5.行倒れ女騎士
村を出て、一日が経った。ノエル達はまだ、街道を歩いている。右を見ても左を見ても、木しかない。迷いの森がずっと続いているのだろう。景色が延々と変わらず、何も進んでいないように思えてならなかった。
「ねえアイコ」
「ん?」
「あとどれくらいで竹下なの?」
「あと半日か1日くらいかなあ」
あたりはもう暗い。昨日は夕方ということもありあまり歩けず、結局すぐに野営をすることになった。ノエルが持ってきた食材でスープを作り、スールがアイコに持たせていたサンドイッチを食べたのだ。
隣のアイコは無表情で歩き続けている。幼馴染が歩き続けるだけの人形になってしまった、とノエルは思った。
「うつろ」
「なんだ?」
「退屈だね」
「だな」
「そんなもんなのよ、迷いの森が広すぎるの」
広い広いとは前々からノエルも思っていたが、これほどまでに広かったとは知らなかった。迷いの森に忍び込んだとき以外、村から出たことがないノエルにとっては村の近くの森がどの程度の面積を有しているのかということも知ることがなかったのだ。
一方アイコは、師匠のところに通い竹下に行っていた。博多の街にも行ったことがあるらしく、お土産と称して自身が好きな漂流物や魔道具の類を買い込んできたのだった。
「なにか変化でもあれば……ん?」
気配がした。人の気配だ。
よく目を凝らして見てみるも、人が歩いてくる様子はない。
少し視線を下げると、ノエルはぎょっとした。
「人が倒れてる!」
言いながらノエルは駆け出した。
「え、見えないけど!?」
アイコが後ろで叫んでいる。どんどん、倒れている人影に近づいていく。まだハッキリとは見えない。
ようやく、人影の正体をハッキリと視認できた。女性が倒れている。軽鎧に身を包んだ女性だ。鎧の中には橙の文様が見える。瑪那回路がなにかの形を模して刻まれているようだった。
黒髪が美しく、整った顔立ちの女性。年はノエルに近いようにも、ノエルより数個上のようにも感じられる。
ノエルは倒れている女性の体を抱え起こした。
「ん……」
女性から声が漏れる。少し低めの声。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「み、水と食料を……」
ノエルは人差し指の先からゆっくりと水を出し、彼女の口元に近づけた。自分の指に口をつけてゆっくりと水を飲む姿に、何か胸の奥に沸き起こるものがあったが、父の死を思い返して水を出し続ける。
水魔法は悲しみに呼応する魔法なのだ。
「はあ……はあ……ふう」
しばらく彼女は夢中で水を飲み続けた。ノエルは心がずっしりと重くなったが、それ以外に魔法の影響はなかった。
彼女はノエルの手を離れ、座る。どうやらもう支えは必要ないようだ。
「ありがとうございます、助かりました」
彼女が、弱々しく頭を下げた。
「あ、いえ、ええと、ご飯食べます?」
ノエルの問いに、彼女は力強く頷いた。よほど腹が減っているのだろう。一体何をどうしたら、街からほど近いこの街道でここまで飢えるのか気になったが、ノエルは黙って食事を作ることにした。
芋と道端で拾った山菜しかなかったが、スープくらいなら作れるだろう。
魔法で火をつけた。正直料理にまで魔法を使うと胸が苦しくなるが、利便性の高さには代えられなかった。鍋と器は恐れに呼応する土魔法で作ったし、水は水魔法だ。
「こら、そんなことに魔法を使うな」
うつろに影の手で叩かれてしまった。
「だって便利なんだもん」
「お前なあ、マイナス感情ばかり思い起こしてたら痛い目見るぞ」
「それはまあ、そうかもしれないけどね」
そうこうしている間に、鍋が煮える。まず芋を入れ、それから塩。しばらくグツグツと煮込み、芋が柔らかくなったのを確認して山菜を入れる。
最後に、アイコが持ってきたトマトと胡椒で仕上げれば、トマトスープの出来上がりだ。
「ほら、どうぞ」
ノエルは土魔法で作った器によそい、これまた土魔法で作ったスプーンと一緒に彼女に手渡す。アイコは自分で自分の分をよそっていた。
彼女は「すまない」と短く言い、受け取る。それからすごい勢いで、あっという間にスープを飲み干した。思わず見惚れてしまうほどの食べっぷりに、ノエルとアイコも思わず何度もおかわりをしてしまった。
「馳走になった、ありがとう」
「あ、いえ、気持ちのいい食べっぷりでした」
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」
うつろが切り出すと、ノエルはハッとした。
お構いなしに魔法を使っていたが、それも本来はよくないことだ。素性の知らない人間の前で魔法を使うなよ、と歩きながらうつろに言われていたのだ。
それでも、ノエルは緊急事態には構わず魔法を使うつもりだった。
彼女は姿勢を正す。
「私はルミ、京都騎士団に所属している」
「あー、騎士団の制服なんですね、それ」
「ださいだろ?」
「私はかわいいと思います」
「瑪那回路があっていいわね」
正直に思ったことを伝えると、ルミははにかんだ。少しのときめきを感じながら、ノエルも姿勢を正す。
「私はノエル、魔法使い、十八歳です」
「ノエルさんの魔法には助けられた、ありがとう」
「悪魔や魔法使いを見ても、嫌な顔しないんですね」
村の人はみんな知らないフリをしてくれたが、外ではそうはいかないことはわかっていた。街の中では、うつろに影に潜んでもらおうと思っていたのだ。
だが、ルミは微笑みを崩さなかった。
「悪魔だろうと魔法使いだろうと人間だろうと、いい奴もいれば悪い奴もいる。あなたはいい人だ」
「え、ルミさんいい人……」
ノエルは胸の奥からじんわりとした何かが広がるのを感じながら、「へへへ」と笑った。
「あ、ちなみに私は二十歳だ」
「まじですか」
年齢を聞いて、改めて姿勢を正すと、ルミは笑った。「いい、いい」と何度も言って、ノエルに楽な姿勢を取らせる。
「あたしはアイコ、瑪那技師、十九歳です」
「ほう、技師か」
「ええと、なにか?」
「いや、最近漂流物や魔導剣について知りたいと思っていたところでな」
ノエルは「あ」と言って、わたわたと手を動かす。ルミに「それはいけない」とジェスチャーで伝えようとするが、ルミは首を傾げるのみだった。
アイコが目を輝かせ、身を乗り出している。
「興味あります!? いやあうれしいなあ、異世界から来たものって結構奇異の目で見られることも多いんですよ。だけどそれを生活に取り入れることで、文明が発達してきたわけで! 言わば源流! あたし達の技術のもとになったものも多くてですね! 魔導剣だってそうなのに、おかしな話ですよね! たとえばこの短剣! 使用者の瑪那を媒介して発動する瑪那回路が仕込まれる魔導短剣でして! 相手の瑪那を感知して自動追尾してくれるんですよ! ロマンですよねえ! いやあ嬉しいなあ! こんな話ができるなんて! ノエルなんてこのロマンをわからないんですよ? ひどいですよね! こんなにおもしろいのに! それでそれで――」
ノエルは顔をしかめた。長い。しばらく聞いていたが、もう耐えられそうになかった。ルミも最初は興味津々といった様子だったが、今やもう眉をピクピクと痙攣させている。
アイコは漂流物や魔導剣や魔道具の話になると、止まらないのだ。ノエルはロマンをわからないわけではなかった。
アイコの話が長すぎて嫌になっているのだ。
「長い! 短くまとめて!」
ルミが笑った。ノエルには苦笑に見えた。
「要は! 漂流物も魔導剣も魔道具も最高! ってことよ!」
「おい、お前らの話が長いから私が自己紹介できんだろうが」
うつろがノエルとアイコの肩を影の手で叩いた。
「ごめんごめん」
「そうだな、君のことも知りたいものだ」
「私は見ての通り悪魔だ、ノエルと契約している。名前は……うつろだ」
ノエルはその自己紹介を聞いて、なんだか少し誇らしい気持ちになった。
うつろを見ると、そっぽを向かれてしまったが。