74.5.サンディの消えない記憶(サンディ視点)
ボアピッグの放牧地に行ったときだった。柵越しにボアピッグの様子を観察して、アサヒはとても楽しそうだった。かわいいね、と笑う彼女の顔が眩しい。
そんなとき、唐突に何者かが影扉から現れた。サンディはそれが何なのか知らず、突然空間に穴が開いたように感じた。
そこから出てきたのは、男の悪魔だ。
グレイアッシュの髪をした悪魔が、アサヒを見て舌なめずりをした。
咄嗟にアサヒを庇うようにして目の前に立つが、悪魔はそんなサンディを影腕で引き剥がした。
「なんだ、これは!? おいお前! 何をするんだ!」
「男は要らん。面白くもなんともない」
「おいお前! アサヒに何かしてみろ! ぶっ殺してやる!」
アサヒは怯えているのか、震えて何も言えずにいる。
そんな彼女の前に悪魔が近寄り、彼女の頬をいやらしく舐めた。
「ひっ……キモ!」
違う。彼女は怯えているのではなかった。
拳を握り、震えている。彼女は目を尖らせ、男の頬に拳をお見舞いした。
「あんた! サンディを離しなさい!」
「なるほど、これはいい」
「何言って――」
もう一発お見舞いしようとしたのか、拳を振り上げた瞬間、彼女の体にドレインフラワーの蔓が巻き付いた。拘束から逃れようと暴れるも、体を動かす度に茨が食い込んでいく。
サンディはきつく締め上げられ、意識が朦朧としてきた。
薄れゆく意識の中、ドレインフラワーに弄ばれるアサヒの姿を見ていた。
「くそ、うごけ……」
藻掻くが、影腕の拘束は解かれてくれない。
彼女の体がビクビクと震え、弛緩した。気が強く、優しかった彼女が、虚ろな目で息を荒げている。
ドレインフラワーは彼女に種子を植え付けた。
――なんで俺はこんなに弱いんだ、なんで体が動かないんだ!
彼女を助けるだけの力が欲しい。
それさえあれば、こんなことにはならなかったのに。
そう思いながら、サンディの意識は闇に落ちていった。
目が覚めると、近くに騎士がいた。
ボアピッグの放牧地の近くに、倒れるサンディを心配そうに覗き込んでいた。
だが、男悪魔と彼女の姿はない。サンディは守れなかった。自分は何もできず、ただ彼女を弄ばれるのを指を咥えて見ていることしかできなかった。
悔しい。許せない。
地面を何度も叩き、涙を流す。騎士が止めても、振り払い、何度も自分の拳を地面に打ち付けた。血が出ても、痛んでも、よかった。今はそれが心地よかった。
彼女の感じただろう苦痛は、これほどのものではなかっただろう。
しばらくして冷静さを取り戻したとき、サンディは近くの騎士の足にしがみついていた。血だらけの手で、彼の騎士団服を掴んでいた。
「俺を騎士団に入れてください」
「……理由を話せ」
サンディは、ここで何があったかを打ち明けた。悪魔が憎かった。自分が許せなかった。強くなりたかったのだと、気持ちも全て。
すると騎士は、静かに頷いた。
「俺は博多騎士団長ミハエルだ。お前を俺の隊に入れて鍛えてやる」
そして、サンディは騎士団に入った。
ノエルの故郷の事件が起きるより、1ヶ月前のことだ。
騎士団で、彼は己を鍛えた。体だけでなく心も鍛えていたつもりだった。
だが、結局のところサンディはそう思いたいだけだと今は思っていた。体は少しはマシになっただろう。剣もある程度は扱えるようになっただろう。
しかし、彼の剣は誰かを助けることはできなかった。そればかりか、誰かを傷つけることにしか使われなかった。
最初は、悪魔を庇う悪人だと思っていた。やりすぎだと思う自分もいて、進言もしてみた。それでも、心の何処かで悪魔を憎む自分も強く主張していた。
生ぬるいことを言っているんじゃない、と。
新人だから上には逆らえない。裁判のとき、ミハエルがそう証言した。それもあるだろうが、結局決めたのはサンディ自身だった。サンディだけが、それを知っていた。
作戦に疑問を投げかけた後、彼は覚悟を決めてしまったのだ。非情に手を染める覚悟を。
だが、それさえ紛い物だった。
ノエルという人物を知った。最初に会合で彼女を見たとき、彼女は車椅子に座り、仲間達に介抱されていた。どこを見ているかもわからない、虚ろな目だった。
その目に、サンディはアサヒを重ねた。彼女の顔が、まともに見られなかった。もし、ノエルが自分を批難するように睨んでいたなら。
彼女もまた、そうだったに違いないと思った。
次にノエルと会ったのは、1時間で終わった戦争のときだ。駆り出されて行ってみると、ノエルが魔法で何かをしていた。
怯える者もいたが、綺麗だと思った。
何より、ノエルは楽しそうに笑っていた。後ろに控えていた彼女の仲間達も、みんな笑っている。
――自分たちはとんでもない間違いを犯したのかもしれない。
戦後会議のとき、ノエルが言った。あの魔法は宴会芸だと。神戸の市民と仲良くなるために考え、練習したものなのだと。
悪魔は悪い奴だ。
自分から愛する彼女を奪った。
だが、彼女は違った。
彼女は、悪魔である前に一人の女の子でしかなかった。彼女は自分たちが憎いはずだ。人族全てを憎んでも、文句は言えないとサンディは思っていた。
それでも彼女は、サンディにありがとうございますと言ったのだ。憎い仇であるはずの自分に、あろうことか会釈までして礼を言った。
頭を強く打たれたかのようだった。
サンディは自分が情けなく思えた。
助けたかった。もう大切な人を失うのは嫌だった。アサヒのように理不尽に奪われる者がいなくなればいいと思った。
それなのに自分は、理不尽に奪う側に回ってしまった。
それでも、ノエルは自分のところに来てくれた。一緒に酒を飲んでくれて、許すとまで言ってくれた。友達だとも。
もう嫌だった。
こんな負の連鎖は、断ち切らなければならない。もう紛い物ではいられない。今度こそ、自分は本当の意味で強い人間にならなければ。
ただ、どうしてもあの記憶が消えない。
消えない記憶が邪魔をする。
あの後アサヒがどうなったか、あの悪魔が今どうしているのか。なぜアサヒがあんな目にあわなければならなかったのか。
それを知らなければ、前に進めないのだとしたら。
謹慎があけたら、旅に出よう。
そう思っていたのだ。
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