如何に英雄は反逆したか
時計の針は、第二次魔国戦争勝利から半年を指していた。しかし、私にとって、その半年は戦場での五年間よりもはるかに過酷な地獄だった。戦場で兵士は敵という明確な標的を前に死んでいく。だが、今は違う。政府と議会、そして軍部。三つの勢力が己の正義を掲げて頑として譲らず、政治の主導権を巡って争い、この偉大な帝国の統制は失われつつあった。
この国の議会は、もはや正常な議論の場ではなかった。
設立されて日が浅いこの機関は政治文化が成熟する間もなく、議場はポピュリスト共の鳴き声がこだまする猿山となり下がった。議員たちは、血を流し、愛する者を失った愛国者の怒りをーやり場のない、けれども確かに存在するその感情を己の再選の為煽り続けた。
「なぜ、流した血が報われないのか!」「連合国の不当な要求をなぜ呑む!」「愛国者の血でもって獲得した土地をハイエナどもに渡すな!」という虚無の叫びが議場に響き渡るたびに、喝采が起こる。議会では連合国との戦争を恐れている者などおらず、逆に声高に排斥を叫ぶ。
最も厄介なのは、それが軍事的に達成可能という点だ。帝国の国力、軍事力は西方大陸内において他の追随を許さず、魔国が大幅に弱体化した今になってはその強大化した軍事力はその投射先を失っていた。
だが、彼らが可決する法案は強力な拒否権を持つ皇帝と内閣の前では無力な紙切れにすぎない。彼らは国民の怒りを扇動するだけで、何一つ責任を負おうとしない。その無力さが、臣民の怒りをさらに増幅させるという悪循環に陥っている。
彼らはある意味で正しい、こうでもしなければ臣民は耐えられない。いつデモや革命騒ぎ、テロルが起きるかわからない情勢だった。無意味でも、逆効果だったとしても彼らはやるしかなかった。
一方、内閣は宰相令、大臣令という強力な権力を持つにもかかわらず、その統制は完全に失われていた。
宰相は法令に定められた通り、内閣の首班として対立する各大臣たちをまとめ上げようと健気にも動き回ったが、悲しいかなもうすでに行政の統制は宰相の手から脱していた。
閣僚たちは互いにいがみ合い、政治の主導権を巡って醜い争いを繰り広げている。彼らは、臣民の怒りや参謀本部の訴えを無視し、自分たちの権力闘争に明け暮れていた。
内閣内の意思統一も無しえないこの状況で連合国や魔国との戦後交渉や利害調整がうまく運ぶはずがなく、戦後すぐ開催されたはずの講和会議は各国の代表団が今戦役での自国の貢献を声高に主張する自慢大会と化しており、今だ具体的なことは何一つとして決まっていない。
そして、軍の事実上のトップたる参謀本部。彼らはこの国で最も優秀な頭脳の集まり。人間の本性は理性と合理性だと信じてやまない彼らは、いまだ健在な魔国の脅威を語る。
曰く、「これ以上の犠牲は無意味だ。弱体化したと言え、真の敵は魔国なのだから、連合国との戦争など論外だ」、「領土などあっても守るべき正面が増えるだけ。占領地なんぞ連合国に渡して魔国との肉壁にしてしまえばよいではないか」と。
彼らの計算が正しいことは、誰よりも私がよく知っている。だが、彼らは、戦争とは臣民の感情という最も非合理的な力で駆動するという事実を見落としている。彼らは自己の中の合理性に閉じ込められてしまったのだ。
世界は正しさでは動かない。
私は、もはや誰のの言葉にも従わない。彼らは、それぞれの正義に囚われ、この国の崩壊を早めているだけだ。
私は知っている。この国はもはや限界だ。延命治療しか道は残されていない。
私は知っている。それは根本治療にはならない。もはやそういったときは過ぎ去った。
私は知っていた。延命治療の先にあっるのは儚い生と、すぐそこまで迫った死のみだと。
そして私は決めた。例えそうだとしても、私は愛する祖国の為、この偉大な帝国の火を絶やさぬ為、私は行動すると。
偉大な勝利者たる皇帝陛下万歳!帝国よ!世界に冠たる我らの故郷!願わくばこの世のすべての上にあれ!
偉大でなければ帝国ではない。勝利者でなくては帝国は成り立たない。