case0:小さなぬいぐるみ(3)
「そこまでです!離れなさいハゲ!」
エドワードさんの先導で公爵夫人の部屋の前に立った私は扉を大きく開け放ち、大きな声を出す。部屋の中にいた美しいご婦人と、ハゲ頭の中年男性と、ご婦人の侍女と思われる女性たちがハッとこちらを向く。
「公爵夫人におかれましては、初めてお目もじいたします。私はレイラと申します」
私は私のできる限りの美しいカーテシーでその視線に応える。目元までかかるベールで向こうの反応は見えないが、雰囲気で彼女たちの反応がわかる。そう、私を見て。
無礼な訪問者と思われてもいい。一瞬でも冷静になってほしい。
「なんだお前らは!」
ハゲが喚く。
「クリスくんがお母様を助けてと言っていたので助けに来ました」
「クリスが……?」
たぶん公爵夫人、この中で一番高貴な方だと思われる綺麗なご婦人が言う。
「夫人、こんな奴の話を聞いてはいけません。あなたを騙すつもりに違いない」
ハゲが言う。
「それはあなたのことでしょう?クリスくんが見えてもいないのに偉そうに。クリスくんが望んでいるとか嘘ついて夫人に頭を撫でてもらったり抱きしめてもらったりしたそうですね?クリスくんは3歳ですよ?もうお乳を飲む年頃でもないのに『お乳が飲みたい』なんて言うわけないじゃないですか」
夫人もハゲも侍女たちもハッとする。
そうこれは、先程までこの部屋でしていた会話。クリスくんに教えてもらって急いでここに駆けつけたのだ。
ハゲはこれまでに徐々に夫人の心を開かせ、クリスくんが自分の身体に乗り移ったと言ってスキンシップを図り、頭を撫でてもらう、膝枕をしてもらうなどやっていたらしい。
そして今日、ハグをした後にお乳を飲みたいと提案したらしい。
普通に考えれば、いくらかわいい息子が乗り移っていても目の前にいるのはハゲ中年だし、その提案を受け入れるはずがないのだが、ハゲに心酔していた夫人は迷った末に提案を受け入れようとする。
しかし、それを侍女が止めていた。
その状況をクリスくんから聞いた私たちは公爵家に乗り込んで、ギリギリどうにか間に合った。
「なぜそれを……」
侍女らしき女性が聞いてくる
「クリスくんが教えてくれました」
そう答えると、ハゲがわめき始める。
「お前が邪魔したからクリスくんはどこかに行ってしまった!どう責任取るつもりだ」
ハゲのわめき声に負けない声量で答える。
「クリスくんはここにいますよ。あなたには見えていないのかもしれませんけど、夫人の足元で心配そうに見上げています」
「嘘だ!嘘だ!」
ハゲは喚き続ける。
「クリスがそこにいるの?」
夫人の関心がこちらに向いた。よし!チャンスだ!
ここで一気に畳み掛けよう。
「います。お母様のことを心配しています。ああ、お父様のことも?そうよね」
私はその場にしゃがんでクリスくんと目線を合わせる。
「お母様とお父様が喧嘩ばかりしているから、心配で神の国に行けないそうです。『早く神の国に行ってじゅんばんまちしなきゃいけないのに』って。ん?じゅんばんまちって何?」
じゅんばんまち?順番待ちのこと?神の国で順番待ちとは?
そう思ってクリスくんに聞いてみると、生前に読んでもらったという絵本の話をしてくれた。
しゃがんだまま、公爵夫人を見上げる。
「公爵夫人、クリスくんに絵本の読み聞かせをしたことを覚えていますか?クリスくんがお気に入りの天使のお話」
「……神の国で暮らす天使の話でしょうか」
逡巡したのち、震えた声で夫人が答える。
「そうです。天使が地上に生まれてくるときに、雲の上から両親を選ぶ話。クリスくんはもう一回お父様とお母様、公爵と公爵夫人の間に生まれたいみたいで、早く神の国に行きたいみたいです。『とうさまとかあさまの子どもに生まれたい天使はきっと多いから、順番待ち!』って」
クリスくんの方を見て「順番待ちって言葉、よく知ってたね」と言う。
お金持ちな公爵家には順番待ちなんて無縁な気がしたから。
「私が……教えたんです。順番待ち。絵本を読んでいた時にちゃんと並んで自分の順番が来るのを待つのよって……本当に……クリスが……」
夫人が泣きながら私の前にひざまずいた。
「クリス……ごめんなさい。心配かけてごめんなさい」
「いいよ、って言ってます。そう……そうね。お父様とお母様が仲良くしないと赤ちゃんは生まれてこないもんね。クリスくんはお父様とお母様が仲良くすることを望んでいますよ。そして早く神の国に行くことも望んでいます。クリスくんを思うあまり、この世にとどめておくことは、クリスくんにとっても良くないことです。クリスくんを安心させてあげてください」
「はい……私が……クリスを神の国に行けなくさせていたのですね……。ごめんね、クリス。母様は父様と仲良くするね。だから安心して神の国に行って。あなたがまた私達の元に生まれてくるように、母様も神様にお願いするわ」
クリスくんが目の前で泣いている夫人を抱きしめる。小さい体と小さい腕では抱きしめるというより、しがみついているようにも見えるけど。
そして私の方を向いて、神の国の行き方を聞いてきた。
「神の国の行き方は私もわからないんだけど、みんなはお空の上に向かって行ってたみたいよ。クリスくんも上に上がれそう?」
ふわりとクリスくんの体が浮かんだ。そのままふわふわと天井に向かい、また下りてきた。
「行けそう?それは良かった。夫人、クリスくんはお父様とお母様が仲直りしたのを見たら神の国に行くそうです」
「わかりました。夫と……夫とちゃんと話をします。あの、ありがとうございます。えっと……ごめんなさい、お名前を……」
「私ですか?レイラと申します。姓はございません」
にっこり笑って夫人の手を取り、立ち上がる。
ふと気になってハゲの姿を探すと、兄さんとエドワードさんが二人がかりで取り押さえていた。
ハゲを逃がすような無能じゃなくて良かった。




