ファッションブランド
(今日はいなかった。きのうはたまたま乗りあわせただけなのかな)
電車から吐き出される乗客の中に智恵はいた。
(ほかになにか手がかりは?)
昨日二人が座っていたベンチが目にはいった。とりあえず腰掛けて行き交う人の流れに知識稔の姿をもとめる。
「そうだ大和芋!」
智恵は思いついた。
「なにか飲食店関係かもしれない」
智恵は知識のTシャツにプリントされた店舗名らしき『葵』というロゴを思い出していた。
「『葵』じゃなかったのかしら。『葵や』『あおい』『あおいや』……」
スマートフォンで検索をかさねるがこの界隈ではヒットしなかった。
ためいきをついてしまう。
「大和芋はやっぱりトロロ汁につかうから和食だとおもうんだけど……」
徹夜でのガンダム観賞がたたって眠気がさしてくる。
『お嬢さんが眠っているとき、世界は存在しているのかな?』
『人はいつか時間さえ支配できる』
アインシュタインと知識稔の言葉がうとうとする智恵の頭のなかをぐるぐる回る。
『未来が過去に影響をあたえているのよ』
ふいに少女の智恵が告げた。
はっと智恵は目を覚まし吹き出してきた汗をぬぐう。
(今のは何? )
そして隣に誰か座っているのに気づく。
知識稔だった。
「あ、あれ?」
知識はけげんな表情をうかべている。
そのようすを駅の自販機の陰から見ていたサングラスの女。
「田中いまの見たか?」
「なんですか高橋さん?」
田中とよばれた女は自販機でコーヒーを買っていた。
昨日の再演だった。
「いや……なんでもない。寝ぼけていたようだ」
「ねえ高橋さん、どうして陰からこそこそ見ているんですか。はやく取材しましょうよ」
「田中、お前も見てただろ! あいつはド助平の変態だ!」
「ああ、あの痴漢プレイね」
「わたしのような美女を見たら興奮してなにをするか……」
「いや、たぶん何もないと思いますよ。あっ、高橋さんあの女!」
智恵は名刺とともに本を渡していた。
「月刊ホーキング! しまった、遅れをとったか!」
雑紙のタイトルを見た高橋はすかさず智恵の横にならんで名刺を差し出す。
「角学書房月刊アトランティスの高橋です。こっちはカメラマンの田中。よろしくお願いいたします」
「はあ……」
とまどう知識稔。そこへ警笛が響きわたる。
轟音とともに機関車が通過していく。
「まさかD51?」
知識が呆然と見送る。駅員や他の客たちも立ちつくしていた。まるで白昼夢のような光景であった。
※ ※
(山葵や)に(わさびや)というふりがなのあしらわれた看板が掲げられている間口の広い店だ。
「わさびとは盲点だったわ」
智恵は看板を見上げてつぶやいた。
知識が準備中の札がかかった引き戸を開ける。
「店長! 量子たちがまだ来てないのー!」
大声に迎えられ智恵は首をすくめた。
「宴会のお客さんが来ちゃうー!」
陽子と光子という名札をつけたバイトが恐慌をきたしていた。
「二人じゃまわらないよー」
「まあまあ陽子も光子も落ち着け」
知識が余裕をみせる。
※ ※
「いらっしゃいませーっ! 2名様ですか? こちらのお席にどうぞ!」
智恵は『わさびや』のTシャツを着てサロンを腰にまわし、名札までつけて営業スマイルで絶賛接客中だ。
(なんでこうなるの)
高橋は憮然として宴会の大皿料理を運ぶ。
「2名様はいられました!」
智恵がカウンター内の知識に報告した。
「ようし戦闘開始だ」
知識はバンダナの鉢巻で髪をあげ、眼鏡をはずした。
意外にほりの深い顔立ちがあらわになる。
(わ、わりとカッコいいじゃない)
智恵はおもわずときめいてしまう。
「Aの1番席わさびや御膳ふたつ出る!」
「はーい!」
「Bの1番2番ドリンク行っきまーす!」
「痴女はC席の片付け! 布巾を忘れるな!」
店内は活気があふれていた。
「痴女じゃありません! 智恵です!」
嵐のような忙しさに智恵のテンションもマックスだ。
「セクハラで訴えるわよ!」
「それはこっちのセリフだ!」
「はいホッケ、大アサリ、京揚げじゃんじゃん出るよー!」
料理を提供する戦闘モードの知識。
「いらっしゃいませ!」
「へい、らっしゃい!」
ぞろぞろと来店する客たち。
バブル期のワンレンボディコンの女から羽織袴に髭をたくわえた男、民族衣装をまとった外人、はては派手なコスプレの少女たちまで入り混じっている。
「んん? なんかイベントでもあったのかな?」
知識稔はいつもとまるで違う客層に首をひねった。
営業を終了し照明や看板のライトが消えて夜にしずむわさびや。
「疲れたー!」
座敷でのびている智恵、高橋、田中。
「みなさん。お疲れさま」
知識が両手にお膳を持って入ってくる。あとに陽子もお膳を持ってつづく。
「おいしいまかないを食べて復活してください」
「明日もがんばってもらわないと」
「明日? ひええーっ! 絶対無理無理!」
断固拒否の智恵。
「絶対なんて言葉は『人は絶対に死ぬ』ってこと以外につかうもんじゃない」
「通訳すると絶対なんてものはないそうです」
バイトの陽子が解説する。
「へえ月は自分がそこにいることを知っているか……じつに興味深いね」
「そこで目が覚めて夢と気づいたんです」
智恵たちはトロロ汁をおいしそうにすすりながら雑談に興じていた。
「たしかに観測するまで存在が確定しないってのは量子力学の常識だけど、マクロな世界では受けいれがたいもんだ」
知識はコーヒーカップを手にあいづちをうった。
「そもそも観測ってなんだって話になるでしょ」
高橋が続く。それなりに量子力学の基礎はおさえているようだ。
「そうなんですよねぇ」
智恵が相づちをうった。
「機械が観測すればいいのか? 機械のまえにすわっているのはネズミでもいいのか? それともやはり人の意識がなければいけないのか?」
「知識先生のお考えは?」
「先生じゃない、店長だ。取材は拒否する」
高橋の問いににべもない態度だ。
「物理学からは足を洗った。いまはこの店のことしか考えられないんだ、悪いけど」
「ごちそうさまでした。店長、いえ知識さんのお店なんですか」
智恵は知識にむきなおった。
「ああ」
「いま世界が大騒ぎしているのがわからないのですか」
「まったく興味ないね」
「知識さんの理論が正しかったとやっと証明されたんですよ」
智恵はくいさがる。
「この世界のしくみを知りたいと渇望していた時期もあったさ。でも知ったところ世界が変わるわけじゃない。あれは中二病の延長みたいなもんだった」
知識は黒歴史を語るように苦い顔をした。
「取材させていただけるまで帰りません」
高橋は強く言い切った。
「あああ、わたしもミノルスキー理論について聞くまで帰れません!」
「じゃぼくが帰る」
知識は席を立ちかけた。
「面白いからじゃだめなんですか!?」
智恵が叫ぶ。
「量子力学や宇宙論は難しいけどとても面白いとおもいます。ネズミが月見をしていたり、神様がサイコロをふったり、ネコが半死半生になったり……」
「半死半生ってそりゃシュレーディンガーの猫のことか?」
呆れた表情の知識。
「店長ここの補充は……あとにしますか?」
カスターセットに補充するためのソース類のはいったかごをさげて光子がやってきた。
「待て! よしわかった、教えてやろう!」
知識はそういって光子の持っているかごからYな形の物を取り上げた。
「ただしこいつの名前を当てたらだ」
「ふっ、漏斗でしょ」
さも当然のように高橋が鼻で笑う。
「じょうご」
智恵が答える。
「いや漏斗が正解でしょ……」
ちょっと自信がなくなる高橋。
「いえじょうごです」
「光子、正解は?」
「ファンネル」
「ファンネルー!?英語でいっただけじゃないの!」
高橋が抗議する。
「うちではファンネルが正式名称なの、残念でした」
「そんなのずるい」
智恵は口をとがらせた。
「わかりました」
高橋はゆらりと立ち上がった。
「田中、例のものを」
「うぃーす」
大きなバッグから箱を取り出した。
「なんだ?」
「どうぞ中をご覧になってください」
知識は蓋を開いた。
知識は箱の中身を取り出した。
「おっ、〇ラァ専用モビルアーマー!」
「ちっちっち、箱よく見てください」
舌を鳴らして否定する高橋。
「うおおおおっ! このシンボルマークは!」
〇ルメス社のマークが刻印されていた。
「するとこれは……まさか」
「そう誰はばかることのない正真正銘の」
「〇ルメース!!」
知識は高々と〇ルメスを天に持ち上げた。
(たしかファッションブランドとかぶるため、〇ラァ専用モビルアーマーの名称でしか今まで商品化されなかったとムック本に書いてあった)
智恵は仕入れたばかりの情報を思いだしていた。
「この超レア物のコラボ商品を入手するためどれだけ苦労したことか、ううっ」
わざとらしく涙ぐむ高橋。
「で、どうでしょう?」
ちらりと知識をうかがう。
「しょうがないもう一度チャンスをあげよう」
「チャンス? まだ教えていただけないのですか?」
「わたしにもチャンスをください!」
「あしたも出勤ね」
「はいぃぃ……」
がっくりうなだれる智恵だった。




