24.魔族因子
記憶にあるアイコは、いつも優しかった。ノエルがだらけていても、口ではツンケンと文句を言うが、最終的には一緒にだらけてくれることもあった。
ノエルが勝手に村を出ようとして村長に叱られているときは、それとなく庇ってくれた。慰めてくれたことも、一度や二度ではない。
父親が死んだときも、アイコがいたから持ちこたえられた。
記憶にあるアイコの優しい顔は、目の前にはなかった。
「どうして……?」
「トイフェルは計画に邪魔なのよ。ルミは人間のまま生きてると困るの」
違う。そういうことを言いたいのではない。
剣を握る手に力が籠もる。
「どうしてこんな簡単に人が殺せるの……?」
「言ったでしょ? 計画のためだって」
「……っ!」
気づけば、目の前の幼馴染に剣を振り下ろしていた。アイコはバックステップを踏み、剣を回避する。石柱錐による追撃を光の剣で撃ち落としながら、炎弾を放ってきた。
ノエルは回避行動すらしようとせず、ただ追いすがる。身を焦がす感覚に顔を顰めながら、一閃。光の剣で受け止められた一瞬、ノエルは左手だけを剣から離し、氷柱を放った。
すかさず、ドレインフラワーを伸ばし、彼女の足を絡め取る。氷柱がアイコの右肩を貫いた。痛みにうめき声を挙げ、彼女は光の剣を手放す。
光の剣は粒子と消えた。
アイコはドレインフラワーを引きちぎり、ノエルの剣による追撃を躱した。
「あんた、まじで殺る気ね」
影腕を八本出し、八本の腕から炎弾を次々とアイコめがけて放つ。彼女は「ちょっ」と言いながら器用に避けつつ、ノエルの剣を捌いている。
「しつ……こい!」
アイコが放った風魔法に吹き飛ばされながら、影の腕で自分の体を掴み、アイコめがけて投げた。剣を構えながら突進し、一閃。確かな手応えがあった。
だが、まだダメだ。対面に忍ばせた影の腕で体を掴み、また投げる。今度は風魔法で勢いを付けながら。また一閃。手応えあり。
何度彼女を斬りつけただろうか。
ノエルは着陸し、剣を構えアイコを睨む。
「ノエル、おいノエル!」
うつろの声が聞こえ、チラリと視線を送る。彼女の感じていることが心に流れ込んできた。恐怖だ。ノエルが幼馴染に対し、容赦なく攻撃を繰り広げていることへの恐怖。自分の知る優しい契約者がいなくなってしまったかのような、身震いだった。
だが、関係がない。
幼馴染が人を殺すのなら、幼馴染を殺さなければならない。そうしなければ、誰も浮かばれない。父親も、ルミも、トイフェルの仲間たちも、そしてアイコ自身も。
――どうして、そんな顔で。
再びアイコに視線を送る。体中斬り刻まれているというのに、ピンピンとしていた。傷もみるみるうちに塞がっていっている。顔を見る。彼女は、苦虫を噛み潰したような顔で、なにかにじっと耐えているかのように、ただノエルの手だけを見ているようだった。
破気炉を取り出し、瑪那を送り、「炉よ封じろ」と声に出す。エネルギー弾は光の剣によって相殺された。
「言ったでしょ、まだ殺されてあげられないの」
「アイコ! お前なんとも思わんのか!? 涙を流しながら、自分に向かってくる幼馴染を見て、何も感じないのか!?」
うつろの言葉に、ノエルの肩がピクリと震えた。自分の顔をペタペタと、虚ろな目で触る。確かに、涙が流れていた。顔中が濡れてしまうほどに。
ノエルは、剣を落としてしまった。カラン、と甲高い音が室内に響く。もう戦えないと、一瞬思ってしまった。涙する自分の気がついたとき、戦いたくないと思ってしまった。
だが、アイコはただ肩を竦めるだけ。
「人であることを辞めてしまったのだな、お前は」
「あたしは元から人なんかじゃないのよ」
ノエルは深呼吸をした。
一瞬体をダランと弛緩させ、また力を入れる。剣を拾い、鞘に納めた。
「もう……戻ってこないの?」
ノエルの問いかけに、アイコは目を大きく見開いた。
「……バカじゃないの? あたしはあんたの友達を殺したのよ? 父親もよ」
確かにそうだ。目の前で父親を殺した。今度は、ノースをサウスをウェルを、ルミを殺した。許せることじゃない。それでも、ノエルは問いかけずにいられなかった。
本当は殺したくなくて、ただ赦されたかったから。ただ家族を赦したかったから。
「本当に敵になったの? 何か理由があるんじゃないの? 何か悩んで――」
「うるさい! あんたにはわかんないわよ! 予言書が、未来が、許さ――」
「待ちな!」
叫ぶノエルとアイコの間に、何者かが割って入った。その何者かは、天井から降りてきた。瓦礫が音を立てている。
ツンツンと尖った髪の褐色の魔族の男が、目の前に立っている。彼の視線は、ルミの遺体に注がれているようだった。
「お前がノエルだな? ちぃとどいてくれ、ルミを助けたい」
「え? 助かるの……?」
「ああ、こいつは魔族とのハーフだぜ? だが魔族因子が活性化してねぇ、そこで――お?」
いつの間にか、アイコがいなくなっていた。ノエルは大きく深い溜め息をついて、ルミの体の前に立つ男に向き直る。
「続けていいかい?」
「もちろん」
魔族の男はコホン、と咳払いをする。
「そこでコイツの出番だ。ロイの野郎が俺を拉致って作らせた魔族因子結晶! の粉末だぜ」
言って魔族の男が取り出したのは、小瓶に入れられた青い粉だった。
「魔族因子結晶?」
「原初の魔族である俺の血液から、魔族因子という特殊な遺伝子情報だけを取り出し、結晶化したもんだ」
「なるほど」
説明されて、気付いた。目の前にいる魔族の男は、ラインハートだ。ロイに攫われたルミの同僚が、なぜか目の前にいて、魔族因子結晶の粉末をルミに飲ませている。生命活動をしていないため、粉末を口に流し込み、水を流している。
それから心臓マッサージをしはじめた。ノエルはただ、呆然と眺めていることしかできなかった。
「ねえ、ラインハートさん、どうしてここに?」
「知らねえ奴に助けられてな、んでルミがノエルっつう魔女の仲間とここにいるって聞かされたんだ」
「なるほど……」
ノエルは、またため息をついた。
きっと、ラインハートを助けたのはアイコだ。アイコはあのとき、ルミが人間として生きていると困ると言った。あらかじめラインハートを助け出したうえで、ルミを人間として殺し、魔族として生かそうとしたのではないだろうか。
ノエルはそんなふうに思った。
ただ、これは願望だ。あまりにも自分にとって都合の良い解釈をした自分が、バカバカしく思える。笑えてくるのに、笑えはしない。
「これでいい、しばらくしたら目ぇ覚ますはずだぜ」
「ありがとう……」
「こいつは俺にとっても同僚だからな。当然のこった」
ラインハートは言って、ノース達の遺体に丁寧に手を合わせた。ノエルもちょこちょこと隣に並び、しゃがみ込んで手を合わせる。
彼女らと過ごした時間は、決して長くはなかった。出会ったのも偶然で、ここに来たことも全てが偶然の連続だ。それでも、確かに仲間だった。友達になれたと思った。
――みんなの想い、私が絶対に無駄にはさせない。時間はかかると思う。だけど、いつか絶対に、叶えるから。種族間でいがみ合わなくて済む世界を。だから、どうか、安らかに眠ってください。
強く深く、祈った。瑪那へと還り、いつか生まれ変わる魂へと届くように。
しばらくして目を開けると、ラインハートがルミの傍らに座り込んでいた。
また彼の隣に座り、ルミを見る。貫かれた胸が、治っていた。
「言ったろ?」
「うん、うん……!」
「俺を攫ったのは、アレを作らせるためだったんだ。原初の魔族からしか作れねえからな、奴め、大量生産しやがった」
ノエルが泣きそうになっているのを察したのか、ラインハートは笑顔で話しはじめた。
見た目は少し強面だが、話し方は口調ほどキツくなく、気の良いお兄さんという感じがした。
「まったく巫山戯てるよな? 人の血をなんだと思ってんだって話だぜ」
「たしかに、貧血になっちゃう」
「へっ、もうヘロヘロよ」
笑うラインハートにつられて、ノエルも笑った。
だが、心には依然として重く伸し掛かるものがあり、笑顔はすぐに萎んでしまう。そんなノエルを見て、ラインハートはまたヘラヘラと笑っている。
「あんたのことはよくは知らねえけどよ、全部一人で背負い込むこたねえんじゃねえか?」
「別にそういうわけじゃ……」
「いんや、お前の面見たらわかるぜ。そいつは一人で罪悪感を全部背負い込んじまおうって奴の面だ」
ノエルはふう、と息を吐きながらルミの頭を撫でる。手に感じるのは、確かな温かさだった。なぜか、許されたような気分だった。お前のせいじゃないと、ルミが言っているような気がした。
だが、自分に都合のいい想像をしすぎだな、とすぐに思い直した。どうも自分に都合のいい想像をしてしまう癖があるなあと、自分に呆れてしまう。
「俺は何度も見てきたんだ、そういう奴の面をよ。だが、手前だけが悪いなんてことは世の中には極僅かしかねえ。こいつが一度死んだのもな、お前は助けられなかったって思ってるんだろうが、俺からしたら殺したやつが一番悪い。次は警戒を緩めていたこいつとお前ら全員、その次に駆けつけるのが遅れた俺だ」
口調こそ軽いが、その声には湿り気があった。
言っていることは、ノエルにも理解できる。水が喉を通るように、すんなりと心に入り込んだ。少しだけ気持ちが楽になっている自分に、思わず笑みが溢れる。
「ありがとう、いい人だね」
「あんたもな、優しすぎるくれえだぜ」
「へへへ」
「はははは」
「……いい雰囲気だな、私も混ぜてくれよ」
声と共に、ルミが起き上がった。彼女は唇を尖らせながら、薄く笑みを浮かべている。
「ルミ!」
起き上がってきたルミの笑みを見た瞬間、ノエルは彼女を抱きしめていた。ルミの肩がピクリと震え、彼女の手がノエルの背中に回る。
震える手を背中に感じながら、ノエルは彼女を強く抱きしめた。
よかった、ルミは生きている。生き返ってくれた。また彼女の笑顔が見られた。それだけで、救われる気がした。
「よかった……本当に」
「心配かけたな、だがこれでお互い様だ」
「へへへ、だね」
ルミの体を離し、ノエルは笑った。互いに一度死に、別の種族として蘇った。ノエルもまたルミに多大な心配をかけたはずだ。
だが、自分もまたルミをひどく心配した。
だからこそ、もうノエルの心にこの件に関する罪悪感はなかった。ただ晴れやかな笑顔で、二人は笑い合った。
「どうやら魔族になったらしいが……角がないな」
ずっと成り行きを静かに見守っていたうつろが、ぽつりと呟いた。
確かに、ルミの額には魔族の身体的特徴である角がない。
「神通力は使えるの?」
「やってみよう」
言って、ルミはロイが落とした魔導剣に手を翳す。魔導剣はふわりと浮いて、ルミの手元に引き寄せられた。ノエルは解除していないのに、ドレインフラワーが引き千切られる。それからルミは、彼の遺体から剣の鞘も浮かせて持ってきて、手を使わずに剣を納めてみせた。
それから自分の手をまじまじと見つめ、拳を握っている。
「角がないだけで魔族ではあるんだろう」
「ま、お前はハーフだったからな、完全に魔族と同じっつうわけじゃねえんだろうよ」
「ラインハート……お前よく無事だったな」
ルミが立ち上がりながら言うと、ラインハートは「へっ」と笑った。
「伊達に二千年近く生きてねえよ、だがもっと老人を労ってほしいもんだぜ」
「魔族の寿命……え、老人……かな?」
魔族の寿命は、通常二千四百年ほどだと言われている。もっとも、これは理論上の数字であり、魔族が生まれて二千年。この寿命を全うした魔族は、現在一人としていない。
割合で考えればラインハートは老人と言えるかもしれないが、老人と言うにはあまりにも若々しすぎた。
魔族も歳を取るはずだが、見るからに青年だ。
「異世界人は見た目だけは歳を取らねえからな」
「それは初耳だったなあ」
ノエルも立ち上がり、伸びをする。
いつまでもへこたれてはいられない。まだやるべきことが残っているのだと自分に言い聞かせ、頬を叩く。乾いた音が室内に響いた。
「さてと、ルミが大丈夫ならあっちの扉の奥、行ってみようと思うんだけど」
「私は大丈夫だ」
「ああでもその前に……」
ノエルは三人の遺体の前に立ち、もう一度手を合わせた。
「みんな、安らかに眠ってね」
手から炎を出し、全員の遺体を焼いた。
それから、ルミに許可を取りロイの遺体も焼いた。ルミはむしろ「頼む」と頭を下げていた。父親のときもそうだったが、この匂いと感覚は慣れそうにない。
だが、こうしたほうがよいのだ。悪い悪魔が遺体を乗っ取らないとも限らないし、放置して腐りでもすれば、魔物になることもある。大地の瑪那に還元するというのがこの世界の習わしだが、ノエルはどうもそれをしたくなかった。
見知った人が魔物になるかもしれないのは、辛かった。
ノエル達は、全員の体が灰になるまで見届けた。
ノエルは心に固く誓った。もう二度と、誰も失わないように。
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