17.トイフェルの仲間達
家に戻る頃には、角煮がいい感じに出来上がっていた。三人で食卓を囲んだが、ノエルは何を話していたのか頭に入って来なかった。
先ほどのことが頭から離れない。彼女の申し訳無さそうな声、潤んだ瞳、自然と思い出していた失った記憶。考えることが多すぎて、頭がどうにかなりそうだった。
ノースが後片付けをするというので、お言葉に甘えて風呂に入り、部屋に戻る。続いて風呂に入ったルミが戻ってきて、ベッドに寝転ぶノエルの隣に腰かけた。
「ノエル、どうした?」
「またアイコに会った」
ノエルの言葉に、ルミが短く小さな息を吐いた。
「どこで会ったんだ?」
その声は、ノエルの心を優しく撫でているかのようだった。
「秘密基地」
「案外近くにいたんだな」
「秘密基地のこと、私忘れてたみたいなの」
ノエルは、秘密基地であったこととアイコの様子、自分の記憶のことをルミに全て話した。
聞き終えたルミは、ノエルの隣に寝転がり、ノエルの頭を抱きかかえた。ふわり、とした柔らかい温もりに包まれ、反射的に彼女の顔を見上げていた。
「ルミ?」
彼女は優しげな顔をしていた。
「私はお前の味方だ、何があっても一緒にいる」
その言葉は、心に直接届くかのように滑らかだった。
肩が震え、涙が出る。
「私はもう、お前のことを家族みたいに思っている」
「私も……だよ」
涙で途切れ途切れの言葉だったが、ルミは微笑んだ。
「今日はもう寝よう、大丈夫、私達なら明日また頑張れるさ」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ、ノエル」
◇◇◇◇◇◇
翌朝、ルミに起こされて一階に降りると、ノースが朝食を用意していた。タンドとスールからパンとスープを分けてもらったらしい。ノエルは温かい朝食で食卓を囲み、微笑んだ。
心の底からの笑みだった。
いつか、こんな特別な光景が当たり前になればいいな。
表面がカリカリとしていて、中はふんわりとした焼き立てのパンを齧りながら、そんなことをノエルは思った。
朝食を摂り、タンドとスールに挨拶を済ませ、アルとも話をした後、ノースが転移扉を開いた。これで一気に博多に行くらしい。
ノエルは残していく家族にしばしの別れを告げ、転移扉に入った。
扉から出ると、草原だった。左手にしばらく行ったところに、大きな街が見える。ここは少しだけ高台らしく、街を見下ろせた。
目の前には、木造の大きな建物がある。なんら変わりのない、普通の民家のような外観だ。
建物の前に、ノースが躍り出た。
「ここが、トイフェルの拠点です」
「レジスタンスにしては質素な拠点だが、効果的だな」
ルミの呟きに、ノースが鼻を鳴らした。
「少数精鋭ですし、この民家を怪しむ人は少ないですからね」
誇らしげに腕を組むノースが、微笑ましく思える。
民家を見上げながら、羨ましいという気持ちが込み上げてきた。こういう街からほんの少し離れた場所で、普通の民家という外観の場所を拠点にするのもいいかもしれない。
もっとも、ノエル達は現状拠点という拠点を必要としていないのだが、そう思った。
「行きましょう、仲間を紹介します」
ノースが扉を開け、後に続いて中に入る。内装も、普通の民家といった風情だったが、普通の民家にはないものがいくつかあった。
巨大な地図が入ったガラス製テーブルがリビングスペースの中心にあり、壁には複数の武器がかけられている。剣、魔導剣、銃、見慣れない漂流物の武器があった。
二階から、人が二人降りてきた。一人は蝙蝠状の翼を備え、お腹に赤く光る紋章を持った女性淫魔。彼女は赤い髪をかきあげながら、大あくびをしている。
妙に際どい格好をしているが、淫魔とはそういうものだからノエルは気にしなかった。
もう一人は、見るからに優しそうな顔をした緑の短髪の男悪魔。子どものようなあどけない顔で、背はノエルよりも低い。彼はパーカーに身を包んでいる。
「おかえりノース、そちらは?」
「頼りになる助っ人です」
「ノエルです、こちらは契約悪魔のうつろ」
「ルミです、元京都騎士でロイの一人娘です」
三人が同時にお辞儀をすると、男悪魔の顔が険しくなった。ルミの自己紹介が原因だろう。
ノースが二人に何かを耳打ちすると、険しい顔が柔和な笑みに変わった。
「こちらの男悪魔はサウス、こちらの女淫魔はウエスです」
紹介された二人が、口々に「よろしく」と言って握手を求めてきた。ノエル達は彼らの手をとり、「こちらこそ」と返す。
ノエル達は、協力者を得た。彼らの手が非常に心強かった。
「ノエルさん、ルミさん、お二人の話は昨晩既にノースから聞いたよ」
サウスが柔和な笑みのまま、ノエルの前に歩み寄った。
「お二人とも大変な思いをされたそうだね。そんなときに協力していただけるなんて、本当に嬉しいよ」
「お互いに目的がある程度一致してるから。それに、私も魔族や悪魔への迫害は無くしたいんだよ」
ノエルの心からの本心だった。人族が救世主と崇めるグリムも、悪魔なのだ。魔族も今、魔界に閉じ込められて大変な想いをしているらしい。
ロイの手記からは、魔族の悲痛さが伝わってきた。じきに、魔族の住む魔界は崩壊するのだ。そうなる前に、少なくとも人族側の領地のどこかに彼らの住む場所を見つけなければならない。
ノエルの顔に影がかかった。
「今の差別の流れが行き着く先は、私は想像したくないから」
「……戦争だね」
「魔族は切羽詰まっているからな、特にだろう。悪魔にも影の世界がある。侵攻を受けんとも限らん」
「まぁ? そうなったら悪魔の中には魔族の味方をして、人族と戦おうとする子がた~っくさん出てくるだろうけどねぇ」
突然口を挟んだのは、ウエスだった。彼女は淡々と、だがなぜか色気を感じるような喋り方だ。
ノエルは彼女の言葉に同意した。
今の流れの行き着く先は、2000年前の戦争の再現だという確信がノエルにはあった。グリムは戦争を避けようとするだろうが、それでも悪魔にも積もり積もる不満感情はあるだろう。
なんせ、地下世界に半ば閉じ込められているようなものなのだから。表に出れば人族に迫害されるのだから。
「だからそうならないためにも、今の体制を最小限の犠牲で崩す必要があるのです」
ノースの言葉で、この話は打ち切りになった。
ひとまず、ノエルとルミは部屋を与えられる。あまり部屋数がないということで、同部屋だった。ノエルは出会ってからずっと同部屋だなあと笑った。嬉しかった。一人になるのが嫌だった。
荷物を整理するだけして、一階に戻る。地図のあるテーブルの周囲の椅子に、全員着席していた。
作戦会議の時間だ。
「ルミさんたちがもたらした情報をもとに、敵の拠点にいくつか目星をつけました」
言って、ノースが地図の上に印を置いていく。光るペン型の魔道具だった。周囲の瑪那を利用し、設置した場所から少しだけ浮くものらしい。
浮く必要があるのかと一瞬思ったが、「ロマンよ」と言うアイコの顔が脳裏に浮かび、納得した。
印が付けられたのは、三箇所だ。
「これらは、博多市長がここ10年で買い上げた市長の私有地です」
「京都市長の出入りも確認されているのが、こことここの二箇所だよ」
サウスは言いながら、一箇所の印を取り除く。残る二箇所の印は、博多の街の北端と南端の建物だ。
「どちらも使途不明で、一般開放されていません。四神教が好む漂流物の建造物ということもあり、かなり怪しいです」
「きな臭いわねぇ、ぷんぷんするわぁ~」
「この二箇所を手分けして調査するのか?」
ルミの言葉に、ノエルが手を挙げる。
「戦力の分散は危険だと思う。相手の戦力がどれくらいか、判然としないし」
「ですね、同意見です」
重要な研究施設であれば、ロイは必ず出張ってくる。アイコも恐らく、どのタイミングかはわからないが、出てくるだろう。
彼女は、ノエルの知らない光の矢の魔法を使っていた。
それに、四神教がどれほどの組織かもわからない。
また、重要拠点であればアランも出てくる可能性が高い。
考えるだけで、冷や汗が出た。
「この二つの内なら、どちらのほうがより怪しいと思う?」
ルミの問いに、ノース達トイフェルは顔を見合わせて一斉に指さした。
北端の建物だ。
「なぜそう思う?」
うつろが問うた。
「ここら一帯は民家が少なく、難民街があります」
「難民街……」
「魔物の生息域が変わったりしてね、住居を追われた難民が住んでいるんだよ」
ノエルはなるほど、と頷いた。
全ての人類種の住処は、基本的に魔物の縄張りを避けて形成されている。博多、京都、神戸、名古屋の4つの行政区からなる。
それぞれの行政区の名前を冠する都市部は、人口密集地であり武力も蓄えているため魔物のほうから避けてくれる。
だが、田舎町はその限りではない。魔物が別の魔物との縄張り争いに敗れるようなことがあれば、新たな縄張りとして人類種の住む町が選ばれることもあるのだ。
そうして住処を追われた人類種の多くは、近くの都市部に助けを求める。
そのため、多くの都市には難民を受け入れるための地区があるのだ。
「目立ちにくいというわけか」
「はい、それに……」
「難民なら、突然消えても誰もそう不思議には思わないってことだね」
言葉を濁したノースに、ノエルが付け加えた。
難民にはよく行方不明者が出るのだ。難民街はどこも治安が悪く、住人同士の喧嘩で死ぬ者もいる。出稼ぎをしようと外出したら、そのまま行方知れずになる者もいる。
魔物に殺されたか、どこかに逃げ出したかはわからないが、いずれにしても珍しい話ではないのだ。
「じゃあ調査するならそこだね」
「展開によっては、そのまま決戦になるだろうな」
「なので準備は怠らないようにしましょう」
「じゃあ、今日明日で準備をして作戦も詰めておこう。僕はとりあえず街で買い出しに行くよ」
それから、各々準備を整えることになった。ノースは魔道具の調達、サウスは漂流物の武器の調達と今日明日の食材の調達、ウェスは魔道具および漂流物の調整を行うらしい。
ノエルとルミはそれぞれ戦いに向け、心の準備を整えながら求められれば三人を都度手伝うことになった。
準備に向かう三人に、ノエルは「ありがとう」と頭を下げる。
きっと、彼女らはノエルとルミのことを案じたのだろう。ルミは父親と戦うことになる。ノエルは、幼馴染と戦うことになる。
それぞれ敵であり、代わりのいない家族なのだから。
三人が隠れ家の扉を開けた瞬間、丘に吹く冷たい風が室内に入ってきてノエルの頬を冷ややかな手で撫でた。