39.召集(ルミ視点)
グリム歴2000年 11月2日。
ゴミ拾いをして帰ってくると、ユーリアが家の前にいた。どうやら博多から召集令状が来たらしい。申し訳無さそうな顔をしているユーリアに微笑みを投げかけ、ノエルとカイと連れて市庁舎に向かった。
博多へは転送装置を使って行くのだそうだ。各行政区の市庁舎のみに配備されている貴重な装置だ。
「馬車で行くことも考えたのだがね、今神戸には魔薬という危険な薬物が蔓延しつつある。長く空けることは避けたくてね」
「私も聞いたことがあるな、最近浮浪者に人気があると」
「まだ浮浪者だけだが、いずれ他の市民にも波及するだろう。まったく、頭痛の種が次から次へと湧いてきて飽きない仕事だよ」
力なく笑うユーリアに、カイが「お疲れ様です」と手を合わせた。神戸側からはユーリア、および神戸騎士団の団長ナインが出向く。
非武装のほうがよいということで、ルミは剣を秘書に預け転送装置のある部屋に向かう。全員で部屋に入ると、かなり手狭だった。
転送装置の使い心地は、正直最悪だった。ぐらぐらと世界が揺れるような感覚がして、酔いそうだ。もっとも、ルミは京都から博多に来たときも転送装置を使ったため、初めてではなかったが、それでも慣れそうにない。
カイもグロッキーになっている。
「さて、気分の悪い会合の時間だ」
ユーリアが言い放った言葉に苦笑しながら、転送装置のある部屋を出る。すぐに博多市長の秘書が出迎え、会議室に通された。ノエルは車椅子に座ったまま、ルミとカイはその両脇を固めるように座る。
対面には、どっぷりと太った中年のハゲ男と騎士団長。それから、騎士団員が七人いた。そのうちの一人、切れ長の目をした男がノエルを見て目を伏せていた。
「私は福岡市長ノイマンである。本日呼びつけたのはほかでもない。そこの魔女の件についてだ」
ノイマンが吐き捨てるように言って、下卑た笑みを浮かべている。
「そこの魔女が我々の騎士団を襲い、団長ミハエルを殺しかけた。間違いないな?」
「ええ、間違いありません」
ミハエルが弱々しい声で答えた。
おかしな話だ。前提条件がまるっきり抜け落ちている。早くも気分が悪くなりそうだった。
「失礼、説明が足りぬのではないかな?」
ユーリアが手をあげて言った。傍らに控えていた神戸騎士団長ナインが、ギラリと目を光らせ、ミハエルを睨んでいる。
「貴殿ら福岡騎士団がノエル君の故郷を滅ぼし、その報復をされかけたという話であろう」
「失礼、魔女を匿った村を粛清するのは当然のこと故、失念しておったよ」
ノイマンが鼻で笑い、ユーリアがため息をついた。
「悪魔の出身地というだけで村をひとつ滅ぼすのは、些かやりすぎではないかね」
「悪魔と悪魔憑きを匿うのは反逆だ、妥当な措置だよ」
「では、手続き等に不備はなかったと言うのかね?」
「ああ、そうだ、正当な手続きを経ての正義の行いである」
今度はユーリアが鼻で笑った。ナイン団長が何かの紙の束を取り出し、全員に配った。見るに、記録のようだった。通話記録と書かれた紙が一枚と、福岡騎士団の活動記録が二枚。
ナインが書類を手に、立ったまま口を開く。
「この通話記録は、例の匿名の通報があった時刻です。事件当日の午前八時」
アイコが騎士団に連絡した時刻だった。
「騎士団が使っている通信機器は、こうして履歴が残るのでハッキリとわかります。そしてこちらが、その際の音声データです」
言って、今度はナインがカバンから装置を取り出した。大陸全土の騎士団で使われている記録媒体と、その再生装置である。カセットテープと、カセットプレイヤーだった。
彼がボタンを押すと、装置から音声が流れ始めた。
『前に街を焼いた魔女が! 精霊の森近くの村から来たのを見ました! 私怖くて怖くて……村の人を捕まえてください!』
雑音まじりでわかりにくいが、アイコの声だった。妙に芝居がかった声色で、らしくない喋り方をしている。わかっていたことだが、改めて突きつけられると頭を抱えたくなる。
「そしてこちらの書類は、博多騎士団の活動記録です。騎士団はこの通話の二十分後に、精霊の森方面へ向け、隊を動かしています」
見ると、ミハエルを含む八名が精霊の森方面の村へと進軍したということが書かれている。丁寧に、同行した騎士団員の名前まで書かれていた。
通報があってから二十分。あまりに早すぎる対応である。京都騎士団にいたときは、情報を精査した後、書類をいくつか書き市長および議会の承認を経てからでないと、騎士団は動かせなかった。
緊急時には簡略化されることはあれど、20分の短時間で手続きが終わることはない。
「タレコミに対して事実確認をしていないようですが? 進軍のための必要書類も後から提出されたようですが、いかがですかな」
ナインが言って、席に座る。ご苦労だった、と言った後ユーリアが対面に座る面々を睨みつけた。
ルミも同様に、彼らを睨みつけている。睨まずにはいられなかった。言われるがまま剣を置いてきてよかった、と心底思った。
「この点に関して、何か弁明はあるかね」
「……だが、結果的に村人は認めた。何も問題はない」
「結果論に過ぎんな。ミハエル君はどう思うかね」
呼ばれて、博多騎士団長ミハエルの眉がピクリと動いた。年下に君付けで呼ばれることに、腹でも立ったのだろうか。
「わ、我々は正義に基づき行動したのみ」
まだそんなことを言っているのか、と呆れてしまう。最早ため息も出なかった。ノエルを挟んで、カイが拳を握りぷるぷると震えているのが目に入る。
「ほう……正義ね」
「博多は過去にも魔女に街を焼かれている! この間もそこの魔女が街を焼いたと聞いている!」
「では証言してもらおうか、入りたまえ」
ユーリアが言うと、会議室の扉が開かれた。振り返ると、そこにいたのは数人の男女だ。見覚えはないが、ユーリアが呼んだからにはこちら側の援軍だろう。
皆、目を伏せている。
「彼らは例の事件の目撃者だ」
彼らは、ユーリアに促され順番に証言していった。突然鉄人形が街に来て街に火を放ち、どこからともなく現れた悪魔と魔族がそれを撃退し、街の消火活動をしていたと。
その後、人々は勘違いして彼女に石や短剣を投げつけていたと。なんて酷いことをするんだと思ったが、怖くて何も言えなかったのだと言う。
そして、ある女性が服の裾をぎゅっと握りしめながら、口を開いた。
「そう証言したら……市長が、気の所為だろうって揉み消しました」
「ありがとう、勇気ある告発に感謝する」
ユーリアが頭を下げると、彼女らは会議室を後にした。ノエルの顔が、彼女らに向いている。ノエルもなにか思うところがあるのかもしれない。何しろ、視線以外を動かすようになったのはいい兆候だった。
「さらに、この本には魔女エラは街を救った英雄であり、勘違いした人々に理不尽に命を奪われたと書かれている。これは博多以外では一般に広く流通している本だ」
ユーリアが懐から、ある本を取り出した。『魔女エラの物語』という、児童書だ。ルミも子供の頃に読んだことがある。魔女エラの非業の死を、彼女と一緒にいた青年の目線で綴る物語形式の本である。
著者は、ラウダ商会のラウダである。
「博多では禁書扱いになっている。続いてこちらの記録を見てくれ給え。千年前、当時の記録だ」
ノートパソコンを操作して、ユーリアが画面を見せた。そこに表示されているのは、とある紙の資料の写真だった。グリム歴千年と書かれている。
当時の白教の記録のようだった。
そこに書かれているのは、魔女エラの話だ。唐突に街を襲った不死の軍勢を魔女エラが退けたが、魔女狩りにあい死んでしまった。
当時魔女エラと一緒にいた青年、ラウダから話を聞き、この話をお伽噺として広く普及させる計画を立てたという書類だ。白教の教義には、種族間差別をしないということがある。
多くの人が守れていない教義だが、当時の白教の神父は熱心に教えを守っていたらしい。
ただ、ルミの感心は別のところにあった。
ラウダだ。
考えてみれば、おかしな話ではない。彼は悪魔と合一化し、千年の時を生きている。魔女エラにも、ノエルと同じように契約悪魔がいたというのは魔女エラの物語にも書かれていた。
彼は自分の名前を違う名前に変え、本を書いたのだ。彼こそが、魔女エラと一緒にいた異世界の青年だったのだ。
驚きはしたが、納得はできる。ノエルの精霊の剣に興味を示したのも、精霊の剣を鍛えると言ったのも納得だ。彼が作ったものだから、当然なのだ。
「さて、貴殿らは祖先の犯した愚をもう一度犯した。そればかりか、正しい証言を揉み消した。彼女からは、事実を吹聴すれば家族の命はないと脅されたとも聞いている」
「うわあ……」
思わず、声に漏れていた。
ユーリアの口調からも、確かな怒りが感じられるようだった。ここまで念入りに調べたところからも、それは伺える。
「それで言うに事欠いて彼女らを糾弾しようとし、引き渡しに応じなければ宣戦布告? 貴殿らはもう少し恥というものを知るといい」
なんだか、気分が良くなってきた。対面の博多市長や騎士団長は、ぐぬぬと震えている。不愉快な気分にさせられた分、スカッとする。
「それに白教の本来の最も重要な教義はなんだったかな? 貴殿ら博多は白教を重視していたが、思い出してみるといい」
「汝、種を憎むことなかれ」
突然、影扉が開き、声が聞えてきた。中から出てきたのは、ノエルに瓜二つだが、彼女よりも少しばかり背が高く髪がかなり長い女性。
「まさか……」
「ルミさんですね、そう、私はノエラート・グリム。そこのノエルの母親のようなものであり、救世主や女神と呼ばれているだけのただの女悪魔です」
グリムは柔和な笑みを浮かべているが、全員が口をあんぐりと開けている。ユーリアも流石に予想していなかったのか、彼女をただ呆けたような顔で見ていた。
「先ほどの魔女エラの話は真実です。そして魔女エラの正体は私が生み出した分霊、精霊であり、ノエルはそんな魔女エラの魂の半分から生み出された精霊です」
グリムは笑みを崩さず、だが毅然とした態度で淡々と述べた。ユーリアはこほんと咳払いをし、立ち上がる。
「失礼、貴女が救世主グリムである証拠を見せて貰えるかな」
「わかりました、この姿、一度は見たことがあるでしょう」
言うと、グリムの背中から巨大な純白の翼が生えた。頭の上には、金色の輪が浮かんでいる。これこそ、ルミの知る救世主ノエラート・グリムの姿だった。彫像は全てこの姿だし、教科書にもこの姿の似顔絵が掲載されている。
純白の翼を持ち、金色の輪を持つ存在は、確認されているのは唯一人。グリムだけである。
ノイマンが、顔を引き攣らせている。流石に、本物だと認めざるを得ないらしい。偽物だと糾弾するつもりだったのかもしれないが、ユーリアに先手を打たれる形になった。
「ノエルのお母さん、精霊とはどういうものか、改めて説明してくれないか」
「あなたにお母さんと呼ばれる筋合いはありませんよ? でもわかりました」
彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべた後、一呼吸を置いて説明した。
「精霊というのは、私の分霊。魂の分身です。実際は私と同じ悪魔です。エラは初の人型精霊として生み出しました。ノエルは、二人目の人型精霊です。精霊にはそれぞれ、炎・水・風・土・光・闇の属性を付け、この世界の管理を任せています。魔女エラとノエルは例外的に管理を任せず、自由にさせていました」
ノエルは闇の精霊であり、光の精霊は現在不在ということだった。
彼女は説明を終えると、ノエルの頭を一度撫でた後、役目は終えたと言わんばかりに去っていった。一瞬の静寂が室内を包んだ。
静寂を破ったのは、ノイマンだった。
「だが! そこの魔女は危険人物だ!」
「そ、そうだ! 無関係の受付嬢にまで手をあげた!」
見苦しいな、とルミは思った。今すぐ吹き飛ばしてやろうか、とも。何か文句の一つでも言ってやろうかと立ち上がろうとしたとき、バン、という音が聞えた。音のした方を見ると、カイがテーブルを叩いていた。
肩をわなわなと震わせながら、立ち上がっている。
「何よ! 自分たちのことずっと棚に上げてばっかり!」
「カイ?」
「もうあったま来た! あんた達は! 隣にいるノエちゃんを見て何も感じないの!? 何も感じないなら、あんたらのほうがよっぽど危ない人だよ! 一度滅んだほうがいいんじゃない!?」
怒っているとは思っていたが、想像以上の過激発言が飛び出し、思わず噴き出してしまった。ユーリアもナインも、笑いを堪えている。対するノイマンは顔を真赤にして、拳を振り上げ、テーブルに振り下ろした。
バン、と低い音が響く。
「なんだこの女は! なんて言い草だ!」
「そっちこそ何よ! 殺されても文句言えないわよ!?」
「馬脚を現したな! この危険分子が!」
――ああもう、滅茶苦茶だ。
うつろが珍しく影から顔を出し、「おいなんとかしろ」と囁いてくる。仕方がない、と立ち上がった。ルミがまとめないと、この罵倒合戦は終わりそうもない。
個人的な気持ちとしては、自分も加わりたいくらいだったが。
ルミは二人にならってテーブルを叩いた。この場にいる全員が、一斉にルミのほうを見た。
「一回落ち着いて、ほら! 深呼吸しなさい!」
ノエルの口調を真似てみた。
「ルミは腹たたないの!?」
「いや、正直滅茶苦茶腹が立った。今すぐここを吹き飛ばしてやろうかとすら思った。だが、彼らも一枚岩ではないらしい。そこの黒髪七三分けの……ええと」
「さ、サンガ・ディノス……サンディです」
「サンディは、ノエルを見て目を伏せていた。私には泣きそうに見えたよ」
サンディは、「い、いえ」と目を逸らした。市長の手前、何も言えないのだろう。彼の心には、罪悪感があるのかもしれない。だとすれば、全員が全員人でなしというわけでもないのだろう、とルミは考えた。
カイは少し落ち着いたらしい。まだわなわなと拳を震わせているが、押し黙っている。
ルミは深呼吸をひとつした。
「結局のところ、博多側はどうしたいんだ?」
ルミが問うと、ノイマンが一瞬の間を置いて席についた。
「神戸には魔女の身柄を引き渡してもらいたい」
この期に及んでどういう思考回路をしているのだろう、と口に出しそうになるのをぐっと堪える。
「お断りする」
「はい、じゃあ神戸側としてはどうしますか」
「このまま自己を無理に正当化し続けるのであれば、我々は戦争をも辞さない覚悟だ。同盟を組んでいる名古屋にも協力を募ろう。博多での魔族の処遇を考えれば、魔族の街も味方につけられるであろうな」
ユーリアは、非を認めて然るべき対応をしなければ、博多を攻め滅ぼすと臆面もなく言ってみせた。
どいつもこいつも過激すぎると思いはしたが、努めて冷静を装う。
「言いおったな……博多の対応は決まっておる、戦争だ!」
「愚かだな、貴殿らに勝ち目はないとそう言ったのだが」
「ふんっ、抜かしておれ!」
さて、どうしたものか。
ノエルの心が戻っていたならば、この状況をどう収めただろうか。彼女が戦争を望まないことは、ルミにもわかる。四神教のこともあり、今は大陸で争っている場合ではないし、そうでなくともノエルは無為に血が流れることをよしとしない。
しかし、ルミにはどうすることもできなかった。この件の被害者はノエルであり、自分にはこれ以上口を挟む権利はないように思えた。
落とし所を探ろうにも、相手が聞く耳を持たないのであれば意味がない。
ルミはため息をついて、座り込んでしまった。
その時である。
ノエルが、おもむろに立ち上がったのだ。
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