20.ラインハートという男
谷遥斗は、日本に住む普通の青年だった。大学の講義が終わると友達と一緒寄り道をしてみたり、サークルの飲み会でハメを外しすぎて道端に吐いてみたり、彼女を作ってみたり。普通の学生生活というのを謳歌していた。
そんなある日、彼は飲み会の帰り道で、穴に吸い込まれた。目の前にぽっかりと空いた真っ暗闇の穴。それを見て「なんだこれ」と思ったときにはもう遅く、吸い込まれてしまっていたのだ。
気がつくと、見知らぬ場所にいた。近未来的なビル群の立ち並ぶ都会。人々は慌ただしく歩き回っており、頭上にはモニターもないのに映像が投影されている。
何者かが、大手を振って演説をしている映像だった。
『我々はついに! 人工神エンブリオを創り上げた! これは人類にとって大きな一歩である! プラン、プレイヤー、コンパイラーの三神の怠慢によりこの世界には未来がなくなった! ライターに至っては出奔したと聞く! もってあと数年だったこの世界は今! 偉大なる発明により救われたのである!』
言語は日本語だったが、なんの話をしているのかさっぱり理解できなかった。そもそもここはどこで、彼は誰なのか。彼は日本語を話しているが、日本人のようには見えない。
金髪碧眼、筋の通った鼻に白い肌。見るからに西洋の人間らしかった。
「どうなってるんだ……?」
独り言に対する答えは、少しして返ってきた。
「君、漂流者だね」
声に振り返ると、剣を腰に差した男と女が二人で遥斗を憐れむような目つきで見ていた。漂流者という言葉の意味がわからず戸惑っていると、遥斗は二人に半ば強引に連行された。
連れられた先はビルの一室で、ふかふかのソファに座らされ、お茶を出され、遥斗は何がなんだかわからないままお茶を啜る。
それから、彼の身に何が起きたのかを二人が説明した。遥斗は最初全く理解が及ばなかったが、小さな子どもでもわかるような噛んで含めるような口調と言葉選びだったためか、次第に自分に何が起きたのかを理解した。
異世界に飛ばされたのだ、と。
その次の瞬間、世界は真っ暗闇に包まれた。
同時にまばゆいばかりの光が視界を覆い尽くし、視界が元に戻ったときには建造物がほとんど消えていた。あたりは荒野だ。一部だけ建物があったが、先ほどまで見ていたビルとはまるで違う。
木造平屋が一軒か二軒あるだけだ。
そして、目が冷めた遥斗を誰かが取り囲んでいる。皆怖い顔をしていた。
「な、なんだ君は!?」
「なんだその角は……」
「え?」
言われて顔中をペタペタと触ると、額に違和感があった。ゴツゴツとした角が、額から生えていたのだ。
その後、世界中で似たような変異を起こした人間が複数発見され、魔族と呼ばれるようになった。魔族という呼び名が付いた頃には、遥斗は同じ魔族の人間に保護され、新しくラインハートという名前を与えられた。
なんでも、魔族の出現の1ヶ月後に現れた悪魔という種族は本名と顔を知っている相手の魂を好きに操れるのだとか。なんとも眉唾な話だったが、それが嘘ではないことをラインハートは少しして知った。
名前をつけてくれた魔族が、目の前で悪魔に体を乗っ取られたのだ。
この頃、悪魔の発生にはあるルールが存在した。
悪魔になった魂が肉体を離れ、別の肉体を持つというルールだ。残った体は意志の弱い者は抜け殻になり、動く屍のようになる。
意志が強い者は、別の自我を持つようになる。
悪魔は生身ではなく、幻の肉体を持ち、生身の肉体を求める。多くは自分の肉体を再度乗っ取るのだが、既に肉体を持たない死者が悪魔になった場合、誰かの体を乗っ取らなければ乾きは癒せない。
そんな悪魔の犠牲になったのだ。
名前をつけた魔族は、世界が変化する前は悪党だったらしい。恨みを持つ者が死に、絶望して悪魔になった。彼の体を乗っ取った悪魔は、ショックを受けるラインハートにそう言い訳をした。
それからラインハートは二千年以上、原初の魔族の生き残りとして生き続けたのである。今では、原初の魔族唯一の生き残りになってしまった。皆、戦争で死んだのだ。
彼は戦争には参加しなかったが、戦火から逃げる最中、角を失った。根本からごっそりと、斬れてしまったのである。それをいいことに、彼は額当てをして人族として紛れて暮らすことができた。
それから気の遠くなるほどの時間が経ち、現代の核世界において、ラインハートは魔界に住み、魔族長の娘のフレンやその弟のレントと遊びながら暮らしていた。
だが、魔族の京都侵攻のことが気がかりだった。気がつくと、ラインハートは京都侵攻事件を調べるようになり、辿り着いたのがロイだった。
彼は人族に変装し、京都騎士団に入団。ルミと同僚になり、他愛のない会話をしたりときには煽り合ったりしながら切磋琢磨していたが、裏ではロイのことを調べていたのだ。
そして、ルミにとって不都合な事実が浮き彫りになった。ロイの尻尾を掴もうとしたラインハートは、ルミに話を持ちかけた。
「お前の親父さん、コソコソと何やってんだろうな」
どういうことだと聞くルミに、ラインハートは自分の素性を全て明かし、調べた結果わかったことを伝えた。ロイが魔族侵攻を引き起こした張本人であり、ルミの母親を大勢の魔族に蹂躙させ廃人にさせた挙げ句死なせた人物なのだと。
ルミは信じなかった。
だが、話を聞いて放っておける女ではなかった。
ルミは父親の身の潔白を証明するため、ラインハートと行動を共にした。
ロイが博多に視察に向かうと言ってきたときは、チャンスだと思った。ルミと顔を見合わせ、「俺達が護衛につきますぜ」と普段通りのニヤついた笑みで言う。
ロイも「それは頼もしい限りだ」と笑った。
ラインハートは博多に到着した途端ロイに発信器をつけ、尾行。
ロイが四神教の幹部であることを突き止めたはいいが、ルミが勢い任せに飛び出してしまい窮地に陥る。実の娘に容赦なく斬りかかるロイの前に飛び出し、ラインハートは深手を負った。
痛みにもがきながら体の再生のための時間稼ぎにと、「なぜ魔族を利用した! なぜテメェの妻を利用した!」と喚いた。彼は悪びれることなく、「理想のためだ」と言い放った。
目眩がしそうだった。
結局、再生は間に合わず、ロイに拘束されどこかへと連れ去られてしまったのだ。
ラインハートの意識は、ここで途切れている。