36.心神喪失(ルミ視点)
アルに自室を与え休ませ、ノエルを自室のベッドに寝かせた。彼女は意識を取り戻しているようで、目も開けているが何も喋ろうとしない。
それどころか、自分では動けないようだった。ベッドの上に寝転がり、視線を天井からピクリとも動かさないでいる。
「うつろ、ノエルは今どういう状態なんだ?」
「……心がない」
「心がない? どういうことだ」
「どう言えば良いのか……複数の-感情が振り切れると、感受性が死ぬんだ。心が動かなくなるんだ」
「心が動かなくなるから、体も動かないということか」
目眩がした。
目の前の大切な家族の、虚ろな目。呼吸をしているのに、それ以外の一切を行おうとしない体。それらを見て、ルミは自分の膝を思い切り叩きつけた。
「くそっ! 結局私は……」
「待て、ずっとこうとは限らん。時間が解決することもあるし、周囲の人の心がノエルの心を取り戻すこともある」
「このままということも、あり得るのか?」
「……ああ。こいつはずっと絶望し続けていた。虚無は人一倍深く暗いだろう」
うつろの言葉に、ルミは顔を覆った。涙が溢れて止まらない。
だが、泣いてばかりもいられない。少しでも希望があるのなら、それに向かって進まなければならない。ノエルを取り戻したい。大切な彼女の心を、笑顔をまた取り戻せるのなら、何でもしたい。
「商会に行ってくる」
「どうするんだ?」
「車椅子を手配してもらうよ。人の心が大事なんだろ?」
「わかった、だが今日は……」
「うん、今日は休ませよう。疲れただろうからな」
ルミはノエルの頭を撫でてから、商会に向かった。道中、ずっと心が重かった。あのときの自分の行動は正しかったのか、ノエルを止めることで心にとどめを刺してしまったのではないか、後悔してもしきれない。
だがきっと、この後悔は何をどうしても起きたことなのだろう、と思い直した。
商会に行き、事情を説明すると、レンがすぐに車椅子を手配してくれた。
車椅子を持って家に戻ると、扉の前に親子がいた。
「何か御用でしょうか? あっ」
声をかけて、すぐに気づいた。ノエルが瓦礫から救い出した少女と、その母親だ。ルミに気がつくと、二人はぺこりと頭を下げた。
後日名前を聞いたのを思い出した。母親はアルル、娘はイルルだ。
「先日のお礼を言いたくて……おかげさまで娘も元気にしております」
「魔女のお姉ちゃんいるー?」
「ええと……とりあえず入ってください」
ルミは二人を家に通し、二階のノエルの部屋に案内した。部屋に入る前に、ルミは首を傾げる二人に状況を説明する。
ノエルの故郷が博多の騎士団に滅ぼされてしまい、ノエルは今心神喪失状態にあること。人の温かさに触れることが大事だから、ぜひ声をかけてあげてほしいということ。
説明すると、アルルが口元をおさえて涙を流した。イルルはいまいち理解できていないのか、首をちょこんと傾げている。
「ぜひ……お会いさせてください」
「ありがとうございます」
二人を部屋に通し、ベッドの近くにある椅子に座らせる。アルルはイルルを膝に座らせ、ノエルを見つめた。天井を見据えたままじっと動かず、視線すらも一定のノエルを見て、彼女はまた泣きそうな顔をした。
流石にイルルも何か異変を感じとったのか、心配そうに眉をひそめている。
「ノエルさん、先日は本当にありがとうございました。おかげで、娘は元気で、最近は足も完全に治ったのか、走り回ってるんですよ」
アルルが言うと、ノエルの視線が少しだけ動いた。アルルのほうを見ている。ルミはほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも、自分に対して話しかけている人間がいるということは感じ取っているようだ。その相手のほうを見やるくらいは、できるらしい。
「お姉ちゃん、ありがと!」
「この子ったら、あれから魔女のお姉ちゃん魔女のお姉ちゃんってせがむんです。なんでも、私も夫も仕事に行っているとき、遊び相手になってくれたとか」
ルミの知らないことだった。目を細め、笑みが溢れた。ノエルらしいな、と思ったのだ。子どもと一緒に楽しく遊ぶ彼女の姿が、目に浮かぶようだ。
「私達はみんな、ノエルさんの味方です。街の人に、あなた達を恐れ疑う人はもう、ほとんどいません。毎朝ゴミを拾って、依頼でもないのに細々とした困りごとを聞いてあげて、そんなあなたの姿を多くの人が見ているんですよ」
彼女の言葉は、とても温かかった。思わず泣きそうになるくらいには。ノエルはじっと、彼女のことを見ている。体はやはり動かないが、効果がないわけではなかった。
それから、アルルとイルルはひとしきり話した後、また来ますと言って魔女の家を去っていった。ルミは彼女たちに深々と頭を下げ、アルルに苦笑された。
私達のほうがお礼に来たのに、と。
家に戻って、キッチンに立つ。
「さて、問題はこれだなあ……」
冷蔵庫を開けて食材をにらめっこするも、ルミには食材を全て台無しにする自信しかなかった。自身の料理の腕が壊滅的であることは、自覚しているのだ。
ルミはため息をついて、家を出た。こういうときは、店の料理がいいのだ。ノエルのお気に入りのポート亭の料理であれば、彼女にいい影響があるかもしれないという気持ちもあった。
ポート亭に入り、ノエルの好物であるボアピッグの角煮とナポリタン、サラダのテイクアウトを二人前頼んだ。固形物が喉を通らなかった場合のことも考えて、スープも追加で頼む。
料理ができるまでの間カウンターで待っているように言われ座ると、カイが隣に腰をかけた。
「テイクアウトなんて珍しいネ~、ノエちゃんは?」
「それなんだが……」
ルミはカイとリアスに、何があったのかを説明した。常連客連中も、皆耳をそばだてているようだった。常連のおじさんが涙を流し、博多騎士団への恨みの言葉を叫んでいる。
カイは拳を固く握り、リアスに目配せした後、頷いた。
「ねえルーちゃん、私を魔女の家で働かせて!」
「え?」
「ノエちゃんの力になりたいの! 戦えないけど料理も掃除もできるよ!」
リアスを見ると、彼女は目に涙を浮かべながら頷いた。
「わかった、頼めるか?」
「もち! わたし頑張るよ!」
常連客達も、自分にできることがあればなんでも言ってくれ、と言ってくれた。
しばらくして完成した料理を手に、カイと共に家に戻る。カイは住み込みで働くということになった。
ノエルの部屋に行き、彼女を車椅子に座らせ、神通力で浮かせて階段を降りる。カイはノエルの姿を見て涙を流しながら、料理を食卓に並べた。
ノエルの視線は、ただ角煮に注がれている。目を大きく見開いて、ただ見ていた。ルミがフォークで突き刺して口元に持っていくと、彼女は口を開けた。
そのまま口の中にいれると、咀嚼して飲み込む。食事は介助ありなら、できるようだ。固形物もしっかり喉を通っているし、美味しかったのか、目を細めている。
「よしよし、いい兆候だ」
「でも寂しいネ~、前なら笑顔満開って感じだったのに」
「まあな」
「というか、介助はわたしがやるよ~!」
「そうだったな」
苦笑しながら、席を替わると、カイが手際よくノエルに食事を摂らせた。先に食べてていいと言うので、二人の様子を見ながらルミも食事を摂る。
酒が飲みたくなったが、ルミは飲まなかった。ノエルの心が元に戻るまで、酒を飲む気にはなれなかったのだ。どれだけ飲みたくとも、飲まないことを心に固く誓った。
食事を終え、カイはノエルを風呂に入らせた。入浴介助をしながら、付き添って風呂に入る。身綺麗にしていなければ心がスッキリするはずがない、というのがカイの意見だった。
風呂の後歯を磨き、ノエルを寝かせる。ルミが隣で頭を撫で続けると、ノエルはスーッと目を閉じ、眠りについた。すー、すー、と寝息を立てているのを見てほっと一息つく。
「お疲れ様、カイ」
「ルーちゃんも」
二人は一度リビングに降り、テーブルについた。
テーブルに突っ伏すカイを見て、ルミも突っ伏す。人が増えたというのに、家は静かだった。酒を飲みすぎて小言を言われたり、一緒に酒を飲んで騒いだり、談笑したり……。
この家には常に、ノエルの声があった。彼女の楽しげな声が、呆れたようなため息が聞こえてこない。ただそれだけのことが、とてつもなく寂しかった。
「ルーちゃんの行動は正しかったと、わたしは思うよ」
「語尾を強調する変な喋り方はやめたのか?」
「あはは、キャラ作り~……はいいとして、ルーちゃんのせいじゃない。それは覚えておいてほしいな」
「そう、だろうか」
カイは「そうだよ~」と、吐息混じりに言った。それから顔をあげて、天井を見上げる。
「ノエちゃんも、ルーちゃんに責任感じてほしくはないんじゃないかな~」
「……そうかもしれないな」
ルミは、ふっと笑った。カイは適当に言っているような口調だが、真剣さは伝わってくる。気だるげなのはいつものことだ。彼女の気だるげな、だが真剣な言葉が、水が喉を通るようにすんなりと心に入り込んでいった。
「悪いのは博多の連中だよ」
「うん、正直な、私はあいつらが憎いよ」
大好きなノエルから笑顔を奪ったのが憎い。彼女から、家族を奪ったのが憎い。自分から、ノエルとの日常を奪ったのが憎い。
さまざまな憎しみが自分の内に渦巻いて、どうにかなりそうだった。
カイも、天井を見上げる目が尖っているように見える。恐らく彼女も、同じような想いなのだろう。神戸に来て、ノエルが一番仲良くしていたから。
「騎士団に通報したのは、恐らくアイコだ」
「アイコ……?」
「ノエルの幼馴染で、お姉さんみたいな存在だ。ノエルの父親を殺したのも彼女で、博多で出来た私達の仲間を殺したのも彼女だ」
恐らく、ノエルもそのことには気づいているのだろう。だからあのとき、ノエルはアイコの名前を出したのだ。
カイはどうしてそう思うの、と首を傾げている。
「ノエルの故郷の村は精霊であるノエルを匿うために出来た村でな、村人が招待した人間以外は存在すらも知覚できないという結界が張られている」
魔族の血に覚醒してはじめて気がついたことだが、あの村の結界は異様なまでに強固だ。人族には破れない。並大抵の悪魔や魔族でも、強力な魔物でも無理だろう。
事実、あの村の結界は破られてはいなかった。となれば、可能性は一つしかない。アイコが騎士団に通報し、騎士団を招いたのだ。
なぜそんなことをしたのかは、わからないが。
「私はアイツも許せないかもしれない」
「普通そうだと思うよ~? わたしも話聞いただけなのにすっごく胸糞悪い気持ちだもん」
「アイツは本当、何がしたいんだろう……」
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