51.魔族長の娘フーリ・エン・トグル
家に戻ると、魔族の子がリビングのテーブルで温かいお茶を飲んでいた。カイによれば、ほかの人はみんな寝たらしい。満足に眠れていなかったらしく、食べて風呂に入った後は全員すぐに爆睡したのだそうだ。
ただ、この子だけは寝ようとせず、何か話したいことがあるらしい。ノエルに話したいというので、カイと二人で待っていたそうだ。
ユーリアの秘書は既に市庁舎に戻っていた。
ノエルは魔族の子の前に座り、微笑みかける。
「どうしたの?」
「あ、悪魔のお姉ちゃん……」
「私ノエルって言うの。よかったら、お姉ちゃんたちに話してくれない?」
彼女の目が一瞬生気を宿したように見えた。
だが、すぐにまた浮かない顔に戻った。奴隷として扱われた経験は、そう簡単に癒える傷ではないだろうが、どうもそれだけだとは思えない。
「弟を……探さないとなの!」
彼女が湯呑みを置いて、声を振り絞った。
「弟、さん?」
「詳しく話せるか?」
ノエルの隣に座ったルミが優しい声色で話しかけると、目の前の子はぽつりぽつりと話し始めた。
まず、この魔族の子はフレンというらしい。本名はフーリ・エン・トグル。魔族の族長の長女である。魔族長は代々世襲制であり、長女であるフレンは次期族長候補だった。
族長候補として厳しく育てられてきたという。周囲の人からの目も、常に族長候補というのがついて回った。褒めるときは族長の娘だから、怒るときは族長の娘なのに、と。
弟はリーン・エン・トグル。通名をレントと言う。レントは長男だが、男女問わずより年齢が高いほうが族長になるという決まりであり、レントは少し奔放に育てられた。
周囲からも、レントはレントとして褒められたし、叱られた。それがフレンには面白くなくて、レントのことが苦手だった。
ある日、レントがフレンの楽しみにしていたプリンを勝手に食べてしまったとき、長女として我慢してきたフレンの心は限界を向かえた。
フレンはついついキツくあたり、「もう顔も見たくないのだわ!」と声を荒げた。その日の晩、レントはいなくなった。
「わたくしのせいでいなくなったのかもしれないのだわ……それで、探したの。だけど魔界にはいなくて、だから」
「それで密航船で博多に来たと」
「ええ……レントが博多行きの船に乗ってたって、話を聞いて来たのだわ」
そして、密航船に乗っていたところ捕まり、奴隷にされかけたということだった。発端はよくある姉弟喧嘩であり、フレンを責めることはできない。
ノエルだって、アイコと喧嘩をしたことがある。それこそ、食べ物を巡って喧嘩をしたことがあった。そのときはすぐに仲直りできたが、どういうわけかフレンの弟はいなくなって、まだ仲直りできずにいる。
一度の喧嘩でなぜ家出したのか、家出にしたってなぜ博多に行ったのか、わからないことが多い。そもそも家出だったのかすら、わからない。
彼もまた、誰かに攫われたのではないだろうか。そんな疑念がノエルの頭の中を渦巻いていた。
ノエルは瞳に涙をためているフレンを見て、ゆっくりと頷き、彼女の手を優しく包み込む。
「任せて、お姉ちゃん達が探すから」
「いいの……? 助けてもらったのにこんなことまで」
「もちろんだよ、ね? みんな」
「良いも悪いも、そのつもりだ」
「わたしだって頑張るよ~!」
うつろも、うんうんと頷いている。誰もが、ノエルの言葉に疑問を挟まなかった。ノエルはそれがとても頼もしかった。
フレンは涙を流しながら、「ありがとうなのだわ」と頭を下げた。幼いながらも、精一杯次期族長としての振る舞いを身に着けようとしているのだろう。彼女の所作は、見惚れるほどに綺麗だった。
ひとまず、フレンには休んでもらうことにした。彼女は今すぐにでも探しに行きたいと鼻息を荒くしていたが、少しふらついていたのだ。
今は休むことが、早く見つけるために必要なのだと説得すると、フレンは納得してくれた。とはいえ、ほかの元奴隷の人たちがフレンを見て萎縮していたというので、ひとまずフレンはノエルの部屋で休むことになった。
フレンが寝るのを見届けてから、ノエルは単身博多に向かうことにした。ルミとカイは依頼者が来たときのため、また、誰かが起きたときのために居残ることになった。
何か手がかりを見つけ次第、呼ぶと言って。
なんとなくそうしたくて、家を出る。高い空を見上げ、深く息を吸う。空はこんなにも明るく晴れ渡っているのに、ノエルの心はどんよりと曇っていた。
澄み渡る晴れ空が、憎らしい。
フレンとレントの話を聞いて、アイコのことを思い出したのだ。
目の前に、影扉が開く。
出てきたのは、アイコだった。ローブは着ていない。旅に出たときと同じ服装で、目を逸らしながらもチラチラとノエルのことを見ている。その目に、顔に、見覚えがあった。
これは、昔の自分だ。誰かに罰されることを期待している目だ。それを許せない自分がいて、目を逸らしてしまうのだ。
アイコのことを助けられなかった後、記憶を失ってもその感覚は消えなかった。ずっとノエルの心を蝕み続けていた自罰思考、希死念慮が目の前に現れた。
「なんて顔……してるんだよ」
「博多の地下に四神教の本拠地があるわ。そこで今、非人道的な研究が行われていて、完成しつつあるの」
「なんの、話?」
肩が思わず上がり、震える。今すぐ目の前のバカな姉を抱きしめたい。それでごめんなさいと謝りたい。それなのに、体は震えるばかりで動いてはくれない。
アイコは目を逸らし、どこを見ているのかもわからない。視線を追おうとするも、その視線は泳ぐばかりだ。
「あんたに止めてほしいのよ」
「私、フレンの弟を探さないといけないんだけど」
「フレン……? まあいいわ、覚えておくだけでいいわ。まだ猶予は少しあるし、今は」
「一緒にやらない?」
ノエルが言うと、アイコは視線をゆっくりとこちらに寄越してきた。
――本当、なんて目してるんだよ。なんでそんなに辛い想いをしてまで、そっちにいるんだよ。話してくれたなら、打ち明けてくれたなら、たくさん謝って、抱きしめて、赦せるのに。赦されようとしてよ……。
彼女が何を考えているかはわからない。
だが、彼女の目を見れば、彼女がどんな想いでここにいるかは理解できた。赦されるつもりなど、毛頭ないらしい。ノエルが今何を言おうと、アイコの心は動かないだろう。
虚ろな目で笑う彼女の顔は、あまりにも痛々しい。
「一緒になんて、できるわけないでしょ」
意固地になっている相手を動かす方法は、ノエルにはひとつしか思い当たらなかった。
「じゃあ一緒に来てよ! 私に悪いと思ってるなら、今度は一緒にやってよ! 影からこそこそとヒントだけ与えるような真似しないでよ!」
ようやく、体が動いてくれた。彼女の肩をガッチリと掴み、叫ぶ。肩を揺さぶって退かせようとしてきても、絶対に手を退けなかった。
「わかんないんだよ! 地下に本拠地があるとか研究が完成するとか言われても! わかんないよ!」
「……離して」
「離さない、一緒にやるって言うまで絶対離さない。あんたは私の家族を奪ったんだ。少しは罪滅ぼしをしようとしてよ」
こんな言い方をしてしまったことに、こんな言い方しかできないことに嫌悪感が沸き起こってくる。どうも自分は下手くそだ、と自嘲してしまう。
アイコの肩がわなわなと震えている。彼女は湿った息を吐き、唇を震わせた。
「わかったわ……」
そして、小さく小さく震えが言葉になった。彼女の肩を離すと、今度は彼女の目がしっかりとノエルを見据えていた。
「よし、じゃあ四神教の企みも調べつつ、まずはフレンの弟を探すよ」
「わかったから、詳しく状況を説明しなさい……」
ノエルは、「あ」と呟いた後、へへへと笑い、状況を説明した。アイコはなにかに驚いているようだったが、何に驚いているのかはノエルにはわからなかった。
聞くと、フレンという人物は予言書には出てこなかったらしい。今読むと、また予言書の記述が変わりフレンが登場するようになった。予言書にもレントの居場所は書かれていない。
そこまで細かいことはわからないようだ。
ひとまず、予言書のことは考えても答えが出ないので置いておくことにした。
だが、これからやるべきことは決まった。
レントは家出をしたところ、何者かに攫われたのだということでノエルとアイコの意見は一致した。魔界にフラッと現れ、魔族を攫える人間はそう多くはいないだろう。
「四神教の人間か、同じ魔族の仕業か……どっちにしろ魔族の子供は目立つから、情報は集めやすいと思うわ」
「だね、とりあえず博多で情報を集めよっか」
「そうね」
そして二人は、影扉を使い博多に向かった。
久しぶりにアイコと一緒にいられる。そう思うと、この晴れ空も悪くはないような気がした。
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