006、マナー
こちらの世界には、柄のあるシャツは珍しいものと、庶民服と渡されたのは飾りもない麻生地の長袖Tシャツ。
上半身に着ていた服を全て脱いで着てみると、麻生地が肌に直接当たり背中のチクチク感がなんともこそばゆい。
一度着たシャツを脱いで、元の着ていた半袖Tシャツを着てから長袖に手を通すと背中のチクチクはマシになった。
「これも履き替えた方がいい?」
Gパンに手をかけながら、周りを見ると、二人ともこちらに背を向けていた。
「っなぜ?あ、こっちでは人の着替えは見ちゃダメ的な?」
「そうですね。他人の着替えなどは見ない、見せないと子供の時より教わります」
「あ、すいません。マナー違反で、えーと、あっあの裏に行きますね」
着替え用に用意していたのか、衝立の向こう側に逃げ隠れる。
「そうして頂けると助かります。タチバナ様の世界では、これはマナーにはなっていないのですね」
「同性なら気にしないけど、初対面の人の前で着替えるのはマナーがなってないんで、違反ちゃあ違反なんで、すいません」
「いえ、こちらの世界のマナー、しきたりですから、タチバナ様が知らないのも仕方がありません。その他のこともおいおい、私やミニシッド様に聞いて学んで頂きたいですね」
「はぁ」
さっきよりも押しが強くなってないか、これはもう聖女決定な。
あー、腹をくくるしかないのか……。
「……では、私は所用を済ませてきます。タチバナ様申し訳ありませんが、席を外すことをお許しください。ミニシッド様、よろしく頼みます。陛下との謁見は18刻になりますので、17刻までにはお戻り下さい」
「いってらー」
「了解した」
着替えを終える前に、いそいそと部屋を出るセミエール。
やっぱりヤバイのだろうか。
着替えを終えて、衝立の陰から出るとリンは出されたお茶と菓子を堪能していた。
俺も席に座り、パイ生地の爽やかな風味のお菓子を食べた。
「あのさ、核の魔力不足ってヤバイの?」
「ヤバイとは?」
「危ない的な?」
「なるほど、俺はなったことはないが、危険だな。核が守られてない状況だからな。ああ、すまない。そちらの世界には核の概念はないのだな。そうなると……心臓を晒してると言えば分かりやすいだろうか」
俺の顔色を見て察してくれたらしい比喩は、想像以上だった。
それは、危篤状態とも言えるんではないだろうか。
「死にそう?」
「そのまま核の魔力がなくなることがあれば死ぬが、魔力不足と言うことは補助器具なり伴侶の守りがあれば、不足分は補える。ああ、セミエール様の所用はそういうことか。なら、伴侶のセミエール様が守りに入られれば、もう大丈夫だろう」
「そっか…………んんっ?伴侶っ?男同士だよな?」
「言われなかったのか」
「家族だとは聞いた」
「そうか。そちらでは同性での伴侶は珍しいものなのか?」
「日本、おれの住んでる国ではまだ。他の国ではあるらしいけど、少数派」
「この世界では、恋人や伴侶に性別や種族の区別はない。胎内で子を育てることが出来るのは女性だけだが、精霊の卵があれば誰でも子を授かることが出来る」
アンビリバボーな事実をざっくり聞かせてもらってる。
だから、他人の着替えは見ちゃダメ、なるほど。
誰でも、性別、種族関係なしにそういう対象になってしまうということだ。
「なんか、今が一番、異世界に来たことを実感してる気がする」
紅茶だろうものを飲みながら、しみじみと呟いていると、リンが笑った気がして、そちらを見る。
「俺はコウを気に入った。俺とこの世界を救う手助けをしてくれないか?」
直球ど真ん中ストレートボールを投げて寄越す。
「俺、男だよ。聖女なのに男?ってなるじゃん、なんか気が進まない」
「実は、この役を引き受ける気はなかった」
「えっ、そうなん?」
「勇聖者決定戦というもので俺が選ばれたんだが、それが夢の中で何人もの勇者と試合するというもので、俺には攻撃はほぼ当らない、なのにこちらは一振りで終了。それで決定したと言われても現実味も何もない。しかも聖地を見ず知らずの他人と回るのは気疲れしてしまうと後ろ向きに考えていたんだ」
ポロポロと面白い事実が投下されているが、今は聞き時だろう、相づちで先を促す。
「でも、コウとなら楽しい旅が出来る。俺の直感は当たるんだ。なんだか、なかったやる気も出てきたよ」
そう笑顔で言われても、こちらはアハハと乾いた笑いしかでない。
「まずは、眼鏡屋に行って俺に似合うものを見繕ってくれ。眼鏡なんて考えたことなかったから、よく分からないからな」
小さくカツンとカップを置いて立ち上がったリンは、俺の方に回ってきて、さあ行こうとばかりに手を取る。
「俺だって、眼鏡かけたことないから分からないし」
立ち上がり、取られる手のままドアへと歩いていく。
「でも、そういう人を見たことあるってことだろう。なら、俺に合いそうな眼鏡も分かるさ。俺は……コウに似合う服を選ぶことにする」
「……なんだか、デートみたいだな」
ドアを開けて、先程校長と歩いた廊下を逆走して歩いていく。
「デート?」
「あ、えーっと逢引だったかな?恋人同士とかで出掛けることをあっちではデートって」
「なるほど、ならそれだ。俺はコウを気に入った。これはデートだよ」
「な……?!」
繋がれた手は離さないまま、そんな事実を投下されて、手を離したくなるが、さすが勇者なのか、痛くない程度にガッチリとホールドされた手は離れない。
「初めて、自分から人を誘ったよ。なんだろうな、ただただすごく楽しいと感じている自分がいるよ。コウ、君はすごいな、俺をこんな気持ちにさせるとは」
俺相手にそんな凄い笑みで言われても、こっちが困る。
これはどうすればいいのだろうか。
助けを呼ぶ?誰を。
初めて会った勇聖者に一目惚れ?されて、困ってますと。
セミさん、俺いま、無性に帰りたくなってる……。
お目通し、ありがとうございます。




