天国と地獄
「こんなのって無いよ! ヒイラギ、この鬼畜がぁぁ!」
「そうだよヒイラギ君! これは人間の所業ではないよっ! あんまりすぎるよぉ!」
つぐみと品子は、延長コードで背中合わせに縛られた状態でリビングに座らされていた。
落ち着かない体勢で、つぐみは甘い匂いが満ちた台所を眺める。
いや、凝視すると言った方が正しい。
そこでは満面の笑みを浮かべた小さなさとみが、ホットケーキを食べていた。
『わぁ、おいしい! ふわふわであったかいでおいしいぞ! これぜんぶ食べていいのか? ひいらぎ君?』
「あぁ、いいぞ。でも、お腹を壊すといけないからな。このお皿の分だけだぞ」
『うん。わかった!』
「さとみちゃん。このメープルを掛けてみて? もっと美味しくなるよ」
『めーぷう? ……うわぁ、すごいっ! あまいがふえた! おねえちゃんはすごいな!』
「ふふ。一応は髪をまとめたけどね。髪に付かないように、食べないとだめだよ」
シヤは優しく言いながら、さとみのおくれ毛をそっと耳にかけた。
そのまま少女の頭をふわりと撫でた後、二人でにこりと笑い合う。
天使が二人、台所に降臨している。
つぐみは、そう思わずにはいられない。
『ねぇ、おねえちゃん。またこのかわいいのかみの毛にしてくれる?』
「いいよ、今度はツインテールにしようか? 楽しみ」
会話を聞いている品子からは、悲痛な声が聞こえてくる。
「なんということだ、台所は天国ではないか! なのに、どうして私達は」
「えぇ、たった数メートルしか離れていないこの場所で、参加できずにただ見ていることしか許されなんて」
『ちょっとした』どころではない地獄。
つぐみ達はただ、歯ぎしりをすること位しか出来ない。
「……先生。天国と地獄って、表裏一体なのですね。私はこの事実を今日、初めて知りましたよ」
「そうだな、冬野君。ついでに言えば、この背中合わせになっている体勢だ。あの天国を眺めるためには、私達の互いの首が普段使わない角度を強いられているのもいけ好かん。ヒイラギの嫌がらせっぷりには、際限がないのか! くそうっ!」
そんな二人の様子を、ヒイラギはたまにちらりと見ては、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。
時にはさらりと、さとみの頭をなでているのだ。
「くうっ、ヒイラギめ! さとみちゃんの胃袋を掴み、こんなにあっさりと陥落させるとは!」
「まったくです、ヒイラギ君! ……恐ろしい子ッ!」
限界を感じ、つぐみは品子へと語りかける。
「まずいですよ、先生。このままでは、私達の精神が死んでしまいます。ここはやはりさくっと謝りましょう! そして一刻も早く、さとみちゃんのそばにっ!」
「そうだな、冬野君。私達は全く望んでいないにもかかわらず、地獄を十分に味わった! さすがにもう、あちらの天国に行ってもいいはずだ。おい、ヒイラギ! ……じゃなかった。ヒイラギ君、我々は君と話がしたいっ!」
品子の声を聞き、ヒイラギが二人の元へとやって来る。
先制とばかりに、つぐみは口を開いた。
「ヒイラギ君。私達は、本当に心から反省しました! これからは節度を持って、さとみちゃんと接することを誓います。ぎゅってするのも、なるべく我慢するように心がけます。だからほどいてください!」
「そうだぞヒイラ……」
遮るように、チャイムの鳴る音が響く。
シヤが玄関へ向かうのを眺めている後ろでは、品子が再び話を始めていた。
「あー、ヒイラギ。聞いてくれ。改めて言うが、私達は……」
「うわぁ! なに~、甘い匂いがするよ~! 僕にもちょうだい!」
玄関からは、にぎやかな明日人の声が聞こえてくる。
「あれ、井出さんが来たのですか? どうしたんだろう?」
つぐみの言葉に、ヒイラギがにやりと笑う。
「俺が呼んだ。さとみちゃんが来たことだし。報告も必要だと思ったからな」
「あぁ、確かに。この件は、井出さんも関わってきましたからね」
納得したつぐみの耳に、もう一人の声が届く。
「明日人、落ち着け。まずは挨拶だろう。それから手を洗って……」
「ひっ」とつぐみの後ろで、品子が息をのむのが聞こえた。
無理やりに首を回し、つぐみは品子の方へと向ける。
背中越しに伝わるのは、品子ががたがたと震えている振動だ。
「こんにちは~。何か今日はいい報告があるって聞いたよ~。って何これ? 品子さんとつぐみさん、何してんの? あははっ、面白ーい! 何? 報告ってつまり、面白「いい」報告?」
自分達を見た明日人は、子供のように無邪気に笑っている。
「こ、こんにちは、井出さん。えっとですね、これにはいろいろとありまして……」
後ろにいる品子は静かだ。
震えも止まっている。
いや、もはやピクリともしない。
きっと、現実から心が逃げてしまったのだろう。
「邪魔するぞ、ヒイラギ。何か報告があるって聞い……。おい、何だこれは?」
サングラスで見えないが、目を丸くしているであろう惟之が言葉を失っている。
「ふ、ふふふのふ。わたしはちょう。だからあおいそらをじゆうにとびまわれるの。うふふ」
つぐみの後ろからは、ひらがな言葉しか話せなくなってしまった、可哀想な人の声が聞こえてくる。
もはや自分には、同情することしか出来ない。
ヒイラギが来客二人に、一連の説明をしている。
自分は、ただそれを聞くことしか出来なかった。
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次話タイトルは「少女は名乗る」
「いっひはいせ、さとみ」なお話です。




