第3話「死者たちの街で」
初の構造区画任務が終わり、転送先でようやく訪れた“休息”。
けれど、戦いの余韻は静かに残り続けています。
構造体が沈黙してから数十分、転送命令は来なかった。
それどころか、空中に浮かぶUIには新たな表示が現れていた。
《任務完了を確認》
《構造区画C:セーフティゾーン開放》
《休息フェイズへ移行します》
ユウの視界に、静かにログが浮かんだ。
《白神ユウ:レベル2に到達》
《現在経験値:45/次のレベルまで:100》
(……いつの間に?)
思い返す。構造体に向けて放った《クロススラッシュ》。
あの斬撃は通らなかった――と思っていた。だが。
(……あれ、装甲、少し焦げてた。
まさか……それだけで“一撃入った”って判定されたのか?)
広場の端に設置されたゲートが開き、その奥に廃都市のような空間が広がっていた。
ビルは崩れかけ、看板は無地。だが、いくつかの建物の中には灯りが点いていた。
「……ここが、セーフティゾーン?」
ユウは周囲の囚人たちと共に、緩やかに移動していた。
黒川宗介はその隣にいた。相変わらず穏やかで、戦闘時の面影は薄い。
「ちゃんと整備されてるね。宿泊施設、簡易ショップ、それに……空き家リスト?」
彼が指差した先のホロパネルには、こう表示されていた。
《空きユニット:23棟/購入条件:レベル3以上/初期価格:300クレジット》
《拠点機能:記録保管端末/生活支援ボット/カスタム構造可》
「ゲームの拠点システムか……」
ユウは一瞬、画面を見つめた。
ここに“帰る場所”を持てるプレイヤーは、ほんの一握り。
それは生き残りの証明であり、資源を集める者の特権でもあった。
街の中は静かだった。
人工の光が満ちており、どこか“未完成の都市”のような、作りかけの夢を思わせた。
──自分の家が買える。拠点が作れる。
けれどそのためには、敵を倒し、他者よりも先に稼がねばならない。
ユウと黒川は、ひとつの建物──補給カウンターと書かれた案内に従い、
簡易施設の奥、まるで酒場のような空間へ入った。
古びた木造のカウンター。壁に無音のモニター。
数人の囚人たちが席につき、薄く濁った液体を手にしていた。
中には、制服を着た女性型のNPCが立っていた。目は笑っておらず、口元だけが柔らかく微笑んでいた。
「お飲み物をお選びください。発酵処理済ビール(弱アルコール)を推奨します」
「じゃあ、それで」
「……同じものを」
NPCが淡々と動き、2つのガラスジョッキを滑らせてくる。
液体は黄金色に近く、泡は最小限。だが、しっかりと“味”と“喉越し”があった。
「……ほんとに、味がある」
「この世界でアルコールが出てくるって、面白いよね。プレイヤーの緊張を下げる設計かな」
ユウは、ジョッキを少し傾けながら問うた。
「……あの仮面のやつ、なんだったんだろうな」
黒川は少しだけ視線を上げた。
「仮面の処刑者、か。動きも異様だったし、何かに従って動いてたようにも見えた」
「“不適合”って言葉を出してた。あれ、選別か?」
「かもしれない。けど……あれが何なのか、本当は誰も分かってない」
「この世界の設計者が、何を基準に“ふるい”をかけてるのか……」
「運営っぽいものは見えないのに、処刑者だけは動いてる。皮肉だね」
「仮面の正体も、この“ゲーム”の正体も、全部靄の中ってわけか」
黒川はそこで笑った。
意味の深いような、浅いような、底の見えない微笑だった。
その横で、他の囚人たちが話していた。
「黒川……あの四つ足の構造体、一撃で潰したやつだろ?」
「マジかよ、構造体相手に正面から……」
「なんかあいつ、見た目と中身が一致してねぇんだよな……」
黒川は、表情ひとつ変えずに飲み干す。
「……気にしないのか?」
「気にする必要、ある?」
「君って、何歳だっけ?」
唐突に黒川が尋ねた。
「二十だ」
「へえ、俺と同じくらいか。……君、どうしてここに?」
「……冤罪だって、言っても信じてもらえなかった。それだけだ」
黒川は数秒だけ沈黙し、やがて微笑した。
「そっか。君、いい人だったんだね。俺とは違う」
ユウは何も返さず、ログを開いた。
そこには、記録された死者のデータが整然と並んでいた。
《No.3184 カツラギ・ヨウスケ/スキル:クロススラッシュ/使用可能》
ユウはログを開いた。
死者のスキルが並ぶその画面を、しばらく無言で見つめる。
その様子を見ていた黒川が、ふと笑った。
「……ねえ、もしよかったら。君のスキル、教えてくれない?」
ユウは視線を上げた。
黒川の声色は軽いが、目は真剣だった。
「別に無理にとは言わないけどさ。気になるんだ。あの戦場で、君だけ動きが違ってたから」
「……」
ユウは少し考えたあと、ゆっくりと息を吐いた。
「……俺のスキルは《ロストアーカイブ》。死んだ相手の“記録”を保存できる」
「記録?」
「スキル、思考、感情……全部。俺が望めば“保存”して、使えるようになる。
ただし、対象の死体に手をかざす必要がある。……動かずに見てたのは、それが理由だ」
「なるほど……」
黒川は目を細め、静かに頷いた。
「それってつまり、“死者の力を継ぐ”ってことだよね。代弁者みたいなものか」
ユウは肩をすくめた。
「どうなんだろうな。ただ、そうするしかなかった。それだけだ」
「ありがとう。正直、教えてくれると思わなかったよ。
でも……俺も教える。信頼ってのは、こういうのから始まるもんだろ?」
黒川は指を立てると、小さく呟いた。
「《グラビティ・ゼロ》。重力操作系のスキル。
局所的に重力を“無限に近づける”ことができる。対象を地面に押し潰すタイプ。
コストも重いし使い勝手は悪いけど、決まれば強い。だから、正面からしか使えない」
「……強力なスキルだな」
「初期支給された“オリジンギフト”。運が良かっただけさ」
二人の会話は、それきり自然に途切れた。
だがその間に、確かに“共有されたもの”があった。
そのとき
(……マジかよ……これで終わり? ふざけんな、こんなの……)
(俺、まだ……)
その“声”が、耳元で囁いた気がした。
(……俺、まだ……)
その断片的な思念に、喉の奥が詰まるような感覚が走った。
思わず目を伏せたその瞬間──
「……重たそうな顔、してた」
隣から、黒川の声がした。
ユウは少しだけ驚いて顔を上げた。
黒川は穏やかに微笑みながらも、まっすぐにこちらを見ていた。
「ログってさ、力だけじゃなくて……他のものも映るんだよね?」
「……ああ」
「見すぎると、引きずられない? 死んだ人の声とか、表情とか。
君が全部拾ってたら、ちょっと……きついと思う」
数秒の沈黙が落ちる。
黒川は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、“それもひとつのやり方だよ”とでも言うように、どこか満足げに笑っていた。
ユウは黙っていた。
けれど、胸の奥では、ひとつの想いが静かに揺れていた。
(……それでも、残すよ。
誰かが、そうしてくれたらって、思ってたから。
俺が、そう思ってたから)
しばらく夜の風に身をさらしたあと、ユウは無言のまま階段を下りた。
いつしか足は街の中心──広場の片隅へと向かっていた。
ふと、視界の先に“人影”があった。
噴水跡の前、金属製のベンチに、少女が一人座っていた。
体は小柄で、髪は肩口で切り揃えられている。
制服ではなく、囚人服のまま。だがその佇まいには、どこか普通ではない空気があった。
手には潰れかけた空の缶。
指先がほんのわずかに震えている。
それでも、彼女は何も言わず、何も訴えず、ただそこに座っていた。
目は伏せられていて表情は見えなかった。
けれどユウにはわかった。
それが“孤独”ではなく、“選択された沈黙”だということが。
すぐ後ろの壁に設置された情報端末が、ひとりでにログを流していた。
誰も見ていない広告、誰も求めないスキル説明。
街は情報に満ちていたが、それを必要とする者の方が少なかった。
そんな中で、彼女だけが“まったく動かない”。
(……誰にも助けを求めない人間がいる。
誰にも気づかれない場所を、わざわざ選ぶようにして座る人間が)
自分もかつて、そうだった。
“見られないこと”を望む気持ち。
“誰にも知られずに消えること”に、少しだけ安堵してしまうあの感覚。
ユウは一歩だけ近づきかけて──足を止めた。
声をかけるべきではない気がした。
この沈黙を壊してはいけないと、どこかで思った。
……それでも。
ユウは、ベンチの横をゆっくり通りすぎながら、ほんの一言だけ呟いた。
「……夜は、冷えるな」
少女は顔を上げた。
だが返事はなかった。ただ、その目だけが、かすかに揺れていた。
ユウは構わず歩き出す。彼女の姿を、振り返ることなく。
──この世界で、まだ“何者でもない”まま出会った。
セーフティゾーン。
戦いの合間に用意された、束の間の静けさ。
けれど、その沈黙の中にこそ、言葉にならない感情が滲むのかもしれません。
次回から、新たな局面へと動き出します。