第一話 ありのまま
注意 この物語には身体障がい者や知的障がい者を差別、迫害対象にしている描写がありますが、その方たちに偏見を持っている訳ではありません。フィクション作品として執筆しているので、私の見解は一切込めていません。
「フォルラー様、鐘を持ってきました!」
「ありがとう。ここに置いてくれる?」
フォルラーは大きい机の上を指さしながら言った。
「源力のオイルはありますか?」
「ええ、少し前の物だけど大丈夫かしら」
フォルラーは手話で「あるわ、少し前の物だけど」と言った。
イズミはオイルが入っている瓶に鼻を近づき、匂いを嗅ぎ始めた。
「くんくん……香りは問題ありません!フローラルな香りですね」
源力のオイルは透き通っている黄緑色をしており、屋敷の庭園に咲いている花と似ている匂いがする。
「イズミが言うなら大丈夫そうね」
フォルラーは瓶を二回振り、オイルが一滴出始めた。出たオイルは辺りに波紋が広がるように、何かが響くような感覚が二人に向かって襲った。
「う~ん?ちょっと耳がジーンって響いたような……」
「もう少し足したほうがいいわね」
フォルラーはもう一回瓶を振り、また一滴オイルが鐘にかかった。そして、イズミの耳が一瞬ぴくっと動いた。
「聴こえました!やはりこの音はよく響きますね~」
「じゃあ、鐘を元の場所に戻しておいてね」
フォルラーはイズミに鐘を渡した。
「はい!部屋の前に掛けたら、掃除の用意をしておきますね」
そう言ってイズミは鐘を持ちながら、颯爽とフォルラーの部屋から出て行った。
「お父様が物珍しさで買ったこの鐘が、今やイズミの必需品になるなんて想像していなかったわね。捨てておかないでよかったわ」
フォルラーは微笑みながら言ったが、その笑みはどこか儚げで、皮肉も込められているようなものだった。
青空のはずれにある積雲が、北に向かって流れ始めていた。
アーデル家は王国の四つの地区に一家ずつ、大昔から存在している由緒正しい貴族であり、王国のお偉いさん達からも信頼されている一家である。
北のスペードリター地区では、有能な騎士を育て上げるために厳格な教育を行っており、アーデル・スペード家も王国の中枢組織に大きい影響を出している名家。
東のクラブバウアー地区では、王国の中で最も食物収穫量が多く、明快で朗らかな雰囲気を漂っている。アーデル・クラブ家は民衆によく寄り添っている者が多いらしい。
西のハートマウチ地区では、学問が発展しており研究者や哲学者が多く居る。誠実さと愛が象徴であり、アーデル・ハート家の統率で秩序が保たれている。
南のダイヤ・ヘンドラー地区では、商人を育てている商業地区であり、毎日市場は盛り上がっている。王国の経済の基盤もダイヤ・ヘンドラー地区の経済によって出来上がったもの。アーデル・ダイヤ家は代々、異文化や外交に関心を持っていたが、今は完全に閉ざされてしまった。
結局は全て身分と地位によって決まるのである――。
「はぁ、はぁ、フォルラー様、この本はどこへ置きますか?」
「それは……一番右端の真ん中辺りね。案内するわ」
フォルラーが大量の本を持っているイズミを案内する。この屋敷の書斎はアーデル家の中で最も大きく、幅広い分野の本や資料がある。
「ここか……。さすがフォルラー様。書斎の本の場所は全て知っているんですね」
イズミが本を棚に入れながら言った。
「まぁそうね。ほとんどの本の場所は理解してると思うわ」
「あっ。この本、わたしがここに来たばかりに読んでいた、手話を覚える本……」
その本は他国の物だが、言語は同じであり『手話の覚え方』と書かれている。
「懐かしいわね。私も何回も読んでいたわ」
フォルラーはイズミの肩を掴みながら言った。
「フォルラー様も、わたしと一緒に何回も読んでましたね!」
「あの時は暇さえあれば書斎に引きこもっていたわね。今もそうかしら?」
フォルラーは手話で「昔はずっとここに引きこもってた」「今もそう?」と微笑みながら言った。
「確かにフォルラー様は、書斎にいる司書さんみたいな感じですね!」
イズミは曇りのない笑顔で言ったが、フォルラーは引きこもっていないと言ってくれると思っていたため、少々苦い顔をしていた。
「そ、そう……。じゃあ、もうほとんどの本は片づけ終わったから、イズミはポットの用意をしてくれる?」
フォルラーは手話で「本の片づけは一旦終わった」「ポットの用意をしてくれる?」と言った。
「ポットの用意ですね!かしこまりました!」
イズミは首元に巻いてあったバンダナを取り、
「フォルラー様の紅茶、楽しみにしてます!」
と、手を振りながら言った。フォルラーは笑顔で振り返した。
フォルラーが書斎を出ようとした時、とある本がフォルラーをにらみつけた。気になったフォルラーはその本を見る。
「この本、初めて見るわ。『大樹の秘密』?厚みが無いから絵本かしら」
本の表紙には大樹が描かれていた。大樹には綺麗な花が咲いており、根が力強く張っている。
「気になるけど、イズミが待ってると思うし……」
フォルラーはその本を持ち、書斎から出て行った。なぜかその本から、呪いのように強く引き付けられるような何かを感じたのだ。
本はフォルラーを嘲笑った。フォルラーは何も気にせず、広い廊下を歩いて行った。
「イズミ、今日のアールグレイはいかがですか?」
フォルラーは手話で「紅茶の味はいかが?」と言った。
「とっても美味しいです!この風味と香りは……アールグレイですね!」
「正解。紅茶の味もよく分かるようになってきたわね」
フォルラーは手話で「よく分かるようになってきたわね」と微笑みながら言った。
「へへへっ。わたしがどれだけ長くフォルラー様の紅茶を飲んできたと思ってるんですか?」
イズミは少し自慢げに言った。
「そうねぇ……。もうイズミが来てから7年も経つのね」
7年前、まだフォルラーが左目が見えなくなったばかりの頃だ。当時のフォルラーは孤独感に常に覆われ、屋敷に引きこもっていた。
とある日、たまには外に出てみようと近くにある『プラトーの泉』にフォルラーは出かけた。濃い夕日に照らされながら泉に繋がる森を抜けていくと、犬の低いうめき声が聴こえる。
「ゔぅ……。がぁぁる……」
泉の近くからだ。悲しそうな声が聴こえる。幼いフォルラーは怯えながらも、その声の主に近づいた。
「……獣人?」
うめき声を上げていたのは、まだ名もない子犬だった。全身がボロボロであり、やせ細ってしまっている。
「あなた、独りなの?」
子犬はフォルラーの金色の目を視た。しかし、フォルラーの問いには答えなかった。
「しゃべられないのかしら」
また子犬は黙ったままだった。よく視ると、子犬の耳には身体障碍者専用のピアスが付いている。
「このピアスは……。耳が聴こえないのね、あなた」
フォルラーは自分の耳を触りながら言った。なるべく子犬に伝わるように、ゆっくり話した。
「わたしは……耳が、聴こえません」
子犬は小声で言った。
「家から追い出されて……。ここに逃げてきたんです」
子犬は大粒の涙を出しながら泣いていた。フォルラーは少し動揺したが、
「そう……。ついてきて」
と言いながら子犬の手を掴み、プラトーの泉へ連れて行った。
「私のお気に入りの場所なの。暗くなってきたけど、もう少ししたら月明かりが綺麗に映るわ」
子犬はまた何も言わなかった。まだ涙目になっており、目元が赤くなっている。
「きれいな泉ですね」
「……この仮面はね、左目が失明してしまって視えなくなったから付けてるの」
フォルラーは子犬の顔を視ながら言った。子犬は目に何かあるのかと、じっと仮面を見ていた。
「こんな感じでね」
フォルラーは仮面を取り始めた。左目に光はなく、子犬の顔は映らない。
「……視えないの?」
子犬の問いに、フォルラーはただ頷いた。
「だから、私はあなたと一緒。同じ障碍者なの」
フォルラーは仮面を付け、子犬の片手を握りながら言った。
「同じなんですね。はじめてです。私にこうやって一緒に居てくれる人は」
「私もよ。少し前に障碍者になって、お母様もお父様も、召使い達も居なくなってしまったの」
フォルラーは泉を視ながら儚く言った。子犬はほとんど聴こえなかったが、苦しそうなフォルラーの顔を視て、胸が締め付けられるような感覚を味わった。こんな感覚は初めてだったらしい。
「なんだか、あなたの顔を視ていると、わたしも苦しいです……」
「……ごめんなさい。あなたを傷付けるつもりはなかったの。……この声は届かないかもしれないけど」
「でも、ここであなたと話すのは悪くないです。同じ障碍者だからかな」
「それもあるだろうけど、多分……私達にとって『初めての友達』だからなのかも」
フォルラーは立ち上がり、子犬の目を視ながら言った。
子犬の目には高貴な小さい少女と、日没したばかりの薄明な空が映っていた。小さい星々がまばらに散っており、プラトーの泉も空の色を貼り付けていた。
「きれいですね……。なんでだろう。あなたが今言った言葉がなんとなくわかるかもしれません」
「もう日没ね。ねぇあなた、私の屋敷に住まない?」
フォルラーは座っている子犬の手を掴み、目の前に来させた。
「え?どうしたんですか?」
「もう遅いから、まずは夜ご飯を作りましょう!」
フォルラーは笑顔で言った。
「(この方は……信頼できる。とても温かい……!)」
子犬はとびきりの笑顔で返事したのだった。
「懐かしいですねぇ……。その後、『イズミ』って名前を付けてもらって、恩返しをするために召使いになって……」
「あの時、プラトーの泉で出会ったことが忘れられなかったから、かなり安直に付けた名前だったのだけど……」
フォルラーは手話で「かなり安直な名前かもね……」と言った。
「いえいえ!とても綺麗で、素敵な名前だとわたしは思いますよ。世界で一番好きな名前です!!」
その無邪気な笑顔は、フォルラーを安堵させた。あの時の決断は間違っていないと。孤独になっても、分かり合える『友達』が居るのだと。
たとえ召使いやペットの関係になったとしても、友達であることには何も変わらない。
ありのままでいたい二人は空がほの暗くなるまで、フルーティーな香りに包まれていた。
大変お待たせ致しました。序章から約6ヶ月経ってしまい、申し訳ございません。どのような形式で物語を進めようか長く考えていましたが、想定していたより短く区切るような形となりました。
最初に書いていた一話はもっと長いものだったのですが、他の作者さんの作品を見て勉強しながら改正していき、このような形で執筆していくこととなりました。
次の話はもう少しで出せそうです。他作品も投稿していきたいので、第三話以降はまた不定期になってしまいますが、何とかモチベーションを保ちながら執筆していこうと思います。