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それは何という特徴もない男だった。
白シャツのその男は暖簾をくぐり座敷席に座るとメニューにザッと目を通しウェイトレスを呼ぶ。
「んー、姉ちゃん、ドライマティーニね。 唐揚げとシーザーサラダも」
「かしこまりましたー」
やがて暫くも待たないうちに運ばれてきた膳に手を合わせると男は旨そうに酒とつまみを頬張った。
「ふーー。ここの唐揚げは絶品だが……
しかし全く景気が悪いな」
男は半分ほど杯をあけたところで空のコップに少しだけマティーニを注ぎ入れ鞄から何かを取り出した。
そして手にしたその藁人形にポツリと語りかける。
「なあ、藁人形よ。お前もそう思うだろ?」
男がそう呟き、コップがシュワと音を立てて空になると奇妙なことに藁人形が怪しく光り始めた。
と同時に男の背後の方から呻き声が聞こえる。
「そしてあんた、やめときな。つーかこえーよ。
姉ちゃんたち、よく俺の場所が分かったな。驚いたぜ」
「返せ……! コムタクを返せぇ……!」
振り返ると包丁を握ったままのヤバ子が男に向けて構えたままの態勢でピタリと留まったまま凶悪な恨み言を零す。
美智子と恵子から(彼女たちにとって都合の悪い情報を省いた)事情を聞いたヤバ子は今にも男に襲い掛からんばかりだった。
しかし男の呪いは強力でヤバ子の意志に反して身体を動かせない。
「はいはい、ヤバ子ストップストップ。やっと見つけましたよ。
呪いのおじさん……いえ、呪道勘一さん。探すのに苦労しましたよ。
こちらのヤバ子のストーカー的なハッキング能力が無ければ手詰まりでした」
遅れたように慌てて店の座敷に飛び込んできたのは美智子と恵子だった。
2人は息を切らして薄笑みを浮かべる白シャツの男を見つめる。
「お久しぶりですね、呪いのおじさん。アンタ、結構その界隈じゃ有名人だったのね。
私たちも実際この目で見なければ呪いの存在なんて信じなかったわ。
すごいのねあんた」
「いやいや、驚いたぜ。しかしよく俺を見つけたな。どーした? 不具合か?」
遅れてやってきた顔色の悪い羽毛田と恵子をチラリと見遣りながら男は杯をグイと呑み干す。
「分かってんでしょ。このハゲとコムタクを元に戻して欲しいのよ」
後ろに続く頭髪の薄い不健康そうな中年男羽毛田が虚ろな表情を震わせながら男を睨みつけた。
「アンタが俺をコムタクにしたのか……」
そしてわなわなと拳を震わせると元凶である男に怒鳴りつけた。
「おい! 返せ! 俺の人生を返せ!」
男こと呪道は動じることなく、笑みを浮かべながら一口唐揚げを齧ると座敷席を見遣り隣の席をポンポンと叩く。
「なるほどなあ…… まあ、落ち着いて酒でも呑もうや。
確かに入れ替わりの術式を施したのは俺だが……
ちょっと厄介なことになってんだぜ。
ま、長い話になることだし腰を落ち着けて話そうや」
躊躇っていた美智子たちは顔を見合わせていたがやがて呪道の言うように渋々と着席し、店員に適当に注文をした。
「ここは唐揚げが名物なんだぜ。まあ一杯やろうや」
「おじさん、私たちの責任でもあるんでこんな事言うのもなんだけど…… 本当に羽毛田部長とコムタクを元に戻してくれない? 確かにコムタク上司がいる職場はとても快適で楽しかったわ。でも……」
運ばれてきた生中を一口呑み美智子は続ける。
「こんな異変私たちだけが認識してるなんておかしいわ。いつか精神を病んでしまうわ」
呪道はふんふんと軽く頷きながらも薄い笑みを浮かべ新たに注文した酎ハイをグビグビと呑む。
「おじさんだって分かってんでしょ…… 一般的に信じられてなんかいない呪術を素人の私たちに軽々しく伝授したらこういうことが起きるって…… 責任とって元に戻してよ」
呪道はグラスを置きうーーんと唸り少し考え込んだ後、ぽつぽつと語り始める。
「うーーん…… そりゃそうだ。
俺だって呪術のプロさ。その怖さはわかってるともよ。
なんせニッチな稼業だ。俺も暇でな。先日は管を巻いてるアンタらを揶揄ってやったつもりなんだよ……
本当ならアンタらに売った藁人形の呪いは3日くらいで解ける予定だったんだけどな。どうやら予期せぬ異変が起こっちまったらしい。まったく参ったぜ」
その意外な言葉に美智子たちは顔を見合わせる。
男の呪いは3日程で解ける予定だったと言う。
しかしそれでは辻褄が合わない。
「3日くらいで解ける? 解けてないじゃない」
一同は戸惑う羽毛田を見つめながら不思議そうに首を捻った。
「ああ……
あれから10日以上は経ったよなあ。
でも俺の呪術は解けず二人は元に戻ってない。
これはどういうことか。
俺の解放呪術を阻害する予想外の要因が出来たって事だ」
呪術とやらはよく分からないが美智子たちはじっと男の話を真剣に聞く。
「2人のうちどちらか、もしくはどちらも元の人生に戻りたいと思ってないってことさ。
それも強烈にな」
「そんな……」
呪道は呆気に取られる一同を他所に薄笑みを浮かべ羽毛田を指差す。
「少なくともそこの部長さんは心の底では戻りたくねーみたいだな」
「……! そ、そんなことは……!おい! ふざけたことを抜かすな! さっさと俺を戻せ‼︎」
顔を真っ赤にして詰め寄る羽毛田に臆することなく呪道は涼しい顔で唐揚げを口に運び羽毛田の目をじっと見つめながら話を続ける。
「本当にそうか? アンタ本当にそう思っているか?」
何かを見透かしたような呪道のその言葉に羽毛田はうっと言葉を詰まらせた。
呪道はそんな羽毛田を薄笑みで見つめながら一同を見回した。
「なあ、姉ちゃんたちよお、俺も戻してやろうと思ったけどよ、本人たちがこのままでいいならいいんじゃねーか? この方が幸せってならそれでいいじゃねーか」