22.過去のノエルとアイコ
ノエルは、来人村で生まれ育った。
だが、物心ついたときには自身が他の人間とは違うらしいことに気づいた。きっかけは、父親との親子喧嘩である。怒ったノエルの手から炎が飛び出し、ボヤ騒ぎになったとき、ノエルは自分が人間ではないことを悟った。
4歳のときだった。
アイコはカッコいいじゃん、と笑っていた。だからそれでもいいかと思った。父親も、それは決して悪いことではないと言っていたから。
それからノエルは、自身の力を研究した。感情が昂ったときは特定の属性の力が強くなるが、別になんにも思っていないときでもどの属性の力でも使える。
魔法というのだと父は言ったが、本に書いてある内容とは違っていた。また違う本を読んだ。ノエルは、自身が悪魔だと悟った。
5歳のときだった。
「私悪魔らしいよ」
「へー、なるほどそれでこの村から出ちゃいけないのかもね」
「どういうこと?」
「悪魔は嫌われ者なのよ、バレたら下手したら殺されちゃうわ」
「わかんないなあ……私悪い子じゃないよ?」
ノエルが首を傾げると、アイコはぷっと笑った。
「自分で言うことじゃないけど、確かにそれはそうね」
ただ、彼女の顔はすぐに険しくなった。
「昔悪いことしたからって嫌ってるのよ、戦争起こしたとか街を焼いたとか、まあ街に関しては違うらしいけど」
その言葉を聞いても、5歳のノエルにはやはりわからなかった。昔悪魔が何かをしたから悪魔全体が嫌われている。誰でもわかりそうな理屈が、ノエルには理解できなかったのだ。
「どうして? 昔のことでしょ? 昔悪いことしたらずっと嫌われてないといけないの?」
「あんた……いや、あんたはそれでいいのかもね」
アイコが肩を震わせながら言った。どうして彼女が涙目になっているのかも、わからなかった。それでも自分の考えが間違いではないということだけは、理解できたから、ノエルはあることを思うようになった。
いつか、悪魔というだけで嫌われるようなことがなくなればいいのに。
その考えを父親に言ったら、アルバートは涙を流していた。
「俺の娘、いい子すぎる!」
それから数年が経ち、10歳になった。
二人は秘密基地から少し離れたところにまで、探検に来ていた。アイコが本で読んだ精霊の剣を探すために。
意外なことに、目当てのものはすぐに見つかった。アイコがはしゃぎながら剣を抜こうとしたが、全く抜けなかった。
「ちょっとあんたもやってみなさいよ」
「えー? アイコに抜けないのに抜けるわけないよ」
「わっかんないわよ?」
ノエルは内心出来るわけがないと思いながら、剣の柄に手をかけた。私よりアイコのほうが力持ちなのに、と思いながら力を込めて引っ張ると、意外なほどに軽々と抜けた。
その瞬間、自身の体から瑪那が吸われる感覚があった。刃のなかった剣に、エネルギーの刃が現れる。アイコがぴょんぴょこ飛び跳ねて、「すごいすごい!」と喜んでいた。
「アイコ、これすご――」
何者かの影が見えた。人影だ。人影はアイコを小脇に抱え、黒い渦の中に消えていった。ノエルは一瞬何が起きたか理解できなかった。
だが、理解した瞬間、ノエルは影扉を出していた。使ったことはなかったが、本に書いてあったのだ。
だが、使い方がわからない。そもそも彼女がどこへ行ったのかわからない。先の見えない何もない暗闇の中、ノエルは見えた光に片っ端から飛び込んだ。アイコの家、ノエルの家、秘密基地、どこにもいない。
ノエルは完全に道に迷ってしまった。冷や汗が出る。焦りが募る。攫った目的はわからないが、脳内に良からぬ想像ばかりが浮かぶ。
「アイコ、どこ!? アイコ!」
彼女のことを強く思った瞬間、暗闇の中に煌々と輝く光の柱が現れた。
「もしかして……ううん、待っててアイコ! 今助けに――」
剣を強く握り光の柱に飛び込んだ瞬間、ノエルは言葉を失った。
目の前に飛び込んできた光景は、あまりにも惨すぎた。金髪碧眼の少女が、壁に磔にされている。打ち付けられているせいで血液が通っていないのか、手足は青白くなっていた。目の焦点が合わず、どこを見ているのかもわからない。
そんな少女……アイコに大勢の男が群がっている。黒いローブを着た男たちだ。彼らの背には金色の十字架が描かれている。男たちはアイコを蹂躙した。何をしているのかは理解できなかったが、それが悍ましいことだということは理解できた。
全身の毛穴が逆立つ。
剣のエネルギーの刃が巨大になった。
ノエルは理由もわからず、飛び出していた。振り返る男を斬り、血飛沫に染まる。次から次へと襲い来る男を斬り、また血に染まる。
――ああ、私、何してるんだっけ。どうしてたんだっけ。アイコが攫われて、私、私……あああああああああ!
「うわあああああああ!」
涙を流しながら、十数人もの男を斬り伏せた。床には血溜まりができている。足を動かせば、ぴちゃりと音が鳴る。歩けば、誰かの内臓が潰れる柔らかさを感じる。
アイコの元へと歩み寄り、彼女に打ち付けられている石柱を一つ一つ外していく。触れた瞬間、彼女の右腕は崩れ去った。
ノエルは理解した。彼女は死んだのだ。
親友が、幼馴染が、姉が死んだ。
思わず後ずさっていた。彼女の死に顔を見られなかった。自分が間に合わなかったせいだ。私が悪いんだ、とノエルは思った。もし、死んだ彼女の目が自分のことを恨みがましく見つめていたなら。
もし、彼女が顔も判別できないほどにグチャグチャになっていたら。
ふと、足に何かが当たった。見てみると、それは自分が殺した男だった。血溜まりに反射する自分の顔が見える。口元が歪んでいた。笑っているのだ。
甲高い、醜悪な声が聞こえる。
――ごめんなさい。
心の中でそう呟いた瞬間、ノエルは倒れた。
気がつけば、ノエルは真っ白な空間にいた。久しぶりな気がして顔をあげると、やはり自分に瓜二つの女がいた。救世主ノエラート・グリムだ。
「全て思い出しましたね、ノエル」
「はい」
声が掠れる。
自分の顔をペタペタと触る。濡れていた。泣いていたのだ。心がずしりと重く、自身が絶望的な感情を抱えているのを自覚しているが、同時に何かスッキリとしたような気持ちもあった。
なるほど、だからか、と。
「だからアイコを嫌いになれないんだ」
自分も悪いことをしたから。自分も彼女に対して謝りたい、許してほしいから。だからアイコを憎みきれないのだ。もちろん、少しも憎んでいないわけではなかったが。
目の前に立っているグリムは、ふうと息を吐いている。
「記憶に封印を施したのは私とブルーム一家の総長です。あのままでは、あなたは壊れてしまうと思ったので、あなたの心がギリギリ耐えられるようになるまではと」
「そうだったんですね」
そう言いながらも、納得感があった。
ほかに心当たりが無かったからだが。
「で、あのおまじないは記憶の封印を解くためのものだったと」
「ええ……ただなかなか効果が出きらず、結局死の間際に……」
「私は悪魔だから、まだ死んではないんですよね」
「それなんですが……」
グリムは何か言いにくいことでもあるのか、深呼吸をしている。
ノエルはただ首を傾げるしかできなかった。
「あなたは私が生み出した、二人目の人型精霊です」
ノエルは一瞬目を見開いたが、すぐに閉じた。なんとなく、そんな気がした。そう言われると納得ができることが、幾つかあった。
まず、うつろと契約したとはいえ、グリムがこうして会いに来ることがそうだ。全ての悪魔の契約者に対し、面談をしているとは思えない。英雄を捕らえるという使命があるとはいえ、うつろだけがその命を受けているわけではないだろう。
グリムが妙に親身なのもそうだし、子供の頃、無自覚で魔法が使えたこともそうだ。悪魔だというのなら、悪魔になる前の記憶があるはずだが、それがない。
そして、魔女エラ。
彼女が使っていたとされる精霊の剣が、精霊の森にある。そもそも精霊の剣という名前からして、変だ。この剣を持ったとき、感覚に覚えがあったが、それは子供の頃に抜いたときも同じだった。
「一人目はもしかしたら……」
「はい、魔女エラは光の精霊エラート、初の人型精霊です」
「それで、私はエラさんの生まれ変わりだったり?」
ノエルが言うと、グリムは息を呑んだ。
それから観念したように、肩を落として語り始めた。
ノエルは、自身が想像している通り、魔女エラと呼ばれた光の精霊の魂を再利用する形で生み出された。人間を救ったのに人間によって殺されたエラの魂を二つに分け、片方を異世界に普通の人間として転生させ、もう片方を闇の精霊に転生させた。
ノエルが生まれるまでに1000年ほどの時差があるのは、迷ったからだ。はじめて生み出した人型精霊が、非業の死を遂げた。
次に生み出したとしても、そうなるのではないか。
だから光の精霊は長らく空席だった。光の瑪那を循環させる役目は、グリムが直接担うことで解決できていた。
闇もずっと空席だったが、闇の瑪那は悪魔が積極的に回収して循環させている。なぜなら、人が絶望し悪魔に変わる瞬間に、最も多くの闇の瑪那が発生するからだ。
悩んだ末、かつて恋仲だったアルバートに相談した。
彼は自分が責任を持って育て、幸せにしてみせると言った。その言葉を聞いたとき、グリムは見たくなった。自分が魂を分けた存在が、普通の人間と同じように暮し、幸せに生きる姿が。
そうして、エラの魂の半分にアルバートの遺伝子情報を加えて出来上がったのがノエルである。ノエルは赤子として生を受け、アルバートの元ですくすくと育った。
来人村は、ノエルを育てるためだけに用意した村である。アイコ以外の村人は全員、事情を最初から知りながら、ノエルのことを家族としてアルバートと共に育ててくれたのだ。
村人の紹介がなければ入れないという奇妙な結界があるのも、ノエルを守るためだ。箱入り娘として育てられたのは、同じ過ちを繰り返さないためだ。
全てを聞き終えて、ノエルはふうと長い息を吐いた。それから微笑み、天井を仰ぐ。
「びっくりだね」
「納得しているように見えますが」
「まあ、納得のほうが大きいですよ」
もちろん、驚きがないわけではない。聞いている最中はぼんやりと虚空を見つめてみたり、ハッとして少しの身震いをしたりもした。
だが、聞き終わると納得感のほうが大きかった。子供の頃から感じていた違和感と疑問に対し、答えが得られたのだから。村から出られなかったのも、変な結界があるのも、全部自分を守るためだったのだ。
「でもよかった、まだ戦える……て、死んだと思ったときは安心したのに、変な感じですね」
ノエルがはにかむと、グリムは静かに首を横に振った。
「いいことですよ、ノエル」
「へへへ」
「言ってる間に目覚めそうですね、最後にひとつだけ」
グリムはこほん、と咳払いして人差し指を立てた。
「慕ってくれる仲間を大切にね」
「それは救世主としてのお説教?」
「いいえ、生みの親からの助言です」
そう言ってはにかむグリムの顔は、やはりノエルと瓜二つだった。
◇◇◇◇◇◇
「ん……」
息を漏らし目を覚ますと、目の前にはルミの泣き顔があった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった彼女の顔を見て、ノエルはルミの頬に手を当て、涙を拭う。
「ただいま」
「ノエル……よかった、おかえり……おかえり」
きつく抱きしめられ、自然と笑顔になった。自分には、これほど心配してくれる人がいるのだ。死んだほうがいいなど、自分は何を思っていたのか。ノエルは自分を恥じた。
「悪魔になったんですか?」
「ううん」
ノースの言葉に、首を横に振った。
「元から悪魔……というか私、精霊だったんだ」
ノエルは記憶を取り戻したこと、グリムと話した内容について全員に話した。話を聞いている間中、ルミはまた涙を流していた。
ノース達は「なるほど」と呟いていた。うつろは心が通じているためか、何も口を挟まなかったが、話を聞いて納得しているのだということは伝わってきた。
立ち上がり、腹を触る。すっかり塞がっていた。
「ということだから、これからもよろしくね」
わざとらしく親指を立てると、全員親指を立てた。ルミの親指を立てる速さに、思わず笑いがこみ上げる。
ひとしきり笑い、ルミの涙が乾いた頃、ノエルは大きく伸びをした。床に落ちている剣を拾い上げる。
「さて! 続きをやろっか!」
ノエルの声に、全員が力強く頷いた。
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