67.土の精霊ティメオとの合一
グリム歴2000年11月19日。
日課のゴミ拾いの後、ノエル達影の世界出張組が京都の街の外に集まっていた。
「これから、土の精霊ティメオとの合一のため、影の世界の五重塔に行きます」
アイコが仁王立ちして言い放った。
ノエルは昨日の五重塔を思い出した。あれと同じようなものが、京都の地下深くに眠っている。中はあれほど空洞ではなく、像があるらしいが、下見をしたからか気分は少しだけ楽だった。
「戦いになるのかな?」
そう言うと、影扉から急にグリムが現れた。
いきなりすぎて心臓が止まるかと思ったが、彼女はいつもどおり柔和な笑みを浮かべている。
「ティメオとは戦いにはならないと思いますよ」
「とっ……うじょうがいつも急ですよね」
「急に登場するほうが面白いじゃないですか。それに今日は、悲報を知らせにきました」
悲報という言葉に、背筋が伸びる。
グリムほどの者が前置きするからには、本当に嫌な知らせなのだろうと身構えてしまう。グリムは息を深く吸って、口を開いた。
「アランが水の精霊以外の居場所を突き止めました」
「ということは土と炎か」
「手先か本人とかち合う可能性があるってことね」
とうとう来たか、と思った。むしろ遅いくらいだろう。精霊を探し始めたのはアランのほうが先なのだ。むしろ、ガウディウムを先におさえられたのが奇跡のようなものだろう。
皆顔を強張らせているが、グリムは変わらず笑顔だ。
「私は事情があり出向けませんが、気を付けてくださいね」
「……あんたがもっと早く精霊の居場所をノエルに教えてりゃよかったんじゃないの?」
アイコが仁王立ちしたまま言うと、グリムは頬をピクピクとさせた。
すぐに笑顔に戻ったため一瞬だけの表情変化だったが、ノエルはなんだか恐ろしく思えた。
「色々事情がありましてね」
「事情ねえ……まあいいわ、やることには変わりないわけだしね」
「ではノエル、皆さん、頼みましたよ」
言って、グリムは影扉に消えた。
嵐のようだった。
みんな一瞬呆然としてしまったが、アイコが咳払いをしたことでなんとか緊張感を取り戻したように思える。
「じゃ、行くわよ! 先越されてたまるかってのよ!」
「うん! 行こうみんな!」
「よっしゃ!」
一瞬躊躇った後ルミの手を取り、木陰に入る。ずっぽりと自分たちの体が沈み込むイメージをし、どんどん沈んでいった。
すると、突然地面が現れた。不思議な感覚だった。沈み始めたばかりなのに、全身が影に沈んだと思った瞬間、足が地面についたのだ。
そのうえ、高い天井まで広がっている。
目の前にあるのは、街並みだ。木造の古式ゆかしい建物が並んでいる石畳の道。その奥には、五重塔が見える。ところどころに設置された瑪那灯の街灯以外光がない世界で、紫色の光に塔が照らされていた。
「寒々としたところだな」
「うん、これが悪魔の世界なんだね」
「そして、大昔は表の世界だったところよ」
「見事に記憶にある五重塔周辺と同じやな……この建物、民家やなくて店なんよ」
ウロボロスと同じように、時が止まっているようだ。木々には葉がついているのに、緑がない。風も吹かず、木の葉が揺れない。瑪那灯の紫以外、全てが灰色に見えた。
ユーリアが以前、ルミに話していたことを思い出した。
悪魔はこんな世界で、2000年も大人しく過ごしてきたのだ。たまに表の世界で人族や魔族と契約したり仕事をしたりしているようだが、それでも悪魔はなかなか表には出てこない。
それはとても、寂しいことのように思えて、ルミの手をより強く握った。
「みんな行こう、塔は目の前だよ」
「高校の修学旅行以来やわ」
静かな道を歩いてると、五重塔の目の前に辿り着いた。
不自然なほど、誰とも出会わなかった。アランが精霊の居場所を掴んだというから警戒していたが、塔の中に一つの大きな気配がある以外、誰の気配もしない。
先手を打てたということだろうか。
「あたしとラウダは外に残って見張ってるわ」
「うん、わかったよ」
「ルミはそのままノエルについてあげて」
「もちろんだ」
ノエル達に背を向けて武器を構える二人が、頼もしい。
深く息を吸って、ルミの手を離す。寄りかかったままでは、精霊に会うわけにはいかない。一瞬目を閉じ、また開けて五重塔に入った。
入るとすぐ、大きな気配の正体が現れた。小さい女の子が、像の前であぐらをかいて座っている。黒髪ぱっつんで、目が半分ほど隠れている。
「あ、えと、ノエルさんですか?」
「あ、はい、ノエルです」
驚くほどに声が小さかった。それでも聞こえるのは、塔の中に声が響くからだろう。一歩前に踏み出して近寄ると、ビクッと肩を震わせている。
怯えさせてはいけないと思い、立ち止まる。
『相変わらずだなティメオ』
「ひっ、ガ、ガウディ……」
「めっちゃ怯えてるけど、ガウディウムさん何したんです?」
「む、昔、よく走らされた……」
なるほど、と頷いた。ガウディウムは喜びの感情と呼応する風属性の精霊ということもあり、基本能天気だ。そのうえ、戦いが好きで体育会系なのだ。
目の前のひ弱に見えるティメオを鍛えようとしたのだろう。
「え、えと、合一……ですよね」
「はい」
「わ、私も、ノエルさんを試させてもらいたいんですが……いいですか?」
おどおどとしながらだが、ティメオはしっかりとノエルの目を見据えていた。ノエルが見つめ返すと、すぐ逸らしたが。
ノエルは隣にいるルミを見た。ルミがこくりと頷いている。頼もしいその顔に、ノエルも頷き返した。
「はい、よろしくお願いします」
「ちょ、ちょっとした試練、です。あなたの過去の恐れと向き合って、もらい……ます」
言いながら、彼女は両手をノエルに翳す。
ノエルはごくり、と唾を飲み込んだ。
「では行きます……アブリアクション」
彼女の両手が青白く光り、何かの文字列が見えた瞬間、ノエルの意識が暗転した。
◇◇◇◇◇◇
意識が明転すると、暗く寒く何も無い空間だった。深い黒のなかに、沈んでいくような感覚がある。影の世界に入るときとはまた違った、底なし沼に沈むかのような不安感が背筋を撫でる。
たまらなく恐ろしい何かが、迫ってくるような気がした。
その勘は正しかった。
目の前に青白い光が現れ、ノエルはその光に飲み込まれてしまった。
瞬間、景色が変わる。
目の前に、自分が見える。白銀のローブを着た自分自身と、目の前には大勢の黒いローブを着た人間たち。
だが、違和感がある。
自分よりほんの少しだけ、髪が長いような気がした。それに、ティメオは過去の記憶と言ったが、自分にこんな記憶はない。
逃げ惑う人間たちを、ノエルは涙を流しながら次々と魔法で葬っていく。
次に現れたのは、アルバートだ。アルバートが黒いローブを着て、向かってくる。目の前のノエルは一瞬躊躇った後、アルバートを影腕で拘束し、無数の刃を暗黒物質で形成し飛ばした。
アルバートが死んだ瞬間、ノエルは全身が冷えていくような感覚になった。目の前にいる自分ではない自分自身が、父親の姿をした何者かを殺したのだ。
そして、呟いた。
「殺さなきゃ、全員殺さなきゃ」
恐ろしく、冷たい声色だった。
だが、紛れもない自分の声だ。自分の声を客観的に聞くのははじめてだが、それが自分の声であることは確かにわかる。
あまりにも恐ろしかった。自分の声が、こんな殺伐としたことを呟いているのは。
また、景色が変わる。
今度は、裸のノエルがいた。
目の前のノエルは裸で、大勢の男に組み敷かれ、跨がられている。だらりと垂れるようにしてベッドから落ちる腕と、どこを見ているかもわからない虚ろな瞳が痛々しい。
たまらなく寒くなって、自分自身を抱きしめるようにして両肘を掴んだ。この恐ろしい光景にも、見覚えはない。
それなのに、確かにあったことだという確信がある。助けて、とずっと叫んでいる彼女の心が流れ込んでくる。
目の前のノエルはずっと、心の中でルミのことを呼んでいた。
だが、助けは来ない。
――怖い。
また、景色が変わる。
目の前の自分ではない自分が、今度は誰かを刺していた。巨大な白い翼を何枚も持ち、金色の輪を頭上に浮かべた銀髪長髪の女性を。
翼の枚数は合わないが、どう見てもグリムだった。
「やっと終われるんだ……これで、私……!」
――なんなの、これ? こんなの私知らない……。
グリムを刺した瞬間、彼女の心が流れ込んできた。
『やっぱりこんなの嫌だ、こんな世界認めない!』
次の瞬間、目の前のノエルの魂が浮かび上がり、分裂した。三つに分裂したそれは、一つだけ彼女に戻り、残り二つはどこかへと消えていった。
続いてグリムの魂が浮かび上がり、二つに分裂し、二つともが消えた。
意味がわからなかった。
どうして自分がグリムを刺しているのか、どうしてこんな光景を見るのか。これは自分の過去じゃない。強く否定したいのに、叫びたいのに、心の奥底では理解していた。
これは自分の過去なのだと。
目の前の二人は、ピタリとも動かなくなった。世界から色が消え、時間が止まったかのようだ。
また、景色が変わる。
今度は、見覚えがある景色だった。
アイコが死んだときの記憶だ。アイコの遺体を前に、血に塗れ、涙を流しながら口端を大きく歪めて狂ったように笑う自分がいる。
また、景色が変わる。
最初の何も無い空間に戻ってきた。
ノエルは、自分が胸をおさえているのに気がついた。肩も激しく上下している。自分の激しい息遣いだけが、聞えてくる。
手にはぐっしょりと、汗を掻いていた。
背中も濡れているらしく、気持ちが悪い。
吐き気がしそうだ。
「おそ、ろしいですか?」
ティメオの声が聞こえる。
ノエルはこくり、と頷いた。
「じゃあ、こんな恐ろしい過去を、なかったことに、したいですか……?」
「……あの、最後の以外、知らない記憶なんですけど」
「え? そんなはず……え? あれ……」
慌てているような様子の彼女をよそに、ノエルは考え事をしていた。
もし、これが本当に自分の過去だとしたら、どうしたいだろうか。グリムを刺したノエルは、こんな世界は認めないと言った。
確かに、あんな酷い結末が待っているのなら変えたいと思うだろう。
だが、無かったことにしたいかと問われると、違う気がした。
ノエルは息を深く吸って、口を開く。
「だけど、仮に全部自分の過去だったとしても、無かったことには、したくないと思います」
「へ? そう、なの?」
「はい、だってそれがあるから今があるんだから。無かったことにしちゃったら、楽しかったことも幸せだと感じたことも否定しちゃう気がするから」
恐ろしい過去も、辛い記憶も、無いならそれに越したことはない。それでも、辛いなかでも苦しいなかでも、幸せなこともあるはずだと思った。
事実、ノエルは魔女の家での生活に幸せを感じている。楽しかったことも、たくさんある。恐ろしい過去も、辛い記憶も、楽しいことも幸せなことも、全部ひっくるめて自分なんだ。
ノエルはそう思った。
「えと、なにか不手際が、あったみたいですが……合格です」
「えと、はい、ありがとうございます」
頭を下げると、また意識が暗転した。
◇◇◇◇◇◇
目が覚めると、自分は立ったままだった。目の前にはティメオがいて、隣にはルミがいる。ティメオはゆっくりと頭を下げた。
「おつかれ、さまでした」
「はい……どっと疲れました」
「これからよろしく、お願いします」
「はい、こちらこそ」
言いながら、ティメオの体が浮かび上がり、魂に変化した。彼女の魂は薄紫色で、淡く輝く宝石のようだった。
ふよふよと浮遊する魂が、ノエルの体に入り込んだ。
「うっ……」
ガウディウムのときのような痛みはない。灼熱感もない。
ただただ、寒い。
ただ、恐ろしい。
背中を冷ややかな手で撫でられているような感覚と、凍った何かが心臓を潰すかのような感覚があった。顔が急速に強張っていき、隣のルミにしがみついてしまう。そうしないと、自分を保てそうになかった。
そのままズルズルとへたり込む。
「怖い、怖いよ……」
目線を合わせるようにしゃがみ込んだルミの心配そうな顔が見えた瞬間、ノエルはルミの胸に飛び込んでいた。彼女のコアの鼓動と、柔らかな胸の感触に意識を集中させる。
それでも、漠然とした恐怖は消えてくれない。誰もおらず、上下左右の感覚すらも曖昧な暗闇のなかを延々と彷徨い続けるような不安と恐怖。
「ルミ、一緒にいて……嫌わないで、離れないで、傍にいて」
自分の意志とは関係なく、言葉が溢れ出る。
「うん、ずっと一緒にいる」
優しいルミの手が、好きな人の手が、頭を撫でる感覚に目を細める。もう片方の手で、ずっと自分の背中を優しく叩いてくれていた。
彼女の胸に深く顔を埋め、息を吸う。乱れた呼吸を少しずつもとに戻していく。
「私より先に死なないで……」
「うん、死なないよ」
未だ感じる恐怖感と不安感が、少しずつ緩和されていった。
呼吸も、正常に近くなり、少しだけ落ち着きを取り戻した。
ゆっくりとルミの体から離れて、頬を叩く。まだ背筋は少し寒いし、ルミと離れたくないと心が訴えかけているが、今なら立ち上がれそうだった。
ふらつきながら立ち上がると、ルミも一緒に立ち上がってくれた。
「ルミ、ありがとう」
「ううん、これくらいしかできないからな、私には」
「今日ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろんだ」
なんとかルミに微笑みを投げかけ、手を握って歩き出す。
外に出ると、周囲を警戒している二人がいた。ノエルとルミが外に出るなり、振り返って影扉を出している。
「よし、ずらかるわよ」
「なんか悪役みたいやな」
「ありがとう、二人とも」
余韻も情緒も何も無いが、今はこの行動の早さがありがたかった。今は一刻も早く、家に帰って休みたい。
影扉に入り、ノエル達は家に帰った。
もし面白ければ、ブックマークや評価をしていただけると大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。