第6話 静止と覚醒
死のカードゲーム《デス・リミット》に勝利したユウ。
得たものは名声か、それとも──静かな敵意か。
変わり始める“周囲の目”と、“新たな選択”。
これはまだ、ほんの序章に過ぎない。
──電子音と共に、天井パネルから淡い光が差し込む。
「……朝か」
ユウは薄く目を開け、天井を見上げた。
昨夜、静かに閉じた扉の向こうにあった“居場所”──
ここが、ゲーム《REDEMPTION》の中にある、自分だけの拠点。
体を起こしながら、手元で空中をなぞる。
ホログラムのようなステータスウィンドウが静かに展開された。
《白神ユウ》
《レベル:3》
《所持クレジット:000》
《記録スキル数:3/有効スキル数:2》
《ステータス:正常》
《任務進行:なし》
(……レベル3?)
目を細めながら、ユウは静かに思う。
(昨日のジン戦と……あのカードゲームで勝ったからか?)
自覚はなかったが、勝利の積み重ねが確かに“成長”として刻まれていた。
昨日の勝利で得たクレジットは、全額“この部屋”に使った。
贅沢のためじゃない。生き残るために、“安全な居場所”が必要だった。
──ガチャリ。
ドアを開け、セーフティゾーンの街に足を踏み出す。
そこには、さまざまな“囚人たち”の姿があった。
怒号を上げながら金を賭ける者。
商人NPCの屋台に並ぶ者。
装備屋で肩当てやナイフを試す者。
「……俺も、揃えないとな」
ユウは静かに呟く。
この世界では、油断した瞬間に死ぬ。武器と防具は、生き残るための命綱だった。
そのとき、ユウの視界にログが走る。
──ピッ。
《任意任務発令:殲域境界のスキャン調査》
《難易度:C》
《推奨レベル:3以上》
《推奨人数:2名》
《報酬:転送台使用権限拡張・データログ報酬》
(殲域……あの“外”か)
情報だけは掴んでいた。
セーフティゾーンの外に広がる、絶えず死の匂いが漂う地帯。
ユウの指先が、ごくわずかに動いた。
──ピッ。
朝のログが、再び表示された。
《任務進行中:殲域境界スキャン調査》
《参加者:白神ユウ/柊セラ》
《調査地点:第七区画 外縁》
《任務条件:異常反応の記録・調査/制限時間:03:00:00》
セーフティゾーンの一角。
ログ掲示板の前で立ち止まる者たちが、ざわついていた。
「殲域に行くって……マジかよ」
「あの名前、白神ユウ……レイジを倒したって噂の」
注がれる視線は、興味と警戒と、ほんの少しの羨望。
だがユウは、それに目もくれなかった。
(調査任務……。けど、戻ってきた前例があるかは……)
ログには“危険”の二文字こそないが、誰の目にもそれは明らかだった。
──コツ、コツ。
黒川が片手を上げて近づいてくる。
「行くんだってな。“あの場所”へ」
「お前、知ってるのか」
「昨日のアナウンス……聞いてたよ。“殲域”って名前だけで嫌な感じがした」
「警告まで出てたしな。あんなエリア、踏み込む気にはなれないよ」
「……忠告か?」
「違う違う。応援だよ。だって君が帰ってきたら、面白くなるだろ?」
黒川は冗談めかした調子で笑い、背を向けた。
⸻
ユウは静かに、境界ゲートの前へと歩いていく。
そこには、すでにひとりの姿があった。
あの夜、ベンチに座っていた少女――柊セラ。
「……そーいえば、ゲームが始まった日の夜……」
ユウが視線を合わせる。
「ひとりで、ベンチに座ってたよな。……なんで、あそこにいたんだ?」
セラは何も答えなかった。
表情も変えず、ただ静かに視線を外した。
(……答えたくない、か)
ユウはそれ以上、問い詰めなかった。
「……まあ、いいか。よろしくな。俺たち、選ばれちまったみたいだ」
セラは一拍置いて、ゆっくりと頷いた。
無言のまま、ふたりは“殲域”の向こうを見つめた。
──ギィィィ……バン。
境界ゲートが、鈍く重い音を立てて開いた。
風が吹き抜けると同時に、システムログが空中に表示される。
《警告:現在位置はセーフティゾーン外です》
《自己責任による進入が確認されました》
《安全は一切保証されません》
ユウとセラは無言のまま、ゲートの先へ足を踏み出した。
足元のタイルはひび割れ、周囲にはかすかな腐臭のようなものが漂っている。
空はどんよりと濁り、遠くの景色は熱気のように歪んでいた。
沈黙が数分続いたあと、ユウが口を開いた。
「……柊セラ。で、合ってるか?」
セラは少しだけ歩を緩め、目だけをユウに向けた。
「……うん」
「昨日のログで、名前を見た。お前も……この任務に選ばれてたから」
セラは視線を前に戻しながら、小さく呟く。
「……あんた、怖くないの?」
ユウは歩きながら、ほんの一瞬だけ答えをためらった。
「怖いさ。でも――」
一度、呼吸を整えてから続ける。
「俺は、生きなおしたいだけだ。
それができるって言うなら、どこにでも行く」
セラはわずかに目を伏せた。
その顔に、初めて“感情の揺れ”が浮かんでいた。
「……信じてた人に、裏切られたことある?」
ユウはその言葉に、答えなかった。
ただ一歩、セラの前を歩くように出た。
「……いいよ、別に。無理に聞いてるわけじゃないから」
そう言いながらも、セラの声にはほんの少しの安堵が混じっていた。
⸻
道の両側には、崩れた柵や黒焦げの残骸。
地面には血痕のような赤黒い跡がこびりついている。
そして、壁の一角に奇妙な刻印が彫られていた。
《────:観測圏外──破損ログ──精神干渉────》
ノイズ混じりのログが断続的に浮かび上がっては、すぐに消える。
「……なにか、壊れてるな」
ユウが呟くと、セラもぼそりと返した。
「感じる。ここ、“普通じゃない”」
⸻
──カチ、カチ。
突如、静寂を裂くように、乾いた音が響いた。
金属を引きずるような音。だが、それは一定のリズムを刻んでいた。
セラがピタリと立ち止まる。
ユウもすぐに気配を察知し、周囲に視線を走らせた。
奥に、影が立っていた。
歪んだ背骨。白い長髪。
老婆のようなシルエット。
だがその顔は、完全に崩れていた。
皮膚が剥がれ、笑うように歪んだ口。
赤い眼だけが、異様にギラついている。
「……あれは、人じゃない」
ユウが、小さく呟いた。
「……来るぞ」
ユウが一歩前に出て、老婆に向き直る。
セラは一歩も動けず、その場に立ち尽くしていた。
老婆――歪んだ顔の怪物は、カチカチと異様な音を立てながら、ゆっくりと近づいてくる。
その動きは不気味なほどに滑らかで、まるで“操られている”かのようだった。
ユウは視界に浮かぶログを睨む。
《敵対存在確認》
《名称:――――》
《識別失敗/記録汚染》
《警告:未登録個体との接触》
(……ログもバグってる。まともに戦える相手じゃないかもしれない)
──バッ。
ユウは一気に距離を詰め、《クロススラッシュ》を叩き込んだ。
だが――
「……っ!?」
当たったはずの一撃が、まるで空を裂いたように“無反応”だった。
老婆は瞬間的に反転し、振り上げた腕が空間を引き裂くように唸る。
──ドガァ!
ユウは咄嗟に《シャドーステップ》で距離を取るも、左肩をかすめる一撃に吹き飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられ、肺の中の空気が一瞬で抜ける。
「……がっ、あ……!」
肩から全身に、鋭い電流のような痛みが走る。
骨の奥にまで熱が入り込み、神経が焼かれているようだった。
(……前から思ってた。
この“世界”、攻撃を受けたときの痛みが……妙にリアルすぎる)
(……これ、本当に“ゲーム”なのか……?)
画面のどこにもHP表示なんてない。
システムログも、“ダメージ”の文字ひとつ返してこない。
それでも、痛みは確かに“本物”だった。
──背後で、小さな気配。
セラだった。
震える両手を見つめたまま、動けずにいる。
ユウは血を吐きながら立ち上がり、振り返らずに叫んだ。
「逃げろ、セラ……っ! こいつは、ヤバい!」
だがセラは動かない。
その場に立ち尽くし、唇を噛み、声にならない声を押し殺していた。
ユウは《シャドーステップ》で老婆の横へ回り込み、再び斬撃を叩き込む。
だが反応は変わらない。
硬い。速い。再生する。まるで“何度でも蘇る死体”。
老婆の拳が唸り、ユウの腹部に突き刺さる。
鈍い音とともに、ユウの身体が折れ曲がった。
「ぐっ……!」
血が喉からあふれ、視界が滲む。
(だめだ……このままじゃ……)
そのときだった。
「……やらなきゃ、死んじゃう……」
セラの声だった。
小さく、震えて、それでも確かに届いた声。
その瞬間――
──チィン……!
空中に、リング状のホログラムが出現した。
円形の輪の中に、武器やスキル名の羅列が高速で回転する。
《選定開始》
《タイプ:武器/カテゴリ:打撃系》
《結果:大剣》
空間がねじれ、空気が裂ける。
そこに現れたのは、巨大な黒鉄の大剣だった。
無骨な刃。両手でも持ちきれない重量。
だがセラは、無言のままそれを掴み――前へと歩き出す。
ユウの背後に《シャドーステップ》で瞬間移動。
振り返るユウの目に、覚悟を宿したセラの顔が映った。
「今だ……!」
──ズバァァン!
一閃。
風圧を割くような斬撃が、老婆の上半身を真横から叩き潰す。
血しぶきも、悲鳴もなかった。
“それ”はただ音もなく崩れ、崩壊した。
土煙の中、セラは大剣を手放し、静かに息を吐いた。
「……なに、今の。……でも、倒せた」
自分でも理解できていない顔だった。
けれど――確かに彼女は、“一撃で終わらせた”。
ユウは、崩れた地面の上から微かに笑った。
「……助かったよ。ありがとう、セラ」
セラは、小さくうなずき、視線をそらした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウの初勝利、そして《解析》という新たなスキル。
少しずつ、この世界の構造やキャラたちの立ち位置が見えてくる流れに入っていきます。
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次回もよろしくお願いします!