序章
注意 この物語には身体障がい者や知的障がい者を差別、迫害対象にしている描写がありますが、その方たちに偏見を持っている訳ではありません。フィクション作品として執筆しているので、私の見解は一切込めていません。
「ちょいとお待ち。お兄さん、新聞はいかが?」
新聞売りの男が、少々みすぼらしい格好をした男に声をかけた。
「おう、はいよ100R」
「まいど!そこのお嬢さん。新聞はいらないかい?……」
男はレンガ造りの喫茶店に入っていった。カウンター席に座り、新聞を開く。
『知的障碍者3体が飲食店で大暴れ
障碍者に対する扱いを見直すべきか―』
新聞の見出しにはこう書かれていた。
「おや、この記事ですか」
「マスターはこの話題知ってるのか?」
「ええ。かなり近い所で起きた事なので、一昨日知りましたよ」
喫茶店のマスターはコーヒーを入れながら、男に言った。
「ほーん......。こいつら3体はもう処刑されたんかね」
「どうでしょうね。法律は詳しくは分かりませんが、法にかけるお金はこの地区にはありません」
ダイヤヘンドラー地区は商業が発達している自治区。商人を育てるための金はあるのだが、法律は少々甘いところがある。
「ったく。商人に金かけんなよ。もうこっちは十分だ」
男はため息混じりに文句を言う。
マスターは黙って、カップを洗い始めた。
ここはエクセレンス王国。優生思想が飛び交っており、平民の下の身分として『障碍者』が存在する。
障碍者には目が視えない、足が不自由などの『身体障碍者』、日常生活でできる能力の発達が遅れている『知的障碍者』の2種類に別れている。
障碍者には人権が無く、物を買う時に特別価格で平常よりも高くなったり、飲食店でもテーブルやカウンターではなく、木製の汚れたベンチでテーブルが無いまま座らせる。
酷い時は、歩いているだけで石を投げられたり、罵詈雑言を浴びられたりしてしまう。
人権が無いということは、人として扱われないということだ。他の国で言うところの『奴隷』と同じようなものだが、奴隷は働く動力として重宝されている国が多く、そこまで酷い差別や、迫害は起きていないらしい。
一方、障碍者は仕事をろくに貰えないため、今日食べる食料にも困っている現状だ。
そんなエクセレンス王国の優生思想は300年と長い間、建国以来から続いている。学校では義務として優生学を学ばせているという徹底ぶりだ。そんな王国を冷徹な目で見通している紳士が影に居た__。
フォルラー・アーデル・ダイヤ様宛
はじめまして。17年のも間、全く会える機会を作れなくて誠に申し訳ない。1週間程の休暇を貰ったため、フォルラー様の都合が合う日に、『地の館』までおいでください。目一杯のおもてなしを用意しましょう。
もちろんイズミ様もいらして下さいね。
ダイヤ伯爵
「ダイヤ伯爵……。ダイヤヘンドラー地区のトップだわ。なぜ今、私なんかと……」
今、手紙を読んだのが『フォルラー・アーデル・ダイヤ』。由緒正しい貴族、アーデル・ダイヤ家の第22代当主であり、まだ17歳。
彼女は貴族身分にも関わらず、実は障碍者。7歳の頃に、左目が突如視えなくなり、現在は仮面をつけながら行動するようになった。
「もう7時だわ。あの子を起こしに行かないと」
朝日が空に馴染んだ春の朝。屋敷の周りの花壇の花にある昨夜に降った小雨の朝露が真珠のように輝いていた。
フォルラーは2階の階段を上り、アンティークのドアの前にある鐘を鳴らす。
「イズミ。もう朝よ」
イズミと呼ばれている獣人は、鐘の音に反応したような動きをしたが、フォルラーの声には反応していない。両耳が聴こえていないのだから。
「もう少し、鐘の源力を強くした方がいいわね」
源力とは、物に宿る力のことであり、専用オイルをかけると物の動きが速くなったり、音が大きくなったりする。今の鐘は20mLぐらいのオイルをかけた物だ。
仕方なくフォルラーはイズミの部屋に入っていく。
「イズミ、朝よ。そろそろ起きなさい」
寝坊しそうな子どもと、起こす母親のような構図だが、主従関係である。フォルラーはイズミの体を揺さぶった。
「う〜〜ん。グルグルグル……」
ようやく、イズミは目を覚ました。普段は鐘の音でどうにか起きるのだが、日によって今日のように主であるフォルラーに起こされる。
「フォルラー様……フォルラー様!?急いで支度します!」
イズミは高速で髪をとかし、高速で耳と尻尾の毛並みを整え、高速で寝巻から仕事服に着替え、とにかく高速で顔を洗い、歯磨きをした。
支度はわずか30秒程で終わった。
「フォルラー様!改めましておはようございます!」
「おはよう。相変わらず支度が早いわね……。そんなに早くなくても私は気にしないのに」
フォルラーは手話で、「おはよう」「素早い」「さすが」と言った。
フォルラーは普段からイズミに対しては、手話で意思疎通をしている。彼女も障碍者だからだ。
「いえいえ!召使いたるもの、支度は最小限の動きで、素早く行わないと!」
最小限の動きには見えなかったが、フォルラーは何も言わなかった。
イズミは口の動きで本当に言っている言葉をなんとなく予想できるため、会話はそこまで難しくない。しかし、空気を上手く読まないと場違いな言葉を言ってしまうため、外では思う存分には会話できないのがイズミの悩みである。
「……やっぱり鐘の源力を強くした方が聞こえやすいかしら?」
フォルラーは鐘を指さし、手話で「聴こえる?」といった。
「鐘ですか?……正直、あまり聴こえません。もう少し源力のオイルをかけた方がいいかもしれませんね」
イズミもフォルラーと同意見だった。
「そうね。専用オイルを用意しておくから、後で取って持ってきてくれる?」
フォルラーはまた鐘を指さし、手話で「後で取って」と言った。
「分かりました。朝ごはんの後に持っておきますね。
……この鐘、私が来る前からありますよね。何年ぐらい前の物なんですか?」
イズミは鐘を見ながら言った。小型の鐘は金製だが、少々錆びかかっている。
「この鐘は……20年ぐらい前、お父様の代からあるわね」
フォルラーは複雑な顔をしながらも、手話で「20年ぐらい前から」と言った。
「20年前ですか……。リターン様の代から……。フォルラー様、ご両親のことは無理して話さなくていいですからね」
イズミはフォルラーの複雑な顔を読み取り、優しく言った。
フォルラーの父は『リターン・アーデル・ダイヤ』。かなり外交的であり、他の地区や国の文化に関心を持った人物だった。
「ありがとう。でも、もうあまり気にしてないわ。あの人達が今どうなっていたって、見捨てられた私には関係ないもの」
フォルラーは手話で「ありがとう」「気にしないで」「関係ないから」と、憂いを浴びた笑顔で言った。
フォルラーは障碍者となってから父リターンからも、母『シュヴァル・ヴァイス・ダイヤ』からも、更には屋敷の召使い達もフォルラーを見捨て、出て行ってしまった。
わずか7歳のフォルラーは10歳になるまで、1人孤独に暮らしていたのである。
「フォルラー様……」
「もう朝食の時間よ。一緒にサンドウィッチを作りましょう」
「は、はい!」
イズミはフォルラーを追いかけるようについて行った。今日の朝食は、トマトレタスサンド、ヨーグルト、ハーブティーである―。
「イズミ、今朝にこの手紙が届いたのだけど……」
フォルラーは今朝に届いた手紙をイズミに見せた。イズミは手に持っていたサンドウィッチを皿に置く。皿にはパンの耳が残っていた。
「手紙が届くなんて珍しいですね……。この名前は……ダイヤ伯爵!?」
「そう、ダイヤ伯爵から急に手紙が届いて……。私達の空いている日に『地の館』まで来いって書いてあるわ」
イズミは手紙の文字を読んでいる。その目は驚きと興奮と不安が混ざった混沌の目だった。
「えっと、ダイヤ伯爵ってダイヤヘンドラー地区のトップですよね?アーデル・ダイヤ家とも繋がりのある伯爵の一家……」
「ええ。この地区だけじゃなくて、エクセレンス王国に対してもかなり大きい権力がある貴族ね。でも、なぜ今なのかしら。障碍者だから?貴族の恥だから?」
フォルラーは手話で「国の中でも権力が大きい貴族」と言ったが、最後の言葉は独り言のようにブツブツ呟いた。
イズミは呟いているフォルラーを見たが、密かに独り言かもと思い、何も言わなかった。
「でもどうします?正直、毎日かなり暇ですけど……」
フォルラーは貴族身分と言えど、障碍者のため、大きい仕事が回ってくるということはあまりない。
どれだけ偉い身分であっても、障碍者ならばこの王国にいる限り失脚よりも恐ろしいことが起こるだろう。
「そうね……。とりあえず今日は鐘の手入れと、久しぶりに掃除を行いましょう。『地の館』には明日にね」
フォルラーは手話で「掃除をしましょう」「外出は明日に」と言った。
「そうですね。食べ終わったら鐘を持ってきます!今日の寝る前に、明日の準備もしておかないと……」
イズミは遠足前の準備のように考えていた。そして残っているサンドウィッチを口に放り込んだが、やはりパンの耳は残していた……。
読んでくださってありがとうございます。まずは短い序章として執筆しましたが、エクセレンス王国の世界観をある程度理解してくれたら嬉しいです(近世ぐらいかな)。作中にある身分『障碍者』は物語で永遠にテーマとなっていくことでしょう。歴史の中でも、優生思想を掲げた国、政治、人が多いと聞くと、100年ぐらい前にこの物語を書いたら、ノンフィクション作品となったのでしょうか。
現代では優生思想はタブーのような扱いになっていますが、改めて理解すると肯定的な反応を見せる人もいるかもしれません。優生思想は人間の誰しもが奥の奥に隠れている危険なものです。主人公のフォルラーを通じて、エクセレンス王国の残酷さ、密かな美しさ、障碍者の苦労を味わってみてください。