勇気の欠片を噛み砕く
『方式<斬撃>』
醜い虫のような、獣のようなネオビルを真っ二つに切り裂く。
少女には似つかわしくない大剣を、軽々しく片手で振り下ろした。
「おっと、爆発する前に食っとかないと」
ねこくじらが口を開けると、身体が膨らみネオビルすべてを包むほど大きくなった。そのまま一口にのみ込んだ瞬間、ボンッ、と爆発した。元の大きさに戻ったねこくじらが口を開くと煙がふわっと舞い上がった。
「覚醒前だったし楽勝だったな。……どうした? 青」
「いや、どうしてこれこんなに上手く使えるんだろ、って」
REMと町田亜依香が呼んでいた、空想上の武器を眺めて彼女が言った。
「さあな。何にせよ使えるモンは使った方がいい。バットでぶん殴るだけじゃ物足りなくなってきてたとこだ」
「やっぱり、強くなってきてるよね。ネオビル」
「そうかもな。……そろそろ閉じる。さっさと起きて顔洗え」
彼女が頷くと同時に、世界が白に包まれた。
◇
体育館の裏と部室棟に挟まれるような場所に、一つのベンチがある。あまり人通りの多くない場所で、亜依香はお弁当を広げていた。隣にいる青は、コンビニの袋からサンドイッチを取り出して食べている。
亜依香は、結局先日の夢のことを全部覚えていた。前例がなかったことなので、ねこくじらともども不可思議に思っていた。亜依香は「まあいいじゃん。ラッキーだったってことで」と青の活躍を覚えていられたことを嬉しく感じていたが。
もう一つ不思議なこととしてアーリーライザーの武器REMのことがあった。REMを使って亜依香のネオビルを倒した後、何度か人の夢を渡ってネオビルを倒していた青だったが、なぜかREMを使うことができた。
「使えることがおかしいことなの?」
『青にとってREMとやらは『知らない存在』なんだよ。だからどうにも腑に落ちねえ』
ねこくじらも二人の間をフワフワと浮いている。黒いくじら部分の尻尾をときどきパタパタさせていた。
「まあ、それも運が良かったってことで! せっかく7段変形できるんだし、使った方いいよ」
「7段変形?」
「大剣、斧、銃、槍、大砲、クロスボウに刀。選び放題だよ」
『ま、銃と大砲はムリだろうが』
「なんで?」
『剣なら、切ってダメージを与えることは想像しやすい。振り回すだけでいいからな。青の常識にももちろんある。でも銃と大砲は仕組みを理解してないから、引き金を引いたところで何にも出ないだろうな』
「でも大砲って言っても光のビーム的なのがでるやつだから」
『じゃ、なおさらダメだ』
「車の乗り方を知らないから、夢の中で車は動かせないって感じ」
「え、でも夢の中で車動かしたりできない? 空飛ぶ夢とか見たことあるよ」
「うん、だけどそれは、はっきりと知覚した夢ではないはず。私の場合、自分とその常識を、確かなものとしてとらえないといけない」
自販機で売っている、レモン風味の炭酸飲料を飲んで青が言った。前に飲んだことがあるけど、酸味が強すぎて美味しくなかった記憶がある。
『そうしないと他人のユメにとりこまれちまうんだよ』
「そうなんだ……」
「だから、今REMを使えてるのもちょっと不思議」
「ならさ、REMについてもっと知ったら、使えるようになったりしないかな!」
笑顔で言う亜依香に、青は一瞬考える表情を見せた。
「それはあるかも。変形のギミックを知れば、斧とかなら使えるはず」
『そんな上手くいくか?』
「そこは想像力で補う感じで! ……というかなんでねこくじらって喋れるの? 今夢じゃないのに」
ねこくじらがぷかぷか浮く様子は目に見えるし、声も聞こえている。亜依香が手を伸ばすと、ぺしっと尻尾で払われた。どうやら触ることもできるようだ。
『白昼夢ってやつさ。実際に見えているんじゃなくて、脳に知覚させている』
人間は目や手から入った情報を脳が解釈することで世界を捉えている。それをはじめから脳に働きかけることで、見えている、触っている、と感じさせているようだ。
『普段は青にしか見えない、んだけどな。なんでオマエは見えてんだか』
「夢のこと覚えちゃってるからね。でも青ちゃん意外に見えないって魔法少女と契約するマスコットキャラみたいでいいなあ」
「そんなにかわいいもんじゃないけど」
『それはオマエのさじ加減だろ』
首をかしげる亜依香にねこくじらが説明した。
『オレは青、と亜依香の夢の存在ってこと。オマエらの常識が反映されてる。だからこんな姿なのも、青のイメージが映ってるってことだ』
「なるほど。もっとかわいい方がいいと思うんだけどなあ。『ボクに力を貸してぽよ!』みたいな」
見た目は可愛いんだけどね、と手を伸ばした亜依香からまた逃げるように離れた。黒い体は、毛並みのようにもつるつるしているようにも見える、なんだかもやみたいだ。
『絶対嫌だなジラ。……あ? おい亜依香、オマエのイメージ押し付けてるだろジラ』
「本当になってる。おもしろーい」
『遊ぶなジラ! さっさと戻せジラ!』
勢いよく吠えるように抗議するが、語尾のせいで台無した。
『おい青、何とかしろジラ!』
「それはそれで可愛いんじゃないかジラ」
ぶちっ、とねこくじらの中で何かが切れる音が聞こえたような気がした。
「……クジラってこんなにフワフワしてるの?」
暴れようとする尻尾を掴み、ねこくじらの背中を撫でて亜依香が言った。青と亜依香の印象で、かわいい小動物だと思われているうちは、ねこくじらは特に抵抗はできない。
『知るかよ。オレ、クジラに会ったことねえから』
放課後、桜木青は町田亜依香に連れられて、崎山模型店に来ていた。『アーリーライザー』について知りたいという青に、先日完成したプラモデルを見せようと思ったのだ。
青が原付を駐輪場に止めに行っているのを、近くのコンビニの前で待っていた。円いライトが特徴的なレトロな原付で高校に通っていることを知った時は驚いた。
ヒーロー好きの亜依香としてはやっぱバイクには憧れがある。もっとも、青の乗っている原付は「跨る」というより「座る」タイプのものなので、かっこよさよりかわいいという印象が強いが。
「お待たせ」
ブレザーの代わりに黒いパーカーを着た彼女は、どちらかといえばかっこいい方だと亜依香は感じていた。ファスナーを半分ほど閉め、覗くシャツは第一ボタンが開いている。
「大丈夫。すぐそこだし」
そう言えば、崎山模型店に友人を連れていくことは亜依香にとってはじめてのことだった。
模型店で働く竜文が『亜依香ちゃんが女の子の友達連れてきてるー!』と無駄に興奮していた。竜文は声に出さない分動きがとてもうるさい。今日のお面はロボットアニメの金字塔『駆動兵器エクリプス』のキャラのひとり『EGゴア』だった。
「こんにちは」
特に緊張する様子もなく、平坦な声で青が言った。
『こんにちは! ちょっと待ってね、今お茶持ってくる。そこ座っていいから!』
バタバタとレジの裏に行ってしまった竜文を見送り、二人はレジ横の椅子に座って、机の上にかばんを置いた。
『慌ただしいヤツだな』とねこくじらが言うのももっともだ。
「気にならないの?」
「何が?」
「ほら、竜兄。お面してるし、めっちゃ無口だし」
「あ、ほんとだ」
「気づいてなかったの⁉」
「いや、お面にびっくりしてたから。喋ってなかったのか、と」
と言う青だが、特に驚いている様子は出ていなかった。
「竜兄なぜかジェスチャー上手いからなあ」
私だけ伝わってるのかと思っていたが、青ちゃんにもちゃんと伝わるんだ、と亜依香は感心していた。
「どうして無口なのか、聞いても?」
「たんに恥ずかしがり屋だからだよ。昔はもっとはっちゃけてたんだけどさ」
亜依香は、ジャングルジムから木の棒を持って飛び降りる少年を思い出していた。
お茶を持ってきた後、電話がかかってきたのか、竜文は裏に戻って行ってしまった。電話にはちゃんと出れるのか、と青は暢気に考えていた。
『無口、ね』
と独り言をつぶやくねこくじらに、二人は気づかなかった。
「で! これが『迅速勇士アーリーライザー』!」
完成したプラモデルを取り出して青に見せた。
「初代は特殊で、1話ごとに変身者が変わる変身ヒーローっていう珍しい形式なんだよね。そもそも第一話から変身するのが女子高生って言うのも新しい! まだヒーローと言えば男の子、の時代だったからなあ。だからほら! デザインも女性的と言えば女性的だけど、男性らしさもあるっていう」
「ああ、なるほど」
『そうかあ?』
菱形とV字が組み合わさったような特徴的なバイザーをつつきながらねこくじらが言った。
「あと変身者によって武器が変わるのが一番の特徴」
付属パーツの武器、今はスラッシュモードの大剣になっている、を見せた。
「これがREM、だっけ」
「そう。で、このブレードを引っ張って、上に持ってくる、と」
左右のブレードがそれぞれ上下に分割し、先端側に移動させる。斧状に変形した。
「アタックモードになる!」
「おー」
「逆にスラッシュモードを左右に分割して、先端の刃を手前に折る。で、持ち手も折り曲げると、二丁のショットガンになるのだ!」
「おー」
と青は控えめに拍手した。
「REMは地球が生み出した、世界を守る意思を持った人に力を貸す戦闘サポート機構なんだよね」
「はー。かっこいい。面白そうだね」
「え、じゃあ見ようよ! 青ちゃんが見たければ、だけど」
「うん。見たい」
「やったあ! 私無印のやつと、劇場版アーリーライザー天下統一ならDVD持ってるよ。シリーズ20作近くあるけど、やっぱ最初は無印かな。1話完結で見やすいし。あ、でもどこで見よう。うちは多分無理だし。竜兄に頼むのもなあ……」
「なら、私の家は?」
『いいのか?』
「大丈夫だと思う。多分。ちょうど明日土曜日だし」
そのまま明日の約束をして、二人は別れた。電話を終えたのか、竜文が店先まで見送ってくれた。
振り向いても大きく手を振っているのが、亜依香にとっては少し恥ずかしかった。
◇
土曜日、昨日に比べて日差しが強く、亜依香は半袖のシャツを久しぶりに来ていた。こうして友達の家に遊び肉なんて久しぶりのことかもしれない。最近買ったチェックの入ったグレーのスカートを履いている亜依香は、確かに少し浮ついていた。
バスから降りてあたりを見ると、ベンチに青が座っていた。白いキャップをかぶっており、髪を一つにまとめていた。ラインの入ったレギンスが、黒いTシャツと似合っている。
「よ」
「青ちゃんおはよー。ねこくじらは?」
「朝からいない」
「何か用事かな」
「さあ」
すたすたと歩きだした青の隣へ急ぐ。
「前から気になってたんだけど、ねこくじらもネオビルなの?」
「うん、一応。本人は、もっと格上のデイドネオビルだって言ってたけど。ねこくじらはそれ」
「じゃあねこくじら以外にもいるんだ。その、デイドネオビル」
「ネオビルが夢で人を食らうと、そのネオビルが知性を得ることがある。そうして、人格を乗っ取る。それがデイドネオビル。まあ、ねこくじら以外にあったことないけど」
「そう、だったんだ」
「あ。でもねこくじらは人を食べてないよ」
その言葉に亜依香は少し安心していた。
「ネオビルがデイドネオビルになると人の夢を渡れるようになる。私が夢を渡れるのもそれのおかげ」
「ねこくじらは、青ちゃんのネオビルなの?」
「えっと」
『それは違うな』
「うわ!」
いつからいたのか、ねこくじらが後ろから現れて言った。
『オレはオレでしかない存在だ。それにコイツは、ユメなんて見たことないしな』
「そうなの?」
「うん。人の夢に入ったことはあるけど、自分の夢は見たことない、と思う」
そんなことがあるのだろうか。青が言っていた「夢は自分を司る世界」という言葉を亜依香は思い出していた。
『それよりも、だ。見つけたぜ、ネオビル』
その言葉に、亜依香にも少し緊張が走った。
「誰の夢かはわかってる?」
『ああ、オマエの家、アソコだろ?』
そう言ってねこくじらが見た先には、メゾネットタイプの集合住宅があった。
「へー、あそこなんだ」
『で、その向かいの家の2階』
とねこくじらが向いた先を見た。カーテンが開いており、一人の少年と目が合った。
「あ」
こちらに気づいたのか、すぐにカーテンを閉じてしまった。
『アイツ、オレのこと見えてるぜ』
「なるほど」
「どうするの?」
『ま、どうしようもねえな。人が寝るのはだいたい夜だし』
「とりあえず、行こっか、私の家」
青の住む家は、賃貸だが一階と二階があるメゾネットタイプの集合住宅だった。ドアの鍵を青が開けている間、亜依香は
「ね、なんでねこくじらは青ちゃんを助けてるの?」
『利害の一致だな。コイツは夢を渡ってネオビルを倒したい。オレはネオビルを食べて力を取り戻したい。こんなナリじゃ思うように暴れられねえ』
「食べて、力が戻ったら?」
『さあな、それはオマエに言うことじゃない』
扉をすり抜けて入っていったねこくじらに、亜依香は何も言えなかった。
「お邪魔しまーす」
うわあ、と思わず感嘆の声が出た。吹き抜けのように開かれた空間。黒いらせん階段が目に入った。
靴を脱ぐと、青の物であろうスニーカー他に、男物の革靴があった。お父さんが家にいるのだろうか。
リビングのソファにバッグを置いて腰掛けた。ふかふかだ、と思って亜依香は何度かつついた。
「今日は青ちゃんしかいないの?」
「いや、もう一人。居候が」
「居候?」
『いや居候はオマエだろ』
「まだ寝てるけど」
亜依香が壁に掛けられたシンプルな時計を見ると、すでに14時を過ぎていた。
どんな人なんだろう、と気にはなったが、それ以上聞かず、亜依香が持ってきたDVDを再生した。
時折アクションシーンで「おお」と言ってるところを見ると、それなりに楽しんでもらえているようだ。青は表情に乏しいが感受性が低いわけではなく、むしろ素直な人間であることが亜依香はなんとなくわかってきた。その目もいつもより輝いているように見える。
「で、このブラストモードなんだけど。ほらここ、ぶっといレーザー出した瞬間、反動を抑えるために後ろからもビーム出てるの!」
「すご。私も出せるかな」
『ムリじゃないか。仕組みも威力も曖昧すぎるし、信用には足らない』
「ならショットガンはなんとかなるかも」
そう作戦会議のように盛り上がっていると、二階でドアが開く音がした。次いで誰かが階段を下りる音が聞こえ、亜依香はそちらに視線を向けた。
「桜木、誰か来てるのか?」
スウェット姿の男は、いかにも寝起きといった様子で、パーマのようなくせ毛を手で梳いていた。
「ああ、町田さんかあ」
彼は丸眼鏡をかけ、のんきにそう言った。いつもより無精ひげが目立っている。
「は、端立先生⁉」
なんで? と亜依香は思わず青の方を見た。
「うん。端立志路」
冷静に青はそう言った。
端立志路は、亜依香たちのクラスの生物基礎を担当している教師だ。のんびりとした喋り方で、授業を受ける生徒をよく眠らせている。
「今日、町田亜依香が遊びに来る」
端立に向かって青は当然のように言った。
「うん。あれ、そんなこと言ってたっけ」
「忘れてたから今言った」
「そっか。ゆっくりしてってね」
控えめに亜依香に手を振って、端立は洗面所の方へ行ってしまった。
「え? お父さん、じゃないよね」
端立先生は30代の前半くらいで、高校一年生の青の父親には見えなかった。兄だとしても年が離れすぎている。
「うん。端立とはいろいろあって二人暮らしだけど、血縁関係はないはず」
「そう、なんだ……」
亜依香は情報量の多さに困惑していた。しかも端立って呼び捨てなんだ。
そのタイミングで、洗面所から端立が戻ってきた。
「ね、端立ってさ、私のお母さんの元カレだっけ?」
そうなの⁉ と亜依香は目を丸くした。
「いや、今カレ……だと思いたいけど」
冷蔵庫を開けコーヒーの入ったペットボトルを取り出しながら彼が言った。冷蔵庫の中に、青がいつも飲んでいるレモン風味のサイダーがたくさん入っていた。他の調味料はどうしたのだろうか。
「だってさ」
「あ、うん」
「桜木の母親に頼まれて、ちょっと預かってるんだ。学校には内緒にしといてね」
成績の贔屓問題とか出ちゃうからなー、そう言って彼はらせん階段を上って二階に戻って行ってしまった。亜依香は呆然としばらくその姿を見送ったあと、思い出したように青に聞いた。
「ね。二階に青ちゃんの部屋もあるの?」
「うん」
「え、入ってみたいかも」
青は一瞬考えるように右上を見てから返答した。
「いいよ」
青の部屋にはベッドと机と一つの棚しかなかった。制服はハンガーにかけられており、寝巻だろうジャージがベッドの端に掛けられている以外には、散らかっていないシンプルな部屋だった。
いつの間にかリビングからいなくなっていたねこくじらが、出窓に置かれたサボテンの隣で丸まっていた。
「何も面白いものはないけど」
「いやいや」
ダークブラウンの棚を見ると、主に教科書が入っていた。すでに懐かしい中学校のときの物もある。その中に、小学校の卒業文集があるのを見つけた。
「ね。これ見てもいい」
青の許可を得てから、ぺらぺらとめくった。青のクラスのページを開くと、一人一人のプロフィールがまとめてあった。
「青ちゃん、将来の夢『宇宙人』だったの?」
「みたいだね」
「好きなこと『ネコの世話』だったんだ。飼ってたの?」
「いや。前の家の庭によくノラネコが来てたんだ。空と一緒に餌あげたりしてて」
「空?」
「あ」
言ってしまった、と言うような表情を青はしていた。
『コイツの弟だよ。今病院にいる』
ねこくじらがふわりと二人の間を横切っていった。
「あ、ごめん」
「いや、私も言ってなかったから。大した病気じゃないし」
亜依香にも聞き覚えのある、この町で一番大きな病院だ。もともと山だったこの土地で一番高いところ、町全体を見渡せるような場所にある。
卒業文集を棚に戻すしたとき、棚の上にあった一つの写真に気がついた。微笑む女性が映っている。雰囲気が似ていたので青の写真だと思ったが、よく見ると青よりも年齢が高く髪も長かったから、おそらく母親だろう。
亜依香はそれを確認しなかった。
1階に戻る途中、青の隣の部屋のドアが少し開いていた。覗く気はなかったが、正座をして、何かに向かって手を合わせる端立の姿が亜依香の目に入った。
前を歩く青の背中を見てから、亜依香はねこくじらの方を向いた。
『オマエの予想通りだよ』とでも言うように目を逸らされた。
「じゃ、また月曜日!」
「うん、おもしろかったから。続き見たいかも」
「もちろん!」
バス停へ向かおうと門から出た亜依香が、ふと向かいの家の二階を見ると、少し開いたカーテンが閉められた。
「今日は、あの子の夢に行くの?」
青は無言で頷いた。
「夢を渡るのってどんな感じ?」
「うーん、ねこくじらに連れられて、光の中にぱしゃんって」
曖昧な表現をジェスチャーとともに伝えた。
「そっか」
『助けたい人が、いるんだ』
帰り道、あの夜の夢、彼女の真っ直ぐな瞳を思い出していた。
すでに亡くなった母親か病に臥した弟か。彼女は一人戦っている。
信号で立ち止まる。さっき貰った炭酸水が、バッグの中で揺れた。
「これ、いつも飲んでるよね。美味しい?」
「美味しくは、ないかな」
「え? じゃあなんで」
「好きだから」
そんなふわふわとした会話を思い出す。
住宅街の切れ間から眩しい夕日が差し込んだ。瞼を閉じると、ヒーローに目を輝かせる少女が浮かんだ。
◇
とある日の、とある公園。すでに桜の花びらは落ちきって、輝かしい緑を茂らせ始めていた。
ベンチに座る青年が吐いた煙が、空の方へと上がっていった。制服だろうか、青年はだらしなくシャツを着くずしていた。
「ねえ、ここ禁煙だよ」
青年に、一人の子どもが声をかけた。小学3年生くらいだろうか、少年とも少女とも言い難い、未成熟で無邪気な声。
「あ? んなわけねえだろ灰皿あんだから」
威圧するように青年が言った。確かにベンチの隣には灰皿があった。青年がまくったシャツからは刺青らしきものが浮かんだ腕が覗いている。
しかし、それに臆することなく子どもは青年の隣に腰かけた。
「でも、子どもがいるんだから、吸わないのがマナーじゃない?」
「知るか、どっか行けガキ」
煙を子どもに向かって吹きかけた。子どもはけほけほとむせてしまった。
「はあ、相変わらず短気だなあ、ジンドは」
「お前なんで俺の名前……! 錫か」
一瞬驚いた後、何かに納得するように青年が言った。
「やめてよ。今の僕にはアサヒって名前があるんだから」
頬を膨らませて抗議するように子どもが言った。
「……何の用だよ」
「忠告。最近ちょっと目立ちすぎ。気づかれるよ、目障りな狩人たちに」
「あいつらか」
青年の頭には、一人の少女と小動物が浮かんでいた。
「はっ。来たら潰しゃいいだけだ。好都合じゃねえか」
「うわあ嫌なフラグ。はあ、ジンドは仕事が雑なんだよ。怪物作って襲わせるだけって、芸がないなあ」
「お前みたいな手間かけたことはやってられねえんだよ」
「だいたい高校生の体なのに昼間からタバコ吸ってるってどうなの?」
うるせえから黙らすか、そう思って青年は子どもを殴りつけた。しかし、その拳は空を切っただけだった。
「すぐ手出すぅ……」
声は青年の後ろから聞こえていた。
青年が振り向くが、そこには誰の姿もなかった。
「ま、忠告はしたからね」
再び声のする方を向いたが、風で舞う桜の花びらがあるだけだった。
相変わらず派手好きな奴、と一つ舌打ちをして、立ち上がり灰皿にタバコを入れた。新しい種はすでに蒔いている。
火が消えたとき、誰もそこにはいなかった。
そんな一つの白昼夢。
覚書
端立 志路 生物基礎の先生、桜木青の保護者的存在でもある、天パ猫背無精ひげ丸眼鏡、研究をしている
桜木 空 桜木青の弟、今は入院中
ジンド 見た目は男子高校生、短気
アサヒ 見た目は少年か少女かよく分からない、小学3年生程度、生意気
レモン風味の炭酸水 炭酸と酸味が強すぎるため人気が低い、桜木青が愛飲している
『駆動兵器エクリプス』
40年以上前のロボットアニメ
プラモデルシリーズが非常に多く作られている
『駆動兵器エクリプス 漆黒の創成期』が秋に上映予定