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08 三つの課題

「あっ……んんっ」


 紅桜は事務所への帰り際、両腕を空に向かって押し上げた。ただし、冥界には空、などというものはないが。

 彼女は自分がはしたない声を出してしまったことに気づくと、辺りをぐるりと見回した。誰もいないことにほっと息をついた。

 地獄行き環状線の業務自体は万事滞りなく終わった。途中経過で通る、数々の地獄からは悲鳴や怨嗟といった絶叫が常にこだましている。何度も行き来して慣れたものの、最初の頃は叫び声が頭の中で響いて、なかなか寝付けなかった。最も、今は別の意味で寝付けずにいるのだが。


「あ……そうでした。あの子はどうしてますかね」


 紅桜は黒髪サングラスの死神のことを思い浮かべた。

 あれからかなり時間が経っている。そろそろ連絡のひとつも来ているのではないか、と思った。

 死神手帳を開くと、新しい文脈が三つほど追加されていた。

 一つは閻魔大王の補佐役、死神の最高位、デーモンキングからのメッセージだった。彼とは立場上、ほぼ同格であるが、経歴の長さから紅桜は下扱いされていた。

 内容は次のようなものだった。


「今回の件の報告書をいち早く仕上げるようにしろ。それから決済書類が溜まっているから、期限内に終わらせるように。以前のものがまだ提出されていないようだが、そちらもきっちりと目を通すこと」


 紅桜は顔をしかめた。ただの仕事の催促だった。白い顔のデスマスクが頭に浮かんだ。

 だったら自分ですれば良いでしょう───

 紅桜はこのメッセージを無視することにした。言われなくても、そのつもりだ。ただし、こうして他人からとやかく言われると、テンションはダダ下がりになるのだった。

 二つ目は、想像通り。黒髪サングラス死神からだった。


「お客様を宿に案内致しました。現在は別の部屋を借りて同伴しています。それから、探している方のことを聞きました。サキさんという女性だそうです。なんでも、職場の上司で、ある日突然いなくなってしまったそうです。先輩からの連絡、お待ちしてます」


 もう少し具体的な情報が欲しいな、と紅桜は思った。

 だだ、新人仕事なのだから、文句はつけられない。ひとまず、明日合流する旨と行方不明の人物に関する話をもっとこちらに寄せるよう、手帳に書き込んだ。

 最後は知らないナンバーからだった。

 最新のナンバリング表を確認してみると、送ってきたのはグラサンの彼女と同じく入ったばかりの死神のようだ。


「最近の紫龍パイセンの行動、マジキチですう。頭をヒールで踏みつけるわ、オフィスに平気でポイ捨てしてくわ、誰が掃除してると思ってるんすかね? ホント、自己チューなお子ちゃまって感じでー。紅桜パイセン、なんとかできない?」


 文脈の一行目から、紅桜は頭痛がひどくなるのを感じた。

 紫龍。紫のドリルヘアーをした死神。

 彼女は紅桜が新人だった頃から、なにかと突っかかってくることが多かった。平たく言って、彼女との相性は最悪だと考えていた。面倒事を嫌う紅桜からしてみれば、起こす側の立場というものがまったくもって窺い知れない。

 以前はトラブルの報告処理など、自分の役回りではなかったため、対岸の火事のつもりでいられた。しかし、役職が上がった今では話が違う。全てのトラブルは紅桜が最終責任者である。人事異動で定員割れしている現状では尚更だ。


「紫龍……先輩、といっていいのでしょうかね。そろそろ私が注言するべきなのでしょうが……」


 ため息混じりに呟き、紅桜は唇を歪めた。

 あの暴走機関車がまともに注意を聞いてくれるとは微塵も思えない。いや、暴走機関車のほうがまだ可愛げがあるかもしれない。ブレーキをかけたり、燃料をかき出したりといくらか手はある。

 自分が言ったところで逆効果だろうな、と紅桜は思った。先達を差し置いて昇格したのは紛れもない事実だ。そのことで恨みを買っていても不思議はない。最も、その決定をしたのは死神の人事部であり、閻魔堂であり、閻魔大王なのだが。

 紅桜は腕を組み、考えた。

 直近で抱えている大きな案件が三つ。しかもどれも簡単には終わりそうもない。

 そのうち、例の老人客への対応は任せることはできない。穏便に解決するなら自分が動かなければいけない問題だ。今度のことであの子を萎縮させてしまうのもよくないと考えていた。

 続けて書類整理。こちらはちらと頭に浮かんだだけで考えるのをやめたくなった。だがデーモンキング……もとい、死神大王の機嫌を損ねるのは良くない。待遇がどうとかではなく、単に面倒なのだ。彼のひがみっぷりはよく理解しているつもりだ。毎度のことだったが話が長くなるのは御免被りたい。

 立場が上になると現場に戻りたくない、と考える者が大半のはずだが閻魔大王をはじめ、立ち位置が上になりすぎると今度は現場が気になるらしい。

 最後。紫龍の言動への対応。さて、どうやって改めさせたものか。

 散々頭を捻ったものの、うまい方法は考えつかなかった。どうオブラートに包み込んでも彼女がヒートアップする未来が見えた。そもそも彼女の傍若無人っぷりは今にはじまったことじゃないし、彼女を操る手綱というものが見えていない。

 人によってはそれが給金だったり出世ルートだったりするのだが紫龍の手綱はもっと別のところにある気がしてならない。


 紅桜はふと、顔を上げた。

 線路が横を通る鉄柵がある。その鉄柵は乗り越えることができないよう、有刺鉄線のフェンスが高くそびえている。そのフェンス越しに、何かが視界に映った。

 よくよく見てみると、それは駅員の制服を着た三毛猫のポスターだった。ふっくらした猫が穏やかそうな笑みを浮かべながら敬礼している。たしか、昔死神の誰かが描いたものだったはずだ。


「死神鉄道は安全第一で運行しています、ですか」


 ポスターに書かれた文句を口ずさみ、繰り返していると紅桜はなんだかもの寂しいな、と思った。

 先達はほぼいなくなったのにもかかわらず、未だにこうしてあの人たちに頼りたくなる。言われるがままのほうが気が楽でいい、と考えていたときが懐かしい。あのときはなにも思わなかったが、先達たちもこうして悩んでいたのだ。きっと。


「猫の手も借りたいというのに……いったい、どこへいってしまったのでしょうか……」


 大きなため息をつき、手詰まりを感じて泣き言を漏らした紅桜は、目元を擦り、再びポスターのほうを向いた。

 やはり、猫は笑っている。

 ぴしっと姿勢の良い姿は三毛のチャーミングさと合っていた。目元も見開かれたものではなく所謂、糸目だ。どこかで見たようなイラストだった。

 そのとき、紅桜の脳裏で電流が走った。

 真っ白だったパズルに色が浮き出てくる。ぱち、ぱち、と空白だった部分が繋がっていく。

 その考えに至ったとき、紅桜は果たしてこれでいいのだろうか、と思い直そうとした。しかし、山積みの問題を解決するには手が足りない。紅桜の手だけではとても足りていない。


「文字通り、借りるとしますか。猫の手」


 紅桜は死神手帳を取り出し、送魂霊符をあてがうと要件を簡潔にまとめて書き綴り、あるナンバーを記して貼り付けた。

 明日も忙しくなりそうですね、と紅桜は多大な疲労感を感じながら事務所へ向かった。

 


 

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