15.いざ博多へ!
ノエルは自宅のテーブルに二人をつかせ、キッチンからグラスを取り出し、二人の前に置いた。それから自分の分も持ってきて、冷蔵庫にあった水を注ぐ。
まだ数日しか経過しておらず、口もつけていないため清潔だろう。
しかし、大きな決意を胸に家を出たにも関わらず、数日中に二度も帰って来るとはノエル自身も驚きだった。
椅子に座り、水を飲んで隣に座るルミを見る。
「それで、ルミ、竹下の四神教の拠点で見つけたノートパソコンの中身、教えてくれる?」
ルミはこくりと頷き、カバンからノートパソコンを取り出した。
何かを操作した後、画面を全員が見やすいように位置を調整する。
「これだ」
そこにあったのは、ロイ市長の手記だった。ルミ曰く、これは一部だろうとのことだ。
内容は、京都の魔族戦争のことにまで遡っている。昔の記録なのだろう。
ノエルは、黙って手記を読み始めた。
◇◇◇◇◇◇
ロイは、変わり者だった。
魔族研究の第一人者として大学で名を馳せていたが、それは悪名にも等しいものだった。誰もが彼の研究を理解せず、「気持ちが悪い」「趣味が悪い」と罵った。
この世界では、魔族が忌み嫌われるのだから当然だ。魔族が嫌われる理由も、彼は理解している。
約2000年前、魔族と悪魔は人間と戦争をしたのだ。悪魔を率いて戦ったのはブルーム一家という魔女集団で、人間を率いて戦ったのはノエラート・グリムという悪魔である。
魔族の味方をしたのは、英雄アラン・プレイヤー。アランは悪魔たちをも傘下に収め、人間達に戦いを挑んだ。
だが、結局、アランは戦いを放棄した。それがきっかけでブルーム一家とノエラート・グリムの間に和睦が結ばれ、戦争は終結。
しかし、この話は歪められて後世に伝わってしまった。人間側のトップが悪魔だったと認めたくない者達が、グリムを神であり救世主だとして崇め、歴史を歪めたのだ。
悪魔と魔族は徹底抗戦、英雄は戦死し、ブルーム一家に悔い改めさせ、戦争を終わらせた救世主だと。
こうして出来上がったのが白教だった。
歪められた歴史も史実も知識として蓄えているからこそ、ロイは誰に何を言われても言い返すことをしなかった。
だが、彼は内心いつもこう思っていた。
「魔族は被害者なんだがなぁ」
嫌に逞しくなってしまった顎髭を撫でながら、大学の図書館でレポートをまとめていると、目の前に誰かが座るのが見えた。
「魔族は被害者、ふふっ、わかってるじゃない、あなた」
聞こえていたのか、とため息をつきながら顔をあげる。
そこには、美しい顔の黒髪の女性がいた。彼女は腰に差していた剣をテーブルの上に置き、にこやかな笑みを浮かべている。
「大学には似つかわしくねえな」
「あら、どこからどう見ても研究者でしょ?」
「冗談か?」
どこからどう見ても剣士だった。
だが、そんなことよりも気になることがロイにはあった。
「魔族の歴史を知っているのか」
「もちろん、私も魔族研究をしているもの。後輩にも私と似た変わり者がいるって噂で聞いてね、探してたのよ」
この女性が、ロイの妻となるシンディだった。
二人は研究を通じて意気投合した。大学では何度も共同で論文を提出し、教授に突っぱねられてきた。それでも少しずつ、認めてくれる人が出てきたのだ。
魔族を差別することに変わりはなかったが、少なくとも二人の研究に対する熱意の大きさと論文の出来の良さは認めていたのだ。
二人が夫婦になったのは、大学を卒業した頃である。
しかし、その頃ロイは出会ってしまった。
アラン・プレイヤーの分身を名乗る男に。その男は、確かに英雄アランの肖像画と瓜二つだった。
彼がロイに語ったのは、魔族と悪魔と人間の垣根を無くすという計画。全ての世界を一つにし、全ての魂を核世界に集めるという途方もない話だった。
「そんなことが可能なのかねぇ」
ロイが言うと、英雄の分身は頷く。
「精霊の力と、エンブリオさえ取り戻せば可能だ」
「エンブリオねぇ、お前さんが創った人造神か」
アランが英雄と呼ばれているのは、エンブリオという世界の管理システムを創ったのが理由だ。この世界の管理を怠っている神々の代わりに、世界の管理を行うための人格を伴ったシステムだった。
「だが、全ての魂を安全に合一するには実験が必要だ」
「実験ねぇ」
「ああ、そのためにお前には魔族と悪魔と人間それぞれの因子を持つ新人種の創造を頼みたい」
ロイは最初冗談かと思ったが、彼の表情は険しい。
冗談で言っているわけではないのだと、すぐにわかった。
だが、種族という概念が無くなるというのはロイにとっても都合が良かった。かつて夢見て諦めた理想郷が、そこにはあると思った。
だからロイは、アランに魂を売ったのだ。
アランはどうやら、四神教という古の宗教を復興させているらしい。四神教では、教祖と名乗っているのだ。
最初は、人間と魔族のハーフを作ろうとした。
アランの言う通りに魔族を京都に引き入れ、表向きは自分が魔族を撃退したことにし、裏では魔族を京都に秘密裏に住まわせたのだ。
魔族のいる魔界は数十年後には沈んでしまう。新天地を求めていた魔族の一部は、喜んでロイの計画に乗った。
そして、ロイはハーフを作ろうとしたが、妻はこの計画に反対した。ロイは最後まで妻を説得しようとした。
だが、四人の魔族が暴走した。妻を襲ったのである。ロイの指示ではなかった。ロイは四人を処分しようとしたが、アランに止められた。
むしろ利用すべきだ、と。
「んだと?」
無論、ロイは反発した。
アランの分身の胸ぐらを掴んだ。
「君の妻は母体に最適だ。魔族因子への抗体が強い。仮に魔族の遺伝子を取り込み続けたとして、変異はしないだろう」
「したとしても魔族になるだけってか」
「そういうことだ」
「だがよ、そういう問題じゃねぇんだよ」
理屈じゃなかった。愛する妻を大勢の魔族に代わる代わる抱かせるのは、ロイには許せなかった。それも、本人の意志に反して、である。
しかし、ロイもまた許されなかった。
既に大勢の人間と魔族を犠牲にしている。戦争で、市民も魔族も大勢死んだ。計画を成し遂げるため、もう私情を挟むことは許されなかった。
結局、ロイは妻を魔族に抱かせた。
子どもが出来てすぐ、妻の肉体は変異した。魔族にではない。動く肉塊に。
生まれた子どもは人間だった。魔族の遺伝子を有しているが、核を持たず角も持たない。それから何人もの女を利用して産ませてみたが、いずれも失敗だった。
自然に魔族と人間のハーフを作る計画は、白紙になった。
代わりに研究し始めたのは、異世界の魂を入れることだった。考えてみれば、これが最も計画への近道だった。
だが、より危険だったから躊躇していた。
妻が廃人になり死んだ。
そのことが、彼の躊躇いを消し去ってしまった。
妻と魔族との間にできた娘が十歳になった頃、ロイは四神教の大司教になった。
◇◇◇◇◇◇
ノエルはふう、と息を吐いた。
「魂を入れる研究で、また大勢の人間が狂死しているそうだ」
「なるほど……失踪が相次いでいるのはその研究のためなのですね」
「人間だけでなく悪魔や魔族も失踪しているのは、全てのケースを研究するためだろう」
ノエルはこくり、と頷いた。
たとえば人間に魔族の魂を入れてなんの問題も起きない方法が編み出されたとして、それが魔族にも使えるとは限らない。人間に悪魔の魂を入れる、魔族の魂を入れる、人間の魂を追加する。
この3パターンを全ての人種を元に、行わなければならないのだ。
「そして、研究所は博多にある」
「これで手記は全部ですね」
「ということは博多に行けばいいのかあ」
「ちょうど私達トイフェルの活動拠点も、博多の近くです」
ノエルはいつの間にか影から顔を出していたうつろと、二人に目配せする。
「じゃあ、今日は休んで明日には博多に向けて出発だ!」
ノエルの言葉に、全員がそれぞれ頷き返事をした。
ひとまず、二人は家に泊まらせることにした。ルミはノエルの部屋に、ノースはノエルの母親の部屋に。
日が暮れはじめている。空が、少しだけいつもより暗く感じた。
うつろが影から出てきて、ノエルの肩に乗り、同じように窓の外を見た。
「英雄アラン・プレイヤー……」
「うつろの探してる大罪人だね」
「ああ、必ず捕まえる」
ノエルは、静かに頷いた。
心の何処かでは、四神教と英雄は繋がっているような気がしていた。ロイは「英雄様」と言った。皮肉めいた口調だったから比喩かと思っていたが、本当に英雄のことだったのだ。
アラン・プレイヤー。
ノエルは四神教の教祖という彼の名前を、改めて強く心に刻んだ。