結婚当日に夫が浮気したから、ヤケで愛人募集したら王弟殿下が志願してきた件。
今日は、私の結婚披露パーティーだったはず。
だというのに、目の前で夫シオドアは、私ではない女性と熱い口づけを交わしている。
それはパーティーが始まって二時間が経った頃。
ポーレット公爵令息とロイル侯爵令嬢の結婚ということで、国内でも有数の貴族たちが招待されていた。
その関係者らにあらかた挨拶をすませて一息ついたとき、シオドアの姿が見えないことに気がついた。
お手洗いだろうかと思ってしばし待ったが、それでも彼は広間に戻ってこない。
双方の親も歓談に耽っており、シオドアが不在だということをわかっていないようだ。
もしかして、夜風に当たるために外に出たのか。
そういえば、挨拶で顔を合わせた人、合わせた人からお酒をすすめられてかなりの量を飲んでいた。
だから心配になって彼を探しにきた結果、テラスの先にある庭園で、夫が見知らぬ女性と二人で抱き合い、熱く絡み合っている姿を目撃してしまったというわけだ。
「シオドア?」
月明かりが照らす男女は何かと艶めかしい。
それでも愛を誓い合った夫を見間違えるはずもない。なめらかな金色の髪、切れ長の青い目に整った鼻梁。私の瞳に合わせた琥珀色のタキシードは、人がたくさん集まった中でもひときわ目立っていた。
呼びかけた声に反応した彼は、相手の女性と唇を離したものの、その手はしっかりと彼女の腰を抱き寄せている。
「あぁ、イレーヌか。どうかしたのかい?」
どうもこうもない。私たちは数時間前に永遠の愛を誓い合った仲だと思っていた。そして今まさに、集まった人たちに私たちの喜びをお披露目する場。
「そちらの女性はどなた?」
感情を押し殺し、私はゆっくりと尋ねた。胸の奥で何かが軋むような痛みが走る。
「あぁ、イレーヌ。紹介しよう。こちらの女性はリンダ。僕の愛人だ」
愛人。つまり愛する人と解釈して間違っていないだろうか。頭が混乱し、目の前の光景が現実なのかと疑ってしまう。
「そう……。でも今日、あなたは私と結婚をしたのよね?」
声が震えそうになるのを必死に堪えた。
「そうだね。僕は君と夫婦になった。君は僕の妻。だからリンダは僕の愛人だ」
私の感覚がおかしいのだろうか。結婚したその日のうちに、妻に愛人を紹介する夫がどこにいるというのか。
まぁ、ここにいるが。
「奥様。シオドア様を叱らないでください」
まるで自分は悲劇のヒロインとでも言いたげに、胸の前で手を組んでリンダが訴える。
なるほど。彼がリンダを愛人に選んだ理由がよくわかった。見た目が私と正反対なのだ。
焦げ茶の髪はゆるやかにウェーブがかかっており、くりっとした碧眼が愛らしい。ぷっくらとした唇にふわふわとした頬は、つんつんとつついてみたくなる。
「リンダさん。でしたっけ?」
腕を組んだ私がリンダの名を口にしただけで、彼女は雨に打たれた子犬のように身体を震わせた。きっと、こういうところが彼の庇護欲を刺激したのだろう。
「は、はい……」
大きな瞳に涙をためている。
私は怒ってなどいない。ただ彼女の名を呼び、事実確認をしたいと思っただけなのに、なぜ私がこんな目に合わなければならないのか。やり場のない苛立ちが渦巻く。
「私は怒っておりません。もともとこういう顔つきなの」
「そうなんだよ、リンダ。イレーヌはきつい顔つきをしていてね。その容姿だって魔女のようだ」
シオドアは何かあるたびに私の容姿を魔女のようだと揶揄する。漆黒の髪に琥珀色の目。絵本に出てくる魔女の姿そのものだと。
「だから僕も萎えて仕方ない」
コホンと私は空咳をした。いったいナニが萎えるというのか。それは確認してはならない。しかし、屈辱と虚しさに襲われた。
「それで旦那様。これはどういう状況なのでしょうか。私と結婚したその日のうちに、愛人と愛を深めていた。そういうことで合っておりますか?」
「さすがイレーヌは賢いね。学年首席だっただけのことはある。さっきも言ったように、君の顔は僕の好みではなくてね。萎えるんだよ。だから、リンダとの間に子どもができたら、その子をポーレット公爵家の跡取りにしようと思っているんだ」
つまりこの夫は、初夜の儀すら放棄するというわけだ。それならそれでかまわない。
永遠の愛を誓い合ったといっても、私たちの関係は表面上のものだけ。お互い、好き合って結婚したわけではないのだから。
それでも心のどこかで、夫婦として尊重し合える関係を築けるのではないかと期待していた自分が、愚かに思えた。
「なるほど。でしたら、最初から私と結婚せずに、リンダさんと結婚されればよかったのではありませんか?」
愛する女性がいるのなら、その人と結婚したほうが幸せになるだろう。
「まったく。いったい君は何を言っているんだい? この結婚はポーレット公爵家とロイル侯爵家の結びつきのために必要なもの。ロイル侯爵家はポーレット公爵家の後ろ盾が必要ではないのかな?」
彼が言うように、二人の結婚はポーレット公爵が、私の父、ロイル侯爵を財務大臣に推薦するために突きつけた条件なのだ。同い年の二人を結婚させてはどうだろうか、と。
だけど私は知っている。ポーレット公爵が狙っているのは、ロイル侯爵家の資産。歴史あるポーレット公爵家だが、ここ数年は事業の失敗が続いており、資金繰りに苦戦していると風の噂で聞いた。
そこでポーレット公爵家はロイル侯爵に狙いを定めた。昔からロイル侯爵は実直かつ堅実で安定して事業を続けているからだ。そのため、領民からの信頼も厚いし、国王の覚えもめでたい。
しかしロイル侯爵は自ら積極的に財務大臣の地位を望んだわけではない。ただ次期財務大臣候補としてベルタ侯爵の名を聞き、絶対に彼をその地位につけてはならないと思ったのがきっかけなのだ。他に対抗馬がおらず、ロイル侯爵が同志の後押しもあって名乗りをあげただけ。そこにポーレット公爵の後押しがあれば心強い。
「そのようですね。その話は、私が関係するものではございませんが」
父の立場を守るために犠牲になった自分の運命を呪いたくなった。
「だけどね。君には僕の妻でいてもらわなければ困るんだよ」
ポーレット公爵以外の後ろ盾が見つかれば、すぐにでも離婚してやるというのに。
「僕は君を抱くことはできないが、やはり後継は必要だろう?」
抱くことはできないというのは、やはり先ほどの萎える発言とつながっているに違いない。だが、それに関しては深追いしないほうがいいと判断した。
「だから、リンダさんの子を跡継ぎにしたいと?」
「僕の血を引く子だからね。そしてその子の教育は、君に頼みたい」
「なんだって都合のいい話ですね」
なぜ私が夫と愛人の子を教育せねばならないのか。ふつふつと怒りが込み上げてくる。だがそこにわずかな悲しみも混じっていた。
それを悟られぬよう、私は言葉を続ける。
「リンダさんだって、我が子と引き離されたらかわいそうではありませんか?」
「それには心配およばないよ。彼女は僕の愛人だから、屋敷の離れに住まわせる」
結婚した日に愛人を紹介しただけでなく、同じ敷地内に住まわせるからそれを認めろとまで言ってきた。
「それって、私に利点はありますか? あなたの妻としての責務を押しつけられ、さらに次期公爵の子の教育までやらされ。その間、リンダさんは何をされるのでしょう? 愛人ですから、旦那様に抱かれるのが仕事でしょうか? 片方はあんあん喘いでいるのに、こちらだけ重責を負うのは不公平ではありませんか?」
声に出してしまった瞬間、本音が溢れ出たことに驚いた。こんな屈辱を耐える必要があるのかと、心が叫んでいる。
シオドアは「なるほど」と呟く。
「だったら君も愛人を作るといい。その重責に堪えられなくなったら、愛人に慰めてもらえばいいよ? そうすれば僕たちは公平だろう?」
自分が愛人とよろしくしたいから、私にも愛人を作れと言ってきた。
だが、逆にこれを好機だと捉えるべきだろう。ポーレット公爵家以外の後ろ盾を見極める絶好の機会。
「では、旦那様。私は先に会場に戻りますね。これだけ人が集まっているんですもの。愛人を探すには絶好のチャンスでしょう?」
「そうだね、僕はもう少しリンダと過ごしてから戻るよ。僕のことを聞かれたら適当に誤魔化しておいてくれ」
「はい」
私はにっこりと微笑んで答えた。この状況、笑うしかない。だが気を抜けば涙がこぼれそうだった。だから笑うのだ。
広間に戻るため、くるりと向きを変えると、目の前に人の姿が見えて慌てたが、すぐに平静を装う。
「ごきげんよう」
私の声で、シオドアもリンダも第三者の存在に気がついたようだ。
「ごきげんよう、イレーヌ」
「あら?」
その声には聞き覚えがあった。いや、忘れたくても忘れられない声。
「なかなか面白い話をしていたようだね。失礼だと思いながらも、つい、聞き入ってしまった」
「アーヴィン……失礼しました。王弟殿下」
目の前の人物は国王の年の離れた弟、アーヴィンだ。そして学園時代の私のライバルでもあった人物。
「結婚おめでとう、シオドア」
アーヴィンはシオドアに向かって、艶めかしく微笑んだ。王族特有の青銀の髪が、月光を反射させる。
「あ、ありがとうございます。王弟殿下……」
シオドアの動揺が伝わってきた。私、アーヴィン、シオドアは、同じ教室で勉学に励んだ仲だ。といってもアーヴィンとシオドアは本当にそれだけの関係。
「君の妻は、ここにいるイレーヌだと思っていたが?」
アーヴィンの力強い紫眼がシオドアを射貫く。
「ええ、そうです」
「だが、今は違う女性と一緒にいるね。つまり君は、結婚早々、愛人と逢い引きをしていたと。だからイレーヌにも愛人をすすめたということで、合っているかな?」
どこから彼に聞かれたのだろう。こんなみじめな姿をアーヴィンには見られたくなかった。
恥ずかしさで胸が締め付けられる。それでもなぜか、彼の眼差しに心がざわめいた。
「そうですね。僕とイレーヌは愛し合って結婚したわけではありませんから。家のために結婚しただけです。お互い愛する人がいるなら、その愛を邪魔しないようにと、そう話し合っていたところです」
「なるほど」
アーヴィンはにこりともせず、頷いた。だがすぐに相好を崩して、私と向き合う。
「ところで、イレーヌの愛する人は誰かな?」
そんなことを聞いてきた。私は鉄仮面のような表情で答える。
「そうですね。本来であれば、シオドアと答えたいところですが……」
チラリとシオドアに視線を向けるが、彼はまだリンダと密着している。やはり私はお邪魔なようだ。そろそろ会場に戻ろう。シオドアに何かを期待するだけ無駄なのだ。
「今のところ、愛する人……愛人は募集中です。せっかく人が多く集まっておりますので、そちらで探そうかと」
自分の結婚披露パーティーで愛人を探す。おかしくも虚しい。
「……だったら、俺なんかどうだ?」
「何が?」
思わず私はそう聞いていた。まるで学園時代のノリだった。アーヴィンとシオドアは同じ教室で勉学に励んだ仲だが、私とアーヴィンの関係は少し違う。
アーヴィンはテストのたびに私に負けるのが悔しくて、何かとまとわりついていた。教養を高めるためだと、美術館に共に足を向けたこともある。つまり、切磋琢磨した仲なのだ。だからよきライバルだと思っていたのだが。
「だから、愛人。募集中なのだろう?」
アーヴィンが私の耳元でささやいたその言葉は、シオドアたちの耳にも届いていたようだ。リンダの「王弟殿下が?」とぼそりと呟く声が聞こえた。
「王弟という立場はわりと自由だからな。だが、これでも一応王族だ。地位はある。金もある。どうだ? 今ならお買い得だと思わないか?」
その言い方に、私はくすっと笑みをこぼす。
「それに、知っているか? この国では、王族にかぎって略奪婚が認められている」
ただしそれは『本当に愛する者と出会ったときに限る』とされており、相思相愛が絶対条件だ。ただの横恋慕では認められない。
数百年前、この国の王子が運命の女性と出会うのが遅く、彼女がすでに結婚していたことが発端だ。王子はその事実に嘆き悲しみ、自ら死を選んだ。女性のほうは、婚家で冷遇されており酷い生活を送っていた。それでも離婚できずにいたのは、やはり彼らの家の関係によるもの。相手の女性も王子の好意には気づいており、いつかはこの酷い生活から救い出してくれるのではないかと期待していた矢先のできごとだったらしい。
さすがに王子は、結婚している女性を奪うことに躊躇いがあったようだ。彼女が正式に離婚してくれたら、想いを伝えようと思っていたのだろう。
とにかく、そんな話もあって、王族は本当に心から愛する女性が既婚者で、かつ相思相愛だった場合、特例として略奪が認められている。
数百年前の話だというのに、まるで今の私みたい。シオドアとは結婚したくなかったが、家の関係でせざるを得なかった。父親は断ってもいいとは言ってくれたが、ロイル侯爵家のほうが格下だ。断れば、父の置かれる立場にも影響するのは目に見えていた。
それにシオドアは同じ学園で学んだ仲。共に暮らせば愛情も芽生えるかも知れないと、そんな淡い期待もあって、この結婚を受け入れたというのに、その結婚式当日に「愛人を作れ」と言われるとは思ってもいなかった。
私は小さく息を吐いて、アーヴィンを見上げた。彼の紫眼が、どこか不安げに揺れていた。
「えぇ、知っています。ただし、お互いに想い合っている場合に限る、ともありますね」
「さすがイレーヌだな。だから君の愛人に志願したい。俺なんかどうだ? さっきも言ったように、かなりお得だと思うが?」
シオドアが身体を強張らせたのが伝わってきた。その様子をリンダが不安げに見つめる。
私も動揺のあまりコクリと喉を鳴らした。
「素敵なお話ですね」
「では、俺の提案を受けてくれると。そういうことでいいのかな?」
その言葉に頷いた私は、アーヴィンが差し出した手に、そっと自分の手を重ねた。
【おわり】
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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※続きや長編化のご希望ありがとうございます。
短編を書いていたときは、漠然とした裏設定しか考えておらず、長編化云々は予定になかったのですが。
ご希望があればそれなりに対応したいと思っています。
ただ、今すぐの着手は難しく、少しお時間をいただくかもしれませんが「それでもいいよ!」というのであれば、お待ちいただけますと幸いです。