42.ある日のアイコ3(アイコ視点)
今日は一本しか薬を売れなかった。まさかノエルが乱入してきて、正体を言い当ててくるとは思わず、動揺してしまった。
しかも、仲直りしたいなどと言うものだから、もっと動揺して逃げ帰ってきてしまった。
だが、もう十分だろう。ノエルが動き出したなら、これ以上薬を捌く必要はない。ここまでくれば、計画も最終段階に近い。
もう十分だ。
あとは、ノエルに殺されればそれで計画は成就するはずだ。それまでは、影からこっそりとノエルを助けることに注力しよう。他のことは、ルミやカイ、これから出会う彼女の仲間達がなんとかしてくれるはずだ。
半ば自分に言い聞かせるようにして、ベッドに潜り込んだ。
「仲直り、か……あたしはいないほうがいいのに」
予言書の記述が変わるタイミングを確認して、アイコはいくつかの仮説を立てていた。予言書に悲劇的な最後が記される原因となる人物が、何人かいるということだ。
まずは、アルバートである。最初はアルバートが生きている世界の未来が、記載されていた。彼が生き残ることで、人族は彼を英雄として持ち上げてしまう。
結果的に、種族間差別は残り戦争に繋がる。
次に、ロイド・フラーマである。彼が生きている世界では、アランとの戦いの後でノエルやラウダの協力を得て、魂合一化の抗体が生まれる。これによりエンブリオが独断で世界を合一化してしまい、結果的に世界は荒れ果てるのだ。
同軸座標転移問題は、解決しないまま。
そして、アイ・コンパイラー。上述の二人が死にアイコが生きている世界では、ノエルと和解し、二人で三神を打ち倒し全世界合一化は防ぐことに成功する。
だが、その後もう一人の神である運命神ライターが姿を現し、ノエルと一緒に戦っていたアイコを殺そうとする。その際、ノエルはアイコを庇って死亡するのだ。
ノエルと合一していたエンブリオも、この際に消失。
アイコは復讐を誓い、ライターを殺し、神のいない世界が生まれる。その結果、最終的に世界は膨らみ続けるデータ容量に耐えられず、崩壊してしまう。
「あとはノエルが神化を遂げて、あたしが殺されれば計画は遂行される……」
神化という概念は、アランから聞いた話だ。悪魔が虚無を克服し、強い幸福と希望を得ることで至るという魂の次のステージ。ある程度の現実改変能力と、卓越した瑪那操作能力を得るという。
外見的特徴は、大きな翼。形状も色も個々人の魂の形によって異なる。エンブリオの器となるには、神化をしなければならないらしく、グリムが世界で初めて神化した悪魔なのだと彼は恨めしそうに語っていた。
「いくら強くするためだからって、あの子を地獄の淵に叩きつけて……あたしは転生なんてできないわね、これは」
きっと、死後の自分の魂はグリムに捕まり、地獄という魂の牢獄に囚われてしまうのだろう。
これまでしてきた所業を考えれば、それでもいいや、と思えた。そして地獄の底に遅れて来たアランを、思い切り笑い飛ばしてやるのだ。
「さて、布石をバラマキにいきますか」
秘密基地から出て、まずは夜の図書館に忍び込む。神戸の大図書館だ。異世界の書物を多く蔵書しているのが特徴だが、もちろんこの世界の書物も多く揃えている。
異言語で書かれた本は、ラウダが一部翻訳して翻訳版と原本を寄贈しているのだ。それら異言語は、この世界にも旧時代にはあったらしい。英語やイタリア語やロシア語などなど、数多くの言語をそれぞれの国の人が操っていたという。
ラウダが翻訳できるのは、英語だけらしかった。きっと、異世界では各国の人々をつなぐ共有の言語か何かだったのだろう。
大図書館にある『魔女エラの物語』を、ラウダが書いた原本にすり替えておく。小説の体裁を取っている自叙伝だ。
現在流通しているのは原本から、要所要所を変えて物語としての面白みを付加したもの。ラウダの行動原理を知るには、原本でなくてはならない。
そして、わかりやすいように少しだけ背表紙を飛び出させておく。裏の書庫にある全ての魔女エラの物語も、全て原本のコピーにすり替えた。
装丁もしっかりと、原本に忠実にしてある。
「我ながら完璧な仕事だわ」
次に向かったのは、あるコレクターの家。神戸に豪邸を構えており、ノエルはたまにこの家の娘と遊んでいるのだ。彼の家の玄関の前に、段ボールで梱包した黄金の歯車像を置いておく。
先週、この家のポストに偽の懸賞ハガキを投函しておいた。その賞品が黄金の歯車像だ。彼はまんまと懸賞ハガキの応募欄にチェックを入れて、返送していた。
これで受け取ってくれるだろう。
計画通りに進めば、アイコの死後、ノエル達にとって必要になるものだ。どういうものかは、グリムか誰かが教えてくれるだろう。
「ええと、次は……」
何をしているんだろう、という思いが込み上げてくる。それを必死に無視しながら、アイコは博多に向かった。
自分がいなくなった後も、計画通りにノエル達が道を歩めるように、幾つもの布石をあらゆる場所にばら撒いていく。
全てを終える頃には、もう夜が明けていた。秘密基地に戻り、再びベッドにダイブする。ぐぅ、と腹が鳴ったが眠気のほうが勝り、泥のように眠った。