86.異世界での旅のはじまり
渦に入るとすぐ、目の前に風景が広がってきた。木々に囲まれた開けた場所。森の中にある広場のようだった。吹き抜ける風が心地よく、空気が少し澄んでいるように感じられる。
カイが「温かいね~」と呑気な声を出しながら、上着を脱いだ。
見渡すと、見覚えがあるものがあった。魔神剣が刺さっていた台座と、エラとラウダが過ごしたという小屋と瓜二つのものが見える。
試しに魔神剣を刺してみると、台座の切り込みにピッタリハマった。
こんなこともあるのか、とノエルは驚きながらカイに振り返る。
「ここ、異世界の精霊の森だね」
異世界に来たという前提がなければ、自分の世界の森に飛ばされたと思うだろう。それほどまでに、この場所は記憶にある精霊の森の広場と一致していた。
「気温からして明らかに違う世界なのはわかるけど~……実感ないね~」
「だねえ」
「それで、どうする? ルーちゃん探すって言っても手がかりないし、どれくらい時差があるのかもわからないしな~」
ノエルは腕組みをして、空を見上げた。問題はそこなのだ。空は澄み渡り雲一つなく、自分たちの世界と同じようにノエルを見下ろしている。
ルミの居場所もそうだが、この世界が、自分たちの世界とどれほど違うのか、この世界では今何年なのか、確かめなければならないことは多い。
「ひとまず、竹下に行ってみよう」
「わかった~、人に会わないとどうしようもないもんね」
「私は人前では姿を出さないようにしよう。混乱させるかもしれないからな」
「ありがとう、うつろ」
今のうつろの姿は、ノエルと瓜二つだ。双子というよりも、ドッペルゲンガーに近いほど。実際に元は同一人物なのだが、それを知らない人間からしたら混乱の種だろう。
うつろの提案は少し寂しかったが、情報をスムーズに集めるためにはありがたいものでもあった。
ひとまず、ノエル達は森を抜けて街道を歩く。
街道は相変わらず単調だったが、やはり元の世界との差異はいくらか見られ新鮮さもあった。
今右手には瑪那灯が規則正しく並んでいるが、核世界のこの街道には瑪那灯がない。だから夜になる前に野宿をしなければならなかったのだが、この世界では夜通し歩くこともできそうだ。
もっとも、カイがいる手前、体力の問題がある。ノエルはカイに「もう歩けないってなったら休むからね」と、優しく言った。
「ありがと~、でも大丈夫! いざというときは銀狐もあるし」
「あー、ダリアにもらったやつ?」
「そそ、ベルトで変身しなくてもあれは使えはするからね~」
ノエルはまだ一度も変身した姿も、銀狐というものも見たことがなかった。ダリアが言うには、変身ベルトにはリスクがあるらしい。
変身ベルトは装着者の肉体を一度瑪那に分解し、別の性質を持つ者へと変化させる。具体的に言えば、悪魔と人族の中間のような存在だそうだ。
変身時には自身の感情が増幅され、それがエネルギーになるが、感情に呑まれると変身を解除しても人族の体とは異なるものになる危険性があるという。
そんな説明を思い出し、ノエルは身震いした。
銀狐はそういったリスクはないものの、変身状態でなければ普通の人族が使うには活動限界時間が短いという欠点がある。これは使用者の瑪那を吸い取ってエネルギー源とするためだ。
もともとは悪魔であるブルーム一家が自分たちで使うために開発したものだから、そういう仕様になっている。
銀狐は所有者が呼べば来るのだそうだ。
バカラの現実改変能力を使っているため、異世界にも来られるらしい。
冷静に考えると、とんでもないものなのではないかとノエルは思った。
「銀狐はいいけど、変身は本当に奥の手だからね?」
「わかってるって~」
ノエルの心配を知っているだろうに、カイの返事は軽く感じられる。どうもカイは、人族であることを辞めたがっている節があるように感じた。
しばらく歩いていると、街が見えてきた。
だが、思っていたよりも早い。元の世界では、精霊の森の入口からはもっと離れていた。実際、ノエル達はルミと出会い野宿をしてここまで辿り着いたのだ。
そして、見える街の形も記憶にあるものとは違う。ここは本当に竹下と呼ぶべき街なのかすらも、怪しくなってきた。
「なんかあれだね、自然いっぱいの街って感じだね」
「ノエちゃん、屋根がさ、なんかあれじゃない? 葉っぱでできてない?」
見ると、木造の建築物の屋根には緑色のふさふさとした草や葉っぱが乗っかっているようだった。土台の上に葉っぱが乗っているのか、葉っぱ自体が屋根の代わりになっているのかは、ここからでは判別がつかないが。
異世界に来たのだという実感が、ようやく強くなってきた。
「とりあえず、行ってみよっか」
「奇妙な感覚だな……正史世界より離れてるんじゃないか?」
「そう思うよ」
街に入ると、空気感が一変した。澄んだ空気であることには変わりがないが、賑やかな空気が漂っている。人々の声が多く聞こえてきて、往来する人々も多い。
だが、ノエルは驚きに目を見開いた。
往来する人々のなかに、アルラウネが何人もいるのだ。というより、人族のほうが少ない。アルラウネと人族が共存している街だった。
一人のアルラウネがノエル達を見てピクッと肩を上げ、近寄ってきた。人懐っこそうな笑みを浮かべながら駆け寄ってくる様は、ノエルの知っているアルラウネと同じだった。
「おそとのヒトだー! どこからきたのー?」
「えっと、違う世界から来たの。漂流者だよ」
ノエルが彼女に目線を合わせるように屈んで答えると、彼女はキラキラと目を輝かせているように見えた。
「すごーい! なんかね! おとといも漂流者のヒトがきたの!」
「え、そうなの?」
「うん! おねーさんと同じろーぶ着てたよ! 背はたっかくて、うんと……髪が黒くてね!」
「私と同じローブで黒髪で背が高くて……その人、酒場で飲んだりしたのかな?」
「そーみたい!」
そのアルラウネの答えに、ノエルは「ありがとう」と言って彼女の頭を撫でた。彼女の言った人物像通りならば、一昨日ここに来た漂流者というのはルミなのだろう。
ただし、正史世界のルミだ。一度、核世界のルミの行きつけの居酒屋でも目撃されている。
彼女も、どういうわけかこの世界に来たのだ。
「その人、どこ行くとか言ってなかった? 知り合いなの」
「うーんとねー……とりあえず博多にいくって言ってた!」
「博多ね、ありがとう教えてくれて」
「ううん! あっ! おしごとの途中だった! おねーちゃんバイバイ!」
「うん、ばいばい」
ふう、と息を吐いて改めて周囲を見渡す。やはり、アルラウネのほうが人口が多いようだ。あちこちでアルラウネが談笑したり、店から出てきたりする姿が見える。
建物の外観は画一的で、店にはわかりやすいように「さかば」「おさかなやさん」などの看板が立てられていた。
隣で見惚れているカイの肩を叩くと、彼女はピクッと肩を震わせた。
「わっ! ごめん、何もかもが気になって話聞いてなかった!」
手を合わせて謝る彼女に、先ほどのアルラウネから聞いた話を伝えた。
すると彼女は、顎に手を当てながら「なるほどね」と呟いた。
「ひとまず、博多に行く感じ?」
「そうだね、私達の世界のルミの情報、この世界の情報を集めながらひとまず正史世界のルミとの合流を目指そう」
「もう一人の自分みたいなものだしね~、ルミ見つけるのにも役立ちそうだね」
話がまとまったところで、早速情報収集に動こうとした瞬間、ぐうと腹が鳴った。そういえば昼食を摂っていないということに気づき、照れ笑いしながら二人で食事を摂ることにした。
異世界での旅は、まだ始まったばかりである。