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クコ皇国の新米茶師と、いにしえの禁術~心葉帖〜  作者: 笠岡もこ
― 第三章(最終章) クコ皇国の災厄 行き着くところ ―
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第94話 絆5―クコ皇国と心葉堂の盟約―

「ここで盟約を出すか」


 麒淵は額を押さえて、心労をたっぷりと込めた溜息を落とした。

 麒淵の視界の端に映った紅は『盟約』という単語に反応はしつつも、いまいちピンときていない様子だ。


(こうも想定外が入り交じる状況に陥るとは――いや、それさえも受け入れてしまう我も随分と頭が柔らかくなったものだ)


 麒淵は頭を抱えながら、ゆっくりと地面を踏む。右足を一歩先に、そして弧を描き後ろに両足で下がる。一見すれば蒼に近づこうとして、引いたようだ。むろん、そう見えるだけで、全て計算上の行動だが。

 麒淵をよそに、蒼はすぅっと大きく息を吸って吐いて、凛と顔をあげる。


「威勢良く盟約と申し上げましたが、決して浅基で音にしたのではありません。私は心葉堂の当代茶師です。家風の自由さに感謝こそすれ、誇りと重責をないがしろにしたことはありません。だからこそ、心葉堂の『誇り』を侵害される事態を見逃すことはできません」


 蒼の声はもとより通るが、至純の想いはさらに真っ直ぐに人の心へと放たれた。それを、相手が受け入れるかは別にして。

 純粋ながらも情念が込められた姿勢に、麒淵は諦め半分で額を押さえていた手を滑らせた。掻き上げられた前髪のおかげで、蒼と紅の背中がよく見えた。


「ほんに、蒼は真っ直ぐじゃのう。愚かだが愚鈍ではない。利口ではないが犀利さいりである」


 蒼が紅の最大の危険ピンチに盟約を持ち出すのは想像にたやすく、しかしどこか現実味がないことだった。なぜなら、蒼は誰から見ても純粋なアゥマ馬鹿だ。経営だとか立場を裁くことに長けてはいない。

 そんな蒼に一族が背負う『盟約』を教え込んでいるなどと思えなかったのだ。少なくとも、麒淵は伝承している事実を把握していなかった。


************************


――血の盟約――


 それは、心葉堂開祖が初代皇帝の実姉であり、実弟である王より建国の礎になったが故に結ばれた盟約である。

 むろん、皇族の一部と心葉堂以外は忘却するよう仕組まれた歴史だ。

 心葉堂の祖は一族の中でも逸出しているアゥマ使いだった。未開の土地で溜まりの赤子のような脈を開拓し、国の柱溜となるまで調整し続けた。それこそ、首都中の守霊が彼女を親と慕うほど、彼女はどんな小さく弱い彼らをも鍾愛しょうあいした。


 人に、守霊に、アゥマに愛された少女。


(であるのに、あの子のたったひとつの依願が叶うことは、ついぞなかった)


 麒淵の伏せた睫が震える。その奥にある瞳は潤って仕方がなかった。


(ほんに厄介じゃ。封印されておった溜まりは大昔のままじゃて。感傷などという人間臭い感情を錯覚させる)


 麒淵の脳裏に、あの頃の情景がありありと蘇ってくる。

 それこそ、当時は彼女を女帝にたてようとする派閥が権力を持っていた。

 しかし、心葉堂の開祖はどんなに……それこそ弟自身から懇願されようとも固持し続けた。最後は派閥などいう存在を噴飯ふんぱんし、聖樹の啓示をもって実弟を皇帝にたてたのだ。


 麒淵が目を閉じれば、鮮明に人々が奮いたち此処しゅとが最も精気に満ちた瞬間が映し出される。そして、少し視線を伸ばせば、大広場奥のいと高きところですくりと立ち慈悲の笑みを浮かべ手を振っている皇帝がいる。

 当時、感情など理解出来ていなかった麒淵は、彼女の横であぐらを掻いてほつりと呟いたものだ。


――なぁ、なんでお前は寂しそうなんだ? 周りの奴らは、みーんな嬉しそうなのに。なんでお前は泣きそうなんだよ。っていうか、家族ならお前も隣にいていいんじゃないか? こうてーの隣の女はキラキラってすごいぞ? 絶対、お前の方が似合うのに――


 麒淵が指をぴんと向けると、彼女はまん丸な目をさらに見開いた。

 そうして、彼方にいる弟をゆっくりと見上げた。その傍らに絵画から出てきたような姫君が寄り添っていたのを、麒淵は覚えている。ただ綺麗な女が立っていた。


――おれ、壱の溜まりの奴も、あの女は好きじゃないと思うぞ? 別にあの女が異民族だからってわけじゃなくって、お前の方がおれたちのこと大切にしてるからさ。あの女があいつの嫁になるってだけで、壱とお前が会えなくなるなんて馬鹿げてる――


 その時の麒淵は、政略結婚や勢力争いなんてものは知らなかった。だから、無垢な疑問だった。

 と同時に、あれほど壱の溜まりの守霊を可愛がって国の柱になるほどにまで育てた彼女を理解出来なかったのだ。彼女は人離れしていたが、守霊にはだれよりも優しく道具扱いしなかった。


――麒淵は嬉しいこと言ってくれるんだね――


 めいっぱいの涙をたたえて、にしっと笑った心葉堂の開祖。

 溢れそうで零れないモノが薄氷河色アイスブルーの瞳をさらに薄くしていた。冷たいはずの色はどこまでも慈愛に満ちていて、そしてひどく寂しそうだった。


――でもね、しょうがないよ。私、寂しい。もうお姉ちゃんとして弄ったり可愛がったりできないもん。でもね、もうあの子を怒ったりも叱ったりも、大事にするのも私の役割じゃないから。私はもう、あの子と関わってはいけないんだよ。それを覚悟して、皇帝の座や皇妃を辞したんだもの――


 麒淵は未だにあの笑顔以上の苦みは知らない。麒淵が最初に覚えた胸の痛みだった。

 彼女の言葉通り、あの日以来――彼女が自分の死に際まで弟と言葉を交わすことはなくなった。それには彼らの生い立ちに理由がある。


(あの二人は腹違いの姉弟であった。だからこそ、あの子の弟が皇帝となってから、彼女は自ら接触を避けた。接触する機会を敢えてなくしていった。二人が完全な血の繋がりを持たぬことを良いようにして、利用する者が現れぬように。心葉堂の祖こそが、正統な始まりの一族である父母の血を持っていたからこそ)


 人類の存続が優先されていた当時は、近親婚姻も禁じられてはいなかった。ましてや国を興す一族であれば、盤石な地位の獲得のため当然に行われていた。人類史上でみればさして奇異なことでもない。

 けれど、クコ皇国は違った。始まりの一族でもある彼らは、前文明から引き継がれた数少ない知識を持っていた。近しい血の交わりが繰り返されれば、穢れに満ちた世界を生き残る強い命は生まれないことを知っていた。


(弟を愛するが故に、彼女は紅と同じ葛藤を抱いていた。純粋な思いの行く末に怯えていた。我からしたら単なる弟馬鹿であり、妹馬鹿であるのに。人間はなんとも面倒くさい。見えもしない未来に怯える、客観性のない生き物)


 麒淵は本当にどうしようもないと思う。


(だからこそ、愛おしくて堪らないのだ)


 人間は陽の感情でこそ動かない生き物だ。生まれたての麒淵は知らず、彼女は嫌と言うほど身に染みていた感情。


 弟の皇帝即位と同時に、とある大規模な儀式が施行された。


 要約すると、心葉堂が国政に関与しないと宣言する代わりに、何人たりとも心葉堂の尊厳を冒すことは許さず、勅命を下すことが出来るのは皇帝のみという魔道による血の盟約を交わしたのだ。それは彼女と弟の両者からの申し出だった。皇妃は少々の渋りは見せたが。

 実際の盟約は分厚い文献書何冊分にもなる。そこには建国当初のあやふやな状態と、姉弟の微妙な関係性があったのだろう。今では考えられない位、細かい取り決めが交わされている。


************


 むろん、白龍も既知の事実である。それでも白龍がフーシオという地位に縛られているのは、あくまでも国外対策としてだ。


(心葉堂の者は代々立場をわきまえておる。ゆえに、軽々しく盟約を出すことはせぬ。それは、若輩とはいえ蒼も同じ事。いや、蒼は自分を誰より平凡で拙い茶師だと考えておる。ただアゥマが大好きなだけで、蒼は心葉堂の権限を盾にする子ではない)


 だからこそ、重みがある言葉なのだ。

 実際、蒼も己の言葉の恐ろしさを自覚している。蒼の全身が大きく震え、今にも岩肌に膝をつきそうだ。息は荒く、周囲を白く染めている。誰が見ても明らかに強がりだとわかる。


「ならば、問おう。おぬしら心葉堂がこの場にいることは、国政干渉でないと断言できるか?」


 竜胆が鼻で笑う。当然だろう。いくら愚か者とはいえ、王族としてたたき込まれた交渉術の影くらいは残っている。

 しかし、蒼は鋭い目つきのまま竜胆を見据える。そして、きっぱりと断言する。


「できます」


 竜胆は蒼の返答を想定していなかったのだろう。あっという間に真っ赤に染まっていく。まるで、子どものように。


「たわけがっ! 盟約は――」

「この出来事が国の意志であるならば、国政干渉を凌ぐ盟約が適応されるからです。血の盟約書、第五項の第二条。竜胆様はご存じではありませんか?」


 正直、蒼の心臓はばくばくと激しく跳ねている。

 それでも。胃から内蔵を吐いても、みっともなく泣きわめいても、蒼には譲れないモノがある。蒼はきつく拳を握る。守りたいモノの壁になれない方が嫌だ。


「ここまできて、魔道府が国の存続に関わる事象を起こしている証拠を掌握していないとは思えません」


 怖い。正直、怖くてしょうがない。

 でも、蒼には此処で譲る気は皆無。ありったけの虚勢でいい。臭わせでもいい。向き合え。そう、自分に言い聞かせる。


「万が一、今回の件が竜胆様の個人的な意志であれば、そもそも国政干渉に接触いたしません。けれど、どうでしょう。国の御随意であれば、それこそ国家転覆の大事です」


 蒼が落ち着いた口調で反論すると、竜胆は表情を消した。

 それこそが、竜胆が盟約を蒼より理解していないことを証明する。自信家の彼なら材料があれば完膚なきまでにたたきつぶしてくるだろう。そう考え、蒼は敢えて項目を口にしたのだ。


(竜胆皇太子が麒淵や白龍おじいなみに盟約を熟読していたなら、いくらでも解釈し反論の余地はある。こっちには当事者きえんがついているからこその虚勢だから、私ができていることなんて何もないけれど。紅を守れるなら恥でも罰でも受けてやる!)


 蒼は両手を大きく広げ、しっかりと前を見据えた。盟約の最後の隠し文字を思い出しながら。


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