第9話 《カウントダウンの街で》
《残り時間:01:57:12》
空はすでに夕闇へと沈みかけていた。
街の掲示板には、任務転送までのカウントが刻まれ続けている。
ユウは剣の柄を軽く握り、感触を確かめていた。
黒川から受け取った回復アイテム。必要最低限の装備だ。
傍らには、セラと黒川の姿がある。
三人は互いに言葉少なながらも、転送前の最後の時間を共有していた。
「……こんな任務、本当に生き残れるのかな」
セラが不安げに呟く。夕闇に沈んだ横顔は、年相応の少女に見えた。
「生きるだけでいいなら、やることはシンプルだ」
ユウは静かに答える。
黒川が笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「でもまあ、実際は“誰よりも早く、誰よりも慎重に”が勝ちってとこだろ? おまけに、味方すら信用できないかもしれない世界で」
セラはうつむいたまま、そっと言った。
「……でも私は、ふたりのこと、信じてるから」
ユウも黒川も、それには何も返さなかった。
けれど、誰もその言葉を否定しなかった。
遠くの広場では、他の囚人たちが小さなグループを作っている。
中にはすでに武器を振り回して喧嘩を始めている者もいた。
(同じ任務に参加する“仲間”が、いつ牙をむくかもわからない)
信じられるのは──目の前の、このふたりだけだ。
やがて、端末に表示された残り時間が、刻一刻と迫っていく。
《残り時間:00:00:29》
《00:00:12》
《00:00:05》
誰かが息を呑む気配。
周囲の音が、妙に遠ざかっていく。
そして。
──転送中──
視界が白く塗りつぶされ、重力が消えた。
重力が反転するような浮遊感のあと、地面に叩きつけられるような衝撃が背中を走った。
ユウは膝をつき、反射的に剣の柄に手を添える。
視界が戻ると同時に、まわりの景色が目に飛び込んでくる。
瓦礫の山、崩れた建物、空っぽの道路。
ここがかつて街だったことを、かすかに残る看板や信号機が教えてくれた。
「……本当に、崩壊した都市だ」
セラが周囲を見回しながら、静かに言った。
「複雑な地形だな。地上は見通しが悪いし、地下もある」
黒川が言いながら、手にした支援端末を操作する。
ユウも端末を確認する。
《生存時間:00時間01分》
《ログアップロード:未完了》
《地形座標:第3ブロック・西端》
《参加人数:1328名》
「まずは、安全な場所を探す。物資と情報を集めながらな」
ユウの提案に、黒川がうなずく。
「地下は敵と遭遇しにくそうだけど、視界が狭い。地上の方が動きやすいが……その分、目立つ」
「どこを選んでも、リスクはあるってことだな」
ユウはポーチの中身を確認し、剣の位置を整えた。
セラも表情を引き締め、小さく息を吐く。
──そのとき。
近くの建物の向こうから、なにかが崩れるような音が響いた。
続いて、足音。ゆっくり、だが確実にこちらに近づいてくる。
「……来るぞ」
ユウが短く言い、三人はすぐ近くの倒れた看板の陰に身を潜めた。
やがて、建物の影から、ゆっくりと誰かが歩いてきた。
現れたのは、人の形をしている“何か”だった。
ボロボロの服をまとい、顔は下を向いたまま動かない。
だが、その歩みは一定で、こちらに向かってまっすぐ進んでくる。
「……あれ、生きてるの?」
セラが思わず声をひそめる。
光の届かない顔の奥に、目らしきものがかすかに見えた。だが、そこに感情のようなものはなかった。
(あれは……人間か?)
静かな気配の中に、どこか引っかかるような違和感。
動きは鈍いのに、まるで何かを“確実に探している”ような──
不気味な執着が感じられた。
「どうする?」黒川が問う。
ユウは答えず、剣を抜いた。
その動きが、すべてを物語っていた。
ユウは静かに一歩、前へ出た。
剣を握る手に力を込めながら、敵との距離を見定める。
十五メートル──
その“人のような何か”は、まっすぐこちらに向かって歩いてきた。
動きはぎこちない。
だが、その歩みには妙な執着が感じられる。
まるで、確実に“何か”を認識しているかのように。
「……識別してるのか?」
ユウが低く呟いた直後、敵が突如、叫びのような声を上げて全力で駆け出してきた。
遅いはずの動きが、一気に加速する。
「来るぞ!」
ユウは反射的に踏み込み、迎撃の体勢を取る。
剣を握った右腕をひねり、低く構えた体勢から──
「はっ!」
一閃。
斬撃は敵の肩に深々と食い込むが、骨を断ち切るには至らない。
硬い。明らかに人間のそれではない。
(皮膚か筋肉か……何かがおかしい)
ユウは一歩下がり、敵の腕を避けるように横へ回り込む。
その動きと同時に、影を蹴った。
「シャドーステップ──」
一瞬で敵の背後へ移動。敵が振り返ろうとした刹那、
ユウは剣を振り上げ──交差するように、鋭い斬撃を叩き込む。
「……クロススラッシュ!」
ギャリィッ!
X字の閃光が敵の胴体を裂く。
そのままの勢いで、敵の体が大きくのけぞり、ぐらりと崩れ落ちる。
「……倒したの?」
セラの声がかすかに震えていた。
ユウは構えたまま、じっと敵の様子を見ていた。
「いや……まだ動いてる」
黒川の声が鋭くなる。
倒れた敵の体が、ピクリとわずかに痙攣した。
その動きには、明確な“意思”のようなものすら感じられた。
「下がれ、ユウ」
黒川が一歩前に出る。
その掌を、倒れた敵に向けた。
「スキル発動──《グラビティ・ゼロ》」
空気が、わずかに揺れる。
次の瞬間──敵の身体が重さに引きずり潰されるように、地面へと強烈に押しつけられた。
乾いた音とともに、地面のコンクリートがめり込み、敵の動きが完全に止まる。
バキバキッ……ッ。
骨が砕ける音が、重力に沈んで消えていった。
「……これで終わりだ」
黒川はゆっくりと腕を下ろし、肩で息を整える。
ユウは一歩前に出て、敵の動きが完全に止まったのを確認し、ようやく剣を鞘に収めた。
「助かった」
「礼はあとでいい。あいつらが一体だけとは思えないしな」
セラも警戒を解かず、周囲を見回していた。
この都市には、まだ何かが潜んでいる──
そして、それは確実にプレイヤーたちを“試している”。
生き残るための戦いは、まだ始まったばかりだ。
敵を倒したあと、しばらく誰も言葉を発さなかった。
風が吹き抜ける音だけが、壊れた街に鳴り響いている。
「……とりあえず、一体目ってことでいいのかな」
セラが口を開く。緊張の残る声だったが、目は前を向いていた。
「何体いようが、やることは変わらない」
ユウは端末を取り出し、マップを確認する。
動かなければ、何も始まらない。
「こっちの道、地下へ続いてる入り口があるかもな」
黒川が周囲の構造を見ながらつぶやいた。
三人は建物の合間を縫うようにして移動を始めた。
ひび割れたアスファルト、落ちた看板、誰もいない交差点。
都市の“死”を歩くような感覚だった。
やがて、がれきの隙間に転がる金属製の箱をユウが見つけた。
片面には、システムロゴのようなものが刻まれている。
「……支援物資か?」
黒川が手をかざすと、ロックが外れる軽い音がした。
中には、小型のカプセル状アイテムが数個。
光沢のある赤と白のカラーリング――ポーションとライフユニットだった。
「……これ、正式名称で言うと、回復用のポーションとライフユニット、だよね」
セラが口にすると、ユウが思わず目を細める。
「よく知ってるな。名前まで」
「うん。街で見たとき、ちょっと調べたの」
セラは少し照れたように笑いながら、箱の中身を取り出す。
「数は少ないけど、助かるね」
彼女は一つひとつを手に取り、自分のインベントリに素早くスワイプ操作で格納していく。
そのとき、ユウの支援端末に表示された数字が変わった。
《参加人数:1328 → 1309》
「……減ってるな」
ユウが静かに呟いた。
「任務が始まって、まだ一時間も経ってないはずだよね……?」
セラの声には、戸惑いが混じっている。
「どこかで、何かが起きてる。あるいは──」
黒川が淡々と言う。「“誰か”が、殺してる」
数字が変わった端末を見つめたまま、ユウは黙っていた。
1328人から1309人へ──19人。
自分たち以外の誰かが、どこかで確実に死んでいる。
だが、その詳細は表示されることはない。ただ、人数だけが減っていく。
「……姿が見えなくても、殺し合いは始まってるってことか」
黒川が低くつぶやく。
セラは少し顔を伏せ、かすかに口を開いた。
「ねぇ……この任務、誰かを殺さないと生き残れないって、そんなルールじゃないよね?」
「分からない。けど……」
ユウは静かに言う。「殺される側にならないために、動くしかない」
背後から、乾いた風が吹いた。
看板が軋む音。遠くで、何かが崩れるような音。
それだけで、嫌な予感が全身にまとわりつく。
この任務は、ただの“サバイバル”じゃない。
きっと、もっと別の“何か”が始まっている。