魔王、誘拐される
見上げれば、空を覆い尽くすほどの数の悪魔。
ギルドは、眉をひそめた。
「何故、コイツらは人間界に侵入することができたのやら…」
前世でギルドは人間界から悪魔を駆逐し、全て魔界に送り返した。決して人間界に戻ってこれぬよう、彼らの身体に<契約>を刻み込んだはずだが。
どうやら、その<契約>を強制的に<解除>した人間がいるらしい。
大勢の人間をわざわざ危険に晒す真似をするなど、正気の沙汰とはとても思えない。魔法学院の上空に悪魔が停滞しているのも踏まえると、狙いは魔法学院にあるようだ。
ギルドは、学院の敷地内を歩きながら、考えを巡らす。今すぐに悪魔を駆逐してもよいが、その場合首謀者はそれを確認して、撤退してしまう可能性がある。それでは根本の解決にならない。
ギルドは<障壁>を展開し、学院中を覆うドーム型の魔法障壁をつくった。見えないように<秘匿>の魔法もついでにかける。
これで悪魔から生徒たちが攻撃される心配はない。
さて、首謀者を探しに行かねばーーー
「おおっと、坊や。悪く思うなよ」
背後から忍び寄った人影が、ギルドの口を押さえた。息苦しい。ギルドの口は布で塞がれ、何だかそのうち強烈な眠気が襲ってくる。布に睡眠作用のある薬でも染み込ませてあるのだろう。
ギルドは誘われるまま、眠りの世界に落ちた。
「おい、見ろよ。上玉を連れてきたぜ」
ドサっと、男が乱暴にギルドの身体を地面に放した。ギルドは規則正しい寝息をさせている。ここは学院の倉庫らしい。薄暗い倉庫内にはランプの光のみで、全体はよく伺えない。ぼんやりと他のごろつきの姿が見える程度だ。
ごろつきの1人が驚く。
「コイツ、ジアディスト公爵家の跡継ぎだろ。リストに載ってた中でも最上位のお貴族様だぞ」
「きゃはは、でかしたぞ。いくらでも金をむせびとり放題じゃねぇか!」
「おまけに、随分いい面してやがる。売り飛ばしたら、いくらつくか!」
粗相な見た目の男たちは、金に目をくらませ、盛り上がった。意地汚い欲がよく顔に表れている。
「しかし、よくこんなの見つけたな?」
「コイツだけ無防備に学院の外をほっつき歩いてたんだよ。何考えてたのやら、くく。馬鹿だなあ」
ギルドを攫ってきた男は、我慢できないといったように笑った。ギルドの頭を掴んで、倉庫の奥に放り投げた。おおぅい、と声が上がる。
「大事な商品を傷付けるなよ〜」
「おい、お前。逃げられないように縛っとけ」
仲間に指示された通り、その男はギルドに猿轡を噛ませ、手足をきつく紐で縛った。ギルドはすやすやと眠ったままだ。
「よぅし!他の商品も探してくるわ」
「しっかし、コイツみたいに歩き回ってる生徒いるかぁ?他の奴らは、大体教師の目を避けらんねぇ」
現在、生徒たちは校長の指示のもと、学院の中央に位置する演武場にて待機している。彼らにはもちろん多くの教師が付き添っていた。
「アイツらに攻撃してもらえばいいだろ。悪魔にやられたら、学院の奴らは一発でしまいだ!どさくさに紛れてそこでいただくんだよ!」
「だけど、さっきから悪魔の魔法が効いてねぇぞ?妙だな。まるで、見えない壁でもあるみてぇな…」
「気のせいだろ。悪魔の気分じゃねえのか」
そのとき、きぃぃ…と軋んだ音がして、倉庫の入り口が開いた。少し光が差し込む。
入ってきたのは、小柄な少年だ。フードを深く被り、顔は見えない。否、顔があるのかもわからなかった。
「皆さん〜、ちゃんとお仕事してますか〜?商品の回収に来ましたよ〜」
少年の声に、男たちはぴりつく。彼らにぶわぁと寒気が走った。あはは、と取り繕うように、ギルドを攫った男が前にずいっと出た。
「ちぃと、商品の集まり具合は悪いんですがね。上玉が捕まりまして!」
「へえ」
「見てくださいよ、コイツで……あ?」
ギルドの身体を奥から引っ張り出してきた男は、呆然とした。そこにいるのは、黒髪の美丈夫などではない。
そこにいるのは、黒髪でギルドに後ろ姿がそっくりな男。
ただし、顔のない人形だった。
「あ…あ…んな、どうやって…?」
「上玉…なんだっけ?この人形が?」
「ち、違うんです!ついさっきまでほんとに!」
男は必死に少年に弁明した。その慌てようといったら、とんでもない。
少年は、ははは!と笑い声を上げた。
「…嘘はよくないよねぇ?」
次の瞬間、男の断末魔がそこに響き渡った。
ギルドの姿は、学院の塔の上にあった。
首謀者は、ここにはいない。
ギルドがいくら<感知>しても、生徒と教師、先ほどのごろつきたち以外の人間の姿は、学院内には見受けられなかった。
おまけに、会話から察するに、あのごろつきたちが悪魔を人間界に呼んだ訳ではないらしい。自分たちが悪魔を操ってるにしては、どうにも他人任せな言葉が多かった。
悪魔を呼んだのは別の人間。
あのごろつきたちは、この騒動の犯人に仕立て上げられるために呼ばれた使い捨ての駒といったところか。
悪魔に魔法学院を襲撃させ、その間に身代金をふんだくれそうな貴族の生徒を誘拐しよう、とでも持ちかけられた。ごろつきたちは、まんまとその甘い罠にハマってしまった。
ギルドは、首謀者が悪魔を呼んだ理由に加えて、あのごろつきたちが魔法学院の生徒たちのリストを持っていたらしい様子が気にかかった。
そんな重要な個人情報が何故出回っているのか…
ギルドの姿に気付いた悪魔の中には咆哮し、手足をばたつかせる個体もちらほらいた。1000年よりも前から生きている悪魔だろう。
ギルドは飛び交う悪魔たちに、語りかける。
「お前たち。俺と約1000年前に交わした盟約をもう忘れたか。二度と人間界に現れぬと」
ギルドは、瞼を下ろした。
次に瞼のカーテンを開いたとき、そこに広がっていたのは無限の夜空のキャンパスだった。
幾千の星を秘め、爛々と輝いている。
少々、魔法の対象を設定するのに手間取ると思ったので、この夜空の瞳を使わせてもらう。
「<破滅>」
その瞬間、跡形もなく悪魔の身体が腐り落ちた。灰となって、50体近くあった悪魔がみるみる消えていく。
<破滅>は、ギルドが前世で特別に対悪魔用に創り出した魔法。悪魔は魔法を吸収するため、魔法の攻撃が効かない。そのため、悪魔の身体を構成する魔法粒子の融着を強制的に切り離す必要があった。
ただし、<破滅>は悪魔を滅ぼすのではない。本来彼らがあるべき魔界に送り返す魔法だ。種族が違うからといって殺していいというわけにはいかない。ギルドが勝手に争いの種をまいてしまうわけにはいかないのだ。
学院の建物内からどよめきが起こる。
悪魔が完全に消え去ったことに、生徒や教師たちが気付いたのだろう。
ギルドも誰にも姿が見られず、ひっそりと魔法を行使できたことに満足していた。
安堵して振り返りーーー、
「やあ、すごいね。びっくりしたよ、全部君の魔法?」
ギルドは絶句した。
そこには、金髪碧眼の皇太子、ルイス=ワーグナーが立っていた。
まずい、見られた。