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04 閻魔大王

 長いアーチを対岸まで進んでいくと、正面玄関もとい厳重に閉ざされた巨大な門が立ちはだかった。鬼の身長で縦に五人を並べてもまだ届かないほどの高さと大きさがある。

 紅桜は門の下部に設置されている呼び出し鈴を引っ張り、鳴らした。


「なんにゃあ……今日はもう受付締め切りにゃ。また明日にするんにゃあ」


 呼び出し鈴の隣にある伝声管から気怠げな声が聞こえてきた。ふわぁ、とわざとらしい大欠伸をしているのがわかった。


「紅桜です。お疲れのところ申し訳ありませんが、業務が残ってますので門を開いてくれませんか」


「……にゃにゃっ! 紅桜さまでしたか。すぐに行きますにゃあ」


 伝声管からばたばたした音が消えて数分も経たないうちに、職員出入り口用である小さい門がぎい、と開いた。

 中からはかしこまった様子で背筋を伸ばしている和服を着た猫の顔があった。細い眼と伸びた髭、さらには背面から伸びた二本の尾が特徴的な白い猫だ。

 

「お疲れ様です、猫又さん」


「いいえ、いいえ。魂の整理が一段落してちょっとうたた寝をしてたとこだったのですにゃ」


「うたた寝ですか、いいですね。とても羨ましいです」


 紅桜は口を片手で覆い、小さく欠伸をした。

 現世の時間にして約三週間、休みなしの長期連勤状態だ。通常の決済処理に加えて車掌代行の業務まで重なったことで、ここしばらくはまともな睡眠をとっていない。

 後輩の前では気丈に振る舞うように心がけてはいるが、じつのところは眠たくて眠たくて仕方がなかった。一度気を抜けば泥のように倒れ込むだろう、と思っていた。


「お、お疲れ様ですにゃ。ささ、こちらへ。ミャーが案内致しますにゃ」


 この話題を続けるのは不味いと思ったのか、猫又は話を意図的にずらした。


「何度も来ていますので、今更迷ったりはしません。案内は結構です。それより、これから引率でお客様をまた駅までご案内しなければなりません。地獄行き環状線ですので、あの方たちに付き添いをお願いしたいのですが」


「それなら大丈夫ですにゃ。すでに本殿のほうにおられるかと思いますので」


「あれ、珍しいですね。判事の間に出てこられたのは、あまり記憶にありませんが」紅桜は眉間に皺を寄せた。


「今回はなかなか生前に悪事をしでかした魂が多くて、判決されたときに不服として暴れたり逃げたりする魂が多かったそうですにゃ。なんでも、黒まで出てきたとか」


「それは、また……」


 紅桜は思わず天を仰いだ。どうやら報告書の枚数は一枚や二枚では収まりそうもない。

 仕事という名の時間泥棒が知らないうちに増員していたことに、軽く目眩を覚えた。


「し、心中お察ししますにゃ。秘書として誰か派遣できないか、取り合ってみますにゃ」


「そうしてください。これ以上は、私の身が持ちません」

 

 猫又の言葉に淡い期待を抱きつつも、本音は無駄だろうなと思っていた。本当に秘書が派遣できるのなら、とっくにしている。自分から再三申し出たことだった。

 秘書は過去に三度派遣してもらっていたが、いずれも内容の記述が甘く、紅桜が書類不備を手直ししなければならなかったため、すぐに追い返していた。

 以来、派遣の際は余計な仕事を増やさないような人材を求めると提言していた。しかし未だそんな優秀な秘書はやってこない。


「はぁ……書類決済と車掌代行業務だけでもじゅうぶんお腹いっぱいだといいますのに。許容量というものを知らないんでしょうかね、あの人たちは」


 愚痴を呟きながら軽く頭痛のする頭を抱え、紅桜は本殿へと入っていった。

 猫又は耳と尾をすっかり萎れさせ、哀愁漂う彼女の背中をただただ見つめていた。


───


「天国行き、決定。ほら、次の奴」


 きっと吊り上がった目つきの少年が、ぶっきらぼうな物言いで手招きした。

 髪はやや逆立った金髪で、耳は鋭く尖っている。日に焼けたような健康的な浅黒い肌はわんぱくな印象を与えるが、纏う雰囲気は威風堂々としたものだ。

 真っ赤な着物と黒い帯は、閻魔堂そのものを表現しているようだった。

 両脇には、これまた厳つい顔で金棒を引っ提げて仁王立ちで立っている山吹色の鬼と、凶悪な顔つきで口元から涎をだらだら流して、腹の底まで響くような唸り声をあげている、黒い三つ首の犬の化け物が控えている。


「お、お願いします……」


 前に出てきたのは、若い女の魂だった。緊張しているらしく、ややうわずった声で一礼した。

 大人びた容姿だが、閻魔帳の記述にある限りは生前は高校生だったらしい。


「おう。さて、オマエの死因は……自殺か。悪いな、自殺は恩赦ってのが出来ないんだ。まだ送れるはずだった人生から逃げ出したことになるからな」


 漆塗りの机に広げられた、図鑑のように分厚い本の頁をぺらぺらとめくりながら、少年は淡々と少女の生前に関する情報を読み上げた。


「……わかってます。両親にも、大きな迷惑をかけたはずですし」


「親より子が先に死ぬのは、不幸の極みとか言うだろ。それがわかってんならいい。わかってなけりゃ、しばらく折檻しなくちゃならない」


 少女は静かにこくりと頷いた。それを見て、少年は次の頁の内容に視線を走らせた。


「ただ、オマエは生前にかなり酷い虐めを受けてたみたいだな。周りの人間から知らないオッサンと飲み食いするように強要されてた、とある。しかもそれだけじゃないんだろ」


 少女ははい、とだけ答えた。その表情には強い怯えと深い悲しみが混在していた。もう流せないはずの涙が、目尻に浮かんでくるようだった。

 彼女はクラスカーストの上位グループから、マッチングアプリで複数人との援交を強制されていたらしい。ときには相手のほうから金額を吊り上げる代わりに肉体関係を求められることもあったそうだ。

 心身共に虚弱状態となった少女は、最悪の決断をしてしまったというわけだ。


「うーん、そうだな。自分で命を絶ったのは死んでも反省するべき行いだが、原因をつくったのは周囲の人間たちにある。それに他には特筆して罰するようなことはしてないみたいだしな」


 少年は腕組みをしてしばらく悩んでいたが、やがて彼はよし、と手元にあったガベルを持ち上げ、打撃板を二回叩いた。

 カァン、と甲高い反響音が白洲の間に鳴り響いた。


「判決、天国行きだ。来世は今世より少しはマシな人生を送れよ」


 少女はほんの少し明るさを取り戻し、ありがとうございます、と深々とお辞儀をして列から離れた。


「さて、次の奴───」


 閻魔大王が閻魔帳から顔を上げたとき、白洲の間の扉がゆっくりと開け放たれた。



 


 



 

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