木ノ実智恵
駅の階段を駆けあがる智恵。
「その電車待てー!」
なんとか間に合い満員電車に飛び込む。
「ふう」
ようやく落ち着いて一息つく。
(でも不思議な夢だった。まるで子供のころの思い出みたいな気がする)
今朝の夢を反芻する智恵。
(「月は自分がそこにいることを知っている」だなんてどこからあんなセリフがでてきたのかしら。頭に詰めこみすぎたのかなぁ。そもそも観測者の状態を確定させるためにほかの観測者がひつようでその観測者もまただれかに見られていなければならないわけで、もうわけがわかんないわ)
智恵のお尻に手のひらのような感触があった。
(やだ痴漢?)
さわさわと撫でまわすような動き。
(きょうは朝からだいじな会議があるの。捕まえてやりたいけどしかたない、これぐらい我慢してやるわ)
ガタンと大きく車両が揺れた。
そのタイミングで智恵の短めのスカートの中に大胆に突入してくる手のひら。
(お、おのれ泳がせておけば調子にのって! はうっ!)
股間を強引にこすりあげてくる。
「キャッ!」
勢いあまってスカートの前が盛り上がるほど突入してきた。
「この人チカンです!」
手首をつかんで叫ぶ智恵。
しかし智恵が持ち上げていたのは掌のような形をした大和芋だった。
「か、返してください。きょうの食材なんです」
トートバッグをさげた黒縁眼鏡にぼさぼさ頭の男がおずおずと抗議する。
「ひえーごめんなさい! かんちがいしました!」
平謝りする智恵に乗客がざわめく。
「もういいですよ」
ぷいと背中を向ける男。
(あーあ朝から恥かいちゃった)
へこむ智恵。
しばらくして智恵の股間がムズムズうずきはじめる。
(なにこの感覚?)
痒みに腰をもじつかせる智恵。
(さっきの大和芋のせいだわ!)
バッグから先端をのぞかせている大和芋を見つめる。
(かきむしりたい! でも……ああだめ……がまんできない! どうしよう!)
惑乱した智恵はさっきの男の手を後ろからつかんだ。
「さっきのおわびです」
ささやかれて男の背が驚いたようにビクリとする。
智恵は自分の股間に男の手をみちびいた。
(くうう……いやされるー!)
智恵は男のTシャツに胸を押し当てて満足した。
駅のベンチに放心状態の智恵と男がならんで座っている。
「この芋のせいで……申し訳ない」
男はうつむいた。
「やだもうこんな時間!」
ホームの時計は9時をさしていた。
「会議に間に合わない!」
我に返り飛び上がる智恵。
「おいあんた!」
引き止めようとして手を伸ばす男。
空を切った手の先に智恵はいなかった。
「あれ?」
きょろきょろと見回す。
「残念! ホテルにでも誘おうとおもったのに……」
そのようすを駅の自販機の陰から見ていたサングラスの女。
「田中いまの見たか?」
「なんですか高橋さん?」
田中とよばれた女は自販機でコーヒーを買っていた。
「いや……なんでもない。寝ぼけていたようだ」
高橋は今の光景を忘れようと頭を振った。
科談出版社の看板が掲げられた社屋ビル。
智恵がロビーに飛び込んでくる。
「おはようございます」
受付嬢の背後の壁に貼られたポスター『月刊ホーキング』
「おはよ……! え? あれ?」
受付け嬢の頭上の時計は8時を指している。
智恵は9時過ぎの自分の腕時計と見比べて戸惑っている。
「まだ8時……おっかしいなー?」
首をひねりながらエレベーターにむかう。




