14.トイフェルの悪魔
酒場は、昼間よりも大勢の人で賑わっていた。テーブル席もカウンター席も人が多く、ノエルは目眩がしそうになりながら店員に促されるまま店の奥のテーブル席に座る。
対面に座るルミが首尾よく料理と酒を注文するのを見て、ただただ感心した。
「社交的だよね、ルミって」
「そうか? まあこれくらいはな」
「私ぜんぜんだぁ……敬語すら苦手で」
「仕方がないさ、ずっと村にいたんだから」
ギルドでは敬語で話すようにしていたが、未だに苦手意識は拭えない。村には敬語で話すべき人など、村長くらいしかいなかったのだ。
その村長に対してさえ、普段は敬語を使っていなかった。
ノエルはため息をつきながら、運ばれてきた炭酸酒の入ったジョッキを手に取る。
「とりあえず乾杯だな」
「うん、かんぱい」
ノエルは勢いよく飲もうと思ったが、空腹に酒はよくないと父から聞いたことがあったことを突然思い出し、料理が運ばれるまでは少しだけにしておいた。
ルミは一息に麦酒を全て飲み干し、店員におかわりを頼んでいる。
「まとめて頼んだほうがいいんじゃないかな」
「いや、突然もう飲めないってなるから一杯ずつがいいんだ」
「そういうものなのかあ」
言っている間に、料理が運ばれてくる。すぐに出てくるキュウリの一本漬けに、小松菜の煮浸し、枝豆だ。
ノエルは枝豆を食べながら、炭酸酒を飲む。今回は甘くないレモンの炭酸酒を頼んだが、これがあたりだった。枝豆の塩気とよく馴染む。
「枝豆ってさ、危ないよね」
ふと思ったことを口にすると、ルミは小さく首を傾げた。
「ちょこちょこ食べながら飲んでるとさ? 大して食べてないのに食べた気になっちゃうというか」
「ああ、わからんでもないな」
「キュウリにしてもそう、お酒のおつまみって、危ないよねえ」
そう言いながら枝豆とキュウリと小松菜をパクパク食べていると、肉料理が運ばれてきた。ニワチキンという淡白だが脂の乗った魔物肉の唐揚げに、ボアピッグの角煮だ。
ついでにノエルがリクエストした白米も運ばれてきた。
「ルミはご飯よかったの?」
「うん、私は酒を飲むと決めたときは白米を食べないんだ」
「本当にお酒が好きなんだね」
言いながら、角煮を一口食べ、醤油の甘辛い味付けとボアピッグ特有の脂の甘味に口角を緩めながら、白米をバクバクと食べる。
「うまそうに食べるな」
ごくん、と飲み込んでから炭酸酒を煽り、「うん」と短く答えた。
「角煮はね、私の得意料理でもあるんだ」
「好きなのか?」
「アイコがね、好きだったの」
ノエルは目を細めながら、ルミに昔話をし始める。
ノエルが11歳の頃、アイコがとても落ち込んでいた日があった。その日にノエルはどうにか元気を出してもらおうと、彼女の大好物だったボアピッグの角煮の作り方をスールに教わったのだ。
そうして出来た角煮はスールの味とは全く異なるもので、ノエル自身も成功だとは言えないような出来栄えだったが、アイコは「おいしい」と涙を流しながら食べていた。
それ以来、アイコはボアピッグの角煮だけはノエルが作ったものしか食べなくなったのだ。
話し終えて、ノエルはもう一切れ角煮を口にし、何度も頷きながら目を閉じる。
脳裏に、嫌な考えが浮かんだ。
「この記憶も、偽物だったら辛いけどね」
「記憶……それなんだが、一つ気がかりがあるんだ」
「気がかり?」
ルミを見据えながら首を傾げると、ルミは腰を折った。
「すまん、聞いてしまってな……ノエルが気絶したとき、死にたいと言っていたのを」
言われて、心臓が痛いほど跳ねた。口に含み飲み込もうと思っていた炭酸酒が、喉に送られず口中に留まり続ける。
気がついて慌てて飲み込むと、ノエルは頭を下げたルミに「いいんだよ」と短く告げた。
「なんでかな、10歳くらいの頃からそうなんだ」
「死にたがってたということか?」
「うん、死にたい、私は死ななきゃいけない、生きてちゃいけないんだって気持ちがずっとあって……お父さんが死ぬ前から、私はなにかに絶望してた気がするの」
ノエルは、戦いで闇魔法をよく使う。はじめて魔法を使ったときも、暗黒物質で剣を作っていた。それは、父親が殺されたことによる絶望の感情からだとずっと思っていた。
だが、思えば前から、ずっと強い絶望を抱えていたのだと今になって気がついたのだ。
ジョッキに残っていた炭酸酒を一気に飲み干し、ノエルは店員を呼び、慣れない米酒を注文した。ルミが一瞬止めようと手を動かしていたようにノエルには見えたが、彼女は結局止めなかった。
運ばれてきた米酒を飲み、あまりに強いアルコールの匂いに噎せそうになりながら飲み込む。芳醇な米の甘みが口いっぱいに広がり、同時に何かいけないものが体を巡っているような感覚がして、急に頭がふわふわとし始めた。
「多分、そう思うようになった原因の記憶も誰かに封じられてるんだろうね」
「アイコが言ってたな、封じてるのは自分じゃないって」
「最近ちょっと思い出しそうなんだけど、思い出すのが怖いんだよね」
脳裏に浮かぶのは、精霊の剣を手にした瞬間に蘇ってきた存在しないはずの記憶だった。自らが、大勢の男を斬り刻み、その血の池のなかで笑っている記憶。
醜悪な、だがどこか悲痛な笑い声が耳にこびりついている。
ルミはジョッキを空にし、テーブルにそっと置いた。
「無理に思い出す必要はないんじゃないか? 封じられてるということはそういうことだと思う」
ノエルは「まあねえ」と頷きながらも、複雑な想いだった。
自分が知らない自分がいるのが、恐ろしい。思い出したいわけではないが、知りたいのだ。記憶にない自分を。
「まあ……あれ? なんか外が騒がしくない?」
「ん? 本当だな」
他の客も気がついたのか、ぞろぞろと外に様子を見に行きだした。店員すらも外に行っている。ノエル達も便乗して外に出た。
怒号と泣き声が聞こえてくる。大勢の人間が誰かを取り囲んでいるらしいが、よく見えない。
ただ、小石やゴミを投げつけているのが見える。
「止めたほうがよくない?」
「だな、喧嘩にしても物を投げるのは――」
「この魔女め! 街から出ていけ!」
取り囲む人間のうち、誰かが口にした怒りが聞こえてきた。
ノエルは「そういうことか」と嘆息し、心の中でうつろに呼びかける。助けに行くけど文句はないよね、と。うつろも文句はないらしく、ノエルの脳内に「無論だ」と声が響いた。
「魔女のせいでこの街がどうなったか! 死んじまえ!」
言いながら、誰かが手斧を取り出すのが見えた。
ノエルはうつろが開いた扉を使い、輪の中に入る。ルミも一緒について来ているようだったが、ノエルには気にしている余裕がなかった。
「殺す気!?」
魔女と呼ばれた女性を庇うようにして立った瞬間、手斧が投げ込まれる。剣を抜いている猶予はない。仕方がなく暗黒物質で盾を作り、手斧を防いだ。
すると、周囲がどよめき立つ。
「魔法だ……」
「魔女が魔女を庇ったぞ!」
「なんでこんなところに二人もいるんだ!」
小石やゴミがノエルの額や体に当たる。ノエルは一瞬ピクリと眉を動かしながら、後ろで不安そうな顔をしている女性の手を取り、叫んだ。
「どうしてそう簡単に……! 人殺しになりたいの!?」
「人殺しはお前らだろ! また街を焼くつもりか!?」
「この子が何かしたの?」
「魔女は存在が害悪だ!」
ノエルはため息をついて、うつろに扉を出させた。
「行こ」
女性の手を引きながら、扉に入る。
出た先は、宿の部屋だった。
「あ、お金払いに行かなきゃ」
お金を払っていないことを思い出し、女性をルミに任せ、居酒屋に戻る。店先で騒ぎになったから、既に店の中の人にも知られているだろうと、開き直り扉を使って直接見せに戻った。
店がどよめき立つが、ノエルは気にせず店員の元へ伝票を持って駆け寄る。
「お会計お願いします」
「ひっ……は、はいっ」
店員は恐怖心を隠そうともせず、震える手で伝票を受け取った。恐る恐るといった様子で伝えられた金額を支払い、「お騒がせしてすみませんでした」と頭を下げてから影扉を通って部屋に戻る。
魔女と呼ばれた女性は落ち着いたのか、ノエルを見るなり立ち上がり頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「いえいえ、見るに見かねて……考えてみたらあれくらい防げましたよね」
照れ隠しに付け足した言葉に、彼女は首を横に振る。
「私悪魔なので……なるべく一般市民には手をだしたくないんです」
「そうだったんですか」
「でもどうしてバレたんだ?」
ルミが問うと、女悪魔は事情を簡単に説明した。真顔だったが、目の奥に悲しさが見えた気がした。
彼女の名前はノースというらしい。ノースは竹下と博多で良からぬ動きがあることを察知し、調査を行っているという。
「ブルーム一家という老舗の悪魔集団に依頼されまして」
「老舗とかあるんだ」
「私達はもともと博多行政区の悪魔や魔族への弾圧に対抗するため、活動しているレジスタンスみたいなもので……」
「特別厳しいらしいもんねえ」
ノースが所属するというレジスタンス組織の名前は、トイフェル。
水面下で博多市長の不正などを調査していたところ、ブルーム一家から調査依頼を受けたのだという。なんでも、ここ2年ほど博多行政区で悪魔や魔族の失踪事件が相次いでおり、それに京都市長と博多市長が絡んでいるという話だそうだ。
京都市長という言葉に、ルミがピクリと肩を震わせる。
「では私達にとっても他人事じゃないな」
ルミが言うと、うつろがこくこくと頷いた。
どういうことですか、と問うノースにうつろが説明する。
「私達は四神教を追っているんだが、京都市長が絡んでいることがわかってな」
「なるほど、では今回の一件は四神教の仕業なんですね」
「話の腰を折って悪かったな、続けてくれ」
「はい」
ノースが一呼吸ついて、もう一度事情を語る。
調査中に魔法を使ったところ、市民に見られてしまったようだった。糾弾されるうちに騒ぎが大きくなり、あれだけの大騒ぎになったのだ。
反撃をしなかったのは、一般市民には手を出さないというのがトイフェルの方針だからだという。
もちろん、濫りに魔法を行使しないという悪魔の掟もあった。
「首をやられない限り死なないので、斧も受け止める気でした」
その言葉に、ノエルは自然とため息が出た。今日は何度ため息をついただろうか、とふと思う。
「あのね、死ななくても痛いでしょ」
「はい……なので助かりました」
「身を守るくらいなら魔法を使ってもいいと思うよ」
「お前は料理にも水を飲むのにも使うしな」
うつろの尖った声に、ノエルが「うっ」と声を漏らす。
「とにかくね? もうちょっと自分を大事に……」
言いかけて、ノエルは喉が詰まるような感覚がした。自分が人のことを言えるのだろうか、と。
ノエルは努めて明るい顔を作り、咳払いをする。
「その調査、私達も手伝うよ、ね? ルミ」
ノエルがルミを見ると、彼女は「もちろんだ」と頷いた。
「いいのですか?」
ノースが目を伏せながら問う。
「もちろん! 当面の目的は合致してるみたいだしね」
ノエルは力強く頷いた。隣で、ルミとうつろも頷いている。
ノエル達の目下の目的は、京都市長の計画を暴き止めること。同時に四神教の目的なども探れれば、御の字だった。
ノース達の目先の目的は、聞いている分には現在博多行政区で動いている京都市長たちの動きを追うことらしい。最終的な目標は博多の悪魔や魔族への圧政を解消することだろうが、そちらもノエルにとっては他人事とは言えなかった。
「では……よろしくお願いします」
お辞儀をしてから顔を上げたノースの表情は、はじめて見る笑顔だった。
「さてと、じゃあとりあえず」
ノエルは立ち上がり、カバンを肩にかける。
「もう宿にはいられないね」
「だな」
ルミもまた荷物をまとめだした。
それぞれ荷物をカバンに詰め込み、部屋をそろっと出る。二階から一階の様子を軽く伺ったが、受付には誰もいないようだった。
ノエルは部屋の鍵を受付に置き、書き置きを残す。料金は既にアイコが支払っているから、不要だった。
書き置きは簡単なものだった。ただ二言。
お世話になりました、料理とても美味しかったです、と。
「とりあえず私の家で作戦会議しよっか」
「だな」
「お邪魔します」
ノエル達は、影扉で家へと帰った。