Case 1:からくり小箱(3)
「じゃぁ10億ゴルドは!?一体どこにいったのだ!」
『おい、ゴルド』
レイラさん、いや父が呼びかける。
『私はずっとお前に必要以上の欲をかいてはいけないと言っていたはずだ。仕事では大きな勝負をする時もあるし、大きく儲かるときもあるがそれは自分の金ではない。金銭感覚が狂い、分不相応な贅沢をし始めると事業でも目先の欲に囚われて失敗すると何度も何度も言ったではないか。身の丈に合った生活をしろと。それなのになぜ私の財産を求めるのだ。商会の資産ではなく私の個人資産を。それはお前の身の丈に合ったものか?私の教えをもう忘れたのか?』
「な……」
『私が今までずっと心に刻んできたその教えは、全てそこにいるシノアに言われてきたことだ。私が成功できたのも全てシノアのおかげだ。本来であれば商会に関するものはゴンザに、その他の個人資産は全て私とシノアの娘であるルルアに譲ろうと思っていたのだが、“身の丈”以上のものを遺すとシノアに怒られてしまうだろうから、1億ゴルドにしたんだ。少なくてすまないな、ルルア』
こちらを向いてレイラさんが私に呼びかける。喋っているのはレイラさんだけど父親から言われているような気分になる。
「いや、そんなことないけど……」
『個人資産は徐々に減らしていくつもりだった。手始めに10億ゴルドを色々なところに寄付した。教会や孤児院や病院……手当たり次第に匿名で寄付したからどこにどれだけ寄付したかは覚えておらん。まさか50歳で死ぬとは思わなかったからな、個人資産はまだ腐る程残っているだろう。それなのに、まさかゴンザがこんなことをしでかすとは思わなかった。ゴンザ、もういいだろう?10億ゴルドは寄付した。箱の中身も金目のものはなかった。商会の権利や私の個人資産の残りで納得してくれ』
「……わかりました。こんなことなら降霊術師になんて依頼するんじゃなかった。50万ゴルドを溝に捨てたようなもんだ」
そう吐き捨てて席を立ち、部屋を出ていった。
『シノア、ルルア、死んでまで迷惑をかけてすまなかった』
「いいえ、いいんですのよ」
母は目を潤ませながらそう言うが、私には少し疑問が残る。
「あの、ちょっと質問してもいい…ですか?」
『なんだい?』
「なんで私にお金を遺してくれたの?」
『娘だからに決まってるだろう』
「だって、母さんと離縁してからずっと会ってもいなかったし、私のことなんて忘れられてるのかと思ってた」
「ルドはずっとあなたのことを見守っていたわよ」
母が笑いながら言う。
「え?そうなの?」
「たまにうちの店にお客として来たりもしてたし」
「そうなの!?なんで言ってくれなかったの!?」
『離縁する時にシノアと約束したのだ。父親としての交流を持たないことを』
「どうして?」
『うちの商会は手広く商売していたし、敵も多い。得をした者がいれば損をする者もいるし、綺麗事ばかりで商売はできんからな。どこでどんな恨みを買っているかわからん。実際に命を狙われたことも一度や二度ではない。お前が家にいて私の娘として生活していれば護衛をつけて守ることができただろうが、そうではなかったからな。離縁後も会っていたら私への恨みがお前に向けられていたかもしれん。それだけは避けたかった。シノアとも何度も話し合って、お前とは会わないと決めた。シノアと離縁することで親と子の縁も切った、妻子を捨てたと周囲に思わせるために』
レイラさんはそこまで言うと、腕を組んだ。「なるほどねぇ。捨てた妻子には価値がないとなれば誰も彼女たちに危害を加えないだろうと考えたんですね」
感心したように言うその言葉は父ではなくレイラさんのものだろう。
「でも結婚式の時もこっそり見てたわよね
『ああ。変装して見に行った。店の裏で遊んでる孫とも喋ったことがある』
父の言葉の後に「ドヤ顔してます」とレイラさんが言う。母はクスクス笑っていたけれど顔も覚えていない父のドヤ顔が私には想像できない。
「そうなの!?全然知らなかった。でも…そうだったんだ……知らなくて……ごめん」
小さい頃から母一人子一人で暮らしてきたから、父に関して好きとか嫌いとかではなく何の感情も持っていなかった。金銭的に全く苦労することなく育つことができたことに感謝はしているけど、それ以外に何も思うことがなかった。見守られているなんて全く考えていなかった。
『知らなくて当然だ。誰にも知られないようにしていたのだから』
「ごめん……それに、ありがとう。ずっと」
『いいんだ。シノアのおかげで立派に育ってくれてよかった。これからも幸せに暮らしてくれ。今日こうやって話すことができて思い残すこともない。私はもうそろそろ神の国に行くよ』
「ルド、私もそう遠くない未来にそちらに行きますから」
『孫が成長するまでしっかり見届けてから来てくれ。ずっと待っているから』
「はい。待っていてください」
小箱を大事そうに抱えて母が言う。
父も母も離縁後に再婚しなかったのは、ずっとお互いのことを大切に思っていたからなのだろうか。それなのに何で離縁したのか私にはよくわからないけれど、二人には二人なりの理由があるのだろう。
それはそれで仕方のないことだと思うけれど、ずっと父と会っていなかったことが今は少しさみしく感じる。できることなら生前の、生身の父と話してみたかった。
「おい、空気読めや」
しんみりとしていた中で突然レイラさんが低い声で言った。
「あ、すみません。お父様と一緒に出てきたもう一人の霊が話を聞いてほしいと騒いでまして」
あぁ……そういえばそんな人がいたっけ。
「この小箱を作った人でしたっけ?」
「そうらしいです。…あんた名前は?」
ぞんざいな口調で問いかける。「ヨクサール・デビュールさんね。え?ルドルフさん知ってるんですか?芸術家?へぇ〜」
ヨクサール・デビュールという名前、どこかで聞いたことあるような……
「ちょっと待ってください。ヨクサール・デビュール!?」
ずっとレイラさんの後ろに控えていた男性が喋った。
「テオ知ってるの?」
レイラさんが聞く。この男性はテオというのか。
「約100年前に活躍した芸術家ですよ。『星降る夜』って絵、知らないですか?」
あぁ!知ってる!少し前にオークションで高値が付いて話題になった絵だ。
「それは知ってるけど、その作者の人なの?…あ、そう…それで?うん…うん……えぇ……」
眉間にシワを寄せてレイラさんが話を聞いている。
「あの、その小箱、ヨクサール・デビュールの作品だそうです。どうやら最後の作品?遺作?らしくて、なぜかそれが異国の小さな雑貨店に流れ着いたらしく……」
「それをルドが買ったということなのね」
「そうらしいです。ヨクサールさんが絵画でもなく彫刻でもない新境地に挑んだ最初で最後の作品なので思い入れが深いらしくて、日の目を見ずに埋もれるのはつらいと言ってます。気になって神の国にも行けないとか。約100年もこの世にとどまってる人は私も初めて見ました……すごい執念というか怨念というか……」
「えっと…どうしたら……」
母も困惑している。
「どうしたらいいんでしょう?フォクサーヌ美術館?そこに持ち込めばいいんですか?鑑定してくれる?でもこんな薄汚れた小箱を持ち込んでヨクサール・デビュールの作品です!なんて言っても誰も信じてくれなくないですか?…蓋の裏?すみませんシノアさん、蓋の裏を見てくださいますか?」
母が蓋を裏返す。あ、サインがある!これがヨクサール・デビュールのサイン?
「何か書かれてあるようです」
「それがヨクサール・デビュールのサインだそうですので、フォクサーヌ美術館に持ち込んで鑑定してもらえばいいとのことです」
「でも…鑑定して本物だと言うことになったら手元に置いておけないですよね、ルドが遺してくれたものを手放すのは……」
「えーと、ヨクサールさんが土下座してます」
苦笑いしながらレイラさんが告げる「ルドルフさんも好きな芸術家だったようですね。あ、絵画もお持ちなんですか、そうですか。ルドルフさんはヨクサールさんの希望通りにしてやってほしいと言ってますよ」
「わかりました。ルドが鑑定を望むならそうします」
***
その小箱がフォクサーヌ美術館で鑑定され、本物だと認定されて10億ゴルドの値がつくとは、この時の私たちは想像もしていなかった。
CASE1はこちらで完結です。
レイラとテオの話を挟んでCASE2を投稿予定です。