3:区別
ある大学の講義中、一年生のA男は、講堂の端にひとりで席に座り、熱心にメモをとっていた
特に単位が危ういわけでも、かといって勉強好きなわけでもない
まだ来ていない友人に、講義内容のノートのコピーをさせて、小遣いを稼ぐためである
その友人、B太が遅れて講堂に入り、蒼い顔でA男の隣に座った
いつも眼鏡をかけているB太が、今日はサングラスをかけている
「おや、今日はサボりかと思ったのに。途中からくるなんて、どうにもお前らしくないな…それに加え、その蒼い顔。なにかあったみたいだな」
A男が話し掛けても、B太は下を見たままだった
「病院に…行っていたんだ」
「そんなことだろうとは思ったよ。なんだ、具合が悪ければ、帰ればよかっただろう」
下をみたまま、つぶやくように話すB太を見て、A男はメモをとるのをやめ、そう言った
「いや、身体はたぶん大丈夫なんだ。いたって健康だ…」
そう話すB太の顔は、依然として蒼いままだ
「だが、病院に行ったのなら、何かあるのだろう?」
B太はやっとA男のほうを向いた。正面から見ると、ますます蒼い顔だ
「俺、区別がつかないんだ」
B太はずいぶん時間をかけて、ようやくその言葉をひねりだした
「ちょっと、詳しく話してくれ」
A男は興味を持って身を乗り出した
「だから、だんだん区別がつかなくなってきたんだ…一週間ほど前からかな、最初は、塩と胡椒の区別がつかなくなったんだ」
「それがどうしたんだい?」
「次の日はスプーンとフォークの区別が、その次は眼鏡とサングラスの区別がつかなくなった」
A男は訳がわからなくなった。たちの悪い冗談だろうか
「区別って、つかなくなるとどうなるんだい?」
「そのままの意味さ。どっちも同じに見えるのだ。塩と胡椒を別に置いていたのに、どちらも塩になっていた。味さえも区別がつかない」
「なるほど、本当のようだな、だが…」
A男は、少し気になることがあった。
「段々と、症状がひどくなっていないか?」
B太もその点には気づいていたようで、狼狽する
「A男、君もそう思うかい?僕も同じことが心配で、今日病院に行ったんだ。だが、誰がそんなことを信じるというのだ…」
B太の言う通り、症状は日を増すごとにひどくなっていった
「やあB太、調子はどうだい」
「ああ、今朝は掛け布団と敷布団を間違えていたらしい」
「B太、まだ治らないのか?」
「Why?」
「まさか、日本語と英語の区別がつかなくなったのだろうか」
一ヶ月も経つと、B太は学校に来なくなった。噂によると、男と女の区別がつかなくなって、男性と結婚したらしい
何度も病院へ行くことをすすめたが、B太はA男さえも区別がつかなく、とりあってもらえなかった
「おいA男、B太が交通事故で死んでしまったらしい。目撃者の話だと、車とイヌを間違えたとか」
「Why?」
「なんてこった、やはりこの症状は、病気によるものだったのか……」