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春が深まったいつもの朝のいつものオフィス。
でも最近は何かが変化していた。
「おい杉山、ここのレポートだが俺はここはこうすればこうなると思うんだがお前はどう思う」
「それはですね……」
以前よりの怒声や罵声は消え失せ、羽毛田とその下の者が顔を突き合わせて議論を交わすことが多くなった。
羽毛田は上の者からの理不尽な要求にも不満が有れば粘り強く抗議するようにもなったらしい。
コムタクとはまた違う彼なりのやり方を発見したのだろうか。
心なしか最近は羽毛田の顔色も良くなった。
私は手元で鳴り始めた電話の受話器を取り、数日ぶりに聞いたあの男の声である事を確認すると隣の恵子と目配せをする。
「部長、お取り込み中すみません」
部下と話しこんでいた羽毛田の席に恵子と共に向かうと、羽毛田はおうと答える。
「お客様が応接間でお待ちです」
「そうか、すぐ行く」
応接間の扉を開くと、白シャツがまず目に飛び込んでくる。
「いやあ、元気そうで何よりだ羽毛田さん」
呪道は相変わらずの悪びれない態度でソファに腰掛けながら薄い笑みを浮かべている。
「フン、おかげさまでな」
羽毛田は不快そうに眉を顰めながらどっかとソファに腰を下ろした。
クククと笑いながら呪道はどうどう、と両手を開いて宥める。
「そう不機嫌そうにしなさんなよ、まあ無理もねえがな」
「あんたにはひどい目に遭わされたからな」
「部長、私たちからも謝ります。申し訳ありませんでした」
あれから数日が経った。
何が起こったのか、2人が呪道に何を見せられたのかは分からないが術をかけられて眠り目を覚ました2人は入れ替わりを解消することを了承した。
私たちは安堵しながらもあの時のどこか憑き物が落ちたような2人の顔を思い出す。
「フン…… まあいい」
羽毛田は眉を顰めながら懐から封筒を取り出して呪道の前へ置く。
「納得はいかんがこれは謝礼だ。これでもう二度と俺に呪いをかけてくれるなよ」
呪道は薄い笑みを浮かべながら封筒を手に取り札束を数える。
「はい、確かに。約束は守るさ。心配しなくともこの金を受け取った時点で約束という呪に縛られたんでな。
俺はアンタの前には二度と現れない」
「そう願うよ」
呪道は札束を数えながらいつもの何気ない調子で話を続ける。
「ご家族との話し合いも上手くいっているようだな」
「フン、あんたのおかげとは言わんからな」
羽毛田は近々家族との別居を解消できることになったらしい。
それにしてもあの術式の最中に何があったのだろうか。
封筒を懐に入れたのを確認して私は話を切り出す。
「それにしても驚きました…… あの『クマップ』が復活するなんて……」
「ああ、俺もおどれーたよ。こんなに状況が変わるとはな。自分の天才ぶりに手が震えそうだわ」
呪道のおかげか何かは分からないが、先日国民的アイドルグループ『クマップ』の復活が発表された。
何やらメンバー全員で話し合い和解したとのことだ。
ヤバ子もさぞはち切れんばかりに歓喜していることだろう。
それにしてもその無責任な言い草に私は憮然とする。
元はと言えばこいつの引き起こした事件じゃないだろうか。
「いや、世界に誇る名作ドラマが駄作になりかけたんだから調子に乗らないで下さいね」
「少し言い過ぎじゃないかね」
「あっ、すみません部長」
私を嗜めコホン、と咳払いを一つした羽毛田は椅子に座り直し真っ直ぐと呪道の顔を見る。
「呪道さん、最後に一つ。あんたが私に見せたあの幻はなんだったんだ?」
ふむ、と頷きながら呪道はその質問に訥々と答える。
「あれはアンタの過去と希望。若干俺の希望的観測も含んだ幻だがな、でもアンタ自身が脳内で生み出した夢さ。
俺の術式の夢を見てまだ希望を持ち、状況を好転させたのはアンタ自身の力さ。
逆に言えば今までのアンタは自分を騙して自分を追い込んでただけの話だよ」
「フン、よくわからんな」
不満そうに答える羽毛田に呪道はクククと笑いかける。
「ふふふ、まあ俺のことは詐欺師とでも思ってくれればいいさ。じゃあな部長さん。もう二度と会うことはねーだろ」
「フン、じゃあな」
私と恵子は腰を上げ帰ろうとする呪道の後を行く。
「あ、呪道さんお送りします」
「この度は本当にありがとうございました」
「マッチポンプみたいな事件だったけどね」
ニヤリと笑いながら呪道は悠々と廊下を歩く。
「たまにはこんな流れ者に金を渡しても罰は当たらねえさ」
「コムタクからもお金貰ったんでしょう?」
「まあな。俺は人を見て相場を変える。コムタクさんからは桁が一つ違う値段を貰ったよ」
私たちは目を見合わせる。
全くこの男はなんて言う詐欺師なんだろう。
「「ひ、百万……?」」
「ひどいぼったくりじゃん!」
カカカ、と笑いながら呪道は入り口を潜る。
「人聞きわりいな。人生に迷う子羊を救ってやったんだぜ? むしろ良心価格だと思うがな」
結果としてはオーライだったし、発端は私たちの悪戯だったのでぐうの音も出ない。
呪道は手を一振りするとスタスタと歩き出す。
もう会うことはないだろう。
「じゃあな、お嬢ちゃんたち。もう二度と呪いなんかに頼らないようにな」
「ええ、もうこりごりです」
「おじさんも元気でね」
呪いなんかに頼らなくても人は心掛け次第でいくらでも状況を変えられる。
呪いという危うい力を身につけた白シャツ男の背と春の日差しのアンバランスに可笑しみを感じながら私たちは自然と微笑んだ。
もうそろそろ春も爛漫だ。
(了)
最後までお読みいただきありがとうございました。