出雲こはね
「着いたよー。ここが二条の資料がある所だよ」
品子の言葉につぐみが見上げたその場所は、戸世市内にある、オフィスビルだった。
自分が知る限り、品子の所属する組織は大きなものだ。
様々な情報が手に入り、どれだけ急だろうがその状況に応じた場所が確保できる力を持つ存在。
その本拠地は、さぞ大きな屋敷や会社に違いない。
そう勝手に思い込んでいたことを、つぐみは反省する。
「イメージと違いますぅって顔してるねぇ」
くすくすと笑いながら、品子がつぐみのおでこを軽くつついてきた。
「あ、いえ! そんなわけでは!」
「ここは本当の二条の資料室ではないんだ。一部の資料をこちらに持ってきてもらうようになってる。まぁ、いわば『仮二条資料室』って所だね」
品子の説明を聞き、つぐみは問いかける。
「それはつまり、私が急遽参加するために、こちらを準備してもらった。そう理解しても?」
「ん~。まぁ、それもまた一つの理由だね。君の存在をあまり本部に知られたくないという私の我儘もあるかな。あと、もう一つ。君にはやってもらいたいことがあるんだ」
「何でしょうか? 私に出来るのでしたら」
つぐみへと、品子は真剣な表情をむけてくる。
「今回の蝶の毒については私と惟之で調べる。それとは別に、君には私達の組織のことを学んでもらいたい。今後、私達が君からの助言が必要となった時に、その知識があるのと無いのとではかなり違うと思うから」
「わかりました。精一杯、勉強します!」
「今日も、元気でいい返事が聞けて嬉しいねぇ。惟之が先にいるはずだから行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
◇◇◇◇◇
案内された場所は、ビルの三階にある会議室のような部屋だった。
惟之と知らない女性が、自分達へと視線を向けてくる。
「お、来たな。冬野君」
「おはようございます、靭さん。あの、お隣の方は?」
「初めまして。あなたが冬野さんね。私は二条の出雲こはねと申します」
「は、初めまして。冬野つぐみと申します」
綺麗な人だ。
きりりとした顔立ち、凛とした佇まいと理知的な瞳。
すっとした輪郭の顔に掛かる、ミディアムロングの綺麗なダークブラウンの髪。
優雅な仕草で髪をかきあげる姿に、思わず見とれてしまった。
「冬野さん?」
黙ってしまったつぐみを、不思議そうに見つめる出雲の声で我に返る。
「すっ、すみません。私、初めての人にお会いすると緊張してしまいまして……」
小さな声でしか答えられない、情けなさが顔をうつむかせていく。
だがそんなつぐみに、出雲からは優しい声が掛けられてきた。
「気にしなくていいと思うわ。慣れない場所に、慣れない環境ですもの。誰だってそうなってもおかしくはないから」
穏やかな出雲の声に、つぐみはおそるおそる顔を上げた。
目が合いほほ笑みかけてくれる彼女の姿に、緊張が和らいでいく。
「では一度、私は戻ります。惟之様、品子様。何か必要なものがあればご連絡下さい」
「ありがとうね、出雲君。夕方前にはここを出るつもりだから」
「承知しました。では失礼します」
一礼をして出て行く間際に、出雲はつぐみの傍に来て囁く。
「冬野さん、顔がとても緊張してるわね。深呼吸してみましょうか。はい吸って!」
「はい。すぅー」
「ゆっくり息を吐いて」
「はー」
「はい、そのまま息を吐いて」
そこは吸うのでは? と思うものの、言われるままに従う。
「は? はー」
「はい、頑張って!」
息を出し続けるものの、さすがにもう無理だ。
「す、すみません。限界ですっ!」
我慢できず、息を吸う。
胸に手を当てて呼吸を落ち着かせていると、そっと出雲の手が背中に添えられた。
「はい、お疲れ様。初めから緊張してたら、心も体も持たなくなるわよ。もっとリラックスして取り組んでね」
そっと背中を撫でてくれている温かな手。
顔を覗き込んできた出雲は、小声でつぐみにだけ聞こえるように話をしてきた。
「あのね。今日がんばったら、ご褒美に品子様に美味しいものでも買ってもらって帰るといいわよ」
励ますようにつぐみの肩を軽く叩き、出雲は部屋を出て行った。
なんて素敵な人だ。
しばしの間、つぐみは扉の方を見つめ続けてしまう。
「ん~、冬野君。君は今、出雲君のこと好きになったでしょ?」
「……はい、好きになりました。って、え? 先生、なんでそんなことを?」
「見りゃわかるよー。あんだけ、ぽやーっとして出雲君を見送ってるんだもん」
そんなに見つめていただろうか。
熱くなっていく頬に両手を添え、つぐみは答える。
「そ、それはその、……厳しい感じの方なのかと思ってたら違っていたので」
「いや、人によっては厳しいよ。だってこの間の奥戸の事件の後に、二条に用事があって私が本部に行った時さ。惟之が出雲君に、めっちゃ怒られてたもん」
惟之を見ながら、品子はにやにやしている。
「しかも惟之さ、正座しながら怒られてたよね」
「せ、正座ですか? 靭さん、出雲さんの上司ですよね?」
振り返り見た彼の表情で、それが事実だと気づいてしまう。
「ま、まぁ。俺や出雲はどうでもいい。本来の用件にさっさと取り掛かろう」
これ以上の追及は、しない方がいい。
そう察し、作業に取り掛かろうと周囲を見回していく。
部屋は十畳ほどの大きさだ。
中央に大きな木製の机があり、周りに四人分の椅子が設置されている。
他にも二か所のサイドテーブルがあり、その上には小さな可愛らしい観葉植物とつぐみ達が読むであろう資料が並べられていた。
奥にミニキッチンもあり、シンプルながら設備は十分に整えられている。
「まずは冬野君には、こちらのテーブルにある資料を読み込んでもらうよ。私と惟之は、……もう一つの方のテーブルだね。さすが出雲君、仕事が早い」
品子は数冊、手に取ると中央の机へ向かい、惟之と並んで座り読み始める。
指示されたテーブルから資料を手に取り、つぐみは品子へと尋ねた。
「先生、こちらのお部屋はいつまで使う予定ですか?」
「時間でという意味ならシヤのこともあるし、夕方前にはここを出るよ。期間という意味なら、このビルがうちの組織の所有だから、特に期限はないけど?」
「でしたらこの部屋に、私が書いた覚書などを置いておく許可をいただけますか? あと、シュレッダーってこのビルにはありますか?」
「おぉ、覚える気満々。さらには情報漏洩対策まで考えてくれてありがとね。ここの二階にしばらくの間は、二条の人達が何人か常駐しているはず。だから、そこにならシュレッダーはあると思うよ」
「ありがとうございます。では私も始めますね」
後の処理を考えると、ノートよりルーズリーフの方がよさそうだ。
持ってきた鞄から筆箱とルーズリーフを取り出し資料を開く。
「あれ? この資料は……」
白日の組織内部関係と書いてある。
白日。
この名前は品子達が所属する組織の名前ではないだろうか。
『白日の関係者だとは知りませんでしたよ。ここに入れたということは、発動者ではないみたいですが』
先日の奥戸が話していた言葉の意味を、ようやくつぐみは理解する。
今までは、品子のいる組織のことは聞いてはならないと思っていた。
だがこの資料を渡されたということは。
「先生、この資料を見ていいということはつまり」
「先に言っておくが、君を白日に入れるつもりは無い。勝手な話だが、君の存在を私は上には知られたくないんだ。表に出せない三条の協力者として、君には協力してもらいたい」
それはつまり、自分がまた認められたということではないか。
「私は、先生達の協力者になれたのですね! まだ一緒には行けないけど、傍にいて手伝っていいのだと!」
「こんな失礼な話をして怒るかと思ったけど。そこは君は、逆に喜ぶんだね」
品子は、呆れたような表情を浮かべている。
「よ、喜んではいませんが。あれ? でも嬉しい? 自分でもよくわからないのですが、すごく嬉しい、……です?」
やはり浮かび上がる感情は『嬉しい』だ。
ぐっとこぶしを握り、つぐみは思う。
品子達に必要と思ってもらえるように頑張らねば。
まずは組織の把握だ。
しっかりとこなして、認めてもらうんだ。
――さぁ、はじめよう。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトル「冬野つぐみは集中する」
彼女の集中力に色んな意味でぜひご期待ください。




