだけで十分だった。

 ただ、照れ隠しに腹部に入れたげんこつは結構効いてしまったようだ。紅は胃のあたりを押さえて蹲ってしまった。


「ったく。なにやっとんのじゃ」

「とても、羨ましいですわ」


 鈴蘭のように可愛らしく笑った萌黄。が、こちらもすぐに表情を引き締めて立ち上がる。


「わたくしも覚悟を決めたいと、そう思えました」


 魔道風が全て鎮まり、空間はただの洞窟に戻っている。萌黄は溜まりの淵から数歩前に出て、それでも遠くにいる人物に右手を伸ばした。

 蒼と紅が追った先にいたのは、地べたに座り込んだまま呆けている男性だった。長い灰色の髪から同じ色の目が覗いている。


山梔子さんしし様、もう終わりにいたしましょう!」


 山梔子とは、華憐堂の主の名前らしかった。

 呼ばれた男性は絶望を浮かべ、微動だにしない。まるで幼子のように怯えているだけだ。外見だけは一気に老けているように見えた。


次からは華憐堂にスポットを当てていきます。

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