38.魔女の家の休日(ルミ視点)
グリム歴2000年10月31日。
ルミは日課のゴミ拾いをカイと二人でやりながら、昨晩のことを考えていた。カイの作った朝食をノエルに食べさせているカイを見ながら食事をしているときも、ずっと。
昨晩のアイコは、明らかに様子がおかしかった。離反してからずっと様子がおかしくはあったが、そうではなく、昨晩の彼女は憔悴しきっているように見えたのだ。
憎まれ口を叩くこともせず、ただただ自分を許すなと懇願するように言っていたのがどうにも気にかかる。
だが、考えていても仕方のないことだった。
今日は、ノエルを街に連れ出すことにした。車椅子に乗せて、カイとうつろと四人で街に繰り出す。うつろはノエルが臥せってからというものの、ほとんど出てこない。
元からたまにしか影から出てこなかったが、どうもノエルの調子が悪いとうつろの調子も悪くなるようだった。契約で心が繋がっているのだから、当然だろう。
心が動いていないということは、瑪那も供給されないのだ。うつろは普段なかなか食事を摂らないが、今朝は食事を摂っていた。
「ノエルちゃんどうしたんだい?」
露天商のカールマンの店を通りがかると、彼がぎょっとしたような顔をしてバタバタと近寄ってきた。
「心を壊してしまってな」
続けて何があったか説明すると、カールマンは息を漏らした。
「そうかい……大変だったんだな」
他の露天商も聞いていたのか、口々に同情の言葉を投げかけている。涙を流す者、怒り狂う者もいた。今すぐ博多に行って文句を言ってやる、と風呂敷を畳もうとした人もいたから、慌てて止めた。
「ノエルは愛されてるんだな」
「そりゃあ、ここいらの露天商はノエルちゃんに稼がせてもらってるからね」
「ん? どういうことだ?」
「たまに、ここで芸をやってお捻りを稼いでるんだ。その日は飲食物がよく売れるんだよ」
初耳だった。
確かに、ルミがつけている帳簿に知らないうちに金額が書き込まれていることがあったが、まあいいかと深く考えないようにしていたのだ。
「ルミちゃんの酒代を稼いでたんだよ」
「まじか……」
「ああ、と言ってもこれまで二回ほどの公演だったけどね。魔法で色々な芸をしてくれるんだ。ワイヤー使ったのとか圧巻だよ」
「まあでも、ノエルらしいな」
うんうんと頷きながら、キングケンタウルスと戦ったときのことを思い出した。使いたくないと言いながら使っていたワイヤーは、芸のためのものだったのだと、はじめて知った。
それは使いたくないはずだ。人を笑顔にするために用意した道具で戦いなど、ルミでも嫌がることだ。
それからも街を歩いていると、結構声をかけられた。皆ノエルを心配し、ノエルに悩みを聞いてもらったとか子供の面倒をみてもらったとか、色々なことを話してくれた。
ルミが知らない間に、ノエルは街に誰よりも溶け込んでいたのだ。ルミは、自分を恥じた。自分は飲み歩いてばかりいたのに、ノエルはコツコツと住人からの信頼を得ていたのだ。
ふと、市長の姿が見えた。噴水広場のベンチで休憩していると、ユーリアがこちらに気づき近寄ってきたのだ。彼はノエルの姿を見て、目を細めている。
「話には聞いていたが、実際目の当たりにするとキツイものがあるな」
「市長、わざわざ見舞いに?」
「ああ、ノエル君には何度か仕事を手伝ってもらっていてね」
「え、そうなんですか?」
ユーリアはルミの隣に腰をかけ、車椅子に座るノエルをじっと見据えながら、色々な話をしてくれた。
ギルドを設立してすぐノエルが市庁舎に来て、何か自分に手伝えることはないかと直談判したのだった。ユーリアはそんなノエルに、書類整理を頼んだという。彼女は嫌な顔ひとつしないどころか、楽しそうに書類を整理していた。
それから食事に付き合ってもらい、友人になったのだと。
「だから君も私にはタメ口でいい。呼び捨てでも構わない」
「ノエル、本当に色々やってたんだな」
「ふっ、君が酒を飲んでいる間に彼女なりに頑張っていたのだよ」
「うっ……面目ない」
ふと、ノエルの口元がほんの少し緩んだ気がした。普段の彼女なら、笑いながら「えっへん」と言っただろう。勝ち誇ったように笑って、ルミにもう少し酒を控えるように言ったかもしれない。
そう思うと、自然と笑みが溢れた。
ユーリアはノエルをじっと見て、手を握っている。
「君たちには酷な話だが、近日中に博多に出向いてもらうことになる」
「博多に? まさか騎士団が何か?」
「騎士団と市長が、ノエル君の身柄引き渡しを要求してきてね。まだ正式な書状は届いていないが、一緒に博多に行ってもらうことになるだろう」
「市長……ユーリアはどうするつもりなんだ?」
聞いてみはしたが、答えは隣を見ればすぐにわかった。彼の表情は読み難いが、ノエルの手を握る彼の手は震えている。瞳も、揺れ動いていた。
「もちろん、ノエル君を引き渡すようなことはしない。キングケンタウルスから街を守ってくれた恩を、我々はまだ返せていないのだ」
キングケンタウルスは、非常に獰猛な魔物だ。本来ならば、神戸付近は生息圏から外れている。何者かが手引したのだというのが、市の公式の見解だった。
つまりノエル達は、市からしてみれば謎の侵略者から街を救ったことになるのだと、ユーリアが語る。ルミはなんだかむず痒くなった。
「君らは強い。我々の騎士団も博多の騎士団も、本気を出されれば一瞬で壊滅するだろう」
「そんなこと……」
「いいや、魔法の力、魔族の神通力や怪力というのは本来それほどに強力なのだ。それなのに人族が未だ支配者顔をしていられるのはなぜだと思う?」
考えたこともなかった。
悪魔は影の世界という地下世界に住み、魔族は魔界という隔離された荒廃した土地に住んでいる。魔界は崩壊寸前らしいが、それでも侵略戦争を仕掛けてくる様子はない。例外は、二千年前の戦争終結以来、京都のときだけだ。
強大な力を持ちながら、人族が最も平和で明るい生活圏を有している。悪魔は光のささないところにいて、魔族はいつ崩壊するかわからないところにいるのに。
ユーリアはノエルの手を離し、腕を組んだ。
「彼らが争わずにいてくれているおかげだよ。本来ならばより力の優れる者が大陸の覇者となるべきだ。だが、悪魔も魔族も人族に道を譲ってくれているというのが僕の見解だ」
「なるほど」
「ノエル君にしてみても、人族に恨みがないわけないんだ。彼は魔女エラの生まれ変わりだと言っていたし、博多を出るときも石や短剣を投げつけられたと聞いているしね」
ユーリアは、思っていたよりもノエルの話を聞いているらしい。ノエルも彼を信頼しているのが、話から伝わってきた。
魔女エラの生まれ変わりだという話は、ルミもギルド設立後少ししてから聞いたのだ。ノエルが精霊であるということも。
ラウダに対し言わなかったこともあり、てっきりそこは隠すものだと思っていたから、少し驚いた。
「僕は以前、彼女にどうして人に恨みをぶつけないのかと聞いたことがある。彼女は、種族で憎しみ合うのは嫌だ、と言っていた」
「目に浮かぶな」
「ノエちゃんらしいよね~」
話が難しいからか、ずっと口を挟まずにいたカイがにへらと微笑みながら言った。
博多を出るときも、ノエルが似たようなことを言っていたのを思い出した。生まれた種族だけで憎み合っていたら、どっちかが滅ぶまで争い続けるしかないのだと。
「ノエルはとても好ましい性格をしている。考え方も立派だと僕は思う。そんな彼女を僕は一人の友人として尊敬しているのだよ」
ユーリアは「話しすぎたな」と笑い、立ち上がった。
「安心してくれ、決して悪いようにはしない」
「うん、ありがとう」
一礼して市庁舎のほうへと去っていくユーリアを見届けた後、カイが「ぷはぁ~」と溜めていた息を吐き出した。
「緊張した~! でもいい人だね、ユーリア市長」
「神戸に来て、本当に良かったよ」
「お、一市民としてうれしい言葉だ~」
にへらと気の抜けた笑みを浮かべるカイを見て、また改めて思った。
ラインハートに勧められるがままだったが、神戸に来て本当に良かったと。交易の街であり、魔族とも貿易をしている街。だからこそ、この神戸には種族間差別があまり根付いてはいない。
最初の頃はぎょっとされていたが、この短い期間ですっかり受け入れられた。それはノエルの頑張りもあるが、この街の人の心根が温かいからだろうとルミは思った。
ラインハートに感謝しなければ。
「さ、次はどうするか」
「ノエちゃんが楽しめることしたいね~」
「思えば観光もしてなかったな……拳闘でも見に行くか? 命を張らない戦いはノエルも好きだからな」
「おっ! この街の拳闘はちょっとしたものだよ~」
ふふん、と誇らしげに腰に手を当てるカイを見て、ルミは噴き出した。
立ち上がり、車椅子を押してカイの案内のもと闘技場に向かう。
街の西の外れにある闘技場は、確かに大きかった。京都にも闘技場はあったが、もっと小さかったと記憶している。京都は武芸の街だが、街の景観を守るために巨大な建物は作りにくいのだ。
試合のクオリティは高いものの、闘技場自体の豪華さは神戸の圧勝だ。
すぐに見られる試合のチケットを買いに受付に向かう。なんと、10分後にシィルの復帰試合があるという。
「オークキングとの戦いで、闘争本能が目覚めたのか」
「あの人、根っからの拳闘士だからね~」
「対戦相手は中級から上級への昇格試合か」
対戦相手のハルトは昇格がかかっており、復帰試合とはいえ手加減をすることはないだろう。対するシィルはブランクのある中級拳闘士。不利な対戦カードだが、ルミはシィルに銀貨30枚を賭けた。カイは10枚だ。
観客席に向かおうとすると、車椅子の人がいるなら特別席を用意すると受付に言われ、案内されるままに特別席に向かう。
特別席は通常の観客席から少し隔離されたところにあるが、高い位置にあり戦いが俯瞰してよく見渡せるし、望遠鏡まで設置されている。
強化ガラスが張られているようで、まるでVIPルームだ。もっとも、特別席料金として銀貨20枚を取られたから、擬似的なVIPルームだったが。
席に通されると同時に運ばれてきた葡萄ジュースを飲みながら、試合を待つ。
少しすると、試合が始まった。
「西コーナー! オークキングと2日戦い続けた狂戦士! シィルゥゥゥゥ!」
わぁっ、と観客が湧くと同時に、シィルが入場してきた。観客に愛想を振りまきながら、際どい格好をしている。胸当てと腰巻きだけという、拳闘の伝統的なユニフォームだ。昔は奴隷が戦っていたから、その名残らしい。
「東コーナー! 上級昇格なるか? 期待の超新星! 漆黒のハルトォォォォ!」
漆黒と呼ばれた男は、黒いボロボロのマントを羽織って入場した。筋骨隆々の体を見せびらかすようにポージングをし、マントを放り投げる。
二人はにらみ合い、拳を構えた。
拳闘の試合は、肉体のみで行われる。武器の使用は特別マッチを除いて禁止されており、肉体の技のみを競うのだ。殺しは禁じられており、試合の勝敗はレフェリーの判断に委ねられている。
レフェリーが試合続行不可能と判断すれば、そこまでだ。会場を緊張が包み込む。
「拳闘開始ィィィィ!」
司会の合図と共にゴングが鳴り、両者同時に駆け出す。ハルトの丸太のような足による蹴りを躱し、シィルが拳を鳩尾に食らわせた。ハルトは少し後ずさるも、にやりと笑いシィルの両肩を掴み、放り投げた。
シィルは空中で身を翻し、器用に着地する。
「シィルさんは身の熟しが軽いな」
「ハルトって人は攻撃に威力がありそう……一発でもいいの貰っちゃうとアウトかもね~」
シィルはハルトの攻撃を警戒し、距離を取りながら戦っている。ハルトはシィルの攻撃を食らっても身じろぎひとつせず、追いすがってくる。戦いはハルトの優勢のように思えた。
だが、ハルトはハルトで攻めあぐねているようだ。シィルの軽い身の熟しに翻弄され、拳も足も空を切り続けている。
「持久力勝負になりそうだね~」
「ならシィルの勝ちだろうな、2日間ぶっ通しでオークキングと戦い続けたんだ」
「巨体から繰り出される一撃への対策か~、万全そうだな~」
オークキングとの戦いが、ハルトとの戦いの予行練習のようになっていた。もっとも、運営側はそれを意識してこの試合を組んだのだろう。巨躯と膂力を売りにしているハルトとの戦いは、オークキングと渡り合ったシィルの復帰試合として大いに盛り上がる。
実際、観客はかなり盛り上がっていた。ルミも手に汗握っている。
長く続いた攻防の末、ハルトの肩が激しく上下してきた。数十分、シィルは彼の攻撃を往なしながら拳を叩き込み続けたのだ。いかに硬い筋肉に覆われていようと、何度も殴られればダメージにはなる。
加えて、この長期戦。ハルトは、これまでその膂力に任せて短期決戦で戦ってきたのだろう。もう限界のようだ。
シィルが鳩尾に拳を叩き込むと、ハルトの体は地面に崩れ落ちた。
レフェリーが割って入り、手をあげる。
「勝者、シィル選手!」
再び、わぁっと観客が湧く。ルミも「よっしゃあああ!」と、自分のことのように喜んでいた。オッズは5倍。二人の合計40枚の銀貨は、2枚の金貨になった。
何より、知り合いが勝ったことが喜ばしい。興奮してノエルの顔を覗き込むと、彼女の目はしっかりとシィルのほうを向いていた。
少しずつではあるが、ノエルの心にも良い影響があるらしい。拳闘を見に来て正解だったな、とカイと笑いあった。
「いやあ、儲けたね~」
「しばらくシィルさんには足を向けて寝られないな」
「ノエちゃんも、楽しかったならいいな~」
「きっと楽しかったさ」
それから、勝った金貨で豪華な食材を揃え、シィルの祝勝会を開いた。もちろんカールマンとシィルも招待して。
シィルはノエルを見て悲しそうな顔をしたが、すぐに持ち直し明るく振る舞っていた。彼女が拳闘に復帰するというのは、どうやらカールマンの案らしい。
逃げることもできたのにオークキングと戦い続けた彼女に、思うところがあったのだという。そんなに戦いが好きなら、これからは拳闘をすればいいと言ったのだそうだ。
シィルは大いに喜び、すぐに復帰し、見事復帰試合を制したという。彼女が上級に昇格する日も、そう遠くはないだろう。
こうして、10月は終わった。
ノエルは相変わらずだが、少しずつ自発的な行動も増えてきている。たとえば風呂に入るときは段差を自分で乗り越えるようになったし、食事もゆっくりとだが、自分で食べられるようになった。
街の人との交流と遊びは、思っていた以上に効果があったのだ。
もし面白ければ、ブックマークや評価をしていただけると大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。