16.家族
ノエルとルミは、ノースを残して家を出た。ノエルがノースに料理を振る舞うことになったのだが、食材がなかったのだ。
そういうわけで、ノエルはタンドの店の扉をくぐった。
「おじさん、おばさん、ただいま」
「おおノエルちゃん! おかえり」
「おかえりノエル、そちらは?」
ノエルはタンドとスールに抱きついた後、ルミを紹介した。
「友達のルミだよ」
紹介されたルミは、二人にお辞儀をする。
「ノエルにはよく助けられています」
「私もだけどね」
ルミを見た二人は目を見合わせてから、瞳に涙を滲ませた。スールがルミの肩を抱きながら、涙を流している。
「おばさん? なんで泣いて……」
「あの、スールさん?」
「ごめんなさい、ノエルちゃんに友達ができて嬉しくてねえ」
「もー、恥ずかしいから」
ノエルは涙する二人を見て頬を赤らめた。
だが、考えてみれば二人が感涙するのもわからなくはなかった。ノエルは社交的なほうではないし、村から出たこともなかったのだ。
ずっと見守ってきてくれた二人は、さぞ心配しただろう。
スールは二人を交互に何度か見て、頬に手を当てた。
「あら、アイコは?」
「うちのバカ娘は一緒じゃないのか」
二人の問いにどう返していいかわからなくなる。前も元気にしているかと問われたが、うまく誤魔化せなかった。
「用事があるらしく、竹下に残してきているんです」
ノエルが言葉に迷っていると、ルミが答えた。
「アイコは影扉を使えないしな」
その言葉に、うつろが説明を足した。ノエルは「そうそう」と頷き、便乗することしかできなかった。
二人は納得したのか頷く。
「それで今日はどうしたんだい?」
「ええと、魔法使いなのがバレて竹下に居づらくなってね、今日だけ家に戻ってきたんだけど……食材がなくて」
「あら、じゃあ食べてくかい?」
「ううん、自分で作りたいんだ」
ノエルが言うと、タンドが無言で食材を持ってきた。ボアピッグの肉と玉葱、じゃがいもがある。冷蔵庫で冷やしていたらしい白米も何合分かあった。
小瓶に分けたらしい調味料も。
受け取り、お辞儀をする。
「ありがとう、おじさん、おばさん」
言うと、タンドは「こんなことくらいしかできんからな」とぶっきらぼうだが、温かい声色で言った。ノエルは「へへへ」と笑う。
「温かい家族だな、ノエル」
「ここで育ったんだ。こいつがお人好しなのも納得だろう?」
うつろの問いに、ルミは「だな」と笑って答えた。うつろはケタケタと笑っている。
「うつろー? 聞こえてるよ?」
ノエルがうつろの頭をグリグリと小突くと、ルミは声をあげて笑った。
まだ言いたいことはあったが、彼女が笑っているのならそれでいいかと思った。ノエルとルミは食材や調味料を抱えて、改めて二人に礼を言う。
「いいってことさ、ほら早く帰って用意しな」
「うん! ありがとう!」
「本当、よく礼を言う子だねぇ」
「感謝する」
ノエルが扉を開けて外に出ると、スールはルミを呼び止めた。
なかなか店を出ないルミを訝しみながらも、店の外で待つ。
ルミは首を傾げた。
「あの子のこと、よろしく頼むよ」
「もちろんだ、私の友達で命の恩人だからな」
「それと、ルミちゃんも何か困ったことがあれば相談しなさい」
「え?」
目を丸くしているルミの肩を、タンドが優しく叩く。
「娘の大事な友達だ」
「それに、私らに何か隠してるでしょ? アイコのことで」
「それは……はい」
「詮索はしないけど、相談はしてほしいの」
「わかりました」
困ったように笑うスールに、ルミは笑顔を返した。彼女は安心したように笑い、「お願いね」と言う。
ルミは「それではこれで」と、店を出た。扉のすぐ前で待っていたノエルと一緒に歩き、家に戻る。
家では、ノースが食卓まわりを軽く掃除していた。
「おかえりなさい」
「ただいまー」
「ただいま……ふっ、変な感じだなあ」
小さく笑うルミの肩をノエルが優しく叩いた。
「いいんだよ、ただいまで」
「ありがとう」
「ふふん」
「仲が大変よろしいんですね」
微笑むノースに、二人は微笑み返した。ノエルは食材をキッチンに置き、料理を始める。この食材なら、と献立はボアピッグの角煮にした。
まずボアピッグの肉にみじん切りにした玉ねぎと酒に漬けておく。こうすることで、肉が柔らかくなるのだ。なぜなのかは、ノエルは知らない。
漬け込んでいる間に、煮汁を作る。鍋に水を張り、酒、砂糖、塩、醤油を入れていく。最初の頃は都度計量していたが、今や目分量だけで完璧に調整できるようになった。
煮汁を炊き、沸騰したら一度置いておく。
「手際がいいですね」
「よく作ってたからね」
「私は料理は仲間に任せっきりなので、羨ましいです」
肉が柔らかくなるまで待っている間に、ノースが仲間の話をした。
料理が得意で戦いが苦手な男悪魔のサウス、漂流物の武器の扱いに長けている女悪魔のウエスの3人の組織らしい。昔はイースという男悪魔がいたが、離反してしまったそうだ。
「私は瑪那制御が得意なので、複合魔法とかをよく使っています」
「そっか、悪魔って感情に依らず魔法が使えるけど、瑪那変換とか制御しないといけないもんね」
「そうなんですよ、結構個々人の技量が出るところなんです」
「確か全ての属性の魔法を使うのに、周囲の環境の瑪那を少量取り込んで変換するんだよね」
ノエルの言葉に、ノースがうんうんと頷いた。
悪魔はその時々の感情の強さに関係なく魔法を使えるが、それは瑪那を周囲から取り込み変換するためだ。一度に取り込める瑪那の量は常に一定で、限りがある。
威力を高めたい場合は自身の瑪那を使う必要があるが、基本的には各属性に対応する瑪那でなければならない。つまり、悪魔の魔法も感情の影響を少なからず受けるということだった。
自身の内に大きな感情があればより強いが、なくとも使えはする。
そういうことである。
だが、稀に全ての属性の瑪那を好きな属性に変換できるほど、瑪那制御に長けた悪魔がいる。ノースがそれだった。
「すごいね!」
ノエルは目を輝かせて言った。
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」
「魔法か、興味あるな」
ルミがぼそっと呟いた。
「それは結構ですが、契約悪魔はしっかり選んだほうがいいですよ」
「そうなのか?」
「ええ、酷い悪魔もいますし、精神的相性も大事なんです。心が繋がりますから」
ノエルはうんうん、と頷いた。
自分とうつろは、相性がいい部類だと思った。うつろは必要以上に話そうとしないが、口を開けば頼りになる。
気をつけろ、魔法をあまり使うなと言う割には、人助けには積極的だ。忠告も必要以上にはしない。
これほど相性のいい契約悪魔も、なかなかいないだろうとノエルは思った。
「小っ恥ずかしいんだが」
「とまあこのように、悪魔の方には割と考えてることが筒抜けになるよ」
「おい」
「あ、そろそろお肉柔らかくなったかなあ」
ノエルはわざとらしくおちゃらけながら、台所に引っ込んだ。台所から、三人が笑い合っているのが見える。いい気分だった。
魔法で加圧したおかげか、肉は既に柔らかくなっている。
肉の表面を一度焼き、煮汁で煮る。下ごしらえが済んでいるじゃがいもも一緒に入れた。ここから一時間ほど煮込む。
ノエルには、その間にやりたいことがあった。
「ルミ、ちょっとお鍋見ててくれない?」
「どこか行くのか?」
「うん、ちょっとね」
「ん? わかった」
ノエルは外に出て、村の北側の古井戸へと向かった。周囲を見渡し、人がいないのを確認してから井戸の中に入る。
「なぜ井戸の中に?」
「あの湖に繋がってるんだよ、昔はあそこから水をひいてたの」
うつろに答えると、彼女は「なるほどな」と言った。
井戸の底に降りると、ぴちゃりと音が鳴る。ひんやりとした水の冷たさが、靴の中に染み込んできた。
「私が子供の頃にはもう使われなくなってて、アイコと一緒にここから抜け出したんだよ」
「それで森で遊んでいたわけか」
「そうそう」
地下水路に、二人の話し声が響く。反響して何度も自分の耳に自分の声が返ってくる感覚が、妙に懐かしい。
「秘密基地に家具を運ぶときは、流石に使えなかったんだけど」
「行くのか? そこに」
「うん、きっとアイコは……だから」
「そうか」
それからは無言で進んだ。徐々に水位が増していたが、濡れるのは気にならなかった。懐かしさと、得体の知れない後悔が襲ってきてそれどころではなかった。
地下水路の出口は、突然現れる。湖の近くにあるメンテナンスのための通用口だ。これももう長らく使われていない。
そもそも、精霊の森に人はいないのだ。
通用口から出ると、秘密基地の目の前だった。ノエルは念の為に精霊の剣を抜き、扉に手をかける。鍵はかかっていない。必要ないからだ。
「行くよ」
「ああ」
中に入ると、そこは子供の頃に来たままだった。デザインが不揃いのテーブルと椅子に、テレビという漂流物にテレビゲームという漂流物。アイコと二人で、よく遊んでいた。
ソファにベッドもある。部屋は3つ。リビングとアイコの部屋、ノエルの部屋だ。よくもまあ、子どもだけでこんな立派な家を作り上げたものだと自分たちのことながら、どこか他人事のように思う。
「やっぱりか」
全ての部屋を見終えて、ノエルはため息をついた。
テーブルにも窓のサッシにも、埃ひとつない。
「アイコはここを使っているんだな」
「家に帰ったわけじゃないし、行くところと言えばここかなって」
「だが親友を裏切って親友との思い出の隠れ家に来るとは……」
うつろの言葉に、ノエルは肩をぴくりと震わせた。
親友の裏切り。アイコはノエルの父親を殺した。ロイの計画にも絡んでいるように見えた。ノエルはハッキリと、彼女に対する憎しみを自覚した。
だが、心の何処かで憎みきれない自分がいる。
その両方の心を一旦受け止めはしたつもりだったが、やはりまだ親友との喧嘩と割り切るには色々なものが不足していた。
「うーん、ここに来れば何か思い出すと思ったんだけど」
「アイコの行動の手がかりもなさそうだな」
「だね、見事に記憶のまんま。変わったところは何もないや」
諦めて踵を返した瞬間、背後に人の気配が現れた。
振り返ると、転移扉から出てきて目を丸くしているアイコの姿があった。彼女はノエルの顔を見てハッとし、短剣を手に取る。
「あんたなんでここに!」
「そりゃ来るでしょ、心当たりここしかないんだから」
「だってあんた、ここのこと忘れてるはずじゃ……あ」
ノエルはニヤリ、と笑う。
「そういうことだったんだね」
ここに、失われた記憶の手がかりがあるんじゃない。
ここが、失われた記憶の光景のひとつだったのだ。それがわかっただけでも、ノエルにとっては僥倖だった。
アイコは額をおさえて、ため息をついている。
「で、記憶を取り戻そうって言うわけ?」
「もちろん」
「残念だけど、まだダメよ……今のあんたじゃダメ」
言いながら、アイコは転移扉を出した。
ノエルは一瞬躊躇したが、足で床を蹴った。
「待って! また逃げる気!?」
「ごめんね」
アイコはぽつりと、水滴がひとつ溢れるように言って、転移扉に入った。ノエルが入ろうとする寸前、転移扉が消える。行き場を失った剣が空を斬った。
ノエルはそれが、とても恐ろしく思えた。
自分は今、彼女を両断しようとしたのだ。
手が、肩が、足が震える。
ノエルはしばらく、その場に立ち尽くした。
家族の申し訳無さそうな声が、耳にこびりついたまま。
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