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06 肩書きの重み

 擦元銅太郎は塩をかけられた植物のように萎れていた。もはや逃げ出す気力も残っていないのか、「あぁ」や「うぅ」といったうわ言を呟いているだけだ。

 

「それでは天国行きは任せます。安全第一で、よろしくお願いしますね」


「はい、そちらもお気をつけて」


 紅桜は出発前にベテランの死神と挨拶を交わした。

 制帽から覗く髪は白いものが多く、肌もシワが目立つ。背はしゃんとしているが、厚縁の眼鏡の奥の細い目から発する光はいかにも熟練者という雰囲気がある。

 年季の入ったホイッスルと改札鋏を首から下げ、白の手袋をしている彼は白鏡と呼ばれる死神で、紅桜が重役を任命される以前から務めていた古株だった。


「それにしても、冥界線の運行終了直後に環状線ですか。閻魔様には申し訳ないが、紅桜さんの負担も考慮してあげて欲しいものです」


「その意見には完全に同意しますが、ないものねだりをしたところで現状が変わらないのは白鏡さんもわかってるでしょう」


「もちろんです。ただ、やはり車掌が四人だけというのはどうも……。新人枠から何人か見繕うことはできないものですかね」


 すっかり白くなった髭を撫で、むつかしい顔で白鏡はあさっての方向に目を向けた。


「そのつもり、といいたいところですがそう簡単には首を縦には振れません」


 紅桜はまたひとつ、大きなため息をついた。


「といいますと?」


「どこの部署でも人員不足は同じです。その中でも私たち鉄道部門はとにかく不人気なんですよ。白鏡さんならなんとなくは察せられると思いますが、死神の括りで魂と直接相対するのは私たちの部署だけです。そのぶん、覚えることも業務内容も多岐に渡りますし、トラブルも他に比べて頻発します。わざわざそんなところに来よう、なんてもの好きのほうが珍しいんです」


「ですが、紅桜さんは今や管理官であると同時に、死神全体の取締役でもあるわけでしょう。人事にもある程度の融通は利かせられるのではないですか」


「それは……やろうと思えば出来ないことはないでしょうけれど、私はやりたくありません。だいいち、また職権濫用だとかで他の管理官に目くじら立てられてしまいます」


 本来ならば取締役の肩書きは別の人物が単一で持っているはずだったが、紅桜は管理官かつ取締役という微妙な立ち位置のため、他部門の管理官からはよく目の敵にされていた。

 しかも、外見はともかく管理官の中では紅桜は最年少なのだ。他のメンツにしてみれば、年下が自分たちより上の重役ポストを任せられて面白いはずがない。


「もちろん、他の方々の視線もある手前、なかなか思い切った行動ができないのは理解できます。理解はできますが……儂はこのままではあなたが潰れてしまうのではと危惧しておるのですよ」


「お心遣い、痛み入ります。でも、いくら人手不足だからといって、新人たちに無理強いはできません。仮に他の部署から私の指示で鉄道部門に異動させたところで、その人が真摯に仕事へ取り組んでくれるかは別問題です。業務にミスをするのが問題なのではありません、業務を遂行する意思があるかが問題なんです」


 紅桜の力説に、白鏡はたじろいだ。同時に、まったくもってその通りだと唾を飲んだ。

 

「時間が押してきています。この話はまた次の機会に」


 取り出した懐中時計を上着に仕舞い、紅桜は踵を返して反対側のプラットフォームへ歩いていった。


 地獄行きの環状線は天国行きに比べてがらがらだった。その数は三十余名、五両編成にしたのは過剰だったかな、と紅桜は制帽のツバをぴんと弾いた。

 冥界線とは違って、魂に付き添うのは死神ではなく鬼である。赤、青、黄、緑の鬼が各自ペアを組んでいた。罪状がより重い魂には黒い鬼がついている。

 紅桜はメガホンを使い、客に乗車するよう促した。


「さあ、乗るぞ」


「もたもたするな」


「楽しい楽しい地獄巡りじゃ」


 鬼たちは意気揚々と扉の開いた客車へ乗り込んでいった。浮き浮きしているのが目に見えるようだ。

 一方で魂たちのほうはというと、様子は様々だった。

 鬼が側にいる緊張でそわそわしている者もいれば、海の底の底まで沈んでいきそうなほど暗い表情をしている者もいる。無表情で腕を組み、静かに座っている魂はこれから受ける責め苦を覚悟しているのだろう。


「本日はご利用ありがとうございます。冥界府駅発、地獄門行き環状線です。この列車は血の池、針山、焼き橋を経由し、終点の地獄門まで運行致します。走行中、列車が大きく揺れることがございますので着席されているお客様は不必要に席を立たないよう、お願い申し上げます」


 プラットフォームに誰も残っていないことを確認した紅桜が、再びメガホンを使ってアナウンスした。駅長の死神が手信号で合図をし、出発を承認する旗を振った。


「発車、オーライ」


 ピイィ、と紅桜が吹いたホイッスルを合図に機関車の車輪がゆっくりと回転をはじめた。

 機関室には紅桜の他に二名、揃いの青いツナギを着た機関士がいる。

 年季が入っているのか、ツナギはところどころに油汚れが目立った。

 彼らも鉄道部門の死神だが、やっていることは火室に石炭を投げ入れることではなく、主に速度調整とブレーキ操作だ。

 夢幻列車は石炭ではなく、情結石という現世の人間の感情を死神たちが石のように固めたものを燃やして動力源にしている。喜怒哀楽の様々な念が込められた情結石は、燃焼させると一時的にではあるが、爆発的なエネルギーが発生する。

 そのため煙突から流れる排煙は、現世のような排気ガスではなく、発散した感情エネルギーの残滓である。


「では、しばらく運転はお任せします」


「お任せください、紅桜管理官っ」機関士のひとりが元気よくサムズアップした。


「できればその呼び方は辞めて欲しいのですが……」


 紅桜は肩書きで呼ばれるのが好きではない。長いし、堅苦しいし、なにより責任が言葉に質量を与えてのしかかってくるようで、胃が痛くなる。

 新しく入って来た新人たちに対しても、最初の挨拶で肩書き呼びを避けるように注意喚起するほどだった。


「近頃は車掌さんがめっきり減ってしまいましたからね、俺たちだけで機関室を回すことも増えてるんですが、それでも管理官は代行という形で現場を見に来てくれる。嬉しいことです」


「長いことやってるけど、前は横暴な態度をとるやつが多かったんだよなあ。ちょっと前にもいた、あの……髪が紫のあいつ。どうなってるんですかね」


 機関士のひとりが思い出すように尋ねた。まるで梅干しを口にしたようなしかめっ面だった。

 紅桜は誰のことを言っているのかすぐにわかった。

 以前、列車の運行中に制限速度超過を起こし、百メートル近くのオーバーランをした死神だ。

 あのときはあと少しで列車が脱線する事態になるところだった。


「謹慎期間を終えたので、もう現場に復帰しています。といっても車掌業務ではなく事務所のほうで、ですが」


「そうかあ。んー、あいつとはなるべく同じ列車にはなりたくないもんだがなあ」


 機関士は眉間に皺を寄せた。彼は列車がオーバーランをしたときに同乗していたのだ。

 報告書を書くときに長く聴取を受けたのが尾を引いているらしい。


「いずれは車掌業務もしてもらうつもりですが……できる限り、善処します。なにかありましたら、直接死神手帳に連絡していただきますように」


「頼むぜ。手前勝手だろうが、もうあんな尋問を受けるのは二度とゴメンだ」


 パン、と縋るように手を合わせる機関士に、紅桜ははい、とだけ答えた。

 そして小さく吐息をつくと、改めて後方車両に向かった。


 

 

 


 

 




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