療養旅行一日目
植物園
「可愛いわねえ」
藤やラベンダーが咲き誇る花壇を眺めながら百花はご満悦のようだった。サラサラとした長い黒髪が風に揺れる。写真を撮っている百花の横顔を見ていると結構絵になる光景だなと素直に思った。今日は実にいい天気で過ごしやすい気温だ。園内には子供連れも多く見受けられる。皆ピクニックに来ているみたいで楽しそうだった。僕と蒼は楽しそうにはしゃぎ回る百花の後を追いながらのんびりと歩いていた。僕はとても開放的な気分になっていた。ずっとこんな日が続けば僕も心を病まずに済むのにな。人生ままならないものだ。
「ふう。少し疲れたな」
蒼は普段運動しないらしく一周すると疲労困憊でベンチでへたり込んでいた。百花はニヤニヤしながらスマホのギャラリーを見ている。
「陽太にも送ってあげる。ほら、これとかよく撮れてるでしょ?」
ラベンダーの花壇をバックに百花が眩しい笑顔で映っていた。
「美術館は明日にして今日はもうホテルに向かわないか?」と蒼が言った。
「蒼がそれでいいなら私は構わないわよ」
「そうだね。僕もそろそろ温泉入りたいし」
「じゃあ、ちょっと休憩したら向かうか。にしても腹減ったな」
時刻は既に5時近かった。そろそろ閉園の時間だ。僕らはちょっと無理して高い宿泊プランで予約したので蒼では無いが夕飯には期待していた。九州だから海の幸とか出てくるんだろうか。チラリと百花を見ると、「楽しみね」と微笑んでいた。
閉園を告げるアナウンスが流れてきて僕らは植物園を後にして、徒歩でホテルに直行する。
「楽しかったわねえ」
「そうだな」
こんな風に並んで歩いていると僕らも放課後遊んでる高校生の友人同士に見えるんだろうか?
「皆で同じ学校に通いたかったな」
僕はポツリとこぼしていた。
「そうね。だけど大学では皆一緒よ。それまでの辛抱だわ」
「そうだぜ。それにこうして会えたんだし、またどっか遊びに行ったらいいじゃねえか。毎日は無理かもしれねえけどさ」
「うん。そうだね」
またこうして会える。そう思うと灰色な日常が少し色づき始めた気がした。
ホテルへ
そんなこんなで無事にホテルにチェックインして僕らは部屋の広さに少し驚いていた。窓からは海が見えた。景色もいいしこのホテル当たりだったな。
「さ、夕飯の前に温泉に行かなくちゃね」
「風呂でこの宿選んだようなもんだからな。期待してるぜ」
「お風呂好きだから結構長湯になるかもしれないけど先に部屋に戻っててよ」と百花に言った。
「あなた達は二人だからいいわよね。私は女一人だから寂しく入ってくることにするわ」
着替えだけ持って温泉へと向かう。ロビーの売店では色んな物が売っていた。後で母さんの土産用に見に来てもいいかもしれないな。
「じゃあね」
「ああ」
入ってみると湯船にはあまり人が入ってなかった。やっぱり皆露天風呂の方に行くらしい。
「外に行こうぜ」
「うん」
この展望露天風呂からは湾が見えるらしい。まだ夕方だけど夜景が綺麗だと聞く。夜にまた入りに来てもいいかもしれないな。ドアを開けて露天風呂に出るとやはりそこそこ宿泊客が浸かっていた。風呂に浸かりながら下の世界が一望出来る風景に目を奪われていた。
「いい眺めだね」
「ああ。ここにして良かったな」
蒼は濡らした金髪をオールバックにして気持ち良さそうに目を閉じていた。本当に不思議な気分だった。今日まで顔も知らなかった友達とこうして遠くに来て一緒に風呂に入っている。人生何が起きるか分からないものだな。
「あら、二人とも」
時間を掛けて浸かって、僕らが出てくると百花は手前のゆったりしたソファに座って、自販機で買ったレモンの紅茶を優雅に飲んでいた。湯上がりの百花は肌が紅く染まっていて何だか色っぽかった。
「女湯はどうだったよ?」
「展望風呂の景色が最高だったわ。明日また入りましょう」
「そうだね。ところで夕飯は何が出るんだろう?」
「何でもいいから早く食いたいぜ」
「ご飯を食べた後はどうしましょうか?」
「部屋でゆっくりしてたらいいんじゃねえか?今日はもう疲れたしよ」
「この時間から出かけるのも何だし、今日は明日に備えて早目に寝ましょうか」
「そうだね」
部屋に戻って蒼がテレビを見ていたり、僕がスマホでツイッターを確認していると、料理が続々と運ばれてきた。海の幸をふんだんに使った会席コースだった。
「じゃ、食べましょう」
「いただきます」
小鉢がいくつも並んでいる。高級料理らしくどの品も上品な味付けで凄く美味しい。僕は特に刺身が気に入った。
「陽太、どう?少しは気が紛れたかしら?」
百花が料理を口に運びながら素敵な笑顔で僕に問いかけてきた。
「うん。来て良かったよ。旅に出てからちょっと調子も良くなったみたいだ」
「それはよかったわね」
心の底からそう思っているような顔だった。
「来た甲斐があったというもんだな」
蒼もガツガツと大量に食べながら笑っていた。僕は本当にいい友達を持ったもんだと感謝していた。
食べ終えて、僕らはトランプをしたり、持ってきた本を交換して読んだりしながら部屋で時間を潰していた。僕が畳に寝転がりながら、百花が持ってきた紫式部日記を読んでいると、彼女が唐突に言った。
「ねえ、私達で何か作らない?」
「何をだ?」
瞑想するかのように目を閉じて、スマホでバッハを聴いていた蒼が反応した。
「皆で遊ぶにしても自由なお金があった方がいいじゃない?私達三人で何か作品を作ってそれを世に発表するの。まあ本当にお金が入ってくるかは分からないけど、私達三人なら結構いけると思わない?」
「ふむ」
「曲作るとかか?」
「私と陽太は作曲なんて出来ないもの。そうね、小説はどう?」
「三人で小説書くってこと?」
「そうよ、まず一人目がメインとなる話を書いて、後の二人がそれぞれ続きを書くの」
「なるほどな。面白いんじゃねえか?」
そういえば、二人とも趣味で小説投稿してた事があるって言ってたな。僕も気まぐれで中学の頃短い話なら書いてみたことがある。
「どうかしら?陽太が最初の話を書いたらいいと思うのだけれど」
「僕?」
「ええ、これは陽太の治療も兼ねているもの」
「俺は構わないぜ。楽しそうだし」
「分かった。書くよ」
「じゃ、決まりね。帰ったらお話考えておいてね」
「陽太がどんな小説持ってくるか楽しみだな」
「期待に応えられるかどうか分からないけど、まあ考えてみるよ」
「灯り消すわね」
明日も早起きしようと、僕らは早々に並んだ布団に入って休むことにした。何だかんだで長い一日だった。皆横になって静かになった。知らない天井を眺めながら、ずっとこのままだといいなと考えていた。今日何度目だろう、こう思うのは。毎日こんな感じで親からも学校からも家からも遠くはなれた土地で何もかも最初からやり直して、楽しく過ごす。そうだったらどんなにいいだろうと思うのだった。
「ねえ、陽太、蒼。私達ずっと一緒だよね?」
そんな事を考えていると、百花がポツリと呟いた。その声はいつになく寂しげで弱々しかった。
「うん」
「ああ」
百花が何を考えていたのは分からない。だけど、妙に耳に残った。それっきり静かになり、僕らはぐっすりと眠った。
次の日
翌朝、照明が灯った明るさと動き回る気配を感じて、僕は深い眠りから目が覚めた。いつものベッドと違う。どこだろう、ここは?起きてみると、浴衣姿の少年と少女がお茶を飲んで備えつけのお菓子を食べていた。
「あら、起きたのね、陽太」
「おはよう、陽太」
そうか。僕らは旅行に来たんだったな。二人は少し前に起きたらしい。僕が一番寝坊だったようだ。
「顔洗ってきなさい。じきに朝ご飯よ」
百花は既に洗顔と化粧を済ませたようで朝から隙のない整った姿をしていた。蒼は金髪を下ろしていて、眠そうな顔であくびをしていた。僕が顔を洗って歯を磨き終えると、百花が着替えると言って、僕らは一旦外に出た。
「いい天気だね」
「ああ。陽太はどっか行きたいところあるのか?」
「特にはないけど、こっちの街をぶらっと眺めてみたいかな」
「そうだな」
「入っていいわよ」
百花の今日の服装はネイビーのTシャツにピンクのスカートだった。首飾りもつけていた。僕らもそれぞれ着替えて、スマホでメールとかニュースとかチェックしているとだんだんと目が覚めてきた。
「今日はどうしましょうね?」
「美術館行って、後は適当にぶらつけばいいんじゃねえか?」
「そうね。何か美味しいものでも食べましょうか?」
「うん」
僕らは食堂に行って朝ご飯を食べた。朝の和食もとても美味しかった。