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冬野つぐみのオコシカタ  作者: とは
第三章 冬野つぐみの出会い方

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冬野つぐみは願う

「私の兄はとても優秀だったの。勉強も運動も何でもこなし、誰にも優しく人望がある。私にとって憧れでもあり、自慢の兄だった」


 憧れ、自分もこうありたい。

 つぐみにとって兄はそう思える人だった。


「私が小学校四年生の時に、兄はこの辺りでは屈指の私立中学に行くことになったの。家族で大喜びしたよ。でもそれから兄は、少しずつ変わってしまった。同じ水準の人間が集まるからね。今まで当たり前だった『優秀』が『普通』になった時。恐らく兄は、相当な挫折(ざせつ)感があったのだと思う」


 だがこの頃までは、兄もつぐみには変わらず接してくれていた。


「そんなある時、私はあるコンクールで賞を取ったの。かつて兄も取っていた賞だった。学校で担任の先生からその話を聞かされ、嬉しくて家に居た兄にまず報告したんだ。『おめでとう。お前も出来るようになったな』そう言ってもらえると思って」


 報告した時、彼の顔に浮かんだもの。

 それは隠すことの無い、つぐみに対する憎しみの色だった。


「兄は私の話を聞くと、『どうしてお前が?』そう言って私に暴力を振るってきた。兄が当時、取ったのが銀賞で私は金賞だった。……それが兄の心を壊すスイッチになってしまったのだと思う」

 

 髪を掴み上げられ痛みに驚いた次の瞬間、わき腹に痛みが走った。

 蹴られたのだと気づいてはいたけれども、兄がまさかという信じられない思いがそれを否定する。

 それでも痛みは二回、三回と続けて襲い来るのだ。

 涙でかすみながらも見つめた顔は、やはり兄のもの。

 何度かの痛みを堪えた後に兄の手が離れ、つぐみはその場に倒れ伏す。

 そうして上から来る声を、ただ聞くことしかできなかった。


「兄は私に言ったの。『お前が悪いんだ。お前が俺より優れているなんてありえない。お前は愚図(ぐず)のままでいるんだ。いいな』と」


 それはつぐみが家を離れるまで、ずっと言われ続けた言葉。

 その言葉を浴びるたびにつぐみの心に小さく、だが黒くて重いヒビが入っていく。


「怖くて両親には言えなかった。その日以来、兄は私に暴力を振るうようになった。他人に気付かれないように、人には見えない場所だからなのかな。いつもわき腹を蹴られていた。だから体が、手が、……勝手に動く癖がついてしまった。それから私は、決して目立たないように、大人しくするようにと心がけた」

 

 話をしながら、つぐみの手は無意識のうちにわき腹へと向かう。

 家族の話をする時、どうしてもこの癖が出てしまうのだ。

 痛くはないのに、どうしても庇ってしまう。


 恐らく両親は、つぐみ達の変化に気付いていただろう。

 だが、優秀な学校に通う長男、幸せな家族という世間体もある二人は。

 ――つぐみではなく、兄を選んだ。


「そんな私の変化に気付いたのは、おばあちゃんだった。何度も私に会いに来て、心配してくれた。そして両親に話をして、私が中学二年生の時に自分の元に引き取ってくれたの。両親としても、兄の不安定な状態が軽減されることもあり、それを受け入れてくれた」


 それからの祖母との二人だけの生活は、穏やかで優しい時間だった。


「おばあちゃんは、私に色々な料理や生活の仕方を教えてくれたよ。私が高校二年の時に亡くなってしまったんだけど、家族にわがままを言って一人暮らしを許してもらったの。生活はそれまでに学んだことがあったから全く困ることが無かったよ。それも全部おばあちゃんのおかげ。こんな風に言っているけど、両親は私の大学の費用や生活費を、ちゃんと出してくれている。だから私は恵まれた環境にいると、……言えると思う」


 前触れもなく、突然こんな話をしているのだ。

 さぞ彼らは驚き、混乱しているだろう。

 つぐみとて、この告白に後悔がないといえば嘘になる。


 でも、決めたのだ。

 聞いてもらおう、知ってもらおうと。

 小さく息を吐き、つぐみは言葉を続けていく。


「それに皮肉な話だけどね。私の観察力が優れているのも、怒られないようにと常に気を配っていたからというのもあるんだ。これがなかったら、二人にも会えてなかったのかもしれない。そう思う時もあるんだ」

「……品子と惟之さんは、この話を?」


 ヒイラギの問いにつぐみはうなずく。


「うん、知ってる。さすが解析班の人達の仕事は凄いよねぇ。最初、学校で先生から誰にも話したことの無い、うちの家庭環境の話をされた時は本当に驚いたよ」


 品子の研究室での会話を、つぐみは思い返す。


「なぁ、俺達にこの話をした理由は何だ? 何かあるからこの話をしたのだろう?」


 ヒイラギからの質問に、ごくりとつばを飲み二人を見つめる。


「理由は二つ。一つはヒイラギ君を起こす時に、あなたたち兄妹の過去を知った。それを一方的に知っているのに自分の話をしていないのは、嫌だと思ったから。ふた、二つ目は……」


 答えを聞くのを恐れる心が、つぐみの言葉を途切れさせてしまう。


 怖い、受け入れられないかもしれない。

 ……だが、それでも。


 どんな結果であっても決めた気持ちを、願いをきちんと出す勇気を持ちたい。

 だめでもいい、それならば諦めようと決めたのだ。


 今まで流されてばかりだった『自分』が。

 ――それを変えようと選んだのだ。


 つぐみは座布団から降りて畳の上に座り、二人と目を合わせる。


 自分を変えるんだ、冬野つぐみ。

 その念いを、今こそ彼らに知ってもらうのだ。

 その一歩をふみ出せ。

 自分にそう強く呼びかけ、願いを言葉に重ねていく。


「二つ目の理由は。私を、どうか私をここにおいてください。ここに住まわせてほしいのです」


 そういってつぐみは頭を下げる。

 彼らからの答えを下を向き、じっと待つ。

 そう長くない沈黙の後、ヒイラギからの声が届いた。


「……俺には無理だ。何を言ってんの、お前は」

「! 兄さん、そんなっ……」


 二人の声は、聞こえるのだ。

 それなのになぜだろう。

 目の前で話しているはずなのに、つぐみにはその声はとても遠い。


  答えは、つぐみが欲しかった言葉ではなかった。


「私をここに居させてほしいです、と言いました。ですがやはりわがままでしたね、……ごめんなさい」


 顔を上げようとするのに、どうしたことかそれが出来ない。


 心のどこかで「ここにいれば良い」と言ってもらえるのではないかと期待していた自分。

 それが恥ずかしいやら悲しいやらで、上を向くことができないのだ。

 だが泣くことは決してしない。

 二人にそんな同情を求めるような姿を見せることは、あってはならないのだから。

 とはいえ、このまま顔を上げて二人の顔を見たら泣いてしまう。

  

「ごめんね。は、話は終わりです。そのまま出ていってもらっていいかな?」


 何も思いつかず、そんな言葉しか出てこない。

 つぐみの前からため息が聞こえ、立ち上がる気配の後に襖の閉まる音。

 二人がそのまま出ていったのを理解し、小さく息を吐く。

 あんな要求をしておいて、いつまでもこの家にいるわけにはいかない。

 残念だが世話になった部屋を片付けて、明日にはこの家を出よう。


「あはは、……短い間だったけど、本当に楽しかったなぁ」


 一人ではない朝が来るのが楽しみだった。

 おはようと言ってもらえるのが嬉しかった。

 ただいまとおかえりが言えるのが幸せだった。

 ご飯を食べて笑ってくれる皆の顔を見るのが好きだった。

 ここで、この家で過ごせるのが……!


「あ、あぁ……」


 拳を強く、握りしめていく。

 ぱたぱたと畳に涙が落ちて当たる音が聞こえる。

 悲しい悲しい苦しい。

 涙とともに感情が、次々とこぼれ落ちていく。

 こらえようと、ぐっと強く唇を噛む。

 それなのに、痛いという感覚よりも悲しい気持ちの方が勝り、やはり涙を止めることができない。


「やだっ、帰りたくない。ここに、……ここにいたかった!」


 勝手に出てきた言葉に、溢れてきてしまった思いに整理がつかない。

 そのまま、前に倒れるように頭をごつんと畳にあてると目を閉じる。

 答えが出た今、もうどうしようもない。

 立ち上がって、荷物を片付けなければ。


 顔を伏せたままの自分の耳に、再び襖の開く音がする。

 拳をぐっと握りしめた土下座のような状態になっているつぐみを見て、驚いたであろう相手の声が上から聞こえてきた。


「うおっ! 何か冬野、つぶれてね?」

「つぶれているというより、液状にとけたみたいな感じでしょうかね」


 ヒイラギとシヤが戻ってきてしまった。

 さらには今の自分になかなかに厳しいコメントが聞こえてくる。

 泣いていないで、早くこの部屋から出るべきだった。

 そう思う自分の頭に、何かがふわりと覆いかぶさる感覚。

 思わず手を伸ばした先にはタオルの感触。

 これ幸いとばかりに、そのタオルで軽く目の辺りを拭い、ゆっくりと体を起こす。

 そこには呆れ顔のヒイラギと、ティッシュの箱を抱えたシヤがいた。

 気まずさを抱えつつ、つぐみは口を開く。

 

「えっとね。一応、今から部屋の片付けを始めて、明日中には出ていけると思う。っていたたた?」


 ヒイラギが、つぐみの頬を引っ張っている。


「ひた、いたひよ。ひいはぎくん」

「……『ひ』ばっか言ってんじゃねーよ。明日はいろいろ運ぶだろうから、品子に車と運転手役を頼んでおいたぞ」

 

 この家に来るときに持ってきた荷物は、旅行鞄一つに収まる程度のものだ。

 運ぶ人も、物も自分一人で収められものばかり。

 つぐみはそう思いながら、ようやく解放された頬をなでる。

 彼の言葉を聞き、同じようにヒリヒリとする心の痛み。

 それをこらえ、ヒイラギを見上げる。


「ありがとう。でも大丈夫だよ。そんなにこちらのお家には、荷物は持ってきてないんだ。一人で充分、……運べるから」


 つい声が小さくなってしまう。

 そんなつぐみの頬に、ヒイラギの手が再び向かってくる。


「要るだろう。これからの秋冬とかの服も、持ってこなきゃいけないし。あと教科書とかだって運んでこなきゃいけないだろう?」


 ヒイラギは先程とは反対側のつぐみの頬を引っ張る。


「えっ、反対側も引っ張るの? って? ふく? きょうかひょ?」


 ヒイラギの言葉が理解できずに混乱する。

 それは先程、断られたのではなかったのか。


 今から口に出す言葉が叶ってほしい。

 強く願いながら、つぐみは二人に尋ねる。


「私は、……ここに居てもいいの?」 

お読みいただきありがとうございます。


次話タイトルは「絵心は魔を誘う」

ある方の可哀想なお話です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マジで泣きました だめなんですよこういうの 二つ目の理由をいうあたりで我慢できませんでした シアちゃんならきっと、 ヒイラギくんならきっと、 ってわかってましたよ? 客観的読者視点ですか…
[一言] つぐみ兄のことはジャギと呼ばせてもらおうかな……。 何となくそう思いました(゜Д゜メ) 親も親で、品子先生の料理しか一生食べられないようにしてやりたいですな!(先生に失礼) つぐみの観察…
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