8.到着! 竹下の街
目が覚めてから全員で片付けをし、またひたすら歩き続けた。変わらない景色と思っていたが、歩くにつれて徐々に人の手が入った建造物が増えている。
今しがた通り過ぎたのは、古ぼけた馬小屋だ。馬は一頭も入っておらず、ただ朽ちるのみだが、昔はここで馬を飼っていた誰かがいたらしい。
街が近づいていることを示しているようで、ノエルの心は徐々にそわそわとし始めた。
それからまた談笑しつつ歩いていると、街がハッキリと見えてきた。外周がぐるっと堀で覆われており、堀には水が流れている。東西南北に一つずつ門があるが、門の前に門番はおらず、比較的警備が手薄な街だ。
博多自治区の主要な街ではないためにこのような警備体制なのだということを、アイコがノエルに説明している。
ノエルはそうなんだ、と気のない返事をしながら早足で街に向かった。
街に入ると、多くの人々が往来していた。
「ま、街だ!」
「はじめてだもんね、あんたは」
「箱入り娘というやつか!」
「巨大な箱だな」
うつろが影の中から冷静なツッコミを入れているのも気にせず、ノエルは目を輝かせていた。街の南門からまっすぐ北に向けて、大通りが伸びている。その左右には民家と思しき木造建築や、店と思しき看板のついた建物が規則正しく並んでいた。
人が少ない来人村では、決して見られない光景だった。
往来する人々は、そんなノエルのことなど気にもとめずに慌ただしく歩いている。
「ひとまず宿を取らねばな」
ルミが言うと、ノエルはハッと我に返った。
「宿! ベッド! やったー!」
両手を挙げると、アイコが「恥ずかしいわ」と手を叩く。ノエルは頬を少し膨らませながらも、めげずにまた両手を挙げた。
「ところで、だ」
ルミがもじもじしながら、麻袋を取り出した。見るからに中身がほとんど入っていない、薄くシワシワの麻袋である。
「私は所持金が底を尽きている」
アイコが額を手で軽くおさえ、やれやれといった様子で頭を振った。
「そんなことだろうと思ったわ」
「じゃなきゃ行倒れてないよねー」
「面目ない……」
「あたしらの所持金で泊まれるのは……二部屋で4泊5日というところね」
意外と泊まれるな、とノエルは思った。
それだけあれば、滞在中にギルドで仕事を見つけ、旅の資金をいくらか稼ぐことはできるだろう。もちろん、金策ばかりしてはいられないが。
「金策はあたしに任せて、考えがあるから」
「じゃあまず宿屋に泊まって作戦会議する?」
「そうするか」
「そうしましょ」
口々に言って、アイコが先を歩く。大通りから西に逸れたところに、アイコのおすすめの宿があるらしい。彼女も泊まったことはないのだそうだが、前に旅人が安く料理がうまいと褒めていたのだった。
その宿屋は、見た目からは安っぽさが感じられなかった。大きな木造の二階建てという造りで、部屋数は多くなさそうだが外観は立派だ。
看板も劣化や風化を感じず、むしろ新しいように感じられる。手入れがされているのか、本当に新しい宿屋なのかはノエルにはわからなかったが、こんなところに泊まれるということを何者かに感謝したくなった。
宿屋に入ると、恰幅のいい中年の女性が出迎えた。
彼女が女将なのだろう、とノエルは思った。
「いらっしゃい、宿泊かい?」
「二部屋でお願いしたいんですが」
「ツインベッドが一部屋空いてるし、問題ないよ」
「料金は……」
「うちはチェックアウト時に受け取ることになってんだ」
ノエルは出しかけていた麻袋を仕舞いながら、念の為現在の所持金を伝えた。女将と思しき女性が言うには、4泊はできるらしい。4日後に継続して宿泊するかの意志を確認し、一度精算を行うということになった。
部屋割りはノエルの希望で、ノエルとルミが二人部屋、アイコが一人部屋になった。
「いいの? あんた一人じゃないと寝られなかったんじゃなかったっけ」
「いいの! ルミとは話したいこともあるしね」
「ならあたしはありがたいけど」
言いながら二階に上がり、それぞれの部屋の前に立つ。アイコの部屋は、ノエル達の部屋のすぐ隣の角部屋だった。
ひとまずは歩き疲れた体を休め、夕食後にアイコの部屋で作戦会議を行うということをアイコに告げられ、部屋に入る。
ノエルはベッドを見るなり剣を置き、2つ並んだベッドの内手前側に思い切り飛び込んだ。
「ベッドだー!」
「ははは、連日野宿だったもんな」
ルミが笑いながら、奥側のベッドに腰をかけ、剣を置いて仰向けに寝転んだ。そうして目を閉じ、微笑む。
「寝てしまいそうだな」
「いいよ? ご飯になったら起こすし」
「いや、少し話そう」
ルミがごろんと転がり、ノエルの方を向いた。
窓から入り込むそよ風が、二人の髪を優しく撫ぜる。
「ルミはさ、お母さんに酷いことをした市長を追ってるんだよね」
「ん? ああそうだな」
「あてはあるの?」
「ひとまず竹下に四神教の拠点が一つあるらしいから、そこだな」
ルミの言葉に、ノエルは勢いよく起き上がった。
「え、そうなの?」
ルミもまた起き上がり、ベッドの縁に腰をかけ、頷く。
「ただ一番は博多が怪しいと睨んでる」
「博多かあ、最後に会ったのがそこだったんだっけ」
またこくりと頷き、ルミは大きく伸びをしてまた寝転がった。
気持ちが良さそうに枕に頭を預けて目を細めているルミを見て、ノエルは少し強めに息を吸い込む。
「見つけたら、どうするの?」
「止めたい」
「止める?」
「うん、これ以上罪を重ねないようにな」
ノエルは「そっかあ」と言って、また寝転がり天井を仰ぐ。シミ一つない天井にたった一つだけある黒い点の汚れを見つめ、ため息を付いた。
「すごいね、ルミは」
「ん?」
「私は正直、殺そうとしちゃうかもしれない」
ノエルは、父親を殺した相手と戦っていたときのことを思い返していた。
あのとき、ノエルの胸中にあったのは絶望と殺意と怒りだった。使った魔法がそうだったからというだけではない。それらの感情が自らの内側から沸き起こり、止められないのをハッキリと自覚したのだ。
そのことに、ノエル自身は少なからずショックを受けていた。
「別に死んでほしい人なんていないのに、殺したいと思う人はいるんだよ、変だよね」
「変じゃないさ」
ルミもまたノエルと同じように、天井を仰いでいる。彼女が何を思っているのかノエルは気になったが、わからないことは考えても仕方がないと思い直した。
この問題も、今考えていてもわからないことなのかもしれないと。
「たとえば私は酒が大好きなんだが、同時に酒なんて飲まないほうがいいとも思っている」
「ん? ちょっと違うくない?」
「ん? 確かに」
ルミが小さく笑った。
「まあ何にせよ、殺意も大事な感情のひとつだと私は思う」
そう語るルミの声は、湿り気を帯びていた。
うつろが影から飛び出し、影で手をつくり伸びをする。
「ノエルはあと少しばかり自分を大事にすべきだな」
「救世主さんにも言われたよそれ」
「何? 会ったのか?」
「救世主……ノエラート・グリムだったか」
そうそう、と言いかけてノエルは言葉を詰まらせた。ノエラート・グリム。ノエルのフルネームと完全に同じ名前だった。
この世界には、フルネームを名乗らないという風習がある。悪魔はフルネームを知ることで、魂を好きに出来るためだ。
普段意識することがなかったためか、これまで気が付かなかった自分に呆れ笑いが出る。
同時に、二人に話していなかったことを思い出し、ノエルは夢の中で救世主に会ったときのことを話した。
「あれって本人なのかな?」
「間違いなく本人だ、妙に気安い感じがな」
「まあ考えていても仕方がないな」
ルミが立ち上がり、剣を取る。
「どうだ? 夕食までまだ時間がある。少し街を歩かないか?」
ルミの微笑みを見て、ノエルも立ち上がって剣を取った。うつろが「行ってこい」と言って、ノエルの影に入る。
「行くー!」
少しボサボサになった髪を手ぐしで直し、扉の前で待っているルミの隣までちょこちょこと小走りで向かった。